JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS2020 秋季号外 第8週 2020年11月4日掲載

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平成4年春のリーグ戦、前年の春秋リーグ戦連覇を受けて3連覇を目指し意気込んで臨んだが、結果は4勝6敗の5位。惨敗であった。主将としての不甲斐なさ、一選手としての悔しさが湧きたつ中、夏季練習を前に「チームとして何をすべきか?」と考えに耽っていた。

そんな時、同期が「4年全員で話し会おう」と声を掛けてくれた。喧々諤々、それぞれが思いの丈をぶつけあい話し合った。出した結論が「チームの勝利のために全員が納得するプレーをすること」。試合に出るメンバーは、塾野球部の代表であり、控えメンバーの思いを背負ってプレーせねばならない。結果がどうあれ、どんなコンディションでも言い訳をせずに部員全員、そして塾生の期待に応えるべく精一杯のプレーすることを誓い合った。目指すべき目標はもちろん「リーグ優勝、そして日本一」であるが、それに対するアプローチを確認し、自分たちが為すべきことが明確となった。

迎えた夏季練習は、これまでにない充実した練習であった。ベンチに入っていない4年生が率先して練習の手伝いを務めてくれ、神宮球場で行う試合前の練習までサポートしてくれた。リーグ戦の試合中はベンチ上のスタンド最前列で、雨の中でも声援してくれていた。そんな思いに応えるべく我々メンバーは必死に戦った。手薄だった投手陣では、4年春まで殆どリーグ戦で登板の無かった同期の松本投手がエースとなり大活躍、春は繋がりを欠いた打撃陣も奮起した。個々が役割を全うし、同じ方向を目指して戦い続けた結果、勝ち点5の完全優勝、そして明治神宮大会優勝し、有終の美を飾ることが出来た。そして、スタンドの塾生、応援指導部、家族、ファンの皆様に優勝という報告が出来たのが何よりの喜びであった。

今でも思い出されるのは、リーグ戦の各試合の内容よりも、あの夏のミーティングとその後の夏季練習、そしてチーム全体の思いが実を結んだ優勝の瞬間である。チームとして戦う事の大切さを再確認し優勝までの道のりを共に歩んだ同期に感謝し、前田監督の教えである「エンジョイベースボール」を経験させてくれた神宮球場に感謝したい。

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TOKYOROCKS2020 秋季号外 第7週 2020年10月28日掲載

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「コロナ禍の東京六大学野球」

東京六大学野球連盟は日本国内でも新型コロナウイルス陽性者が増加していた3月6日に理事会を開催して4月11日開幕予定の春季リーグ戦を開催すべく準備を進めると発表した。感染が拡大していく中、4月5日に臨時理事会を開催して5月下旬に開幕を延期して1試合総当たり制で開催することを発表したが、翌々日の7日に緊急事態宣言が発出され、国内のイベントは全て開催出来ない状況となった。

5月6日までとなっていた緊急事態宣言が解除されず延長となったことを受け、5月13日に臨時理事会を開催して5月のリーグ戦開始を断念し、8月に春季リーグ戦を開催することを模索する決定をした。国内感染状況が落ち着きをみせた7月10日に理事会を開催して「新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン」を策定の上で8月10日に春季リーグ戦を開幕することを決定した。

真夏の春季リーグ戦は全国25の連盟の春季リーグ戦が中止された中、観客の上限3,000人として開幕、1試合総当たりで9日間(1試合順延)連続の開催であった。連盟の役員、選手はもちろんのこと、観客の皆様に検温の協力をお願いして、プロ野球、Jリーグ、大相撲以外で観客を入れての試合開催は六大学が初めてだった。

連盟は8月17日に理事会を開催して秋季リーグ戦を9月19日から8週間、10試合制で開催することを発表し、観客の上限も5,000人として外野席に応援団(部)スペースをとってどこよりも早く感染対策を講じた上で応援団の入場を認めた。その後10月17日から観客の上限を10,000人に増やした。

秋季リーグ戦も終盤を迎えていますが、各校の努力で感染対策を十分に行い11月8日の最終日まで無事に終われることを願うばかりです。

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TOKYOROCKS2020 秋季号外 第6週 2020年10月21日掲載

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このコロナ渦の中で全国唯一、東京六大学野球春季リーグ戦が開催されたことに、六大学野球連盟をはじめ、他の五大学には心より感謝致します。そして、37年ぶりに母校のユニホームに袖を通させて頂いたことを嬉しく思います。
私はプロ野球で13年、社会人野球で9年、コーチとして野球に携わり続けてきました。これまでに得た経験と知識を後輩たちに継承するとともに、野球を通して社会で必要とされる人間へと成長できるよう尽力して参りました。
今年の法政のチームスローガンは「和」です。このスローガンのもとチーム一丸となって戦ったことが春のリーグ優勝へと繋がったと考えています。

東京六大学野球は我々の人生の大きな礎を築いてくれるものであると思います。
私自身、4年秋に経験したリーグ優勝や優勝パレードは今でも最高の思い出として鮮明に脳裏に焼き付いています。
私がこの六大学野球で得た経験を今の学生たちに経験させてあげることが使命であり、東京六大学野球に新たな歴史を刻むとともに、発展させていくことができると信じています。
最後に、私は東京六大学野球を心から愛し、感謝しています。

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TOKYOROCKS2020 秋季号外 第5週 2020年10月14日掲載

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宮崎の高鍋高校から明治大学へ進学し憧れの地である神宮球場で東京六大学野球を学ぶことができたことは私にとって大きな財産である。高校の同期で法政大学に進学した横山が1年の春から神宮球場で活躍する姿を見て刺激を受けたことを今でも覚えている。彼の姿に後押しされ私は1年の秋から出場機会に恵まれた。4年時には私も横山も主将となりこの伝統ある東京六大学で高鍋高校から同時期に二人の主将が誕生した。翌年の早稲田大学の主将も高校の先輩である黒木省一郎さんが務められた。1学年下の芝も法政大学の副主将、3学年下の黒木研二も明治大学で主将を務めた。先輩や後輩の活躍は自らを奮い立たせてくれた。

宮崎で育った私は東京六大学で自らの力を試したかった。高校の先輩から明治大学の伝統と島岡監督の指導をよく耳にしていた。人間力を重んじる明治大学のスタイルに憧れた。厳しさとやさしさを兼ね備え、全ての選手にチャンスを与える明治大学の指導方法はまさに私の目指すところであった。一度のチャンスを逃すと二度目のチャンスは巡ってこない。チャンスを活かすことができると大きな信頼を勝ち得る。私はチャンス、ピンチが大好きだった。大学を卒業して30年以上経つが明治大学で学んだことが私の支えになっており、未だに大学時代を超えるような出来事に遭遇していない。島岡監督の下、先輩、同期、後輩と過ごした4年間は私にとって財産である。

神宮球場には不思議な魅力がある。球場に足を踏み入れるとからだが軽くなり、いつも以上にスピードが出る。肩が強くなる。強い打球を打つことができる。集中力が増す。こんな環境で野球ができたことに感謝している。現役の選手達もこの神宮球場で多くのことを学んでもらいたい。

来年は延期となった東京2020大会が開催される。野球・ソフトボール競技の会場責任者である私は、東京2020大会が世界の人々に共感を与え、多くの方々が熱狂することを楽しみにしている。スポーツの素晴らしさを伝えていきたい。

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TOKYOROCKS2020 秋季号外 第4週 2020年10月07日掲載

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私は昭和55年(1980年)早実から早稲田大学に入学しました。3年時からはセンターとしてレギュラーに定着するようになりましたが、3年秋のシーズンは極度の打撃不振に陥り、3カード目からは1年生の湯川選手(大阪ガス)にレギュラーを取って代わられてしまいました。湯川選手の活躍もあり、リーグ戦が進むに連れても私の試合出場機会は一切やってきませんでした。

3年時の1982年は、のちに多くのプロ野球選手を輩出した強豪法政大学と明治大学相手に早稲田大学が優勝を狙うことは非常に困難な状況でした。そんな中でも木暮投手(東芝)と岩下投手(東京ガス)の3年生投手2枚看板の活躍で、春は法政大学に次ぎ2位、秋は最後の早慶戦で1勝すれば優勝という位置につけることとなりました。

早慶戦1回戦は投手戦となり、8回終わって2対3で慶応大学リードのまま9回表の早稲田大学の攻撃となりましたが、それも2アウトランナーなし、あと一人でゲームセットという崖っぷちとなりました。ところが相手投手がそこから突然フォアボールを2つ続け、2アウトランナー1・2塁となり、バッターはピッチャーながら打力はチームトップクラスの木暮選手でした。ここでベンチが動き「代打、阿久根!」となりました。チームトップクラスの打力の木暮選手に不振で使ってもらえていない阿久根が代打?自分でも頭の整理がつかないまま打席に。結局その後私の左中間タイムリー2ベースで逆転し、早稲田大学創立100周年での優勝に至りましたが、今だに自分では「なぜあそこで自分が代打?」と思っていました。

実はこれには裏話がありまして、不振に陥った私は毎晩講堂にて現早実野球部監督の和泉選手と1000本の素振りを繰り返していましたが、これを当時の4年生は皆知っていたそうで、4年の安部主将(電通九州)が私の代打を宮崎監督に進言してくださったということが後からわかりました。逆転タイムリーは私一人の力ではなく、私を信じてくれた先輩やチームメイトの力で打てたのだと今でも本当にそう思っています。みなさんも自分とチームメイトを信じて、神宮でご活躍いただきたいと思います。

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TOKYOROCKS2020 秋季号外 第3週 2020年09月30日掲載

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40年前、内野手として立教大学野球部に入部した私は、毎日生き抜くことに必死でした。入部当初30名ほどいた同級生は数ヶ月後には半分になっていました。退部した者はただの一人もおりません、「脱走」したのです。
「脱走」という言葉は、軍隊や刑務所から逃げ出す時に使われる言葉ですが、まさに、当時は「脱走」という言葉が当てはまる環境でした。現代では想像できないような行き過ぎた規則や上下関係が野球部の慣習として残っておりました。さらに、当時の立教大学はスポーツ推薦入試制度が一切無かったため、他大学との技術的な差がかなり大きい時代でした。
しかし、練習量をこなすことで少しずつ勝利できるようになり、昭和55年には深井隆(東農大二・エネオス)・野口裕美(米子東・西武ライオンズ)両投手の活躍もあり、春秋連続で2位になることができました。ただ、当時は選手不足であったため、一人の投手が何イニングも投げ、最少失点で勝つという戦い方でした。そんな中、同級生の安蒜一則投手がスターであった早大の岡田彰布(阪神)選手相手に球種・コースを宣言して投げ、打ち取ったことは痛快な出来事として記憶に残っています。

それから時が経ち、平成28年に公式記録員として久々に神宮球場に戻りましたが、あまり起こらないだろうと予想していたランナー追い越し、打撃妨害、ワイルドピッチなどのプレーが頻発し、記録をするのに四苦八苦しました。他大学記録員の落合紳哉(明大)、鈴木則久(法大)、石渡明(東大)、相澤佳則(早大)、奥村昭雄(慶大)諸氏には不慣れな私をバックアップしていただき本当に感謝しております。
現在は立大のグラウンドでコーチとして選手とともに汗を流す日々です。プレースタイルは大いに変わりました。ご法度だった逆シングル、ジャンピングスロー、フライ片手捕りは当たり前です。技術論はかなり進化しました。
それでも、神宮には必死に野球に向き合う選手たちの情熱が脈々と続いていることを実感します。
これからも各校が母校の名誉をかけ、大いに名勝負を繰り広げる事を期待します。

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TOKYOROCKS2020 秋季号外 第2週 2020年09月23日掲載

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四月十一日に開幕予定であった春のリーグ戦は、コロナ禍のため四カ月遅れの八月に総当たり一回戦制で行われた。これは終戦直後いち早くリーグ戦が復活した一九四六年春以来、七四年ぶりのことだ。順位は法・慶・早・立・明・東。スポーツ大会が軒並み中止される中、全国二五連盟がある大学野球では東京六大学のみが開催された。しかも無観客ではなく神宮球場・定員三万四千人の約一割に当たる三千人の観客制限を設け、早慶戦の前売券は完売した。

 東京六大学連盟は八百名の部員達を感染の危険から守るために「合宿所で外部と接触しない」「ビュッフェスタイルの食事を避ける」「球場への往復はチームバスで」など感染対策の指針を策定し、各校はこれを遵守した。さらに球場入口で入場者の体温測定、部外者と接触しないよう、部員達の動線や待機場所などを工夫した結果、選手・観客を感染の危険から守ることができた。

 タイブレーク制が適用されるなど、新しいことずくめの春のシーズンだったが、応援団の参加が自粛されたことで、東京六大学野球が応援団と一体であることを改めて痛感した。春のリーグ戦では試合開始前と終了後に大スクリーンに校歌とリーダーのエールが投影された。そして通常のリーグ戦のようにエール交換が終わるまで球場に留まっていた観客も多かった。

 日頃の練習の成果を披露できなかった各校応援団リーダー達の残念な思いが、八月の朝日新聞デジタルに連載された。秋のリーグ戦は二回戦総当たり、春と同様の厳戒態勢のもと各校十試合の勝率制で争われる。春は無人だった外野席に、リーダーやブラスバンドが登場するのを期待している。

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
野球部OBや関係者からのメッセージをお届けしています。