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TOKYOROCKS!2011 特別号 春季リーグ第8週(通算24号) 掲載
2011年05月25日発行

「語り継がれる神宮の瞬間」

私が初めて東京六大学野球を観たのは、昭和三十年春の早慶戦に幼稚舎生として応援に参加した時である。初めて見る大学生のお兄さんたちのプレーと力強い応援は、九才の子供にはとてもまぶしく感じられた。それ以来、慶應の生徒、学生として、早慶戦を見続けていた。

時が流れて、まさか自分がそのベンチにいることになろうとは・・・。平成十四年の秋のシーズンから慶應の野球部長として毎試合ベンチに入ることになったわけだが、最初のシーズン早慶戦1回戦の試合前にグランドに出た瞬間は、本当に足が震えた。ベンチ前からスタンドを臨む。東京六大学野球を応援する多くの人が見えたとき思った。「そのひとにとっての六大学野球」「そのひとにとっての、あの日、あのプレー」があるのだと。

そしてその記憶が語り継がれる・・・。それがこの学生野球の素晴らしいところだと思う。

定年を控えて昨年末で慶應の野球部長を退任し、今シーズンはスタンドから声援を送っている。部長時代は、もちろん自チームのプレーに一喜一憂し、ピンチには自分の心臓の音が直接聞こえてきた。相手がミスをしてでも得点が入ると、とにかく嬉しかった。相手がファインプレーをすると、とにかく悔しかった。

しかし、今スタンドから見ていると、自チームの勝利を願いながらも、相手チームのファインプレーには拍手を送りたくなるし、相手チームのエラーにはその選手の気持ちを察したりしている。初めて六大学野球全体を楽しめる心の余裕が出てきたのかもしれない。

昨年秋の第三週のこの欄で岡田淳子さんが、「前回のプレーオフから二十年。早慶六連戦から五十年。そろそろプレーオフが観たい」と書いておられる。そしてそのシーズンは早慶五十年ぶりのプレーオフで幕を閉じた。私の部長としての最後の試合でもあった。

選手と応援が一体となった興奮の集大成の最終試合。東京六大学野球に係わったひとりとして語り継いでいきたい。

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TOKYOROCKS!2011 特別号 春季リーグ第7週(通算23号) 掲載
2011年05月18日発行

「神宮育ち」

人々の好みが多様化するなか、スポーツでも野球人気が他を圧倒する時代は終わったといわれています。それでもなお、多くの人々に愛されているのが野球です。野球は見て楽しくやって楽しいスポーツです。

私は幸運にもこの野球の世界にさまざまな役割を得て今日まで長く関わってくることができました。選手、指導者、球団経営者、アドバイザーとして、学生野球、社会人野球、日本代表チーム、プロ野球、そして同好会に至るまで、常に野球とともにあります。

なかでも東京六大学野球の現場には選手として、監督として計13年間籍を置かせていただきました。この間に経験したこと、考えたこと、学んだことが私の今を育て支えるものになっています。

最近私は自伝的野球論を新書で発刊する機会に恵まれました。私はこの本を六大学野球賛歌本のつもりで書きました。六大学野球の魅力、実力、大学を超えた人との出会いの数々。知識や経験を学び、考えや意見を乞うことができる諸先輩、会えばいつも笑って語り合える仲間、私の野球論を伝え継いでくれる若者たち。

私が「神宮育ち」であるとの思いはいっそう確かなものになりました。

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TOKYOROCKS!2011 特別号 春季リーグ第6週(通算22号) 掲載
2011年05月11日発行

今年のスポーツ界は、東日本大震災後にプロ・アマを含め、その在り方や開催の有無などについて、日本中で広く議論が沸き起こった。スポーツは、各々の選手が競技に真摯に取り組み自分の持てる力を精一杯出し切って、正々堂々とプレーすることで人々に感動と共感を与え、大きな影響力を持つことから特に注目が高まった。

日本人の心の一つとして、思想や理論より「あふれる人の情熱・ひたむきさ」につき動かされる土壌がある。

春の選抜高校野球も節度ある抑制された雰囲気の中で開催されたが、郷土の代表として出場した選手、特に被災地の出場校・選手達と地域が一体となって戦う様子は、見る人々に勇気と希望を与え、大きな効果をもたらした。

高校野球が日本中で支持され、根強い人気があるのは学生野球の本分を誠実に追い求め実践しているからにほかならない。

6大学野球は春のリーグたけなわである。われわれも「学生野球とは何か」について、原点に立ち帰って問い直し考える良い機会ではないかと思う。昨年、リーグ結成85年を迎えた6大学野球が継続的に発展していくことを願ってやまない。

さて、私は昭和36年(1961年)明治大学を卒業。野球部マネージャーとして、4年生の最後の秋(昭和35年)に、早慶6連戦を当番校のチーフマネージャーとして連盟に泊まり込みでつとめ、5・6戦目は入場券がなく徹夜で印刷・対応したことなどが強く記憶に残っている。

毎年3月6日に、6大学各校の同期生が集まり「6大学36会」を開催、6校のマネージャーOBが幹事役となり、毎回50名前後が参加している。昨年記念すべき30回目を開催し、半永久的な継続を誓い合った。大袈裟な企画・内容は特にないが、健康と自校の成績を気にしながら、30年間続けてやってきたことを誇りにしている。

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TOKYOROCKS!2011 特別号 春季リーグ第5週(通算21号) 掲載
2011年05月04日発行

三月十一日午後、マグネチュード9.0の巨大地震が発生、大津波が東日本を襲い、大勢の尊い命が失われました。

当初、開幕まで一か月あることから、リーグ戦開催については楽観視していましたが、次々と明らかになる甚大な被害、福島原発の事故、計画停電、余震などで本当に野球が出来るのか?日に日に不安になりました。

東京六大学の各校は卒業式や入学式を中止する事態となり、連盟は四月四日に臨時理事会を開催、試合開始時間や延長戦規定などを変更して、予定通り開催することに決定、九日に亡くなられた方たちに黙祷をして無事開幕しました。

すでにリーグ戦は前半戦を終わりましたが、是非とも後半戦も三月十一日を忘れずに各校の野球部員が野球を出来ることに感謝しながらの懸命なプレーを繰り広げることを願っています。

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TOKYOROCKS!2011 特別号 春季リーグ第4週(通算20号) 掲載
2011年04月27日発行

心のフルサト 神宮球場

いつ頃、どうして野球を好きになったかについては覚えていないが、小学校1,2年時には当時の雑誌”野球界”を読むこと、またラジオでの六大学リーグの試合放送を聞くことが楽しく面白く仕方がなかった。

昭和12年縣立高岡中学に進み、甲子園を目指したが、太平洋戦争の戦局険しく、すべての競技に亘り、大学、高等、中等学校の全国大会は中止となり、苦渋の涙を呑んだ。甲子園は元より神宮も遥か遠くへ消え去ってしまった。

その後は昭和19年10月1日、大学入学式に上京したものの10月10日に入隊、軍務に服したが、終戦により復員復学することとなった。昭和21年5月初旬の或る日、当校の都電の中で中学五年時にコーチを受けた早大OBの森茂雄さんに会った処、五年前の私を覚えて下さり、野球部に入部。5月の六大学リーグ戦に出場することになった。

一度は夢と消え去った”神宮”も現実となるかも知れぬと胸躍らされたものだった。悔しながら神宮球場は戦後進駐米軍に接収されていたので、残念ながら六大学リーグ復活第一戦として使用できず、上井草、後楽園で行われた。神宮球場でリーグ戦を行うことがリーグ加盟各校全員の夢であったことは言うまでもないことであった。

秋に至りGHQの好意(?)により、球場の空いている時に貸与されることとなり、ウィークデーの午前中が多くなったが、兎に角神宮球場でリーグ戦が行われ、私達としてはようやく念願が叶ったことではあった。その後は時には後楽園、東大、明大球場を使用したことはあったが、主力は神宮球場にあり、私の在学期間中62試合の内33戦(8勝22敗3分)が行われており、私としては満足であり、甚だ嬉しく思っている。

畏友、球友西村嘉明さん(殆ど全試合を私と二遊間でコンビを組んでいた)が昨年11月に死去され、病院より帰宅の途次、神宮球場に立寄り車中より正面に向かい、数十分相対していたということであった。聞く処によると、ご故人の意志(遺志)であったということ。神宮球場が彼にとっても心のフルサトであったと云うことであろうか。あゝ神宮球場。

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TOKYOROCKS!2011 特別号 春季リーグ第3週(通算19号) 掲載
2011年04月20日発行

「現役時代の思い出」

二十年余りの日米でのプロ野球選手としての現役生活、長い道のりでした。が、早稲田で、神宮で過ごした四年間の方が、私にとっては、貴重な時間でした。

入学するまで多少時間が掛かりましたが、父の一言が背中を押してくれました。「長い人生、1、2年、回り道をしたって大した事は無い。頑張れ…。」そんな父から、早稲田に合格し、野球部に入部してから、自身が中学生の時、全国行脚中の飛田先生に、ピッチングを受けて頂いた事があると聞かされました。

在学中は、優勝する事が出来ず、野球部の歴史の中で、最も低迷していた時の学生でしたので、大変申し訳なく、反省しております。 皆様方と同様に、何かにつけて同期の仲間達が集まれば、当時の話で盛り上がります。

幸いにして、私は、昭和32年入学(早慶6連戦時、4年生のメンバー)の、故黒須陸男の娘を嫁にもらい(1学年上の相田武徳さんと義兄弟の関係です)、義父の仲間である、徳武さん、野村さん、金澤さん、所さん、岩本さんといった先輩方と親しくさせて頂いております。石井連藏さんの教え子である先輩方と同様に、在学中に、石井さんから、飛田先生の教えを乞い、今、尚『早稲田大学野球部で学んだ事』を肝に命じ、毎日、奮闘している次第です。

倶楽部員として、微力ではありますが、母校野球部に尽力出来ればと考えております。

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TOKYOROCKS!2011 特別号 春季リーグ第2週(通算18号) 掲載
2011年04月13日発行

チームのよさはベンチにある。プロ野球と学生野球の違いをベンチに見る。負け試合のプロ野球のベンチは、明日の試合を考えているようでつまらない。

学生野球は、その日のことを考える。学生野球には、負けの美学がなければならない。敢闘精神を、如何に持続できるか。出場できない選手が、ベンチで如何なる態度をとっているか。試合前のノックを受ける選手のみではない。球出しの選手が共に、見る者をいかに感動させるのか。

エラーの選手をどのようにベンチが迎えているか。三振した選手を、ノックアウトされたピッチャーを、ベンチはどのように迎えるか。全力疾走の交代はきっちりやられているのか。ベンチに入れなかった応援席の選手が、どのような態度で応援しているか。OBは、襟を正して応援しているのか。

私が神宮球場に求めているのは、歓喜の優勝の瞬間のみではない。学生野球が醸成しなければならない、きっぱりと張り詰めた緊張と友情の厳格さである。神宮はその美学を忘れてはならない。