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JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS2024 春季号外 第7週 2024年5月22日掲載

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東京六大学野球100年に向けて

2025年東京六大学野球は1925年9月20日に明大対立大1回戦が開催されてから100年周年を迎えます。99年目の今年は100年に向けての準備をしていく大切な年になります。連盟では個人などの記録整理を数年前から始めており100年秋までには過去の選手たちの記録が「神宮を照らす“記録”という宝物」として完成します。その他の企画では、連盟発祥の地記念碑の建立、100周年ロゴの作成、2025年春秋リーグ戦におけるレジュエントによる始球式、秋に100周年記念展示、秋季リーグ戦終了後には記念試合、そして90周年の際と同様に100周年記念式典などが予定されています。現在100周年プロジェクトチームがそれぞれの企画に準備を進めているところです。100周年を迎えるにあたっては今年の99目年が重要で、2025年を準備万端で迎えたいと思います。

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TOKYOROCKS2024 春季号外 第6週 2024年5月15日掲載

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「先導者たちの躍動」

いよいよ来年100周年を迎える東京六大学野球、厳しかったコロナの影響もほぼ収まり、選手たちの溌溂としたプレーと、必死にエールを送り続けてくれる応援指導部の学生たち、そして毎週、熱心に球場に駆けつけてくれるファンの皆様、いつもの神宮球場の佇まいがここにあります。
今年の1月に、慶應義塾体育会野球部OB会三田倶楽部の会長を拝命して約4か月、2月の大分県中津を皮切りに鹿児島や関西、そして日吉を経て神宮球場で部員たちの姿を観てきました。堀井監督の超一流のマネジメントと、本間主将をはじめとした選手たち、それを支えるマネジャー、コーチ、アナリスト、トレーナーなどのスタッフ、総勢約200名が織りなすハーモニーは、言葉では言い尽くせないものがあると感じています。

思えば今から40年以上も前、筆者が野球部にマネジャーとして在籍した時代、慶應義塾大学野球部は大変厳しい時代でした。部員たちは日々懸命な努力を続けていましたが、ついに4年間、天皇杯をいただくことは叶いませんでした。当時の福島監督からは、「マネジャーがしっかりしていたら優勝できたのだが」と言われたこともあり、自分の不甲斐なさを痛感した時でもありました。しかし、恩師福島監督からご教授いただいた数々の思い出は、今でも社会で必要なことばかりであり、まさに「人間力」を鍛えて下さったのだと、改めて感謝の言葉でいっぱいです。一方、昨今の後輩たちの活躍は目覚ましいものがあり、ここ10年でなんと7回もリーグ戦を制覇してくれており、現役時代に成し遂げられなかった夢を現実のものにしてくれています。

現在は、神宮球場からほど近い渋谷にある実践女子大学の教員として日々学生と接しています。筆者の頃とは隔世の感があり、今の学生は本当に真面目です。授業の欠席もほとんどありません。そして、ただ真面目なだけではありません。激動の21世紀、先行きが見通しにくいという時代を生き抜く運命を背負いながらも、前向きに、そして溢れんばかりのチャレンジ精神や主体性を有しています。まさに、これからの時代必要なイノベーティブな素養を有してくれていると感じています。
神宮で躍動する後輩たちとともに、「2050年責任世代」を生きる若者たちのウェルビーイングのために、「2020年責任世代」の自分自身に何ができるかを、問い続けてきたいと思います。

最後になりましたが、東京六大学野球を支えて下さっているすべての皆様に感謝を申し上げ、六大学それぞれの野球部の益々の発展をお祈りし、いつの時代にも「先導者」であり続けてほしいと心から期待しております。

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TOKYOROCKS2024 春季号外 第5週 2024年5月8日掲載

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チャンスの女神がくれたゲッツー

今年度より助監督を務めております石井清と申します。
この拙文を記している現在(4月25日)、開幕4連敗と難儀なスタートとなっていますが、同じく開幕4連敗でスタートした私が3年生の時の春季リーグ戦(1980年)でのあるゲッツーが今も脳裏に焼き付いています。
4連敗後の相手は早稲田。1回戦は4回までに0対2とリードされる展開。迎えた5回も1点追加され、なおも1死満塁。
ここで二塁寄りのゲッツーにおあつらえ向きのセカンドゴロ。
センターを守っていた私は「ゲッツーだ!」と心の中で叫びました。
ところが、二塁手の前でイレギュラーバウンド(当時はまだ土のグラウンドでした)。その瞬間、「今日も負けるのか…」という思いが頭をよぎり、バックホームのために加速しました。
その時奇跡が起きたのです。イレギュラーした打球が二塁手の右肩近くに当たり、跳ね返ったボールが二塁のベースカバーに入った遊撃手のグラブにすっぽりと入り、一塁へ転送。見事なゲッツー完成!
その後、我がチームは小刻みに3点を返し、同点で迎えた9回裏の攻撃で1・3塁でのサヨナラ重盗を決め、早稲田に久しぶりの勝利を挙げたのでした。
続く2回戦も勝利を収め、自分の入学以来初の勝ち点を手にすることができました。
この勝点が当時の東大に勝ち方を教えてくれたと思います。
翌年春の6勝、勝ち点2での4位もこのゲッツーから始まったと個人的には考えています。
「勝つためには運も必要」とその後の社会人野球も通して強く感じました。
でも、その「運」をつかみ、勝利につなげるのは、それまでの努力だということも身にしみて感じました。
当時の東大もちょっとは頑張っていたので、チャンスの女神が運を授けてくれたのかもしれません。
「チャンスの女神に後ろ髪はない」ということわざを肝に銘じ、いつチャンスが来てもしっかりつかみ、勝利につなげられるよう、精進を重ねて参ります。

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TOKYOROCKS2024 春季号外 第4週 2024年5月1日掲載

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神奈川県立厚木高校時代、夏の予選大会は3年連続1回戦負け、グラウンドで校歌を歌うことは叶いませんでした。このままでは野球を終わりにできない、新聞やテレビで見ていた東京六大学野球でやりたいと思っていたところ、指定校推薦の制度があることを知り、本当に運良く立教大学に合格できました。ただ、私が合格したのは理学部物理学科、入部した当時、部員の中で理系は私だけでした。野球のレベルは高校時代とは次元が違うし、不慣れな寮生活もあり、日々ついていくのが精一杯でした。それに加え、物理学科は週に一度、午後に実験の授業があり、1年生の実験の単位を取れないと2年生の実験が受けられない、すなわち留年が決まります。野球部は午後から練習であったために、当時の横川賢次監督に、事情を説明し実験の授業に出たいので練習を休ませてほしいとお願いをしたところ、学業も大事だからということで快く承諾して頂きました。無事に4年間で卒業することができ、横川監督には大変感謝しています。

練習にも徐々について行けるようになり、2年の秋からベンチ入りし、初めて神宮球場の打席で構えたときに膝が震えていたのは今でもはっきりと覚えています。2年の秋には23年ぶりの優勝、3年秋には慶応との5回戦、法政との優勝決定戦に勝って、2回優勝ができました。素晴らしい仲間と見ることのできた優勝の景色は格別であり、やればできるという経験がその後の人生の礎となっています。
卒業後は、5年ほど社会人野球を経験した後、一念発起して弁護士を目指し現在に至りますが、受験中も大学時代の経験を糧に頑張り抜くことができました。
現在は、セントポールズ・ベースボール倶楽部の幹事長として現役部員を応援していますが、部員全員に在学中に一度は優勝を経験させたい、野球部での経験をその後の人生に役立ててもらいたい、というのが強い願いです。

2025年に東京六大学野球連盟は結成100周年を迎えます。これまで東京六大学野球を築き上げてきた各大学の諸先輩方、連盟や関係者の皆様に感謝申し上げます。そして、未来の東京六大学野球を築く選手たちが素晴らしい経験をできるよう次の100年に向けて微力ながら尽力していきたいと思います。

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TOKYOROCKS2024 春季号外 第3週 2024年4月24日掲載

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「明治神宮野球場の景色」

明治大学を卒業し、社会人野球のマネージャーとして8年ぶりに明治神宮野球場を訪れた2001年春、応援団の迫力やバックネット席での諸先輩方、ご家族・関係者の皆さまのご声援に改めて感動したことと同時に、「お前ももっと頑張れ!」と励ましの声を頂いている感覚になったことを今でも鮮明に覚えています。そして現役学生からはプレーを通じてエネルギーを分け与えてもらいました。
東京六大学野球の伝統は現役大学生や連盟関係者だけでなく、私たち卒業生も、出来る限り明治神宮野球場で観戦し声援を送ることが重要であることを再認識できた瞬間でした。
東京六大学野球だけでなく、スポーツを通じ「人間力」を磨くと良く聞かれます。
この「人間力」の解釈は、人それぞれかと思いますが、内閣府が報告しているものに「人間力は社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」とあります。
まさに東京六大学野球を通じ、聖地明治神宮野球場で「人間力」を養ってくれていると確信しています。
球場での観戦が久しい方は是非足を運んで頂き、新しい明治神宮野球場の景色を発見してください。
私もこれから出来る限り聖地に行きます。

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TOKYOROCKS2024 春季号外 第2週 2024年4月17日掲載

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32年ぶりの母校。私が学生時代過ごしたグランド、そして町並みや風景は変わっていますが、法政大学野球部が小杉に存在していることは変わりありません。
大学を卒業し、プロ野球を経験し母校で指導できる機会は、なかなかないことであり、こうした機会をいただき、ありがたく思っています。
プロ野球を経験した人たちが、学生野球の指導することが増えてきていますが、日本野球協会とNPB、プロ野球選手会など、多くの関係者のご尽力があって今日があり、こうした道を作って頂いたことは本当に感謝しております。

「HOSEI」のユニフォームに袖を通して約2か月が過ぎました。
東京六大学野球の「重み」、そして、法政大学野球部の「重み」を改めて実感している日々です。この「重み」は、現学生達にはまだわからない事ではあると思いますが、大学を卒業し、色々な道に進んでからこの「重み」を実感することだと思います。人との繋がりも。
東京六大学野球OBとの繋がり、各出身大学との繋がり、人との繋がり、同期の繋がり、上下の年齢を超えた人との繋がりを今後、学生たちは経験していくことだと思っていますし、いま私はこの事柄を改めて実感しています。

プロ野球の世界を含め長年、野球に関わり、多少なりにも経験値の引き出しはあると思っています。その経験値を学生たちに落とし込めることができるように考えています。
学生は学業が優先であります。その中で平行して如何に野球に取り組んでいくか。
自分で考え、それを実行し、結果へ繋げて行く。この3つがあって成長していくと思いますが、このいずれかの部分で学生が悩んだりした時に、どれだけ答え合わせができて、成長していくかが重要であり、その手助けが出来ればと。

学生と共に、法政大学野球部と共に、東京六大学野球と共に、私も成長していけたらと思っています。

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
野球部OBや関係者からのメッセージをお届けしています。