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JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS2021 秋季号外 第8週 2021年11月3日掲載

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「コロナ禍での東京六大学野球」

この夏には東京オリンピック、パラリンピックが無観客で開催され、野球競技では法政大学出身の稲葉監督率いる侍ジャパンが見事に金メダルを獲得しました。しかしながら新型コロナウイルスがまん延して緊急事態宣言が続いている中、加盟校は対策を講じていましたが野球部員にも陽性者が目立つようになってしまいました。8月後半に法政大学野球部でクラスターが発生し、同野球部の活動が停止される事態となりました。

連盟では常務理事会において不戦勝、不戦敗とせずに何とかリーグ戦を完遂する方向を確認し、法大野球部と大学当局の結論を待って対応することの方針を決めました。9月9日に理事会を開催し、六大学の各校はリーグ戦を6校揃って開催することは当然のことで、法大の報告を受けてリーグ戦日程の組み換えをして、11日開幕予定を次週に延期して全30試合を行う日程に変更しました。秋季リーグ戦は東京都に緊急事態宣言が発令中の中、観衆を上限5,000人として開幕、9月30日をもって緊急事態宣言が解除されてことを受けて、10月9日から上限を10,000人に変更しました。

今シーズンも10試合の勝ち点(ポイント制)、9回打ち切りでリーグ戦を開催していますが、これまでに引分け試合がたいへん多く各校のこの時点で優勝争いも混沌としています。
現在はワクチン接種が進み落ち着きを見せていますが、まだまだ誰もが感染してしまう可能性があります。秋季リーグ戦も終盤を迎え、各校の努力で感染対策を十分に行い最終日まで無事に終われたいとを願うばかりです。

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TOKYOROCKS2021 秋季号外 第7週 2021年10月27日掲載

OPEN

私は成東高校(千葉県)から明治大学に進学し、学生野球のメッカである神宮球場で東京六大学野球を体験することが出来たことは私の大きな財産である。
特に、明治大学野球部で過ごした4年間は人生の宝である。卒業して45年が経った今でも絆は強く、他大学とも定期的に交流があり幸せに感じている。
昭和50年春、島岡吉郎監督は怪物江川卓投手(法大)を攻略することが優勝の必須条件と判断、あえて“打倒 江川”を掲げた。また、リーグ戦前には、ハワイ遠征を行いゴンザガ大学、ハワイ大学など190㎝の角度ある投手との対戦を積みリーグ戦に臨んだ。
リーグ戦終盤1勝1敗の法大戦、優勝を左右する試合に神宮球場は超満員。明大の先制攻撃が功を奏して4対2で勝利、次週の東大戦にも勝ち点をあげリーグ戦優勝することができ感無量の喜びを味わうことができた。
神宮球場には不思議な魅力がある。私は、第二試合の神宮球場に足を踏み入れ、チームで外野を走るときに観客の大歓声(声援や拍手)に鳥肌が立ち、自分の中から大きな力が沸き上がる経験をさせて頂いた。幸運にも春季リーグ戦に勝ち、夏の地獄の強化練習を乗り越え迎えた秋季リーグ戦は、まさかの東大戦2連敗(実力負け)、そしてまさかの優勝にたどり着いた。そのうえ、明治神宮大会優勝、日本一をもって卒業させて頂き人生の大きな自信となった。
卒業後は神戸製鋼、母校明大監督から今日まで、島岡監督の“なんとかせい”と“打倒江川”で導いた目標を明確に掲げチームをひとつに纏める姿(PDCAサイクル)は私への教えとなった。こうした素晴らしい環境で野球ができたことに心から感謝している。
社会に出てからも神宮球場が好きで母校の応援に駆け付ける。
特に、試合の七回の校歌は堪らなく好きだ。
また対戦校の校歌も思わず口づさむ。神宮に六大学校歌は似合う。

現在、私は千葉黎明高校副理事長、野球部総監督の立場で、幸運にも3名が明治大学に進学、東京六大学の後輩である彼らの一挙手一投足をスタンドから応援できる幸せを噛みしめている。彼らも神宮球場において多くの事を学んでもらいたい。

今年の夏はコロナ禍の中東京オリンピックが開催、野球・ソフトボール競技がいずれも堂々たる試合を展開し競技の素晴らしさを示して金メダル獲得には感動した。
2028年ロサンゼルスオリンピックは、世界の人々に共感や感動を与える競技と認められ復活することを心から願っている。

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TOKYOROCKS2021 秋季号外 第6週 2021年10月20日掲載

OPEN

20年の現役生活の中で、最も忘れられない試合がある。それが、2010年秋に行われた、50年ぶりとなる早慶での優勝決定戦だ。正直なところ、今でもその映像が流れると目を背けてしまうほど、感情を丸ごと記憶している。

当時、東京六大学野球は世間からの注目度も高かった。開門前から球場周辺には長蛇の列ができ、満員札止め。試合開始前から、神宮球場は異常なほどの熱気に包まれていた。

当時2年生だった私は、その先発のマウンドに上がった。
しかし、1回表にいきなり失点。紺碧の空が流れてきたのと同時に、自分が立っている地面と目の前の景色が揺れた。それ以降の記憶は一切ない。結局、3回で降板し、敗戦投手となった。唯一覚えているのは、人目も憚らずベンチで涙を流し続けていたことだけだ。先輩たちの想いに応えられなかったことが、本当に悔しかった。

試合のあと、4年生の先輩たちからかけられた「ありがとう」という言葉に耳を疑った。
なぜだろう。自分のせいで負けて優勝を逃したのに、そんな言葉をかけないでください。
申し訳ない気持ちが溢れた。
中でも4年生キャッチャーから言われた言葉が、強く胸に残っている。
「責任を感じているだなんて、烏滸がましいわ! ここまでよく投げたよ。自分のせいで負けたと言いたいのなら、それなりのピッチャーに成長しろ!」

あの試合から10年後となる2020年秋。
今度は助監督として、勝った方が優勝となる早慶戦に挑んだ。
コロナ禍でのリーグ戦となり、観戦者の人数制限がある中での試合。それでもやはり早慶戦特有の雰囲気が、神宮球場には満ちていた。
両校一歩も譲らず、緊迫した展開となった。9回表、慶應は2対1でリード。あとアウト1つで優勝という場面で逆転ホームランを許し、優勝を逃した。奇しくもマウンドにいたのは、あのときの自分と同じ下級生のピッチャー。泣き崩れる姿に、自分の姿を重ねた。
そして同じように、4年生たちが口々に「ありがとう」と声をかける姿があった。

後日、私は助監督として、一人の先輩として、その投手に次のことを話した。
「申し訳ないだなんて、責任を感じるのは烏滸がましいよ。自分のせいでと言いたいのなら、そう言えるようなピッチャーに成長しないとな」

今なら、当時先輩たちがかけてくれた言葉の意味がよくわかる。
「シーズンを通してよく投げてくれた。お前がいなかったら優勝を争うこともなかったし、あの試合もなかった」
心からの敬意とともに、感謝の気持ちを選手たちに伝えたい。
10年という年月を経て、あのときの答え合わせができた。

言わずもがな、東京六大学野球の歴史は長い。
その中で脈々と受け継がれている想いも含め、今、繰り広げられている試合を観てもらいたい。
それが、東京六大学野球を愛する一人のOBとしての願いだ。

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TOKYOROCKS2021 秋季号外 第5週 2021年10月13日掲載

OPEN

コロナ禍において最近は行けていませんが、卒業してからも神宮球場で東京六大学野球を観戦するたびに、他の球場では味わえない心の高ぶりを感じます。大学を卒業して35年になりますが、学生野球の聖地、神宮球場でプレーしていた当時を重ね合わせたような高揚感を毎回感じさせてくれます。そして卒業後、社会に出て年を経るごとに感じる、共に対戦した球友たち、先輩や後輩との絆や信頼感は、心の支えであり本当に感謝しています。

さて現在私は高校野球の指導者をさせていただいています。当校(松商学園)には学生野球の父といわれる早稲田大学野球部初代監督、飛田穂洲先生の『練習常善』という直筆の書があり、屋内練習場の正面玄関に額に入れ飾ってあります。当時、飛田先生には度々、高校にお越しいただき指導していただいたようです。『練習常善』とは、練習では常に最善をつくすという意味ですが、学生野球は教育の一環であり、試合よりも練習に取り組む姿勢が大切であり、また試合でいかなる状況においても実力を発揮するために生まれた言葉であると聞いています。今なおこうして諸先輩方との関わりを持てるのも、早稲田で学び、神宮球場に育てていただいたおかげと本当に感謝しています。

今秋のリーグ戦も関係者皆様のご尽力によって開催されましたが、コロナ禍で練習環境にも活動制限がある中、選手一人ひとりが野球と向き合ったこの経験は相当厳しいものであったろうと思います。是非、神宮球場でその練習の成果を思う存分発揮していただきたいと思います。

最後になりますが、リーグ戦開催にあたり大変なご尽力をされている東京六大学野球連盟はじめ関係各位には敬意を表するとともに、東京六大学野球の益々のご発展と、皆様のご清栄を祈念申し上げます。

※飛田穂洲先生の有名な言葉には『一球入魂』がある

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TOKYOROCKS2021 秋季号外 第4週 2021年10月6日掲載

OPEN

昨年から公式記録員をさせていただいております。
ネット裏の一番近い場所で、プレーボールからゲームセットまで一球一球に集中し、このあと起こるであろう様々なプレーを想定しながら、広い視野をもってプレーを見る。
これは格別な眺めです。

さて、私が神宮球場でプレーしたいという憧れを持ったのは、中学生の頃、テレビで東京六大学野球中継を見てのこと。プレーはさることながら応援団の応援にも魅せられました。
まずは自宅からも近かった立教高校を目指し猛勉強、無事高校受験に合格すると即野球部に入部、立教大学へ進学、そして憧れの神宮球場へ。

1年の新人戦で初めて「憧れの神宮球場」でのプレーが実現、3年春のシーズンからベンチ入りしましたが、当時は最下位を争うチーム力、残念ながらチームとしても個人としてもプレーでの華やかな思い出はあまりないですね。
4年秋、最後のシーズンは4位だったと記憶しています。

大学での4年間で思い出されるのは、規律正しい寮生活と当時の横川監督の「私生活がプレーに出る」という教えです。
この4年間は私の人間形成の礎を築いた貴重な時間だったと社会人になってからつくづく実感しています。
当時の生活は今でも克明に思い出せます。苦しかったことばかりでしたが(笑)

長男が小学校の少年野球チームに入ることになり、同時に私もコーチとしてチームへ。
次男が卒業するまで土日は少年野球の指導に明け暮れました。
二人の息子は私の願いを推し量るように、中学、高校と野球を続け、ともに母校である立教大学野球部に入部。
そして私の神宮球場通いが再びスタート。
父母としてスタンドからの観戦、別の視点から眺める神宮球場、とても楽しい時を過ごさせてもらいました。

「選手」として、「OB」として、「父母」として、そして「公式記録員」として、立場を変え、視点を変えながら神宮球場とは長いつきあいになりました。
公式記録員としてはまだまだ初心者ですが、瞬時に公正かつ正確なジャッジができるよう精進し、東京六大学野球連盟の益々の発展の一助となれればと思います。

コロナ禍、現役選手は思うように練習ができなかったり、思い描いた学生生活が送れていないかもしれません。それでも東京六大学野球に捧げた4年間はこれからの人生に於いて、とても意義のある時間となる筈です。
秋季リーグ戦も開幕しました。選手諸君の素晴らしいプレーを期待して止みません。

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TOKYOROCKS2021 秋季号外 第3週 2021年9月29日掲載

OPEN

今季もコロナ禍でのリーグ戦開催、またリーグ戦日程も大幅に変更となり連盟関係者、他大学関係者の皆様のご尽力に深謝申し上げます。
私は高校、大学、社会人と野球を続け、4年前に審判員を仰せつかり現在審判員としてリーグ戦の運営に携わらせて頂いております。

今季も開幕を迎え神宮球場に足を運ぶたびに、大学時代の最高の仲間達との練習の日々や、他大学のライバル達との真剣勝負の思い出が蘇ってきます。
法政大学を卒業して15年以上経ちましたが、東京六大学野球を通じて沢山のことを学ばせて頂きました。

社会人野球を引退し会社員としてのセカンドキャリアに悩んでいた時期がありましたが、恩師からの勧めで審判員を始めてから、自然と仕事も上手くいくようになった気がします。
審判員の仕事は、大きく分けて①プレイに対してジャッジをすること、②試合をマネージメントし成立させることの2つです。
審判は4人クルーで行うのでジャッジを行うことで空いた塁のカバーに回ったり、トラブル対応等の問題も4人で協力して解決していかなければなりません。
また試合のマネージメントに関しては、選手のため、試合を観に来ていただいている観客のためにスムーズに進行させ成立させなければなりません。

これらに共通することは、「自分以外の誰かの役に立つ」という意識を持つことが重要だということです。これは仕事をする上でも最も大事なことだと思います。この意識が仕事でも自然と好影響を与え成長させてくれていたことに気づきました。このように審判経験で学んだことが今の私を支えてくれています。

このような機会を与えて頂いたことに感謝し、今後も選手たちが思い切り輝ける舞台を残していけるよう、また連盟の発展を支えていけるよう尽力していきたいと思います。

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TOKYOROCKS2021 秋季号外 第2週 2021年9月22日掲載

OPEN

東大は今春リーグ最終戦で64連敗をようやく止める一勝を上げた。コロナ禍による特別運用下とはいえ、リーグ最終戦を勝利で飾ることは東大としては過去にそうあることではない。肩を震わせる何人かの四年生の姿に、ネット裏の筆者の目頭は不覚にも熱くなった。だが、考えてみれば4年振りに一勝しただけの話である。歯ごたえのないチームであっては、5大学野球部にも、神宮に足を運んで下さる観客の方々にも誠に申し訳ない。久々の勝利の瞬間、現役の学生たちは「たったひとつ」勝って喜んだのではなく、4年越しの重しを振り払った安堵とともに、秋に向けた手応えを感じていたのだ、と思いたい。

ところで六大学の中で東大だけにある特徴がいくつか挙げられる。そのひとつが「校歌がない」ことである。現在神宮球場で歌われている「ただひとつ」は正式には「東京大学応援歌」で、戦前の帝大時代から校歌制定が試みられたようだが、未だ日の目は見ていない。如何にも百家争鳴の東大らしい歴史である。私たちも四十余年前の現役時代、試合前に斉唱して自らを鼓舞した「ただひとつ」。他校の何れ劣らぬ名歌の重みに比べると、やや分が悪いきらいはあるものの、当事者にとって愛着はある。

今秋は、歌名に例えれば「ただひとつ」でなく「もうひとつ」勝って、東大の次なる懸案である連勝・勝点奪取を期待したい。「だがひとつ」まずは勝ってからの話。

ここぞの「一球入魂」、神宮での出来事は全てが「一期一会」。私が思う「ただひとつ」の根本精神は、「今ある自分を受入れたうえで出来る最善の努力を一瞬一瞬に積み重ねる」ということだ。私としては、東大に限らず六大学野球全部員の「ひとつ」にこだわる全力プレー、スポーツマンシップ溢れる瞬時の行動をこれからも神宮で確と見届けていきたい。 

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
野球部OBや関係者からのメッセージをお届けしています。