昭和56年から4年間過ごした塾野球部での思い出といえば、下級生時代の厳しさとケガとの戦いもあり苦労の連続だった思い出が数多く残っています。残念ながら私が現役を過ごした4年間に塾野球部は優勝を勝ち取ることができませんでした。
1年後輩たちが昭和60年秋のシーズンで13年ぶりの優勝を勝ち取った時には自分たちが優勝したかのように仲間と喜んだものでした。「努力を続ければ必ず報われる」ということを身をもって学んだ4年間でした。
大学卒業後地元に戻った時に地元の先輩から「大学まで野球を続け神宮も経験することができたのだからこれからは審判員として野球に恩返ししないか」と声を掛けていただいた事がきっかけで高校野球の審判員を始め、いくつかの連盟で審判員として野球に関わっていたこともあり、2004年から3年間東京六大学野球の審判員を務めさせて頂きました。
その後仕事の都合で海外赴任もあり9年間神宮から離れていましたが、今シーズンより再び審判員を務めさせて頂くことになりました。
審判員として野球に関わるようになり野球の奥深さを改めて学びました。野球規則も毎年見直しが行われますし、審判員のメカニクスもより良いジャッジのために常に進化しています。野球の試合は決して同じ場面はありません。常に学ぶことを忘れず、選手が一生懸命練習に励み試合に臨んでいるのでその1つ1つのプレーに対して正確なジャッジが行えるように常に心掛けています。
聖地神宮でグランドに立つ時はいつも以上に緊張感を持って臨んでいますが、これからも選手のスピードに対応できるように体力維持と体調管理に注意しながら、陰ながらではありますが東京六大学野球の一員として精一杯努めさせて頂きます。
また、ひとりの親としては次男が目標としている「神宮でプレーする」に向かって努力を続けて実現してくれることを切に願うものである。