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TOKYOROCKS!2018 特別号 春季リーグ第8週(通算136号) 掲載
2018年05月30日発行

私は昭和46年、一浪して念願の早稲田大学に入学しました。
浪人中にプロ野球近鉄バッファローズ(現オリックス)からドラフト指名されましたが憧れの早稲田大学で「早慶戦に出たい」という夢に勝るものはありませんでした。
期待と不安を持ち岡山から上京しました。
同級生には矢野暢生君(日本生命)佐藤守君(日本鋼管)両左右のエース、後にミスター社会人と呼ばれた四番打者、前川善裕君(日本鋼管)を含めて17名。
そのうち故東門 明君は第1回日米大学野球で、米国チームショートからの送球を頭部に受け、帰らぬ人となったのが今でも残念でなりません。

最上級生となった1974年、私は第64代主将を拝命し、春のリーグ戦は石山建一新監督のもと、走る早稲田として盗塁リーグ新記録、個人でも二年生の松本匡史君がリーグ新記録。打力を盗塁で補い、10勝1敗で完全優勝。
大学選手権では決勝戦相手が東都の雄駒沢大学、中畑、二宮、平田(3人とも巨人)をはじめ森投手(現中日ドラゴンズ監督)等、ほとんどがプロに行くレベル相手でしたが3対2で勝利。早稲田大学2回目の日本一に輝きました。この好成績は考えてみますと同級生17人、レギュラー控え関係なく「早稲田が強くなる為に何をすべきか?」を各々が役割を理解し、後輩に示すという最上級生としての纏まりの賜物以外無かったと感じます。

早慶戦の思い出は、1974年秋の早慶戦、当時の話題は早慶戦50号ホームランを誰が打つのか?でしたが打ったのは前川君、そして早慶戦三回戦延長13回裏、私にとっては神宮最終打席、史上3人目のサヨナラホームランを打つことができました。
前川君も私も卒業記念ホームランでした。
二人とも早慶戦は特に気持ちは高揚し、なかなか寝付かれず、深夜に安部寮講堂(当時は畳部屋)へ素振りに行けば前川君が黙々と素振り、最後の最後まで悔いの残さないように努力する姿勢で、自分を落ち着かせていたと思います。

六大学野球選手の皆様、神宮球場にも必ず野球の神様はいます。
日頃の努力を惜しまず六大学野球を通じて、技術、人格の向上に努めて下さい、ご健闘をお祈り致します。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 春季リーグ第7週(通算135号) 掲載
2018年05月23日発行

東京六大学野球連盟では昨年から春の新人戦をフレッシュリーグとして6校の総当たり戦を実施しています。プロ野球との併用日ではないリーグ戦の開催日の早朝とリーグ戦終了後の予備日を使用して15試合を行います。
昭和30年代に春の新人戦を総当たりで行っていたことはありましたが、昨今どの野球部も部員が増え、少しでも神宮球場での試合機会を増やしたいとの方針により行われています。今季もリーグ戦同様に新人たちも熱戦を繰り広げていますので、六大学の近い将来を担う選手たちのプレイも是非ご覧ください。

このほか連盟では外国人留学生の皆さんに六大学野球を観戦してもらうための英文ガイドも遅ればせながら作成しました。連盟のホームページにも掲載していますが、各大学や神宮球場にもパンフレットを置いて、六大学野球と独特の応援を楽しんでもらえたらと思います。

学生野球とはいえ当連盟は入場料をいただいて運営しています。プロ野球のようなファンサービスは出来ませんが、少しでも多くの観客の皆様の前で選手たちが学生らしいプレイを発揮してもらい、連盟結成100年に向けて新しい取り組みをしていきたいと考えています。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 春季リーグ第6週(通算134号) 掲載
2018年05月16日発行

先輩たちの為に

春のリーグ戦の開幕日に外苑前駅の改札を抜けて階段を上がり地上に出ると、何故かワクワクした気持ちと高ぶりを感じました。こんな気持ちは何年振りでしょうか。神宮球場はやはり青春そのもの、自分の人生にとって掛け替えのない場所だったのだと思いました。球場に向かって足早に歩道を歩いている間にこの気持ちがどんどん強くなっていくのを感じました。

25年間慶應義塾高校で高校野球を指導して一昨年現場から身を引きましたが、今年の春から塾大学野球部を微力ながらお手伝いさせていただく機会を頂きました。塾の指導陣や現役部員の日頃から努力を惜しまない姿を見ていると、神宮球場に向かう気持ちが随分と違うものだと感じます。
それに加えて高校野球の監督として何回も大きな試合のために色々な球場運びましたが、申し訳ないがどうも横浜スタジアムではこの感情は湧かないのも事実なのです。神宮球場が特別なのは、多くの先輩たちが戦争と言う悲劇を乗り越えて学生野球を守ってくれた場所であり、野球の素晴らしさを日本中に広めてくれた場所であるからだと思います。
このような先輩たちの目に見えない後押しを感じられるのが神宮球場なのではないでしょうか。日本の野球界や学生野球を盛隆させてくれた聖地『明治神宮球場』で野球をやれることの大切さやその歴史を選手に教えていけたらと思います。

私の慶應義塾野球部に対して一番誇りに思うことは、たとえ出場する機会がなくても、全員が勝利に向かって真摯に野球に取り組んでいることです。おそらく他の5大学もそう思っていることでしょう。しかし少子化の中で野球人口は激減しています。
この10年で小学生の野球人口が26%減少していることを考えると、自分たちの野球への取り組み以上に外への発信をする時代に突入しているのではないかと思います。東京六大学の色々な新しい取り組みが、日本中の野球少年人口を増やすきっかけになってくれればと祈るばかりです。

そしてこの神宮球場で野球の素晴らしさを日本中に広めて下さった先輩たちに恩返ししなければいけないと思う今日この頃です。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 春季リーグ第5週(通算133号) 掲載
2018年05月09日発行

六大学野球ファンだった父に連れられて小学生の頃から何回となく六大学野球を観戦する為に神宮球場に足を運んだ。その度に小学生であった私に夢・憧れを与えてくれた。
昭和37年4月念願叶って法政大学野球部に入部、憧れだった神宮球場でプレーする事が出来た。

藤田信男部長、田丸仁監督、松永怜一監督、この方々3人からご教授して頂いた事がその後の私の人生、野球哲学に大きな影響与えてくれた。又同期の鎌田豊・長池徳士ら多くの良き友達らに恵まれ大学時代3回天皇杯美酒を飲む事が出来た。校歌の一節にある通り「良き師良き友」に恵まれた4年間であった。

昭和46年秋法政大学先輩理事の浦堅二郎氏より「法政大学野球部10代目の監督に君を推薦したい。」と要請があった。松永怜一監督からバトンタッチした時チームは三連覇しており、投手の横山晴久ら中心選手が多く残っていたので四連覇は当然と言われていた。「勝って当たり前」のプレッシーは人には言えない程の重圧であった。慶応に勝ち点を落とし翌週明治に連勝し、勝点4、9勝3敗でリーグ終了。慶応は早稲田戦で勝点を上げれば8シーズン振り優勝、このシーズンの慶応の調子からすれば早稲田戦に負けるとは誰もが思っていなかったと思われる。所が慶応がまさかの連敗、勝率で法政が上回った為、辛くも四連覇達成。
「四連覇」と言う重圧から解放された時の喜びは今でも忘れない。

四連覇達成後は5シーズン優勝から遠ざかる事になる。監督4年目、江川卓ら甲子園を沸かせた選手、ドラフト候補生の多くが法政大学野球部に入部して来た。彼らは「花の49年組」と呼ばれ1年生から大活躍し、六大学野球黄金時代を復活させた。彼らが3年生~4年生時、六大学野球完全四連覇を達成した。監督7年間で6回の優勝を経験させてもらい監督冥利につきる。監督時代の全ての部員との縁・絆を感じ、感謝したい。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 春季リーグ第4週(通算132号) 掲載
2018年05月02日発行

私が立教大学に入学した当時を振り返ると、真っ先に思い浮かぶのは他大学との力の差が明確にあり、この舞台で勝利を積み重ねるのはなかなか大変だ、と感じたことです。    当時は、決して強いとは言えないチーム状態ではありましたが、大学野球をするなら六大学野球でやりたいと思っていたこともあり、縁あって立教大学に入学することが出来ました。幸いにも、一年生の時から試合で起用していただきましたが、期待された結果を残すことが出来ず、毎日悔しい気持ちでいっぱいであったことを鮮明に覚えています。そんな中でも早い時期から多くの試合に起用していただいたことで、レベルの高い舞台でいろいろな経験ができ、大学野球生活さらにはその後の野球人生においても大変貴重な時間であったことは間違いありません。

しかし、それ以上に自分自身を成長させてくれた要因は、多くの時間を共有し、汗を流してきた同期の仲間の献身的なサポートであると確信しています。
当時の自分を振り返ると非常に未熟な部分が多かったと今では思いますが、そんな自分を心の底から応援してくれる仲間がいたからこそ、どんな状況でも諦めず取り組み、成長できたと思っています。それは、大学を卒業し社会に出た後に改めて強く実感いたしました。

ここ数年、私の母校である立教大学野球部は目覚ましい成績をあげ、昨年は六大学野球春季リーグ戦の優勝に加え、大学選手権においても日本一を成し遂げました。一OBとして、大変嬉しく誇らしい気持ちでいっぱいです。

ただ、そんな勝てる野球部になってきたからこそ、現役の野球部員にはこれまで以上に自分自身の言動や行動に自覚をもっていただきたいと思います。公式戦に出場している選手、競争に敗れて仲間のサポートに回る選手、ケガなどで選手を諦めることになった選手、様々な境遇の部員が在籍していると思いますが、そんないろんな部員たちがそれぞれをリスペクトし、そして一つの目標に向かって全力で立ち向かえるチームが本当にいいチームだと、これまでの経験から感じています。どんな立場になっても、一生懸命自分の役割を全うできる集団になれればきっと今シーズンもいい結果が待っていると信じています。最高の仲間とともに頑張ってください!

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TOKYOROCKS!2018 特別号 春季リーグ第3週(通算131号) 掲載
2018年04月25日発行

昭和53年、私は愛媛県立松山南高校を卒業、明治大学入学と同時に野球部に入部しました。甲子園とは無縁の高校出身、周りから言わせれば、六大学野球挑戦は無謀とも言える決断でした。練習初日からその現実を目の当たりにします。

同期には現在阪神タイガースコーチの平田勝男をはじめ、有力校出身の新人が何人もいました。力の差を実感した私は、どうすれば学生コーチや監督の目に留まるか、必死でした。グランドでは人一倍声を出し、ボール拾いも進んでやりました。しかし、その努力は選手ではなく別の形で実ることになります。マネージャーを命じられたのです。

後で聞いた話ですが、グランドで私を見ていた監督が、「あいつをマネージャーにしろ。」と上級生に指示したそうです。
その日から私の人生は大きく変わりました。目標も「日本一のマネージャーになる。」に代わりました。
当時の島岡吉郎監督は「御大」と呼ばれ、誰もが知る名物監督です。監督から最も厳しく教えられたのが「誠をもって何事もあたれ。そうすれば必ず物事は成就する。」と言うことです。

監督に言わせれば、履物を脱ぎ散らかすのも、試合でエラーするのも全て誠がないからだと言うのです。こんなエピソードがあります。
お恥ずかしい話ですが、私は字を書くのが苦手です。マネージャーは年末に何百枚という年賀状の宛名書きをしますが、緊張の余り手が震え上手く書くことが出来ません。書き終わった後は監督のチェックも入り、更に緊張します。書き直しを命じられることもあります。
私の書いた宛名書きのチェックを終えた監督は私に「字は汚くてもいい。丁寧に心を込めて書いているかが大事だ。」と言ってくれたのです。
下手でも誠をもって一字一字書けば、相手には必ず真心は通じると言うのです。
結局書き直しはありませんでした。

誠をもっての行動は他にもあります。履く人の事を考えた靴の揃え方、置き位置、食べる人の事を考えた箸や皿の位置、車の運転をすれば、同乗者を不安にさせないブレーキのかけ方等々、全て誠を心がけて事に当たりました。
4年生になり、マネージャーとしてベンチ入りしました。春にはリーグ優勝、続く大学選手権でも優勝、更には日本チームのマネージャーとして参加した日米大学野球でも優勝し、目標は達成しました。「誠をもって何事にもあたれ。」私の大事な人生訓です。

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TOKYOROCKS!2018 特別号 春季リーグ第2週(通算130号) 掲載
2018年04月18日発行

法政 江川投手の神宮初登板

昭和49年(1974年)4月、作新学院の江川卓投手が法政大学に入学した。高校時代の江川投手は怪物と呼ばれ、並の高校生は木製バットではほとんどボールが前に飛ばず、地方大会で完全試合・ノーヒットノーランを連発、夏の甲子園では銚子商に雨中の延長戦で敗れたが、ドラフト1位を蹴っての鳴り物入りの入学だった。

江川投手は同年春のリーグ戦では第6週まで出番は無く、第7週東大戦での初登板が囁かれ、神宮球場は怪物観たさの六大学野球ファンで膨れ上がった。東法1回戦、法政リードの7回、江川投手がブルペンで投球練習を始めると球場全体の視線が江川投手に集中、8回に「法政大学 ピッチャー江川」とコールされると大歓声が沸き起こる。

この回の東大の先頭打者が偶然にも私(6番ライト)で、勇んで打席に立った。結果は右脚太ももにデッドボール。次の打者(春日井)は三振、その次の打者(太田)はヒットエンドランのサインを見逃し、結局点は入らずこの試合東大は負けた。江川投手はその後4年間で通算47勝(歴代2位)、ベストナイン6回の好成績を挙げ、法政黄金時代の立役者になった。当時の東大は岡田彬監督(元三菱自工京都野球部監督)の猛練習の成果か、結構強く、同年秋の東法1回戦で江川投手は神宮初黒星、この試合で高校時代から通算して公式戦初の本塁打を打たれた(打ったのは渋沢)。

当時、法政以外の5校は、打倒法政、打倒江川をスローガンに日々猛練習を重ねた。東大は短尺バットを使ったり、ヘルメットを深くかぶったり(高目のボール玉に手を出さないため)、今から思うと半分笑い話だが、その時は真剣そのもので色々工夫した。

近年、東大野球部は浜田監督の熱血指導のもと大いに力をつけ、特に部員の食生活改善による身体能力向上の賜物か、昨年秋季リーグ戦ではシーズン8本(昭和60年春とタイ記録)の本塁打を量産、勝ち点も取った。今季は主力選手卒業の影響は多少あるが、3年生カルテット投手陣を中心にした鉄壁のディフェンスと、フルスイングの破壊力ある打線で、東大旋風を巻き起こして欲しい。大いに期待できる。