【あなたにとって野球とは―#07】山口凱矢(投手・桐蔭学園)
4年生38名によるラストシーズンにかける想いを投稿いたします。
7人目は、山口凱矢(投手・桐蔭学園)です。
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いつも法政大学野球部を応援してくださる方々、そして、いつも僕のことを温かく見守り、応援してくださる方々、本当にありがとうございます。4年生投稿を考える時期を迎え、大学生活も終わりに近づいているのだなと、ひしひしと実感しております。長文で文章力が無いかもしれませんが最後までお付き合いしていただけたら幸いです。
大学4年間は、自分が思い描いていたものとは全くかけ離れたものとなりました。入学前は、憧れだった東京六大学野球の舞台でプレーできること、そして、長い歴史と伝統を誇る法政大学野球部の一員としてプレーできることに、胸を高鳴らせていました。中学、高校のように、1年春からバリバリリーグ戦で活躍してやろうという思いで入学しました。
しかし、いざ蓋を開けてみると、周りには150キロを簡単に投げる選手や、それをいとも簡単に打ち返す選手、ドラフト上位で指名されるような選手が、どの大学にもいました。入学してすぐに自分の現状を突きつけられるとともに、改めて六大学のレベルの高さを痛感しました。
2年春に初めてリーグ戦に出場し、慶應の本間選手から初奪三振を取ったときは、これまで憧れていた東京六大学野球の舞台で、自分も戦えているんだという実感が湧き、純粋に嬉しく、野球が楽しいと心から思えた瞬間でした。同期の中でも比較的早く試合に出ることができたことで、少しずつ自分の存在を示せるようになってきたと感じていました。野球が楽しく、もっと上を目指したいという気持ちも日に日に強くなり、自分の中では、ここからさらに飛躍していけると思っていました。
しかし、そんな自分の野球人生を大きく変えることになったのが、大学3年生でした。
思うように結果を残せないことが多く、3年春のリーグ戦前、最後のENEOSとの練習試合で、自分のせいで終盤に逆転負けを喫しました。試合後、7年間一緒にやってきた歩叶さん(松下歩叶・R8卒)から、初めて本気で怒られました。
それだけ監督や周りから期待してもらっていたことは、自分でも分かっていました。だからこそ、リーグ戦では結果を出さなければいけないと思っていました。しかし、リーグ戦に入っても調子は上がらず、開幕から立教、早稲田に3試合連続で大敗しました。それに加えて、痛みを我慢しながら投げ続けてきた肩も限界を迎え、離脱することになりました。
期待や応援してくれていた人たちの思いに応えられず、チームの力にもなれない自分が本当に情けなく、悔しくて、いろんな感情が込み上げてきました。
それからは、怪我と向き合う日々が続きました。想像していたよりも状態は酷く、右腕は上がらない。服を脱ぐことさえ一苦労で、校歌のエール交換で右手を上げることも、右手でシャンプーをすることもできませんでした。
悔しい気持ちはもちろんありました。でも、時間が経つにつれて、そんなことよりも「本当にここで野球人生が終わってしまうんじゃないか」という思いが強くなっていきました。休んでも休んでも良くならない。何ヶ月もリハビリを重ねても、投げられるようにならない。今まで当たり前だったことが、何一つ当たり前ではなくなっていきました。
何のために毎日を過ごしているのか、何のために野球を続けているのか、自分でも分からなくなりました。練習に行っても野球が楽しいと思えない。試合を観ても応援する気持ちになれない。何をするにも気持ちが乗らず、ただ時間だけが過ぎていくような感覚でした。
17年間、一度も本気で手放そうと思わなかった野球を、初めて「辞めたい」と思いました。
そんな中でも、同じ怪我を経験していた野崎さん(野崎慎裕・R8卒)や要(伊藤要・4年)、鶴岡トレーナー、病院の先生方など、多くの方に支えていただきました。何度も治療院を変え、手術をすることも考えながら、自分にできることはすべてやりました。それでも、なかなか思うように良くならず、心が折れそうになることも何度もありました。
そんな自分が、もう一度野球と向き合い続けることができた一番の理由は、母親の存在でした。
自分が試合に出ない日でも、母親は毎週のように新幹線で神宮まで応援に来てくれました。遠いし、試合にも出ないから「無理して来なくて大丈夫だよ」と伝えたことがあります。
すると母親は、
「今まで凱矢が小学校、中学校、高校と野球をやってきて、凱矢が試合に出ている時に、自分の子どもが試合に出ていなくても凱矢のことを応援してくれた親御さんたちがいたでしょ。だから私は応援に行くよ。」
そう言ってくれました。
その言葉を聞いた時、絶対にもう一度投げられるようになろうと思いました。何度も心が折れそうになった自分を、母親の言葉が何度も救ってくれました。おかげで、約1年のリハビリを経て、再び実戦のマウンドに立てるまでになりました。
復帰してから、試合で抑えた後、チームのみんなから「ナイピー」と声をかけてもらいながらベンチ前でハイタッチをした時、「やっぱり野球は楽しいな」と思いました。やっぱり僕は、野球が大好きです。怪我を通して、改めて野球の本当の楽しさにも気付かされました。
だからこそ、個人的には倉重(倉重聡・3年)に頑張ってもらいたいです。同じハイゴールドファミリーですし、倉重も1年生でリーグ戦に登板して以降、調子を崩し、自分と半年ほど同じ怪我人として過ごしてきました。気分が乗る時も乗らない時も、一緒にリハビリをしてきました。お互いに気持ちも分かり合えていると思うので、これからも頑張ってもらいたいです。
そして僕は、大学で野球を引退することにしました。
野球を始めた5歳から17年間、毎日のようにプロ野球選手になることだけを考えて生活してきました。その夢を諦め、野球を引退すると決断するまでには、ものすごく時間がかかりました。もちろん悔しかったです。初めはどんな形でも野球を続けるつもりでした。でも、怪我をして、いろいろなことを考える中で、いつしか夢だけではなく、現実を考えるようになり、この決断に至りました。
自分を知っている人なら、「凱矢から野球を取ったら何があるん?」と思うかもしれません。それくらい、自分は野球のことしか考えていませんでした。
入学前は、まさかこのような形で野球を諦める決断をするとは思っていませんでした。このような結果になったのは、野球に対する自分のプロ意識が足りなかったからだと思っています。怪我をしたことも、自分自身の管理の甘さがあったからです。怪我をしてから這い上がってこられなかったのも、努力や実力が足りず、再び大活躍することができなかったからです。
六大学でプレーする中で、4年間試合に出続け、活躍し続ける選手がプロの世界に進み、そこで活躍していくのだと感じました。
それでも、ここまで野球を続けてこられたことに後悔はありません。
自分が今まで野球を続けてこられたのは、両親、兄、祖父母など、いつも支えてくれる人、応援してくれる人がいてくれたからこそだと思っています。本当にありがとうございます。
父は、自分がプロ野球選手になることを誰よりも願い、本気で野球を教えてくれました。父は家でほぼ毎日ウエイトやってて自分よりも余裕で重量上げるし、ストイックです。だからこそ、父に電話で「野球を大学いっぱいで辞めることにした」と伝えた時、引き止められることはありませんでした。ただ、電話越しの「そうか」という一言が、今まで聞いたことのないほど物悲しく聞こえて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。でも、本当にずっと俺を支え、野球を教えてくれてありがとう。
僕にとって野球は、喜び、悔しさ、挫折、努力、仲間との出会い、成長。
野球をやってきた17年間を振り返れば、自分の人生や、自分自身が見えてきます。そのすべてが、今の自分を作っています。
野球が、山口凱矢という人間を作ってくれました。
ありがとう。
そして、僕のこれまでの野球人生に関わってくださったすべての方々、本当にありがとうございました。
そして法政の同期のみんな。
本当に出会ってくれてありがとう。
みんなと過ごした4年間は、充実しすぎていて、一生忘れることのない時間になりました。
最後は神宮のマウンドにいられるように頑張ります。中学生以来日本一になれていないのでみんなで日本一なろう!!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
主将 


