【あなたにとって野球とは―#06】黒須堅心(内野手・専大松戸)
4年生38名によるラストシーズンにかける想いを投稿いたします。
6人目は、黒須堅心(内野手・専大松戸)です。
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『終わるその時まで、俺らしく』
私の野球人生は、文字通り「泥くさい」ものでした。結果が出なくても、怪我に見舞われても、どんな場面でも暑苦しいほどがむしゃらに、全力でプレーし続けた19年間でした。
これまでの野球人生は、失敗や、自分自身が傷つくような経験の連続でした。それでも、そうした打ちのめされる経験があったからこそ、今の自分がある。筋肉痛があるから、まだ強くなれる。私にとって野球とは、そんな「筋肉痛」の連続でした。
せっかくの個人投稿なので、少しだけ自分語りをさせてください。
私が野球を始めたきっかけは、少し珍しいものでした。
当時、車が大好きだった3歳の黒須少年は、父に「某高級スポーツカーに乗りたい」と駄々をこねました。すると父から、「大きくなって、自分の稼ぎで買えるような大人になりなさい。プロ野球選手かパイロットなら、それくらい稼げるよ。」と言われたのです。今思えば、なぜこの二択だったのかは不思議ですが、おそらく男のロマンのようなものだったのでしょう。高所が苦手だった黒須少年は、迷わずプロ野球選手になることを決意。それが、私の野球人生の始まりでした。
そこから現在までの19年間、野球中心の人生を歩んできました。 「もっと友達と遊びたい」「ゆっくり寝たい」「どこも痛くない身体が欲しい」「なんでこんな暑い中……」「なんでこんな寒い中……」そう思うことは、何度もありました。どれだけ練習しても全く打てず、自分は本当に野球が好きなのか分からなくなった時期もありました。怪我も多く、高校時代に手術をしたときには、「もう野球ができないのかもしれない」という恐ろしいほど大きな不安の中で、「もしかしたら、これを機に野球から解放されるのかな」と、一瞬だけ頭をよぎった自分もいました。
それでも、いくら厳しくても、打てなくても、結果が出なくても。耐えて、耐えて、続けた先にあるものを追い求めて、ここまでやり抜いてきました。そして、それが楽しかった。無性に。自分が打った瞬間、球場が沸くあのゾクゾク感。父、母、妹をはじめとした応援してくれている人たちが、喜んでいる姿がある。私は、そういう瞬間が大好きでした。
自分自身の夢を追いかけること、そして同時に「期待に応えたい」と思うこと。この二つが、私の19年間の野球人生を支えてくれた原動力でした。
「プロ野球選手になり、WBCでMVPを獲る」。幼い頃に思い描いた夢を叶えることはできませんでした。正直、「最高の野球人生」とは程遠い終わり方をしたのは事実です。悔しいという言葉では言い表せない。4年生の秋リーグが始まった今でさえ、「神宮でホームランを打つ」という目標を本気で実現させたいと思っています。チームの勝利はもちろん嬉しい。でも、スタンドで応援することしかできない自分に、どこか憤りすら覚えることもあります。ただ、「今、全力で応援を続ければ、最後の最後に自分がバッターボックスに立った時、みんなが本気で心から応援してくれるのではないか。」そんな未来の自分への鼓舞も込めて、今期もスタンドにいる限り、最前列で応援を盛り上げていこうと思います。
私が野球を通して得たものは誰よりも多く、こうして最後までやり切って、胸を張って「野球をやってきた人生でよかった」と言えるのは、家族を中心としたたくさんの方々の応援があったから。そして何より、私は「野球が大好きだったから」だと思います。
【同期へ】
2023年の春先、測定室で出会ってから今まで、最高の4年間を送れたのは、この同期がいたからだ。私など埋もれてしまうほど個性派揃いのこの学年は、関われば関わるほどどんどん好きになっていく、最高の仲間だった。
最後まで選手として切磋琢磨しながら自主練を続けた拓朗(本宮拓朗・4年)、大聖(浅倉大聖・4年)、奥田(知)(奥田知朗・4年)。マネージャーや補助として、惜しみなくチームを支えてくれた仲間。特にマネージャーには、1年の頃から現在に至るまで、黒須・本宮コンビが多大なるご迷惑をおかけした。それでも嫌な顔一つせず支えてくれたおかげで、俺たちは野球に集中することができた。本当にありがとう。
全然結果が出せず、Cチームでもがいていた時も、「神宮でホームランを打つ」という俺の夢を誰も笑わなかった。むしろ、みんなが本気で応援してくれた。だからこそこの4年間、野球が「楽しくない」「辞めたい」と感じたことは一度も無かった。そんな仲間と同じグラウンドで野球ができたことを、心から幸せに思う。お前たちと野球ができて、本当に良かった。ありがとう。
【応援団へ】
正直に言うと、私は入学当初、この組織が理解できなかった。高校時代はコロナ禍ということもあり、「応援が力になる」ということを実感した経験があまりなかったこともあるだろう。
なぜ、見ず知らずの人間のために、ここまで本気になれるのか。熱中症と戦いながら踊り続けてくれたチア。極寒の中、唇を紫にしながらも吹き続けてくれた吹部。言葉通り大学生活を懸けて、腕を振り続けてくれたリーダー。4年間、そんな姿をずっと見てきました。
そして今なら、一つだけはっきりと言えます。この「本気」の応援が、野球部をさらに本気にさせ、土壇場であと一歩の力を与えてくれていた。スタンドで応援を聞いている部員ですら、これほど心を動かされるのだから、グラウンドの上であの応援を背負う選手たちは、どれほどの力をもらっていたのだろう。そう考えるだけで、今でもアドレナリンが止まらない。もはや私は法政大学応援団のファンになってしまいました。
私は現時点で、一度もグラウンドの中で「チャンス法政」を聴くことができていません。それだけが、心残りである。それでも、暑い日も、極寒の雨の日も、3時間を超える試合の日も、毎回変わらず本気で応援してくれたことに、心から感謝しています。応援団の皆さん、4年間、本当にありがとうございました。
私はこれから先、野球とは関係のない人生を歩んでいくことになります。それでも、人生の正念場に立ったときには、きっと「チャンス法政」を聴き返し、自分自身を奮い立たせるでしょう。
【家族へ】
手紙で全て伝えます。
【野球へ】
19年間、嬉しいことも、悔しいことも、苦しいことも、数え切れないほどありました。ですが、夢はかなわずとも、私が野球を通して得たものは一生消えることのない財産です。
野球を始めた3歳の黒須少年が、19年後に「野球を始めて本当によかった」と言って野球を終えられる。それだけで、すごく幸せな野球人生だったと思います。
19年間、本当にありがとうございました。
最後に、
私は今、筋断裂寸前の人生最大の「筋肉痛」を抱えています。ここから、ラストシーズンにどう黒須堅心が筋肥大していくか、どうぞお楽しみください。
主将 


