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JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS2021 春季号外 第8週 2021年5月26日掲載

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 「コロナ禍での東京六大学野球」

令和3年の東京六大学野球春季リーグ戦は4月10日に観客の上限10,000人として開幕いたしました。開幕してからすぐに東京都がまん延防止等重点措置の対象地域となり第2週より上限5,000人となりました。しかしながら4月25日から三度目の緊急事態宣言が発出されたために第3週第2日から六大学野球史上初めての無観客試合の実施となりました。
東京六大学野球は興行目的したプロ野球とは違いますが、母校の応援をする応援団(部)や学生、ファンが一体となってのリーグ戦を開催するのが六大学野球であり、無人のスタンドでの開催は政府の方針とはいえ、たいへん残念であり寂しい、悔しい思いをしました。
現在も緊急事態宣言は続いていますが、緩和措置により第6週(5月15日)より再び上限5,000人で開催することになり少しだけほっとした次第です。コロナ禍での六大学野球も2年目になり、感染予防対策は一応の成果をあげてはいますが、誰もが感染してしまう可能性があります。春季リーグ戦も終盤を迎え、各校の努力で感染対策を十分に行い5月30日の最終日まで無事に終われたいとを願うばかりです。

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TOKYOROCKS2021 春季号外 第7週 2021年5月19日掲載

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東京六大学野球で過ごした4年間は我が人生の宝です。そして心から感謝しています。卒業して30年が経った今でも母校のみならず他大学の当時競い合った球友とおつきあいさせて頂いています。明大野球部で培った「誠の心」は全身に染まっています。社会での苦難困難を乗り切る際に役立った原点回帰はまさに大学野球での学びです。

卒業してから社会人野球でプレイしました。レギュラーではなかった自分がどこまで通用するのか自信はありませんでした。弱気な自分が変身した理由は東京六大学野球出身であるというプライドでした。社会に出てから神宮球場での経験価値に気づき、ピンチの時はいつでも瞬間的に明大野球部での生活体験が糧となり幾度も助けられました。

社会人野球チーム熊本ゴールデンラークス(JABA所属)を設立し、代表兼監督としてチームを率いた時のスローガンは明大野球部で学んだ「人間力野球」。まさに明大野球部での教えをそのままに指導し、気づけば監督歴14年。『なんとかせい!』といつも天から聞こえてくる気がしていました。

私の野球感、野球軸は頭の先から足の指先までアマチュア精神です。東京六大学野球からいつも何らかのヒントを得る気持ちを抱いています。これからも野球界発展のため、次世代の未来ある若者に良い形でバトンをつなぐ役割として恩送りしていきます。

人生を好転に導いてくれた東京六大学野球、明大野球部は我が人生の誇りです。東京出張の最終日には必ず神宮球場に野球観戦に行っています。いつも明日への活力をいただき元気与えられています。娘も明大野球部卒(女子マネージャー)で家族は「明治」に過剰反応してしまいます。最後に、現役選手並びに関係者各位に心から感謝し、東京六大学野球連盟の益々のご繁栄をご祈念申し上げます。

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TOKYOROCKS2021 春季号外 第6週 2021年5月12日掲載

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2020年秋の早慶戦。優勝まであとアウト一つ、のところで早稲田蛭間選手に逆転本塁打を打たれた慶應ナイン。
遡ること34年前の春の早慶戦。同じく優勝まであとアウト一つ、のところで同じ背番号29の早稲田加藤選手に逆転(サヨナラ)打を打たれた慶應ナイン。
大学4年の春に見たあまりにも似た光景に、ただスタンドで立ち尽くすのみ・・・。

リーグ戦の最終週に雌雄を決する早慶戦に臨めることは大変有難いことでありますし、監督、選手がまずは最低限目指すものとして我々のDNAに刷り込まれています。そしてそこで勝利することは、青春のすべてを掛けるに値するもの。「早稲田に勝って日本一」。今も昔も変わらぬ慶應野球部の目標です。

コロナ禍の中、開催されている2021年春のリーグ戦。無観客試合も余儀なくされましたが、関係者の皆さまの御尽力で、神宮の舞台、早慶戦の舞台は用意されました。その最高の舞台で4年生中心の慶應ナインが昨秋の惜しさを晴らし、神宮に舞う堀井監督、福井主将の胴上げを、OBの一人として心待ちにしています。

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TOKYOROCKS2021 春季号外 第5週 2021年5月5日掲載

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コロナ禍の中ではありますが、令和3年度の春季リーグ戦が開幕し、熱戦が繰り広げられていることは大変うれしく思います。開幕に至るまでの関係者の皆様のご尽力に対しまして心より敬意を表します。
「当たり前」と思っていたことが「当たり前」でなくなった今だからこそ、神宮球場という最高の舞台で野球ができたことに対して感謝の気持ちが込み上げてきます。

さて、私が早稲田大学を卒業してから20年が経過しました。初めて神宮球場に足を踏み入れたときの高揚感は今でも忘れられない思い出です。
大学を卒業し、社会人となってからは関西を拠点として勤務していたこともあり、神宮球場からは足が遠のいていましたが、30歳になろうとするときに審判員として再び神宮球場に足を踏み入れる機会を得ました。

審判員をしてみて、改めて運営側の大変さを知りました。審判員に限らず、先輩理事、公式記録員等たくさんの人の支えがあってリーグ戦が運営されていることは、学生時代から理解はしていたものの、自分自身が仕事をし、家庭を持つ身となってから実際にその立場に身を置くと、どれだけの犠牲を払ってその任務についてくれていたかを痛感いたしました。

また、リーグ戦は野球部のみで成り立っている訳ではありません。スタンドを盛り上げ、神宮球場に熱気と活力を与えてくれる応援部は大切な仲間です。そして、新聞部は野球の魅力を活字で存分に伝えてくれています。多くの学友の思いが結集して最高の舞台を演出してくれています。大学野球にはプロ野球にも高校野球にも社会人野球にもない魅力が溢れています。大学生が懸命に取り組む舞台を今後も大切にしなければなりません。

学生として過ごした4年間で終わりではない。未来の学生のために素晴らしい舞台を残してあげること、さらに充実した舞台に整えてあげることは卒業生の使命であると思います。
私は昨年の秋季リーグ戦をもって12年間務めた審判員を退任いたしました。未来の学生のために「次に何ができるか」を模索していきたいと思います。

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TOKYOROCKS2021 春季号外 第4週 2021年4月28日掲載

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1979年春、田舎の高校(岩手県立一関二高)を出て、一浪の末に立教大学への入学を許され、そして東京六大学野球でのプレーを夢見て上京。本当に右も左も分からずに飛び込んだ立教大学野球部智徳寮。日焼けして大そう大人びた先輩諸氏にびっくりし、寮生活のいろはからグランド整備など厳し過ぎるご指導を受け、必死になって耐えて忍んだ下級生時代のこと、そして華やかな神宮球場でプレー出来た晴れがましい気持ち、その暗と明が交差する4年間は、本当に何物にも代え難い貴重な宝物です。2年生の秋のシーズン、あの縦縞のユニフォームに初めて袖を通した時の喜びは、今でも忘れません。

さて、現役時代のリーグ戦での悔しい思い出を書きたいと思います。それは、4年生秋のシーズンに最下位になったことです。好投手野口(⻄武ドラ1)をエースに擁し、春の3位から何とか優勝したいと意気込んで迎えた最終シーズンでした。しかし、結果は対戦順に、明治・早稲田に1勝2敗。東大に連敗。慶應に1勝2敗。法政にも1勝2敗(1分け)。勝点0の最下位という結果に終わってしまいました。1勝はするものの勝ち切れなかった悔しさは、40年近く経った今でも思い出すたびに蘇ってきます。
個人的には、最後の試合になると思って臨んだ法政2回戦で逆転サヨナラホームランを打てたことが良い思い出です。最終学年、最終シーズン、最終カード、最終試合の最終打席で打てた唯一のホームランでしたが「このままでは終われない。せめて勝点一つでも。」というチームメイトの執念が後押ししてくれたものと思っています。

今は、OB会の運営に携わっていることもあり、母校の応援に神宮球場を訪れる機会が多くあります。信濃町駅で下車し絵画館辺りにさしかかると応援団の演奏、太鼓の音、そして歓声が聞こえてきます。それを聞くと気持ちが高ぶってきた現役時代と同じ道を歩いて神宮球場に向かいます。
現役諸君、熱い思いで応援しています。精一杯のプレーで神宮を沸かせてください!

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TOKYOROCKS2021 春季号外 第3週 2021年4月21日掲載

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卒業後、愛知県の工場に勤務して神宮での観戦は出来ず、約30年後の平成15年に東京勤務となってからは、昭和47卒六大学同期の集い、年末恒例の忘年会に欠かさず出席し、神宮で戦った同期と誠に得難い絆を確認してきた。

2年前OB会長を仰せつかり、頻繁な神宮通いが再開した。この50年の野球の変化は大きい。
平成7年野茂英雄投手が大リーグで活躍して以降、日本野球界の頂点が米大リーグとなり、下は中学硬式野球に至るピラミッド構造が確立し、レベルが大きく向上したことが第一。
第二は、50年前、球速計はなかったが、東京六大学野球も、多分140km前後から現在150km台へ、落ちる変化球も鋭く、投げ方も大きく変わっていることである。
それは多分、高速度カメラなど計測技術の利用で野球が科学技術化し、投球メカニズムの解剖が進み、トレーニング法も確立してきたためであろう。

第三は、人材供給ソースとして、中学硬式野球人口は変わっていないが、軟式野球人口は激減し、少子高齢化でなお減少する。バブル崩壊後、社会人野球チーム数が200から80台へ減少して、高校球児の進路が大学中心へ変化し、益々東京六大学野球へ甲子園常連校の有力選手が数多く来る時代となった。昭和30年代の隆盛復活を願う。

さて、母校のこの50年の変化はどうであろうか。体重身長は増加し、肩も強く、足の速い選手も増えたが、なんとも投手の制球力なく、投手を中心とした守備で接戦に持ち込み、4年生の奮起で遠からず連敗脱出の日がくることを祈っている。

昨年春勃発したCOVID19で観客数制限を余儀なくされており、また応援団に外野の一角で孤立して応援して頂いているのは誠に気の毒である。早期に多くの観客の下、六大学恒例の応援風景が復活することを祈っている。

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TOKYOROCKS2021 春季号外 第2週 2021年4月14日掲載

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2021年4月10日春季リーグ戦が法政大学廣瀬総長の始球式でスタートした。
2年ぶりの春の祭典だ。私は32年ぶりに助監督として参加をしている。

神宮の異様な熱気と輝きは変わらない。六大学野球の根強いファンの方や学生の関係の方、野球の関係の方‥様々な視線は温かい。外野席には学生時代に何度も勇気づけられた応援部が熱く激しく華やかに応援をしている。球場全体に緊張感があるが温かさもある不思議な場所が六大学野球の神宮球場である。

ベンチからグランド内外の選手や観客席を冷静に見る自分は不思議だ。まじかで見る選手の必死さと緊張感が伝わってくる。グランドの選手は一投一打に注意を集中しベンチの選手は最前列で激励を送っている。全員が勝利を求めて最善を尽くしている。気持ちがあるが冷静な判断や適切な表現ができないのが学生らしさでもある。彼らを良い方向に導き潜在能力発揮の手助けをするのが私の役割である。

初戦の結果は、三浦主将の好投により「ノーヒットワンラン」62年ぶりの快挙の勝利である。「ワンラン」とは聞きなれない言葉である。この真相は8回表1アウトランナー3塁の場面、内野手を定位置に守備させ本塁でアウトにする守備体型ではなかったことで起きた。三浦主将の記録よりチームの勝利を優先した。三浦主将に申し訳ない気持ちで歩み寄ると記録ではなく彼もまた勝利のことしか考えていなかった。彼は真のチームプレーヤーであり立派な第107代主将である。彼の飛躍とチームの勝利を確信した。
2回戦は慶応大学の投打の粘り強さに圧倒された。開幕カードは1勝1敗で終えた。

六大学野球の神宮球場は学生を成長させるためにある、いわゆる、神宮は学びの場である。野球をするだけで人生に役立つ実践知が得られる場所、それが六大学野球の神宮球場であろう。学生達には「神宮の学びの先にあるもの」を懸命に努力して味わってほしい。

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
野球部OBや関係者からのメッセージをお届けしています。