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『僕の野球人生』vol.10 伊藤 滉一郎 外野手

この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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『僕の野球人生』vol.10 伊藤 滉一郎 外野手(4年/県立千葉)

愛すべきケニー(明石/4年/捕手/渋谷幕張)からバトンを受け取りました伊藤滉一郎です。ケニーは僕のスマホで自撮りをするのが好きらしく、僕の写真フォルダはキメ顔のケニーだらけです。嫌ではありません。

 

書くというのはあまり得意ではありませんが、タケ(竹山/4年/外野手/修道)に添削してもらったので良い文章になってるはずです。

 

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両親とのプラスチックバットとフワフワボールを使った野球から僕の野球人生は始まり、2年生の時には既に少年野球チームに入っていた。過去が美化されているせいなのかこの時期は楽しかった記憶しかない。みんなと毎週土日に集まって野球できるのが何よりの楽しみだったし、純粋に野球を楽しんでいた。こないだのオープン戦でマックスと対戦できたのは嬉しかった(三振だったけど)。

 

中学には野球部がなかったのでボーイズのチームに入った。東大野球部を意識し始めたのはこの頃だった。楠井監督が「お前は東大野球部に行け」と常々言ってくれて、当時の浜田監督の名刺と東大野球部ボールをくれたおかげで、僕の目標は自然と東大野球部に入ることになっていた。監督には野球の技術だけではなく野球人としての在り方を教えていただいた。

 

高校でも迷わず野球部に入った。かなり濃密な時間を過ごしたし野球を楽しんでいた。毎日のように若生や熊木と夜遅くまで自主練をしていた。同期のやつらはみんな個性的であり真剣に取り組んでいたから居心地がよかった。

 

もちろん辛い記憶もある。めっちゃ走らされたし、ずっと送球難だった。1年の頃はショートをやっていたが1試合4暴投で試合を1人で壊した。自分たちの代にキャッチャーがいなかったので自分がやることになったが、ブルペンでピッチャーに返球してるつもりなのに隣のレーンにしかボールがいかなかったこともある。濱谷さんは「早く肩作りたいんだけどなー」と笑ってくれたが、かなり深刻な問題だった。

黒川先生は我慢してキャッチャーとして使ってくれていたが、最後の夏の大会の1ヶ月前に外野という楽園に僕を飛ばしてくれた。

外野のことを楽園と言ってしまったら怒られそうだけど、当時の自分にとっては天国みたいな環境だった。ホームから遠い位置にいるから怒られても基本何を言ってるのか聞こえないし、長い距離を伸び伸びと投げられるのは幸せだった。守備の負担がなくなるからバッティングにも集中できる。夏の大会前最後の練習試合が終わった後、黒川先生が「なぜお前をライトに置いているか分かるか?」と聞いてきた。「暴投しても基本ランナーより先の塁の方にボールが転がっていくから安心だろ?」と言われた。画期的なシステムだと思った。

キャプテン植田が頑張ってくれたおかげで非常にまとまりのあるチームで、最後の大会では1回戦、2回戦と勝ち進み、目標である強豪私学を倒すところまであと一歩だった。完全燃焼ではないけどやり切った感はあった。

 

東大野球部に入るという目標は夏の大会が終わった時も消えていなかった。頑張って勉強したけど浪人することになった。

 

植田が慶應との開幕戦を神宮に観に行こうと誘ってくれたので、一緒に観に行った。

 

もう4年前のことだけどあの時のことはよく覚えている。少年野球の先輩である下山さん(慶應義塾大学/R5卒)が素晴らしい選手宣誓をしていた。東大がいきなり3点先制してこれは勝てると思った。ピッチャーの井澤さん(R5卒)がレフトにホームランを打っていた。松岡さん(R5卒)が盗塁を刺していた。萩尾(慶應義塾大学/R5卒)の打った強烈な打球を別府さん(R6卒)がフェンス際でスーパーキャッチしていた。

 

試合には大差で負けていたし、慶應のボール回しや打球の強さを見てレベルが違うなと感じたけど、不合格で落ち込んでいた自分には神宮で戦う東大野球部はとてもキラキラして見えた。勉強頑張ってここで野球をしてみたい、あのメンバーの一員になりたいと心から思えた。能天気だった。このキラキラの裏には辛く苦しいメンバー争いがあるなんて想像できなかったのだ。

 

 

なんとか合格し迷わず入部を決めた。

 

 

まだリーグ戦に絡めるわけがない。入部してまもなくフレッシュリーグという1,2年生の大会があることを知った。浪人でガリガリになってしまっていたので春フレッシュは無理だろうと察して、目標を秋フレッシュスタメンに設定した。こんなに部員数が多い組織ではとにかく目立たないといけないと思い、フレッシュが一番それに適していると考えたからだ。

先輩たちの体つきは凄まじかったからとにかく食事とウェイトを頑張り、駒場のジムに毎日通った。石川(4年/内野手/灘)とも狂ったようにバッティング練習をしていた。まだ右も左も分からない時期だったから、夢と希望に満ち溢れていて目がギラギラしていた。

 

夏が終わりバッティングの調子が上がってきた感覚があった。フレッシュ前のシートbtで結果を残し、直前の外野シートで2トンネルしたのにも関わらずスタメンで使ってもらえることになった。

初めての神宮はめちゃくちゃ緊張した。ピッチャーがとんでもなく大きくそして近くに見えた。初球は振ろうと思ってたのに手が出ず、守備についている時はエラーの恐怖から嗚咽を繰り返していた。守備についている時の嗚咽癖は結局3年春まで治らなかった。

程よい緊張は良い結果をもたらすというが、何本かヒットが出て最後の早稲田戦では勝利も経験することができた。嬉しかった。久しぶりに自己肯定感が上がった。とりあえず春からの目標は達成できた気がした。

 

 

ただこれ以降の過ごし方は非常に良くなかったと今振り返って思う。1個上と2個上の代の外野陣は実力者が揃っていて、リーグ戦に絡むことは相当難しいことだと勝手に決めつけてしまっていた。自信のなさが悪い方向に働いていた。
春合宿中バッティング練習をしている時に大巻さん(R7卒)から「お前はスタメンを目指さないといけないんだよ」と言われたが、「そうだよなぁ」くらいにしか思っていなかった。

 

練習も自己満足的で方向性が間違っていたものが多かった。とにかくスケールの大きな選手になろう、ホームランを打てる選手になろうとしていて、それ自体は間違ってないしなんなら正しいことだが、長期的な視点にとらわれすぎた。自分はまだ下級生だから焦る必要はないという言い訳をし続けて、目の前の試合で何がなんでも結果を出してやるという気概は皆無だった。結果を出すための練習もできていなかった。2年夏のオープン戦の時なんて凡退しても悔しいと感じていなかったと思う。あの頃は選手として死んでいた。

 

良い意味でも悪い意味でも環境に慣れてきてしまった。注意力散漫で色んな怪我をした。しっかりしていれば事前に防げるものが多く、ずっと隠し通して試合に出続けることもできたはずだがそこまでの気力が当時の僕にはなかった。

 

リーグ戦でチャンスを与えてもらうこともあった。しかしこのような気持ちで中途半端な練習をしているやつに結果なんて残せるはずはない。野球の実力やセンスがないということは中学生くらいの頃から分かっていた。だからこそ何がなんでもやってやろうという気概がないうちは、結果を出すことができない人間なのだ。

 

 

転機が訪れたのは3年の夏のことだった。榎本さん(R8卒)といつも通り何気ない会話をしていた時だった。なんの話をしていたのか正直覚えてないけど、榎本さんが「俺も3年生の時は生き残るのに必死だったよ」と言った。その一言が僕の目を覚ましてくれた。榎本さんの代の外野には、捷さん(R8卒)、中山さん(R8卒)、大原さん(R8卒)といったベストナイントリオがいて、榎本さんほどの実力者でも生き残るために必死でやっていたのだと知り、実際リーグ戦でも結果を出していた。それに比べて自分はどうか。

情けねぇ。

ほんとに情けなかった。俺は今までこの部活に入って何か成し遂げたのか?秋フレッシュでスタメンをとるぞと意気込んでたあの時の情熱はどこへいった?このままなんとなく練習や試合をして終わっていいのか?東大野球部を目指して1年間必死に勉強した浪人時代の自分に顔向けできるか?

生き残りをかけて死ぬ気でやろうという覚悟が決まった。練習は自己満足的なものではなくなっていき、目の前の1試合でどうやったら結果を出せるか考え抜いて無駄なものは全て省いた。ただ長時間練習するのではなく、休むべき時はしっかり休めるようになった。試合で打てなかった時やエラーしてしまった時は、物に当たってしまいそうなほどイライラしたし、ツーストライクに追い込まれると三振したくないという気持ちから足が震えてしまう打席も多くなった。逆に結果が出た時は心の底からホッとした。

 

そんな感じでオープン戦を重ねていき秋のリーグ戦が始まった。ただリーグ戦序盤は打席をもらえなかった。実力が足りないのだから当然だ。終盤少し守備についたとしても打順が回ってきたら代打を出された。空き週の獨協大学とのオープン戦では、ノーアウトランナー2塁で内野フライを打ち上げた。あの時は終わったと思った。

 

第3カードは慶應戦だった。1回戦、東大が勝っている状態で終盤を迎えた。自分は途中からライトの守備についた。そして最後の攻撃回に打順が回ってくる予定だった。また代打を出されるのだろうかと守備中に考えてしまっていた。

 

打席があるとはどうしても信じきれなかった。守備から帰ってきてあるか分からない打席の準備をベンチでしていると、監督と助監督の会話が聞こえてきてしまった。「伊藤のところ代打出す?」「いや、そのままでいいんじゃない」。本来聞くべきものではないのになぜか聞こえてきてしまった。その瞬間「ここで打たないといけないんだ」と察した。目がありえないくらいキマり始めてしまった。

 

一生忘れられない打席となった。5-2で勝ってる状況で最後の攻撃回。先頭バッターが初球を打ってセカンドライナーで1out。打席が回ってきた。普通に考えたら空気を読んで少なくとも初球は振らずに見逃すし、なんならツーストライクまで待っても良い状況だった。ただチームのことなんか気にする余裕がなく自分が打つことしか考えてなかった自分は、インローのボール球ストレートに手を出してしまった。バットは折れたがライトライン際に落ちてツーベースとなった。ボールがライン際に落ちていくあの光景はまだ目に焼き付いている。嬉しすぎてベース上で慣れないガッツポーズをしてみたけど、アドレナリンが出過ぎていたせいか足元がフラフラしていた。正直前日くらいからバッティングの調子がいいなと感じていたが、あそこで打てたのはなんとしてでも打たなければならないという気持ちのおかげだった。あの打席は今でもはっきりと覚えている。

そのまま東大は勝った。初めてリーグ戦の勝利をグラウンドで体験できて全てが報われたような気分になった。試合終了時もアドレナリンは出続け、足元はフラフラしていた。その後の試合も何本かヒットを打つことができ、法政戦でも東大は勝った。少し自分に自信が持てたような気がした。

 

 

最終学年になった。自分たちの代の目標は春になんとか1勝、通年で勝ち点獲得だった。
春のオープン戦はチームとしても個人としても悪くなかった。打席にはだいぶ落ち着いて入れるようになってきたし、ホームランも打った。感覚が非常に良くどんなボールが来ても打てると思ってた時期もあった。この春は去年の秋よりもっと打てると確信していた。

 

ただ六大学野球はそんな甘い世界じゃなかった。というか去年の秋の少しの間だけ調子が良かっただけだった。思い返してみれば小さい頃からずっとバッティングが苦手だったじゃないか。明治、早稲田のカードと9打席立って8三振した。ストレートは全部ファールになるし変化球にはかすりもしなかった。惨めだった。毎試合後ロッカールームで大山(3年/捕手/ラ・サール)と土ヶ端(3年/学生コーチ/城北)が慰めてくれた。

 

当然落ち込みはしたけど、幸いにも寝たら大体のことは忘れてしまう人間なので、月曜日にはいつも通り練習していた。今ダメということはどうせ1ヶ月後くらいには好調がくるし、もう一度チャンスが与えられることを信じて練習するしかなかった。しかし慶應カードでは「出番あるかもだから準備しといて」の声すらかからずベンチでただ試合を眺めてるだけだったので、これはもう見捨てられたか、と本気で思ってしまった。

 

ところが次カードの法政戦のスタメンボートには自分の名前があった。もう見捨てられたと思ってたし調子の良さそうな外野手は他にもいたから正直な話かなり驚いたけど、やるしかなかった。ラストチャンスだと言い聞かせた。

 

法政カードで東大は9年ぶりの勝ち点をとった。あの景色は素晴らしかった。僅かだけど貢献できたと思う。

一塁ランナーから長谷川(2年/外野手/新潟明訓)のイカついホームランを見た。スコアボードを見ると3-3の同点になっていた。これもしかして勝ち点いけるか?、という謎の(?)自信と力がみなぎってきて、全く打てる気配のなかった僕にヒットを打たせてくれたんだと思う。あそこまで勝ちたい勝ちたいと思いながら試合をしたのは初めてだった。

 

そこから怒涛の勢いで時は過ぎ、もう引退まで1ヶ月となってしまった。人の性格は変わらないもので、小さい頃から今に至るまで自分のプレーに自信が持てないままである。

 

 

エラーしたらどうしよう。暴投したらどうしよう。ここで三振したらどうしよう。

そんなことばっかり考えてきてしまった野球人生だった。

もう随分前から、野球に対して好きとか嫌いとかそういう感情を抱かなくなった。みんなそうだろう。定期的にある試合のために淡々と準備して、試合で結果が出れば上機嫌になり、ダメだったらイライラするということを繰り返してきた。引退まで1ヶ月となった今でもそれは同じで、土日の試合のために朝早く起きて練習し、うまくいかないとイライラしてしまう。

正直こんなんで終わっていいはずがない。勝ち点3という大きな目標を掲げている以上、こんな情けない試合をしてる場合じゃない。もっとヒットを打ちたい。そう思えてる時点でまだ選手として死んではいませんね。あと少し頑張ってみます。

 

 

 

両親へ
ベイバスの時からわがままに付き合ってきてくれてありがとう。温室育ちだと何回言われたか分かんないけど、ほんとその通り。やりたいことをなんでもできてきたのは当たり前じゃないということに、23歳にしてようやく気付きました。浪人中きつすぎて「こんなんになるなら野球なんてせずに勉強してればよかった」って言っちゃったけどあれは今まで野球に協力してきてくれた2人に失礼だった、ごめん。正直思い描いていたようなプレーだったり結果は見せることができてないけど、諦めずに最後まで頑張るわ。ゴルフは気が向いたらやるね。

 

同期へ
仲良くしてくれてありがとう。意外と結束力あるし、この代で良かったと思ってます。まだ終わってないから最後まで頑張ろう。引退しても仲良くしてください!

 

モンスターハウスへ
君たちとのシェアハウスはかけがえのない1年間だった。料理も多少できるようになったし、東大野球部くらいたまに勝てるスマブラがなにより楽しかった。ゴキブリが1匹も出なかったのは俺のおかげね!
ゆうご(鈴木/4年/外野手/浅野)、正直お前がいなかったらモンスターのいるあの家は崩壊してた、ありがとう。バターとにんにくたっぷりのガーリックライスまた作りたいな。
川又(4年/学生コーチ/渋谷教育学園渋谷)、スマブラで負けたからといって夜中に外に向かって大声で暴言を吐くのはやめてください。そしてあの時警察が来ると思ってゆうごと2人で逃げてごめんなさい笑

 

少人数班のみんな
のぶ(大江宣知/4年/学生コーチ/仙台二)、のぶがいると場が和む!誰よりもウェイトをしていた姿はみんなの刺激になってたはず。流石にもう少し痩せよう笑
成瀬(3年/外野手/筑波大駒場)、お前は持ってるものが別格なんだからとにかく結果を出し続けるだけだね。気を入れていれば大丈夫
小美野(2年/外野手/早稲田)、大原さんも言ってたけど1年の頃からリーグ戦でヒットを重ねてるお前はほんとに天才だと思う。来年以降も楽しみにしてるわ
高木(1年/外野手/山形南)、試合でヒットもたくさん出てきたしようやく首脳陣が高木のポテンシャルの高さに気付いてきたね!もっと活躍してこう
和田(1年/外野手/渋谷幕張)、肉離れ早く治して俺が引退するまでにプレーしてる姿をもう一回見せてくれ!4年生がお前に言ってること大体嘘だから安心して笑

 

榎本班へ
班は変わっても心はひとつ!
榎本さん、常に僕の憧れであり刺激をもらってました。めちゃかっこよかったです。またご飯行きましょう。
安田(3年/外野手/名古屋)、めちゃくちゃ良い選手なんだから気を入れてくれ!長い目で見たら一番結果を出してるんだから自信持って。来年も楽しみにしてるぞ。
村尾(2年/外野手/札幌南)、春のタイムリーを俺は忘れないよ。もっと暴れられるはず。期待してる。
成清(2年/外野手/横浜翠嵐)、洋野で一緒にやった時から野球センスの高さを感じてる。頑張ってほしい!

 

土ヶ端へ
いつもダル絡みしてきてくれてありがとう。選手としてのお前をもっと見たかったけど、今のチームへの貢献ぶりは心から尊敬してる。またメシでもいこう。

 

大山へ
大山もいつもダル絡みしてきてくれてありがとう。来年は責任ある立場になるだろうけど気負いすぎないようにね。バットあげる。 

 

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

次回はGの愛称で親しまれる川又です。様々な事件を起こしてきた彼ですが、一体どんなぼくじんを書くのでしょうか。楽しみです。

 

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次回は9/28(月)、川又玄己学生コーチを予定しております。