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TOKYOROCKS!2018 特別号 秋季リーグ第8週(通算144号) 掲載
2018年10月24日発行

華やかな神宮の舞台で躍動する選手たち。慶早戦は超満員のスタンド。一つひとつのプレーに大歓声が起き、選手はこの歓声に押され最高のプレーを生み出す。しかし、一つのミスから連鎖を呼び、流れを止められず球場に飲み込まれることもあった。神宮はどんな景色だったのか、正直よく覚えていない。ただ、優勝を決めた時の大歓声やサヨナラ負けした時のどよめきは今でもはっきりと思いだせる。

華やかなこの舞台に至るまでの道のりは大変だ。部員は多く、グランドは1面。下級生に至っては早朝か暗闇の中での練習だ。ただし「考える野球」をテーマにしている慶應の選手は皆前向きだ。慶早戦の前になるとチームは緊張感で異様な空気に包まれた。グランドはファウルグランドに至るまで石ころ一つないほど完璧な整備が求められる。
練習中にボールが不規則に跳ねでもしたら大変なことになると皆が知っていた。ボールはいつも以上に磨かれ、年季の入ったヘルメットも光っている。特別な空気を感じたものだ。最高の舞台への準備、ここから「観察」「気づき」「相手の気持ちになる」は大変重要なことであると学んだ。野球は相手の気持ちを探る「心理戦」、これは社会においても生きてくる。

「舞台は役者でよしあしが決まる」というが、一番大切なのは主役を支える役者たちの存在。下級生やスタッフ、そして応援してくれた人たちだ。

2018年8月。私は社会人日本代表監督としてアジア大会に臨んだ。24年ぶりの金メダルを目指す戦いであったが、開催地インドネシアでは野球はマイナースポーツ。観戦する人々も初めて見る野球に複雑な表情。
そんな中で予選を戦ったが、決勝戦では多くの現地日本企業関係者で超満員の応援団。お蔭で選手たちは躍動し、全力プレーを魅せた。「ニッポン、ニッポン」の歓声。そして「ありがとう」の叫び。まさに神宮でのあの歓声が蘇った。

アジア大会で大応援団を組織してくれたのは、平成6年卒、西田君(三菱商事:インドネシア駐在)。神宮を知る頼もしき後輩に感謝である。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 秋季リーグ第7週(通算143号) 掲載
2018年10月17日発行

7月に台湾・嘉義で開催された「第6回FISU世界大学野球選手権大会」に東京六大学選抜チームが侍大学日本代表として参加しました。この大会は2002年に第1回がイタリアで開催されて以来2年毎に2010年の第5回まで順調に開催されてきましたが、2012年に予定されていた第6回大会が直前に中止になってしまい、その後開催されていませんでした。
昨年末に大会組織委員会から日本の参加を懇願され、全日本大学野球連盟は大学日本代表の日米大学野球とオランダのハーレム国際大会への派遣を決定していたために当連盟に要請がありこれを承諾して派遣することにしました。
春季リーグ戦の成績をもとに日米に選出された7選手を除く代表チームを編成、大久保監督、溝口、善波、高橋コーチ以下選手22名を選出して大会に臨みました。

8か国を2グループに分けて始まった大会では、ロシア、アメリカ、香港を下して3連勝してBグループ首位で予選リーグを通過し、スーパーラウンドではA組の2位韓国、1位の台湾を破り5戦全勝として決勝に進み、再び地元台湾と対戦しました。
決勝戦は99%が台湾の応援という完全なアウエーでの戦いとなり、先発した伊勢(明大)が2回に先制を許したものの7回を1失点に抑える好投をみせ、打線も3回に越智(明大)の2ランで逆転、続く4回には加藤(早大)のタイムリーなので一挙4点を挙げて主導権を握った。
8回以降は磯村(明大)、中川(立大)、石井(慶大)の継投で8対3のスコアで台湾を退け、世界大会としては初めての優勝を飾りました。

代表チームは優勝という結果で東京六大学の実力を十分に示してくれました。秋季リーグ戦も終盤に迎え、特に4年生にとっては最後の試合が近づいています。悔いのないプレイで4年間を締めくくってもらいたいと思います。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 秋季リーグ第6週(通算142号) 掲載
2018年10月10日発行

「4年生全員、荷物をまとめて東京へ帰れ!」私が主将となって最後の夏のキャンプ。開始早々に監督の厳しい言葉がグラウンドに響いた。この日は練習試合があったが、投手が打ち込まれ、打線も沈黙し11点差で敗れた。試合後に監督から「点差の数、往復でポール間を走れ」と指示が飛ぶ。選手の顔は青ざめた。た
だでさえキャンプで疲労がたまっている中、35度を超える炎天下が選手の精神を追い込む。その中でも、特に中心となる選手は必死に食らいついていた。しかし疲労と暑さに負け、気力を失いながら走る選手もいた。その姿を見た監督は、「東京へ帰れ!」と4年生に告げたのであった。

善波監督はなぜ4年生だけ帰したのか、それは最上級生である4年生が後輩たちに檄を飛ばすことのできない今の現状に、危機感を生じたからだと思う。春のリーグ戦は5位。きっとチームのまとまりが無く、自分自身の事しか考えられていないチーム状況だった。そんな状況を打破させたのが善波監督のこの厳しい采配だった。

最後のキャンプをやり遂げられなかった悔しさはあったが、それをきっかけに4年生は自分を見直し、最上級生としての責務に気付き、次の世代に継なぐため、引退まで必死に取り組んだ。後輩たちは、そんな4年生の姿を見て何かを感じてくれたと思う。
秋のリーグ戦は勝率の差で優勝は逃したものの春の5位という惜敗から、あのキャンプを経てチームとして大きく成長した。

私は善波監督を心の底から尊敬している。
引退した今となって、監督のあの厳しさ全てが、私たちを立派な人間へ成長させたいと思う愛情だったと理解できた。
厳しくすることは簡単な事ではない。主将だったからこそ、周りに厳しくする辛さ、難しさが身を持って分かる。
私は善波監督のその厳しさに計り知れない人間力を感じた。
明治大学野球部の善波監督の下で過ごした4年間は、私を人間として大きく成長させてくれた。感謝の気持ちしかありません。
善波監督は私の中の御大である。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 秋季リーグ第5週(通算141号) 掲載
2018年10月03日発行

甲子園球場から神宮球場へ、というのは学生野球の選手にとって憧れの世界です。私も夏の甲子園でプレーし、開会式では選手宣誓までしています。兵庫県予選でのことですが、高校3年で主将の時に夢が叶いました。試合はコールド勝ち寸前での逆転負け。
「このままでは終われない」という思いが日に日に強くなったところに、高校の先輩で慶応野球部OBの和住さんからのアドバイスで、東京六大学野球が視野に入ってきました。高校時代の実績から考えて、神宮球場で野球ができるのは東大しかないという結論まではすぐでした。

東大野球部員として初めて見た神宮球場の美しさには感動を覚えましたが、六大学各校の選手のプレーの凄さには驚きました。打者では法政に田淵、山本、富田、早稲田には谷沢、荒川、小田。投手では法政の山中、江本、明治の星野、早稲田の小坂、安田等のプロ即戦力選手が、きら星の如く揃っていました。
3年から私も常時試合に出ましたが、1点差の緊迫した試合で相手のエースから2度ホームランを打ったのも神宮球場。2ストライクからインコースの決め球を狙い打ちした感触は今でも手に残っています。

1969秋にリーグ戦4勝(東大歴代3位)を挙げ、個人的にも1970秋にはシーズン半ばまで打撃ベストテンに入るなど、一時は社会人野球への道も考えましたが断念。その後、神宮の舞台に戻った切掛けは、関西に転勤した折りに脇村高野連会長を通して始まった高野連の方々との親交からです。
東京に戻ると東大野球部OB会の幹事長から会長への道を歩み、東京六大学OB会長の会の発足に関与。皆様のご協力の下で幹事役を務め、東京六大学連盟との連携も密にできました。
本年3月からは上部団体の全日本大学野球連盟の副会長を務めていますが、皆様方の御指導の下で重責を果たすべく努力していく所存です。か
つては遠い存在だった神宮球場が今では身近になり、野球観戦と同時に神宮外苑を散策するのが楽しみとなっています。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 秋季リーグ第4週(通算140号) 掲載
2018年09月26日発行

東京六大学野球連盟の公式記録員として

神宮球場での思い出

選手時代の4年生の春、勝ち点を挙げた方が優勝という法明戦。1回戦を先勝して王手をかけながらも連敗で優勝出来ず、とても悔しい思いをしました。
その後の秋季リーグ戦では、大学野球のラストのシーズンで初めて「HOSEI」のユニフォームを着て(当時は「特別要因」で)ベンチ入りし、三塁コーチャーとして神宮球場の舞台に立つことが出来ました。スタンドがとてつもなく高く感じ、潰されてしまいそうでした。

コーチをさせて頂いた1997年(平成9年)の秋季リーグ戦は勝ち点5(10勝2敗)の完全優勝を経験することが出来ました。コーチとしての初の春季リーグ戦が3位でしたので、秋季に完全優勝が出来てとても嬉しかったです。

そして現在は2015年(平成27年)の春より、高校と大学の大先輩で、前公式記録員の二宮博さんの後任として東京六大学野球連盟の公式記録員を拝命されました。本年で4年目となり、現役時代の4年間よりも早く感じています。
公式記録員は割り当てされた試合を一人で担当し、記録の決定をしますが各校の公式記録員同士でサポートしあっています。試合の記録は「公式」であるが故に、試合終了直後、記録をもとに連盟担当に選任されたマネージャーがデータを入力。
それが試合の結果として連盟ホームページに掲載されます。この一連の動きは、私たちOBと現役マネージャーとの連携プレーです。記録の記入を、見やすく読みやすく丁寧に心掛けています。

また、公式記録員は、両ベンチから等距離の位置にあり、両チームのベンチのムード、例えばベンチから選手への声掛けやベンチとブルペンの連携が良く感じ取れる、正に特等席でもあります。

卒業後も尚、公式記録員として野球に携われていることをとても有難く感じています。 選手たちのプレーを記録することを通じて、今後も野球というスポーツから学び続けて参ります。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 秋季リーグ第3週(通算139号) 掲載
2018年09月19日発行

敗北も勝利も

9月10日(月)、第43回全日本クラブ野球選手権大会(メットライフドーム)で、所沢グリーンベースボールクラブ(関東地区)とゴールデンリバース(東北地区)の1回戦が行われました。
両チームの監督は、早稲田実業出身の村上友一、今年の夏の甲子園を大いに盛り上げた金足農業高校出身の佐藤直人。ともに早稲田大学野球部平成12年卒業の同期が、約20年を経て、監督として対戦しました。また、佐藤直人は、韮山高校(静岡)出身の私にとって、高校3年の夏、甲子園での最後の対戦相手で、最後の打席で打ち取られた相手投手でもあります。

私たちが3年生だった平成10(1998)年は、早稲田大学野球部にとって、非常に厳しい1年でした。春季リーグ戦は2カード目から8連敗で5位、秋の初戦まで大学記録の9連敗を喫しました。早慶2回戦で大量リードを許し敗色濃厚の中、遊撃手の松瀬大主将(宇和島東)が急遽マウンドに立った姿を、1塁側ベンチ横のマネージャ―控室から見て、悔し涙を堪えることができなかったのを覚えています。

野村徹監督が就任、佐藤清前監督への恩返しを誓って臨んだ4年の春は一転。東大・遠藤良平、法政・安藤優也、立教・矢島崇、明治・木塚敦志の各校エースに、藤井秀悟(今治西)、鎌田祐哉(秋田経法大附)の2枚看板と梅澤健主将(前橋工)を中心にシーズン無失策の野手陣が挑み、開幕8連勝。
第6週に11季ぶりの優勝が決まり、実感の湧かないまま、マウンドに集まる選手たちの歓喜の輪を見ていました。しかし、早慶戦では、山本省吾・中村泰広両左腕を軸とした慶應義塾に連敗。大学初(当時)の全勝優勝も完全優勝も阻止されました。

敗北の悔しさも、勝利の喜びも、そこに至るまでの数々の出来事も、全て東伏見、そして、明治神宮球場にあります。また、「提灯行列」で、それまでの悔しさを分かち合った応援部のメンバーとともに、早稲田界隈を歩いた時間は一生記憶に残る思い出です。

今日も、そしてこれからも、1つ1つの勝ち負けの歴史が、この明治神宮球場で創り出されていきます。OBとして、野球ファンとして、それを見続けていきたいと思います。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 秋季リーグ第2週(通算138号) 掲載
2018年09月12日発行

「立教大学野球部に支えられた人生」

当時「立教ボーイ」という言葉に憧れを持ち、私が立教大学野球部に入部したのは、昭和57年4月のことでした。入部してまず驚いたのは、「立教ボーイ」という洒落た言葉とはあまりにかけ離れた全寮制での生活でした。
今の時代であれば間違いなく「パワーハラスメント」として、訴えられてもおかしくない生活を強いられたことは、今になって思えば良い思い出です。そのお蔭で、社会人になって辛いことに出くわしても「あの時の生活と比べれば何でもない」と思える自分がいたことは間違いありません。
そんな下級生時代を過ごした後、上級生になると今度は逆に天国であったことも忘れられません。それほど、私にとって立教大学野球部で得たこと学んだことは、その後の人生の指針となりました。

現役時代と言えば、今の優勝争いを繰り広げる後輩たちとは大きく違い、常に東京大学と最下位争いをするチームでした。まあ、当時の入試制度(純粋に学力のみ)を考えれば致し方のないことかと思いますが。
そんな中、運よく試合に出ることが出来た私は、初めてスターティングメンバーとして出場した2年次の秋のリーグ戦で、当時の早稲田大学のエース小暮さんから初ヒットを打ったことは、今でも鮮明に覚えています。

私は現在、九州地区大学野球連盟に所属する「宮崎産業経営大学」に奉職し、硬式野球部の監督を務めています。この職も現役当時野球部長をされていた濱田陽太郎先生(後に立教大学総長に就任)からご紹介を受け、就任しました。
その指導方針はユニフォームに縦縞のデザインを採用したことからして、全て立教時代の教えが根底にあります。
今年就任32年目にして初めて「全日本大学野球選手権大会」に出場することが出来ましたが、その中でベスト8入りすることが出来たのも、練習会場としてグランドを提供してくれた母校の溝口監督や、忙しい中激励会を開催して下さった恩師横川元監督・先輩・同期の皆さんのお蔭です。
私の人生の節目節目には必ずと言っていいほど母校の力添えが存在します。本当に感謝しかありません。

今回全国大会に出場して改めて感じたのは、我々地方の大学からすれば、「東京六大学に所属するチームの選手諸君は本当に恵まれている」ということです。常に神宮球場という聖地で試合が出来る上に、本当に多くの大学野球ファンの方々から声援を受けることが出来ます。
このことを当たり前と考えずに、この礎を築かれて来た先輩達への感謝の気持ちを忘れずに、最高峰の舞台で試合が出来るという喜びと誇りを持って、地方の大学の選手が憧れるプレーを見せて欲しいと思います。
各大学の名誉とプライドを掛けた秋季リーグの熱戦を期待しております。