東京大学
Aチームのメンバーと男子マネージャーの計35名が共同生活を送っているのが我が一誠寮である。東京大学弥生キャンパスの一角にある東大球場から徒歩10分ほどの場所に住宅街に囲まれて建っており、都心にありながら夜間も静か。2020年3月には改修工事が完了し、設備が一新された。六大学野球の舞台での勝利を目指し日々活動する部員にとって申し分ない環境であると言える。1階が共用スペース、2,3階が各部員の生活部屋となっており、個人で生活するのを好む部員、周囲と一緒に生活するのを好む部員どちらにとっても生活しやすい快適な寮なのではないだろうか。1階の共用スペースは食堂としての役割を果たすとともに、選手のストレッチスペースや意見交換の場として機能しており、夜の時間をそこで過ごす部員も多い。様々な場で紹介されていることではあるのだが、一誠寮に掲げられている横額についてこの場でも紹介させていただきたい。写真の通り、「誠」の字のタスキが一画欠けているのだが、これは筆を執った長与又郎先生が、東大が優勝した時にタスキを書き入れよう、と言ったことに由来すると語り継がれている。創部から102年が経った今もなお横額の「最後の一画」は欠けたままだが、「最後の一画」に向けたとめどない奮闘こそが東大野球部の歴史であり、一誠寮を拠点とした日々の奮闘は続くのである。(田中平祐)

立教大学
立大は140名の部員全員に対して全寮制を敷いており、現在3つの寮に分かれて生活している。三寮はほぼ隣接した場所に位置しているが、特に第一寮である「智徳寮」はエントランスを出ると目の前にグラウンド、そのすぐ横には内野が丸々入る室内練習場とトレーニングルームがあり、野球をするには最高の環境であると言える。また、立教大学新座キャンパス内に立地するため、野球だけでなく大学生の本分である学業にも集中できる。第二寮「SP新座ハイム」、第三寮「SPグリーンハイム」は合わせて約100名が生活しているが、こちらは全て一人部屋となっており、プライベート空間が確保されている。特に第三寮は女性エリア完備されており、女性マネージャーも他の部員と同じ寮で生活を送っているのは立大の特色といえる。全部員が4年間を寮で過ごし寝食を共にする。私にとってもここで過ごす時間はあと半年となる。日々の生活を共にしてきたからこそ築けるチームの一体感を、神宮の舞台で存分に発揮したい。(大河原すみれ)

早稲田大学
初代部長の安部磯雄先生の名前が由来となっている早稲田大学野球部安部寮。1925年(大正14年)に西早稲田に竣工し、60年以上も使用され数多くの名選手が生活してきた。それから、1992年(平成4年)には、西早稲田から現在の西東京市東伏見に移転された。安部寮は、在籍する部員の中でも限られた者しか入寮を許されず、野球の実力はもとより、安部寮生として相応しいと認められた者だけが入寮を許される。敷地内には恩師記念碑があり、寮の出入りの際には、安部先生への感謝と敬意を表し、記念碑に向かって、深く一礼する。寮のすぐそばに安部球場があり野球をする環境はもちろんのこと、寮には1人1部屋が設けられており、お風呂のジャグジーで疲れを癒すなど、心身ともにリラックスできる環境が整っている。残すは、選ばれし安部寮生が、優勝の報告を恩師記念碑に報告するのみだ。(岩井 寛汰)

慶應義塾大学
慶大野球部には全部員を収容できるほどの大きな寮が無い。およそ180名の部員の半分近くはグラウンド付近で一人暮らしをしている。対して寮で暮らしている部員はおよそ100名であり、主に3つの寮に分かれて暮らしている。その中で第一合宿所は野球部の心臓であり、主力30名がここで生活し、寝食を共にしている。各部屋は4人部屋であり、同部屋の先輩後輩の絆は特に深い。また、寮長の朝日晴人(4年=彦根東)は寮内環境の整備に目を光らせ、寮生は緊張感を持って各々清掃に取り組んでいる。第一合宿所は全部員憧れの寮であり、第一寮生は部員の代表として自覚と責任を持って日々過ごしている。寮での生活は慶大部員にとって大切な時間である。(服部昂祐)

明治大学
東京都府中市に構える「島岡寮」。東京六大学野球で歴代1位の15度の優勝回数を記録している島岡吉郎前監督の名前に由来する。野球場2面、室内練習場が隣接されており何一つ申し分ない“日本一”の施設を誇る。スタッフをはじめ、120名を超える部員が1つ屋根の下で生活を送っているため、現在のチームの一体感を生んでいる。「人間力野球」これは代々受け継がれた明大野球部を象徴する言葉である。明大野球部では4年生が率先して人の嫌がることに取り組んできた。特にトイレ掃除をチームの顔である主将、主務、副将が務めているのは何十年も伝統として継承されてきた有名な話である。これまでの先輩方が私生活が神宮の舞台で表れ1球に笑い、1球に涙を呑んできたからこそ野球以上に私生活において厳しい指導を受け、現在の明大野球部を築き上げている。日本一の環境で己を磨き上げた4年生を中心に“頂”を目指す。(鈴木一真)

法政大学
住みたい街ランキングで上位に位置する人気のエリア「武蔵小杉」に寮とグラウンドを持っているのがウチの寮である。タワーマンションが並びスタイリッシュな駅前から15分程歩くと閑静な住宅街となり、ウチの寮に到着する。玄関から入ると一階には監督室、助監督室、マネージャー室、食堂があり、二階と三階が選手の部屋になっている。選手部屋は、二人一部屋となっていて、お風呂やトイレなど共用部分も多く、選手間でのコミュニケーションが多くなるつくりだ。寮で生活している人はもしかすると気付きにくいかもしれないが、“寮”という空間は特別なものだと私は思う。ただ生活を共にしているのではなく、野球というスポーツで同じ目標に向かっているその“青春”に、必ず寮での日常の思い出が残ると思う。特に4年生は残り少ない“ムサコ”での生活、「リーグ優勝」「日本一」とともに仲間と分かち合う寮での何気ない1日も大切にしていこう。(宮本ことみ)

応援席から
明大スポーツ新聞部 
エースナンバー〝11〟不在。厳しい状況の中、幕を開けた今季の明大であったが、そんな心配は杞憂(きゆう)であった。蒔田稔投手(商3=九州学院)、村田賢一投手(商3=春日部共栄)が先発二枚看板として、いずれも現在投手成績ランキング5位以内に名を連ねる大車輪の活躍。蒔田は法大3回戦で初完封、村田も慶大2回戦で7回までを零封し、チームを勝利に導く投球を披露している。ラストイヤーに懸ける髙山陽成投手(文4=作新学院)も救援として覚醒の時を迎えた。
また、打線は開幕から村松開人主将(情コミ4=静岡)を欠く中、宗山塁内野手(商2=広陵)が打率においてリーグ首位をひた走る。昨季まで4番に座り続けていた上田希由翔内野手(国際3=愛産大三河)も、今季はさまざまな打順で躍動し、打率、打点ともに好調をキープ。加えて二塁守備もこなすなど、献身的な活躍を見せている。
「今年のベンチは明るい」。選手が皆口をそろえるように、今季の明大の特徴は勝利への執念の強さだ。それが最も顕著に表れたのは法大戦。1戦目を落とすと、2戦目も9回まで2点ビハインドと苦しい状況だった。しかし、副将・山田陸人内野手(法4=桐光学園)の適時打で引き分けに持ち込むと、勢いそのままに続く2戦で勝ち点をもぎ取った。
幾度も雲を払いのけ、6季ぶりの頂はついに目前まで見えてきた。残すは立大との天王山。最後に笑うのは果たしてどちらか。やはり笑顔が1番似合うのは、今季の明大に違いない。(栗村咲良)
神宮六景
コロナ禍における応援団(部)
2020年に突如と襲ってきた新型コロナウイルスで、六大学野球は春のシーズンを5試合総当たり制にして真夏に開催しました。まだ新型コロナウイルスの色々な知見がまだわからず、観客上限3,000人とし、応援団(部)による応援を禁止しての開催でした。秋季リーグ戦からは外野席を一般に解放せずに、応援団以外に誰もいないスタンドでの応援を実施して、2021年の春秋のシーズンも観客数の変更があったり、緊急事態宣言による無観客試合はあったものの同様な形で応援をしていただきました。そして迎えた2022年のリーグ戦ですが、内野席で応援をした経験者が4年生のみとなってしまうので、今後の応援活動にも支障が出てしまうという危機感から何とか内野席での応援が実施できないかと各方面と交渉をしてきましたが、シーズン開始にはまだ今までと同様の形でしか行えませんでした。リーグ戦は六大学野球従来の勝ち点制に戻りましたが、大声を禁止されている応援は簡単ではありませんでした。しかしながらその後も引き続き交渉や安全計画を見直した上で、再び新型コロナウイルスに関しての対応におけるイベント開催の感染防止安全計画書を東京都に提出し、応援団(部)の内野席エリアでの応援について東京都並びにスポーツ庁、内閣官房新型コロナウイルス等感染対策推進室のご理解をいただき、東京都の許可を得ました。第7週に間に合いよかったと思っています。応援団のエリアを内野に持ってきても引き続き一般の観客の皆様には大声の禁止として拍手の応援とはなりますが、2019年までの体制に一歩近づきました。
秋季リーグ戦では普通の状態に戻れることを願ってばかりです。
東京六大学野球連盟
事務局長 内藤雅之