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TOKYOROCKS!2010 特別号 秋季リーグ第8週(通算16号) 掲載
2010年10月27日発行

ケータイで神宮、一喜一憂

携帯で試合速報をキャッチできるようになって、ファンはとてもうれしい。

神宮へ行けない時、携帯に映るイニング表裏の途中経過に一喜一憂する。先発メンバーはだれか、交代はないか。本塁打も載る。地方在住の六大学ファンやOBの皆さんには大変貴重な情報源と聞く。パソコンにも同じ速報が届き、工夫した画面デザインは携帯以上に見やすいと好評だ。

速報は連盟公式サイトで各校マネジャーが作る。公式記録をもとに球場内のパソコンから入力する。試合終了後1時間ほどで打撃と投手の個人成績もまとめて速報し、同時に共同通信を通じ全国の新聞へ配信する。

速報の魅力は、なんといっても全試合流すことだ。近ごろテレビ放映が少なくなり、球場にテレビカメラを見かけても撮影の目当てはワセダ佑ちゃんばかり。

入学のころのフィーバーはないが、一部の局以外は、ほかの5大学に目もくれない。彼が卒業する来春からテレビはどうなるのか。ファンはテレビを当てにしなくなり、ますますサイト速報の価値は高まりそうだ。

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TOKYOROCKS!2010 特別号 秋季リーグ第7週(通算15号) 掲載
2010年10月20日発行

副部長を11年、部長を同じく11年、都合22年間にわたる東京六大学野球との係わりを終えてからはや10年余りの歳月が過ぎ去った。かつてベンチの中で監督や選手たちとともに固唾をのみ、一喜一憂してきた私は今ネット裏の席から友人たちといっしょに、大学を分かたず接戦と好プレーに拍手をおくっている。

春と秋の神宮球場がよいは、七十路なかばに踏み込んだ身のかけ替えのない一番の楽しみである。

立教大学在学中の4連覇、部員不足に悩み心あるOBと共にそちこちの高校の野球部に受験を要請してまわった副部長時代、そして部長として平成元年秋に果たした47シーズンぶりの優勝とそれに次ぐ翌年秋の優勝の感激などが走馬灯のように脳裡をよぎる。大仰に言えば東京六大学野球とともにすごしてきた私の青春、壮年時代、そして昨今である。

観客不足が心配された一時期もあったが、多方面の努力によって往年の熱気がよみがえってきた。嬉しい限りである。

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TOKYOROCKS!2010 特別号 秋季リーグ第6週(通算14号) 掲載
2010年10月13日発行

「私にとっての神宮球場とは---」

私にとって神宮球場とは、正に「聖域」であり、「人生」そのものである。

思い起こせば、早稲田大学のユニホームに腕を通し、神宮のグランドに立てた事が、その後の人生に大きなインパクトを与え、多くの出来事や多くの方々と出会えた要因となっている。

一年生の時、当時の東京六大学野球のスーパースター立大長島茂雄、杉浦忠の両氏と同じ舞台でプレイが出来た事は、我が野球人生に於ける最も大きな出来事の一つであり、これ以上の喜びはないと言っても過言ではない。

又、50年の歳月が経っても一向に色あせない早慶六連戦を主将・四番打者として経験する事が出来た事、そして天皇杯を手にすることが出来たことに感謝している。これらは5連投564球を投げ抜いた安藤元博をはじめ、多くの同僚・後輩とのチームワークがあったればこそ、成し得たものであると信じている。

又、自分のホームへのスライディングが慶應大橋捕手と交錯、あわや第二のりんご事件となるところを慶應前田監督自ら三塁コーチとして立たれ、未然に防いで戴いたあの行動は、今尚忘れられない大きな出来事であり、前田監督さんには今でも感謝しているところである。
何か辛い事があると何時も六連戦の記憶が蘇えり、知らず知らずのうちに必ず勇気が湧いてきます。あれだけの事をやったんじゃないか……と。

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TOKYOROCKS!2010 特別号 秋季リーグ第5週(通算13号) 掲載
2010年10月06日発行

流れる校歌、応援歌に合わせて小さく口ずさむ人が神宮には多い。ご高齢の方もいる。その歌の中に若き時を重ねているのだろう。六大学が長い伝統の上にあるからだろう。

各校ともいい歌が多い。僕は慶應の「見よ、風に鳴る~」が特に好きだ。ユニフォームが不変なのもいい。東大だけが知っているだけで4回変えている。

昔の純白にライトブルーのに戻してもいいのではなかろうか。明治の袖から猪が消えたのも残念だ。僕が会長を務めている「東大を優勝させよう会」は会員200名、できて36年になる。

東大の優勝をもって解散する事になっている。推薦制度もなく入るだけでも大変な東大生が必死の精進の上に優勝する事を夢見願っている。東大が六大学を制覇する日。それを思うだけでどうしていいか分からなくなる。神宮から本郷への提灯行列を夢見て今日も会員は応援を続けている。

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TOKYOROCKS!2010 特別号 秋季リーグ第4週(通算12号) 掲載
2010年09月29日発行

神宮近郊で育ち、よく耳にしていた東京六大学野球の応援歌。当時絶大な人気を得ていた六大学に進学し、野球をすることが幼い時からの夢でした。

出身校である日大三中の監督が法政出身だったことがきっかけで、その頃から法政進学への思いが強くなりました。

憧れの六大学の選手となって、初めてユニフォームに袖を通した時の感動は今でも忘れません。法政大学野球部時代は、何よりも“厳しい練習に耐え、人間性を向上させる事”を教えられました。大学4年間、自分を育ててくれた監督に心から感謝しております。

そして私は今日も『心の故郷』として神宮へ参ります。

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TOKYOROCKS!2010 特別号 秋季リーグ第3週(通算11号) 掲載
2010年09月22日発行

優勝争いがもつれて、優勝決定戦(プレーオフ)の可能性が生まれることも多いが、なかなか実現することがない。

最後にプレーオフが行なわれたのは、二十年前の1990年秋。法政と立教との間で戦われ、リーグ戦で2連勝していた法政が有利とされていたが、結果は立教が優勝。一発勝負の怖さが表れた試合だった。

毎秋第7週、最終戦後に行なわれる神宮送別会は、昭和の時代はスタンドでも行なわれていたのだが、今は球場下の通路で行なっている。早慶以外がスタンドで送別会を行なったのは、あのプレーオフの時が最後だった。

早慶以外の4大学にとっては、リーグ戦の最後の試合を戦い、閉会式のために早慶ナインをスタンドで待たせるプレーオフというのは、夢の展開なのである。

前回のプレーオフから二十年、そして早慶六連戦から五十年。そろそろプレーオフが観たい。

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TOKYOROCKS!2010 特別号 秋季リーグ第2週(通算10号) 掲載
2010年09月15日発行

私が初めて六大学野球に出会ったのは2003年。明治大学が岡本・牛田・一場らの投手陣で5年ぶりの賜杯奪還を目指し大いに盛り上がるシーズンでした。

この年二部商学部に入学した私は、硬式野球部と応援団チアリーディング部に所属するクラスメイトがいたことから、軽い気持ちで行った神宮球場で、初代会長の杉原貞雄氏にスカウト(?)され、以来、氏と共にほぼ毎試合学生席へ通いつめております。

この会は、杉原氏が野球部の前部長、澤内隆志教授より「六大学野球の素晴らしさをもっと多くの学生・OBに知ってもらい、球場に来てもらいたい」との相談を受け、ゲームの勝敗に関係なく野球部を“愛する”人を集め結成されたものです。

年月を重ねメンバーも次第に増え、リーグ戦後の祝勝会や反省会には、野球部から部長、先輩理事、監督、コーチの皆様。大学からも野球部を愛する多数の先生方にもご出席をいただくまでに成長しました。これからも、六大学野球を愛するメンバーと共に声援を続けてまいりたいと思っております。