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TOKYOROCKS!2013 特別号 春季リーグ第8週(通算56号) 掲載
2013年05月29日発行

早慶戦110周年の想い

2013年の今年は、塾野球部(創部1888年)が1903年に早稲田大学野球部(創部1901年)側から挑戦状を受け、三田綱町グランド(現中等部グランド)に約3000名の観衆を集め早慶戦が開催され、11対9で塾の勝利で歴史が始まり、110周年と言う節目の年に当たり、個人的に印象の強い早慶戦を上げさせて頂きますと、1960年秋季リーグ戦のあの早慶戦六連戦です。

塾は勝点4、早稲田は勝点3、塾が2勝し勝点をあげれば久しぶりの優勝と、マスコミも塾の戦力の評価も高く、優勝争いで一歩リードしている事もあり塾の優勢と思われたが、早稲田の2勝1敗で優勝決定戦となり、初戦は、1対1、第2戦は、0対0と何れも延長11回の引き分け、第3戦1対3で早稲田の逆転優勝。

この六連戦で、特筆されるのが、敵ながらアツパレな安藤元博投手の活躍、この六連戦に5試合に完投、第3戦から4連続完投と塾の4本柱(清沢、角谷、三浦、丹羽)に対した。早稲田ファンに限らず六大学ファンの皆が賞賛された記憶が有ります。塾では、早慶戦で神宮応援が、授業に変わる行事と言う事からも、当時塾高野球部員の小生はこの六連戦は記憶に残る早慶戦。

その当時言われていた事に野球の早慶戦は、世界学生三大スポーツの一つと言われた。(その他アメリカのハーバード大対エール大のアメリカンフツトボール、イギリスのオックスフォード大対ケンブリッジ大のボートレース)

早慶両校の現役部員が一丸と成り、世界学生三大スポーツの早慶戦で神宮球場が満員に成る様な戦いを期待しているのは、小生のみならず、両校関係者、六大学ファンの祈願であろう。

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TOKYOROCKS!2013 特別号 春季リーグ第7週(通算55号) 掲載
2013年05月22日発行

寮のおばちゃん

“おばちゃん”が亡くなって二年になる。八十九年の天寿だった。寒空の下おばちゃんは縦縞のユニホームに包まれ、大勢のOB・OGの歌う立教大学校歌に送られて旅立った。私はその光景を忘れることができない。

“おばちゃん”こと大川サヨさんは、立大合宿所「智(ち)徳(とく)寮」の寮母さんである。二十四年間、立大野球部に尽くしてくれた。当時の野球部は全寮制であった。食事の用意は勿論、住込みで働くおばちゃんは、部員の母親代わりだった。

二十年前に退任したあと、おばちゃんは鶴ヶ島で一人住まいをしていた。部屋には立教のユニホームを飾り、コタツの上には部員からの年賀状や手紙が大切そうに重ねられていた。卒業生も時々訪ね、交流は続いていた。

晩年は身寄りがなかった為、亡くなった時、そのままならば葬儀は無く無縁仏として供養される話であった。放っておけない、葬式をだしたい。事情を知ったOB・OG皆が協力し、おばちゃんの葬式を出すことになった。当日は急な知らせにも関わらず、会場に入りきれないほどの人が集まった。合宿所の地元商店街の皆さんの顔もあった。おばちゃんの人柄であろう。質素だが心温まる葬儀だった。そして葬儀から一周忌の法要と永代供養まで、すべて集まった香典で執り行う事ができたのである。

おばちゃんは今、埼玉県白岡の地で、希望していた遠い親せき筋のお墓に娘さんと共に静かに眠っている。おばちゃんを思う全ての人の心が繋がったのだ。墓石には当時の部員からの感謝の気持ちが刻まれている。

話は変わるが、先日長嶋先輩が国民栄誉賞を受賞された。四年前の野球部創部100周年記念パーティーの会場で、車椅子のおばちゃんは長嶋先輩とツーショットの写真を撮っている。その写真を、おばちゃんは少し自慢げに飾っていた。

最後に、私が四年の秋、他界した野口野球部長の言葉を紹介したい。「君たちが自分で選んだ道、果てしなく迷いの道、全力を傾けて迷いたまえ」。

神宮の杜に、六校の校歌は響きがいい。応援席に揚がる十字の旗に、紫匂えるさわやかな風を感じている。

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TOKYOROCKS!2013 特別号 春季リーグ第6週(通算54号) 掲載
2013年05月15日発行

私は、関西の出身の為、東京六大学野球は、身近な存在ではありませんでしたが、高校3年の頃、テレビで大観衆を集めた神宮球場での早慶戦を目の当たりにし、自分もここで野球をしたいと心底思うようになり、早稲田を目指すことになりました。そして昭和48年一年浪人の末に早稲田大学に入学、野球部に入部しました。

入学できたのも、両親や、野球の基礎を叩き込んで頂いた村井監督、先輩の丸山さん始め、周りの方々の叱咤激励のお陰と感謝しております。在学中には、S48・S49年春季リーグ戦で2度のリーグ優勝と、S49年の全日本大学選手権では、駒沢大学を破り、大学日本一を経験しました。S49年のリーグ優勝では、遊撃手のレギュラーとして全試合出場し、打撃成績2位となり、ベストナインを獲得し、第3回の日米大学選手権のメンバー入りを果たしました。

当時、法政に江川、明治に高橋・鹿取と言った好投手がいましたが、その中でも、プロ・アマ含めて対戦した中で江川投手がNO.1でした。怪我に悩み苦しんだ時もありましたが、神宮球場で4年間、野球が出来た事は私の宝です。

5年前から母校の試合がある日は、欠かさず神宮球場に足を運び一喜一憂しながら観戦をしています。スタンドで観戦して感じる事は、今も昔も変わる事なく熱狂的な六大学ファンがいる事です。時には厳しい言葉で叱咤し、良いプレーには心の底から拍手を送る姿に頭が下がる思いです。

グランド・スタンド・スコアボードは変われど、神宮球場は、私を成長させてくれた心の故郷です。いつまでも青春の涙と汗と熱い思いが溢れる神宮球場である事を願ってやみません。

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TOKYOROCKS!2013 特別号 春季リーグ第5週(通算53号) 掲載
2013年05月08日発行

この春「野球体育博物館」が公益財団法人となったのを契機に「野球殿堂博物館」と名称を変更されました。これで同館の最大の事業が「野球殿堂」であることが強調されることになりました。この「野球殿堂」に2013年の1月現在で180名の方々が野球殿堂入りをされています。

2015年に連盟結成90年をむかえる東京六大学野球連盟ですが、日本野球の発展に顕著な貢献をされたとして、学生野球の父と呼ばれた安部磯雄先生から本年に殿堂入りをされた福嶋一雄さんまで当連盟関係者106名が殿堂入りをはたしました。なお、同館には殿堂入りされた方々のレリーフが飾られています。

また、神田錦町の学士会館の敷地の中に2003年に建立された「日本野球発祥の地」に記念碑(写真)があります。「日本野球発祥の地」に相応しいたいへん立派な記念碑です。

野球ファンの皆様、野球関係者の皆様には、是非一度、「野球殿堂博物館」と「日本野球発祥の地」を訪れていただきたいと思います。

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TOKYOROCKS!2013 特別号 春季リーグ第4週(通算52号) 掲載
2013年05月01日発行

「一生の仲間と出会えた6大学野球」

入学直後昭和32年春の開幕戦のベンチから、本屋敷・長嶋・杉浦等が主力の立教の打撃と守備練習を見たときに、その高いレベルに強い印象を受け、卒業直前昭和32年秋の閉会式に参列すべく通った神宮で、早慶六連戦の死闘を拝見する栄に浴した。多くの素晴らしい選手たちと戦えたことは我々の一生の宝である。

同期の仲間(徳武、渡海、山本、杉本、松田、片桐が主将)たちと、毎年3月6日に2時間ほどの立食会を開いている。戦う相手の選手たちの特徴をその精神面まで含めて互いに研究していたことを、初めての会合で、率直に語り合えたことが40年以上この会が続いている理由のひとつだと思う。

相手5チームに少なくとも2つずつは勝った経験を持ち、劣等感を懐いていない「片桐、古舘、高橋、飯島、樋爪、小池、滝川、鈴木」がこの会の常連である。私も高知から上京し、この会に参加するのを毎年楽しみにしている。

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TOKYOROCKS!2013 特別号 春季リーグ第3週(通算51号) 掲載
2013年04月24日発行

高校生の時、進路に悩む私が法政大学への進学を決めたのは、江川卓さんら1学年上の「スーパースター」の存在でした。「あこがれの神宮で、甲子園を沸かせたスター選手と一緒にプレーし、日本一を目指す」。この4年間での経験が、私の心の支え、そして財産になったことは言うまでもありません。

今でも鮮明に覚えています。3年秋の東大戦です。江川さんが投げ、私がサードを守った。その試合は両チーム譲らず、延長戦に入って。迎えた打席、無我夢中で振ったら、サヨナラホームラン。江川さんから「ナイスバッティング」と声を掛けられ、「あぁ、ここに入って良かったなぁ」と。個人的な記録で恐縮ですが、サイクル安打を達成できたことも、最高の思い出として残っています。

最後に残ったのは、シングル安打。打球が三遊間を抜けた瞬間、何人目かな、なんて思っていたら、記者の方が「居郷君、初めてだよって」。まさか六大学史上初なんて知らなかったですし、やった後に手が震えたことを覚えています。下級生の時は先輩のサポート役として、朝から晩まで付きっきり。

当時は「辛いなぁ」と思うこともありましたが、社会人野球を辞め、仕事に専念するようになった今、当時の経験が私の大きな支えとなっています。主将を任されたことも、人生における貴重な財産です。

神宮球場には、たくさんの思い出が詰まっています。「神宮球場でプレーしたい」というあこがれに導かれ、袖を通した法政大学のユニホーム。今でも、ふとした瞬間に思います。「そうそうたるメンバーとともに、一緒にプレーできた自分は幸せだったなぁ」と。

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TOKYOROCKS!2013 特別号 春季リーグ第2週(通算50号) 掲載
2013年04月17日発行

創部103年を迎える明大野球部合宿所の正面玄関には「人間力」と力強く書かれた大きな額が掲げられている。36年間に渡り明大野球部の監督を務めた故島岡吉郎(通称御大)の人間力教育は明大野球部の基礎となり今も継承されている。御大のスパルタ教育は上級生や主力選手ほど厳しく指導し選手の人間力を引き出させた。

現在の野球部は科学的トレーニングが導入された必要に応じた練習メニューが組み立てられている。そのような中、明治大学では学業優先とし午前中の授業出席者は早朝5時30分より練習を始めている。(もちろん監督コーチも参加して指導にあたっている)明大野球部の現在の特徴は7年前につつじヶ丘球場から東府中への移転に伴い2万5000坪の敷地に2つの完備された野球場とダイヤモンドが入る広さのサブグランドと屋内体育館又器具が整ったトレーニングルームがあり何度でも誰でも自主練習ができることである。

寮生活は全寮制により部員の生活環境は非常に安定している。120人が一度に食事が出来る食堂をはじめ、運動選手にとって疎かにできない食生活や健康管理。集団生活においての規則を順守し自分の役割の徹底を図ることのできる素晴らしい環境である。

このような環境の中、挨拶・礼儀・感謝の心を学び明大野球部の伝統が継承されている。特に上級生が率先垂範してトイレ掃除し下級生に身をもって伝える習わしは今もなお続いている。

私は現在OB会である駿台倶楽部の広報委員長として、OB会報を通して、この素晴らしさを伝えようとしている。いずれ社会で役立つ教えを全寮制のなかで修得することを期待して…。