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JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS!2015 特別号 春季リーグ第8週 2015年05月27日発行

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東京六大学野球リーグ戦は、それぞれ6校の対抗戦の集約である。その中で、早慶戦に関しては、その対抗戦の歴史からも学生野球にとって最も注目される試合であり、両校の早慶戦に対する意気込みはもの凄いものがある。

私が、4年で主務を務めていた頃の春の早慶戦。前年秋に13年ぶりにリーグ戦優勝、それも57年ぶり2回目の全勝優勝という快挙、その後の明治神宮大会でも優勝、春は2回目のアメリカ西海岸でのキャンプと、全てにおいて勢いにのっていた慶應野球部は開幕した春季リーグ戦でも2勝1敗のペースながら勝ち点を落とさずに第8週である早慶戦を迎える。1勝1敗で迎えた3回戦、慶應は終盤まで優位に試合を進め2点差で迎えた最終回。アンラッキーなイレギュラーバウンドによる出塁から早稲田の驚異の粘りが始まり、1点差に迫られ尚も2死2,3塁とピンチが続く。しかしながら、打者を2ナッシングと追い込みいよいよあと1球で優勝と思った瞬間、打球は右中間を破り逆転サヨナラ打となった。

早慶戦で勝ち点を取れなかった慶應は、勝率の差で法政に優勝を奪われてしまった。2季連続優勝を掴みかけながら、逸してしまった瞬間である。時間が止まって見えた。

早稲田に優勝の目はなかったのであるが、早慶戦に対する凄まじい意気込みを実感した。いつも試合後は感情を表に出さないようにして、連盟事務室に戻り残務を行うのが六大学のマネージャーとしてのあるべき姿と教わってきたが、その日ばかりは悔し涙が止まらない。見かねた当時の連盟事務局長であった故・長船麒郎氏に配慮頂き、その日は直ぐに帰して頂いたことを思い出す。

今季も、優勝のかかった早慶戦になった。優勝だけでなく対抗戦としての意地と意地のぶつかり合いを期待している。そして、最後には悔し涙ではなくうれし涙を流してほしいと願っている。

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TOKYOROCKS!2015 特別号 春季リーグ第7週 2015年05月20日発行

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大正15年(1925年)中断されていた早慶戦が復活して名実ともに六大学リーグ戦が開催されてから、本年で90年を迎えました。連盟では90周年マークを作成して六大学各校のユニフォームと審判員のユニフォームにつけて、一体感を示して春季リーグ戦に臨んでいます。

90周年行事としては、秋季リーグ戦開幕に合わせて90周年植樹を明治神宮外苑のご協力をいただき実施いたします。記念植樹は70周年の際の「泰山木」、80周年の「アオダモ」に続き三回目となります。また、12月6日には50周年以来になる記念祝賀会を都内の会場で開催する予定になっています。

この90周年を機会に、次の100周年を見据え、六大学野球部OB、OGの方々のご協力を得て今まで以上のさまざまな新しい企画を実施していく検討に入っています。連盟結成一世紀を迎えても国内最高の大学野球リーグを維持、発展させるために野球部、各校OB会、連盟が三位一体となって取り組んでいきます。

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TOKYOROCKS!2015 特別号 春季リーグ第6週 2015年05月13日発行

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育ったのは静岡県金谷町(今の島田市)で今も明大のコーチをさせてもらっている私の野球の始まりは早慶戦のレコードからだった。

9歳上の兄が持っていて、5歳頃に三原さんや水原さんの名前を聞いた私もすぐに野球を始め、とりこになった。 高校(掛川西高)では甲子園にいけなかったが、明大に入学できた。憧れの神宮で、3年春(昭和36年)には優勝でき、投手のベストナインにもなれた。島岡御大、先輩に感謝してもしきれない。

練習の成果を出すのは難しい。ベストでマウンドに立てるのは何度もない。私のベストは2年春リーグ戦後のハワイ遠征。南加大戦(オープン戦)の勝利。 メジャーの卵をドロップで空を切らせ、「エースができた」と島岡御大を歓喜させた時だと思う。

3年春は最初の先発でKO。次からは1回からブルペンで、終盤や三回からのロングリリーフもして5勝で格好はついたが、エースと呼べないし、「毎試合完投ペース」でのことだった。 思い出すのは、神宮のマウンドはホームが近く見えて投げやすいことと、ブルペンで「ノルマの300球」が終わらず、1000球放ったこと。だから今も、投げられる喜びをいつも感じて、練習に試合に臨んでほしいと思っている。

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TOKYOROCKS!2015 特別号 春季リーグ第5週 2015年05月06日発行

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私は高校・大学・社会からプロ野球と、すべての野球を経験したが、その中で忘れられないライバルが東京六大学に二人居た。

一人目は、昭和38年の夏の甲子園大会の初戦で投げ合った中京商業のエース、三輪田勝利だ。津久見高校の投手として対戦したが、3対1とリードした6回に、走者を二人置いて三輪田に長打を打たれて逆転され、くやしい思いをした。

二人目は、鶴城高校から法政大学に進学して、東京六大学の最多勝を挙げた山中正竹投手。 私と山中は大分県佐伯市出身で、小学校時代から野球の大会で対戦し、2歳年上で身長160㎝の私と、140㎝の山中では、いつも私のチームが勝っていた。

そして私が早稲田大学に入学すると、三輪田が同僚で豪速球を投げて2年から八木沢先輩とローテーションを組み、4年ではチームの柱として通算20勝を挙げていた。 一方山中は、1年からベンチに入り、秋のリーグ戦から1人エースとして4年間全試合に登板し、48勝を積み重ねた。

この2人を目標に、いずれ入って来るプロ野球に先に入団して待っていた。しかし対戦こそ出来なかったが、その強い気持があったので169勝出来たのは、間違いないだろう。

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TOKYOROCKS!2015 特別号 春季リーグ第4週 2015年04月29日発行

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9-8(慶大、2003年10月5日)
3-2(早大、2004年4月11日)
4-3(法大、2004年5月11日)
3-2(立大、2004年5月22日)
1-0(明大、2004年9月11日)
1-0(立大、2004年10月10日)
3-1(法大、2005年4月17日)
1-0(早大、2005年9月10日)

これは私が在学していた2003~2006年、東大が勝利したスコアです。ご覧の通り全てが接戦で最後まで気の抜けない、エネルギーのいる試合であったと記憶しております。

昨年の第85回都市対抗野球大会において私がマネージャーを務める西濃運輸は創部55年目にして初優勝を成し遂げることができました。勝因には様々な要素があると思いますが、その中でも東大が勝利する試合との共通点として、「長打が出ること」「四死球が少ないこと」が挙げられます。

「長打が出ること」
都市対抗野球大会での本塁打は5試合で0本でしたが、二塁打は全34チーム中最多。東大の試合でも得点に長打が絡むことは多く、まずは長打を打てるスイングのメカニクスを身につけること、そしてそれを試合で確率高く出せるよう相手を研究し、狙い球を絞る努力をする必要があります。

「四死球が少ないこと」
都市対抗野球大会5試合45イニングで四死球6は出色。無駄なランナーを出さない、特に無死からや(ランナー1塁や1,2塁からの)ランナーを進塁させる四死球は避けたいところ。

後輩には、日本野球の源流に密接に関わる東大野球部に所属し、東大の代表として闘っているのだという気持ち、さらにプロ野球よりも歴史が長い東京六大学野球という素晴らしい舞台でプレーできる喜びを持ち続けてもらいたい。大学入学時の野球レベルでは劣っていても、東大野球部員の野球が好きな気持ちや野球に対するエネルギーは他のどこにも負けないはずであるし、4年間の鍛錬と東大生ならではの探求心で必ず他大学に勝利することができる。闘魂を胸に、日々の練習で技術を伸ばし体を鍛え、相手をよく研究し、勝利を掴んでくれることを期待しています。

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TOKYOROCKS!2015 特別号 春季リーグ第3週 2015年04月22日発行

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春先まだ寒い3月、オープン戦や公式戦が各地で繰り広げられる。それらを経て4月の東京六大学野球春季リーグ戦は開幕を迎える。

私はリーグ戦のために久しぶりに神宮球場を訪れると、我が家に帰ってきたような感じがして心が落ち着く。また真夏8月のオープン戦やその他の公式戦を果たし、9月の秋季リーグ戦開幕に臨むときにも、同様の感を抱く。学生時代の4年間の野球部活動と、連盟役員として18年間の審判員活動を通じて東京六大学野球と神宮球場への愛着は深い。

神宮球場においては、スタンドで六大学野球を観戦する時間より審判員としてグラウンド上で試合に参加する時間の方が長いと思う。審判員として試合でのプレイを裁定している時は周囲に配慮しながらもボールの行方や選手らの動きに最大限の注意を払う。一方で神宮球場のスタンドから観戦中に、ふと後ろを振り向き観客席を見上げることがある。すると観客の方々の表情が見える。本当に楽しそうで幸せそうな様子である。

しばし日常から離れ、神宮球場と六大学野球に癒されているかのように思われる。ひいきのチームや母校の勝利も大切ではあるが、この空間には結果を超越した充足感を観戦者に与える力があるらしい。

また六大学野球と神宮球場を思うときに応援席での応援団の活躍は欠かすことのできないものである。チャンスやピンチなど試合展開に併せて球場全体を盛り上げることにより六大学野球と神宮球場独自の風情が作り出される。応援席から聞こえてくる音楽や声援の効果によりこの空間は一層劇的なものとなる。

美学者である中井正一は、『スポーツ気分の構造』の中で、スポーツの持つ気分の空間的性格の構造について、「グラウンドに入った瞬間、眼を射るような幾条もの白線、直線、曲線、円、楕円それらのものの前にまず人々は緊った興奮を感ずる。」と述べている。

このことは私たちが六大学野球観戦のために神宮球場を訪れる際にも当てはまるのではないだろうか。球場に到着し、観客席への階段を登りきる。するとそこには目にも鮮やかな人工芝のグラウンドが現れ、はち切れんばかりの若さを各校のユニフォームに纏った選手の躍動が視界に飛び込んでくる。

一瞬にして六大学野球の世界へと入り込む。同時に、伝統の東京六大学野球は学生野球の聖地である明治神宮野球場で行われる格別の存在という共通認識を再確認する。

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TOKYOROCKS!2015 特別号 春季リーグ第2週 2015年04月15日発行

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昨年で東京六大学野球連盟の公式記録員を卒業しました。平成20年から7年間、14シーズン務めさせてもらった。

実は二度目の公式記録員だった。昭和37年法政大学を卒業後、スポーツ新聞社に勤務し、神宮球場ネット裏からリーグ戦を見てきた。

当時の法政の公式記録員は、昭和9年に卒業した大先輩の成田理助さんである。ある日、私の勤務先にやってきた成田さんは「23年間もやったので、あとはお前がやれ!」との一言で決定。昭和61年に引き継いだのだが、私事で2年間しか全うできなかった。

その後、20年間を梅沢一夫さんが務めていたのだが、平成20年に同期の樋口正蔵が松永怜一さんの後任のOB会長に就任。「次の人が見つかるまで」ということで二度目の登板をしたのだ。そしてこの度、元助監督の鈴木則久にバトンタッチして、ホッと一息といったところだ。

神宮球場に通うようになって半世紀。4月1日に東京都が2020年、東京五輪後に神宮外苑地区再開発を発表。神宮球場と秩父宮ラグビー場の場所を交換して建て替えるということだ。新神宮球場を見るまで、もうひと頑張りするつもりだ。

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
野球部OBや関係者からのメッセージをお届けしています。