110

TOKYOROCKS!2017 特別号 秋季リーグ第8週(通算128号) 掲載
2017年10月25日発行

私が慶應義塾大学時代を振り返って、真っ先に思い出すのは大学4年生の1年間です。
大学野球生活で最も充実し、様々なことを学び、自分を大きく成長させてくれた1年間でした。

私は新チームで主将となり、勝つことに貪欲になることと、チーム全員で勝つことに拘りました。主将として試行錯誤の毎日を過ごし、辿り着いた答えは勝つことに貪欲になることでした。3年生時の秋季リーグ戦で優勝にあと1勝届かなかった悔しさから、内容より結果に拘ってほしいとチーム全員に伝えました。優勝をチーム全員で喜ぶためには、チーム全員で勝つことが必要だと思います。立ち位置やポジションは違っても、全員が戦力でありチームに欠かせない存在です。大所帯であるほど全員が同じ方向を向いた時の力はとても大きいものになります。

拘ったこの2つが実り、春季リーグ戦で優勝することができました。開幕6連勝と最高のスタートを切り、立教大学に勝ち点を落としましたが、早稲田大学との優勝をかけた慶早戦を迎えました。勝ち点を獲った方が優勝というこれ以上ない最高の舞台でした。
1・2戦目共に総力戦でした。優勝し、スタンドに挨拶した時の歓声は今でも鮮明に覚えています。この瞬間、メンバーだけでなく、スタンドにいる野球部員や応援指導部、応援してくださる方々の力があって優勝できたのだと改めて実感しました。

天皇杯を掴むまでには、いくつもの困難がありました。多くの困難に直面するたびに、多くの方々に支えていただきました。
2月には竹内監督が病気で療養されることになり、監督不在の中での練習となりました。
正直、不安がなかったといえば嘘になります。竹内監督に優勝を報告するという決意のもと、部員全員が自分達でやるという強い気持ちで戦ったからこそ、掴むことのできた天皇杯だったと思います。

最後に、学生野球は多くのことを学べる瞬間です。しかし勝負の世界で戦っているからには、勝ちへの貪欲さは前面に出してほしいです。現在の大学野球は部員の多い大学が多いですが、それをプラスに捉えてほしいと思います。そして野球部だけで勝っているのではなく、多くの方々が応援してくださっていることを心に留めてプレーしてもらいたいです。六大学野球から多くの感動や、大学野球の素晴らしさを伝えてほしいと思います。

109

TOKYOROCKS!2017 特別号 秋季リーグ第7週(通算127号) 掲載
2017年10月18日発行

この夏、8月26日に宮崎市の宮崎生目の杜運動公園アイビースタジアムで「東京六大学野球オールスターゲームin宮崎」が行われました。オールスターゲームは昨年、新潟の新発田市で開催されました。

宮崎市はプロ野球チームが春季キャンプを行うほどの、多くの立派な野球場があります。今回の会場は福岡ソフトバンクホークスが春季キャンプを行う野球場で、サブ球場や屋内練習場などを完備した素晴らしい施設です。また、2014年には女子野球の女子ワールドカップの大会を招致した野球の盛んな都市です。

当日は、多くの観客の中、東京六大学応援団連盟も参加して神宮の応援を再現し、観客の皆様も大いに盛り上がりました。試合は地元の皆さんからチーム名を公募したSUNフェニックス(立早明)とOCEANブーゲンビリア(慶法東)に分かれて対戦、打撃戦の末11-6で OCEANブーゲンビリアが打ち勝ちました。翌日27日にはオールスター戦の恒例になりました地元の中学生を対象とした野球教室も開催しました。

来年の8月には長野の飯田市でオールスターゲームを開催することになっています。

108

TOKYOROCKS!2017 特別号 秋季リーグ第6週(通算126号) 掲載
2017年10月11日発行

私の年代は、法政大学が江川卓投手を始めとする有望選手を擁した強力チームでした。我が早稲田大学も佐藤清(現城西国際大学野球部監督)を始めとした強力打線で対抗していたが、あと一歩及ばずの悔しい戦いが続きました。私は、3年生から主戦投手として神宮で通算20勝したものの、一番の思い出は2年生の秋季における早慶3回戦での敗戦です。

その時の早稲田大学は、早慶2回戦で敗戦し優勝がなくなった後の3回戦で、翌年の戦力を窺うべく当時の石山監督から2年生の私が先発のチャンスを与えて頂きました。 1回裏に2点を先取される苦しい立ち上がりでしたが、何とその後延長17回まで無得点に抑えて2対2の同点で淡々と試合が進行しました。早慶戦の最終戦ですのでスタンドには閉会式を控えた他校4チームの選手たちが「早く終われよ・・・」の冷たい視線を感じながら、私は淡々と投球していた記憶があります。当時は、最終戦の延長規定がなく早慶両校の野球部長が協議し「決着がつくまでやるぞ」となり、その直後の18回裏に私が3連打されて敗戦となりました。決勝タイムリーは、後藤遊撃手(現JR西日本野球部総監督)に完璧に打たれた記憶が鮮明に残っています。

この試合で一球毎に気持ちを込める「一球入魂」を体現することが出来、その後の野球人生のみならず会社人生等における大きな教えを神宮で授けて頂きました。

今年の7月まで私は3年間、社会人野球のJFE東日本で監督をしておりましたが、常に一球の大切さを選手達に伝えてきました。青春時代に正しく「母なる神宮」に育てられた思いから、その基盤となる精神が今も血となり肉となっております。
これからも永遠に「母なる神宮」に育てられた逞しい大学野球人が継続して育っていくことを祈念しています。

107

TOKYOROCKS!2017 特別号 秋季リーグ第5週(通算125号) 掲載
2017年10月04日発行

私は昭和47年卒業までの4年間、野球部生活を送りました。「熱血指導」で有名な島岡吉郎監督が活躍していた時期で、当時の自分を語るには、絶対的な存在感ゆえ“御大”と呼ばれた島岡さんのことに触れざるを得ません。下級生の時からマネージャーだった私はグラウンド外の監督といつも一緒に行動することが多かった為、選手では経験できない御大との思い出がたくさんあります。今回の寄稿を機にとっておきのエピソードを紹介します。

ある日、連盟の会合の帰りに御大から映画に誘われました。渋谷東急だったと思います。太平洋戦争末期の中国本土を舞台にした物語で、吉永小百合と山本圭の共演でした。御大に別々の席で見ようと言われ、離れて座りました。終了後に出口のドアで待っていると、御大がハンカチを手に目に涙を浮かべて現れたのです。私は理由を聞けず映画館を後にしました。後日分かったことですが、御大は戦時中「海軍特務機関」に属し上海、マカオなどで物資の調達など工作活動の任務に就いていたそうです。映画のシーンに当時の風景を想い感極まったのでしょう。敗戦濃厚の中、命からがら海を渡って日本を目指し、途中、済州島で海賊に遭遇しながらも、九死に一生を得て帰国したそうです。

御大は大の食通で、いろいろな食べ物屋をひいきにしていました。例えば元町中華街の「鴻昌」、駿河台下の「ランチョン」、渋谷の「小川軒」、すき焼きは「いし橋」、和菓子は神田の「笹ま」など。私も何度かご馳走になり、何軒かは今でも通っています。

御大から「自分にいつも敵を求めよ」の言葉を教えられました。敵をつくることが逆に自分に味方する者を増やすという考えです。常に勝ちにこだわってきた御大ならではの強い意志を感じます。座右の銘として私はこの言葉を心に刻んでいます。

御大がなくなってから28年になりますが、命日月の4月には毎年多くのOBが信州飯田にある墓参りを欠かしません。一年中、合宿所で部員と起居をともにし、妥協のない厳しさで若者の心を惹き付けた人への追慕の念がそうさせるのでしょう。

私の人生に大きな教訓と信条を与えてくれた御大と野球部に感謝しております。

106

TOKYOROCKS!2017 特別号 秋季リーグ第4週(通算124号) 掲載
2017年09月27日発行

今春、立教は18年ぶりに六大学を制し、そのままの勢いで59年ぶりに日本一になった。僕らの時代も23年ぶりの優勝、28年ぶりの5回戦、27年ぶりのプレイオフという言い方をされた。昔から何年ぶりと言うのが好きだ。久しく勝たないことが主な原因だが、立教らしくて良い。
立教は昔から勢いに乗ると強い。お調子者が神のご加護を受けるのだから止められない。因みに学生は勝ち続けないと神宮に来ない。一方、優勝が懸かるとOBも含め、多くの人数が球場を埋め、常連のような顔をしてお祭りを始める。愛すべき学校だ。
早稲田は一球入魂である。だから一つひとつのプレーへの執念が強い。
慶應はスマートである。負けるのはカッコ悪いから、いつの時代も強いのである
。 明治は逃げてはいけない。だから勝負所はいつも直球なのである。
法政は強くなければならない。だから目の前で2回胴上げされた。
東大は怖い。負ける訳にはいかないからである。
東京六大学は入替戦がないから良い。東大は目から血が出るほど勉強した人が入る学校。その東大が甲子園スター軍団の法政や明治を追い詰めることがあるから面白い。いつも最終カードは早慶戦。理不尽なルールだが伝統だから誰も文句を言わないのが面白い。

応援も抜群。ダッシュケイオウ、コンバットマーチ、狙い撃ち、枚挙に暇がない。甲子園の応援も六大学と比べればまだまだである。いつまでも日本最高峰の技術を維持して欲しい。
神宮は都会の杜にある洗練された大人の球場。もし建て替えることになっても、面影は残して欲しい。
初めてスタメンで試合に出たのは昭和62年秋の早稲田戦だった。出塁し牽制球を受けた。一塁手は大好きだった池田高校出身の江上さん。タッチされた時に嬉しくて離塁しそうになった。六大学はスターがいるから良い。
伝統と個性を大切にしながら、ファンにとっても高校球児にとっても、いつまでも存在を期待される東京六大学野球であることを祈る。

105

TOKYOROCKS!2017 特別号 秋季リーグ第3週(通算123号) 掲載
2017年09月20日発行

私が4年の秋、神宮球場での東京六大学野球生活を終えたのが1997年でした。

大学入学当時、正直に言うと福岡の田舎から出てきた私は、東京六大学野球の偉大なる歴史や伝統も知らず上京してきました。ただ目の前にあった環境は、高校が野球部1期生という先輩がいない少し特殊だった私には経験した事がない先輩後輩という格差と、そして何よりも、全日本のオリンピックチームの監督を務められた経験もある山中監督が法政大学の監督に就任された事でした。

そんな偉大な監督に認められたいという一心で過ごしていた入学直後でしたが、私と同じ1年生の田中亮二(法政二)が春のリーグ戦で早々にベンチ入りし、しかも勝利投手にもなったのです。その光景をスタンドで応援していた私は、悔しさと言うか羨ましさと言うか、法政が勝っているにも関わらず複雑な心境になった事は今でもよく覚えています。その後は、田中と共にベンチ入りを果たし、1年秋に11シーズンぶりの優勝で山中監督を胴上げすると、2年3年4年と毎年1度ずつの優勝を経験する事ができました。その間、選手権大会で先発し試合の序盤で犠打の処理を一塁に暴投したり、リーグ戦の東大戦で初回6失点KOされたりしても、常に神聖なる神宮球場のマウンドに立たせていただいた山中監督には「感謝」の一言しかありません。さて、それから20年が経った今、私は法政大学でコーチを務めております。私自身を反面教師として選手達にたくさん伝えたい事はあるのですが、何よりも切に願い望む事は、この偉大なる東京六大学野球で、是非、リーグ優勝を勝ち取り、天皇杯を奪取する喜びを、多くの学生や野球部OB、全ての関係者と分かち合ってもらいたいという事です。その為に私は、入学から未だ優勝経験が無い現選手達と一緒になり、この秋季リーグを一心不乱に戦い抜く事を誓いたいと思います。

104

TOKYOROCKS!2017 特別号 秋季リーグ第2週(通算122号) 掲載
2017年09月13日発行

私が中学生の頃野球少年達の憧れは六大学リーグで選手になることだった。日本野球の代表は六大学という戦前のイメージが戦後も色濃く残っていたからと思うが、私がプレーした昭和30年頃も高校野球の逸材達はこぞって六大学を目指した。その結果明治の秋山、土井、近藤、岩岡。慶応の藤田、佐々木、衆樹。早稲田の木村、森。立教の本屋敷、杉浦、長嶋。法政の中野。など数多くのスター選手が誕生し彼らのプレーの度に沸き起こる歓声に神宮球場全体が熱気に包まれていた。数多くの野球少年達が彼らのプレーを一瞬たりとも見逃すまいと目を皿のようにして応援していた。

昭和30年の12月第2回アジア大会がマニラで開催され日本、韓国、台湾、フィリピンが参加した。日本は六大学選抜チームが代表に選ばれ、メンバーはその年の優勝校早稲田、明治を中心に編成され、前述の選手達が主力となり東大からは私が参加の栄に浴した。 大会は日本が六勝0敗と完全優勝。秋山以下の完璧な投手力、長嶋を軸にした爆発的な攻撃力により史上最強チームと称賛された。私も数イニング投げさせて貰ったが打たれたと観念した打球を軽々と処理する頼もしい守備力も備えていた。卒業後は選手16人のうち早稲田の宮崎と私以外はプロ野球に入りそれぞれの所属球団の中心選手として大活躍した。今日のプロ野球隆盛の一因を彼らが担ったとも言える。特に長嶋の活躍は目を見張るものがあり全国の野球少年達の憧れの的となった。

そして六十年を経過した今日、少年達の憧れの対象は甲子園出場そしてプロ野球選手になることになっていったが、最近漸く六大学野球復活の兆しが感じられ頼もしく思っている。老舗の六大学が再び栄光の座に輝き、野球少年達の夢の道筋が甲子園、次は神宮となる日を願っています。