【4年間を一言で表すと】姫野翔
37人目は姫野翔(学生コーチ・大分鶴崎)です!
今、この文章を書いているのがある会の翌日なのですが、改めてこのチームが大好きだし、このチームで日本一を取りたいという気持ちが高まりました。拙い文章になりますが、お付き合い下さい。
引退投稿のシーズンになった時に4年間を一言で表すのはあまりにも濃い4年間過ぎてとても悩んだのですが、この「冒険」という言葉が私にはあっているのかな?と思いました。
私の中で冒険と言える出来事は大きく2つあります。
1つ目は、大学入学です。
私は生まれてから18年間大分で過ごし、大学進学を考える際も関東は全く考えていませんでしたが、最後の野球人生はレベルが高いところでやりたいという気持ちがあり、この法政大学に入学を決めました。初めての寮生活など慣れない環境に飛び込むことに当時は期待よりも不安の方が大きかったです。ですが、1年生から二寮に入った7人で二寮から新寮へご飯を食べに朝、昼、晩と一緒に自転車を漕いだこと、入寮したての1週間は全体練習に参加出来ず、多摩川の河川敷で練習したことは今でも強く記憶に残っており、不安だった私にはこの些細な出来事がとても大切な宝物です。
他にもCチームでなかなか試合機会にも恵まれず、苦しい時期も数え切れない程ありましたが、目標を見失わず努力し続けることが出来たのは自主練習を怠らない同期の姿を見たからです。私の同期は本当に沢山の自主練習をするので、これ以上、上手くならないでくれと思うことも多かったですが、その姿を見て私も負けられないと思い、頑張ることが出来ました。この継続力はこの先の人生にも必ず活きてくるし、この大学に入らなければ身に付けれなかったと思うので感謝しかないです。
2つ目は、学生コーチに転向したことです。
小学校2年生から野球を始めた私にとって人生最大の決断でした。選手生活を辞めたくないという気持ちとこれから先が見えない不安がありましたが、学生コーチになってからは正直嬉しいかったことより、苦労したことの方が多かったかも知れません。ですが、選手の時は考えもしなかったことを考える機会が増えたし、沢山の選手から技術、考え方を教えて頂き、野球の知見が広がり、選手の時では得ることの出来なかった経験が出来ました。そして、この1年間学生コーチチーフにして頂き、春リーグ戦、立教戦での初勝利の瞬間は今でも忘れません。こんなに1つの勝ちに必死になったことはなかったし、こんなに難しいとは思いませんでした。色々なことがありましたが、ここまでやってこれたのは本当に皆の支えがあったからです。
同じ学生コーチの皆には本当に支えてもらいました。新チーム結成時、4人だった学生コーチが今では11人になり、私からの無理なお願いに対応してくれたり、練習メニューを一緒に考えたりしてくれた皆には本当に感謝しかありません。ありがとう。
アナリストの皆も本来やるべき仕事があっても、それを後回しにして練習に手伝ってくれてありがとう。これからデータ分析で忙しいと思うけど、たまには集合に顔出してね(笑)。
マネージャーの皆もよくスケジュールを忘れる私に逐一確認してくれてありがとう。これからも忘れるかもしれないので、確認下さい(笑)。
選手の皆には練習のやり方、チームの方針等、本当に沢山のご迷惑をかけたと思います。ですが、ここまで一緒に頑張って来てくれて本当に感謝しかありません。
22年間、何不自由なく私の好きな野球をさせてくれた両親。本当にありがとう。野球人生最後のリーグ戦、優勝するからあとちょっと応援お願いします。
さて、ここから2ヶ月が勝負です。
4年生は泣いても笑ってもこれが最後の学生野球です。1番長い学生野球を過ごしましょう!
後輩の皆も優勝するためには皆の力が必要不可欠です。最後に”日本一”という最高の景色、一生忘れられないパレードを皆でして、最高の宝物にしましょう!
駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
最後になりますが、法政大学野球部、関係者の方々、応援してくださる皆様へ。必ず日本一を取ってきます。今後とも温かいご支援・ご声援の程よろしくお願い致します。