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JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS2023 秋季号外 第8週 2023年10月25日掲載

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私が早稲田大学野球部に入部させて頂いたのが平成元年。当時の石井連藏監督からの教えが今の私の礎となっています。

“プロ野球は選ばれし一流選手の中で更に努力をした人だけが成功する世界。しかしながら、アマチュア野球は、不器用でも、ただただひたむきな努力を続ければ、アマチュア野球での一流選手になれるのだ”

兵庫県の無名な県立高校から入部した下手くそな私は、この石井連藏監督からのお言葉を日々自分に言い聞かせ、困知勉行を続けました。ベンチにも入れてもらい、試合にも出ることが出来ました。自分では出来る限りのことはやり尽くしたと思っていましたが、ただ、改めて4年間を思い返すと「もっともっと努力出来ていたはず。。。」と後悔の念に駆られるのが隠さぬ正直な気持ちです。

早稲田大学野球部の4年間で、「強いチームを作るためには、神宮球場で試合に勝つためには、その中で自分がチームに貢献できることは何か」ということを考えることが出来るようになりました。今は、ある企業の役員をしていますが、故石井連藏監督からの教え、早稲田大学野球部での経験が経営のベースになっています。会社の組織作りも野球のチーム作りと同じ。全員がベンチ入りし(ユニフォームを着て)、試合に出られる訳ではないが、ベンチに入れない社員(選手)も仲間であり、夫々に唯一無二の役割があり、そこに存在価値が生まれます。如何に高いモチベーションを保ち、各々の社員(選手)が質の高いパーフォーマンスを発揮することが出来る環境を作れるか、私の仕事(役割)はそれだけだと思っています。

日本の野球界を牽引してきた東京六大学野球を卒業した選手は、きっと、色々な形で世界の経済発展にも貢献していると思います。早稲田大学野球部で学んだことを人生の礎として、高遠之理想、誠実な心で、豊かな未来を創造することに努め、後輩達と一緒に、人類と社会の発展に寄与し続けていきたいと思います。

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TOKYOROCKS2023 秋季号外 第7週 2023年10月18日掲載

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「球都」桐生市でオールスター戦の開催

昨年から復活したオールスター戦はこの夏、群馬の「球都」桐生市で開催されました。8月26日、明大、早大、立大の赤城ウィンズと慶大、法大、東大の渡良瀬ストリームズが対戦し、七回表に夏の群馬名物の雷雨に見舞われ7回表1死で降雨コールドゲームとなり6対3で渡良瀬ストリームズが勝ちました。会場の小倉クラッチスタジアム(桐生球場)の開設以来最多の5,039人観客の皆様が来場し、各校の応援団も参加して大いに盛り上がりました。
翌27日には同球場で桐生市内の高校生を対象にした野球教室を開催しました。市内の桐生商業、桐生工業、桐生第一、樹徳の4校の野球部員70名が参加して、六大学のレギュラー選手たちと一緒にシートノックを受け、バッティングを体験して有意義な時間を過ごしました。
オールスター戦前の8月20日には神宮球場で恒例の少年少女野球教室を東京都軟式野球連盟に所属する14チーム、約200名の小学生を対象に開催しました。当日は六大学各校の主将をはじめ主力選手が講師となって、ウオーミングアップから、各ポジション別の練習など3時間に渡って行われ、野球教室終了後には記念撮影をして終了しました。天候にも恵まれ楽しい一日でした。
来年の夏も神宮球場で少年少女野球教室を開催し、オールスター戦は北広島市のエスコンフィールドで開催を予定しております。

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TOKYOROCKS2023 秋季号外 第6週 2023年10月11日掲載

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「六大学野球部員のキャリア支援」

慶大OBではあるが、ご縁あって六大学全野球部員のキャリア支援を10年近く行っている。内藤事務局長のご理解と後押しもあり、今や連盟内の公式行事として恒例化しているものだ。
きっかけは、私自身の反省と後悔。就職氷河期であった25年前、右も左も分からぬまま春季リーグ戦真っ最中に就職活動を経験した身であるが、“反省”とは、新卒で入った会社を6年で辞めて異業種への転職、そして起業をした身ゆえの“当時の自己分析や企業研究の不足”を指し、“後悔”とは、“若いうちに海外を経験し、語学力や異文化コミュニケーションを身につけておきたかった”という思いを指す。
仕事柄、多くのトップアスリートの人生をそばで見ているが、競技を終えた後の“ネクストキャリア”を満足なものにしている方はそう多くはない。そんな課題を目の当たりにする中、アスリートが現役であるうちから競技を離れた後の人生を少しでもリアルに意識してもらいたい願いと、私自身や諸先輩方の反省や後悔(失敗も)、そして社会で知り得た現実を(お節介ながら)後輩たちに伝えてあげられないかと、毎年「就活スタートガイダンス」や「業界・企業研究会」を全ての新4年生向けに、またドラフト会議指名選手には「プロ進路選択者向け研修」を連盟の公式行事として開催させて頂いている。
一方、野球人口が減少の一途を辿っているという、我々にとって望ましくない未来予想図が叫ばれて久しい。六大学OBがプロ野球選手として華やかな舞台で活躍し、子供達へ夢を与えることにも期待したいが、子供たちに『競技の選択肢』を最初に示す親や保護者たちは、その競技を通じての心身育成、人間形成、キャリア形成も実は見ている。言葉が少し厳しいが、野球だけをやっていればなんとなる時代ではもうない。野球を通じて何を学び、何を身に着けて、どう社会で活かせるか、どう社会で生き抜くかを意識し、野球に向き合っておくことがこの令和の時代ではますます重要になってくるのではないか。
母校目線の風景、六大学目線から見る景色、様々な眺めがあるが、日本の野球界を牽引し先導してきた東京六大学が発信するメッセージは先進的且つ未来志向であってほしい。そのために出来る協力を、キャリア支援を通じて微力ながらやっていければと思っている。

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TOKYOROCKS2023 秋季号外 第5週 2023年10月4日掲載

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私が立教大学野球部に入部したのは、小学生の頃、野球観戦が大好きな父が神宮球場へ立教大学対明治大学の試合を見に連れて行ってくれた事が大きなきっかけとなりました。立教大学の三塁手長嶋茂雄さんのプレーを見て、凄いな、格好いいなと思い憧れを持ち、いつしか私の夢となって、あの長嶋さんが守った立教大学の三塁手になりたいと強く思うようになりました。幸いにして私の兄二人が立教中学に入学しており、父のお陰で私も立教中学に入学する事ができました。中学、高校と野球部に入部しましたが当時の野球部はレベルが低く、大学野球部には立教高校出身者は一人も在籍していない状況でした。私が昭和四十三年度に立教大学野球に入部した時の東京六大学野球はもの凄くレベルが高く、各校の上級生には、早稲田は荒川さん、矢沢さん、慶應は藤原さん、成田さん、明治は高田さん、星野さん、法政は田淵さん、山本浩二さん、山中さん、東大は橘谷さん、立教も小川亨さん、谷木さんと他にもお名前を挙げるときりがない位大勢の素晴らしい選手がおられ、その殆どの方が後にプロ野球や社会人野球で活躍された方たちであり、とんでもない凄いところに入ってしまったと実感した事を思い出します。

「この道は君が選んだ道、果てしなく遠い迷いの道、全力を傾けて迷いたまえ」との言葉で我々を励まし導いてくださったのが当時の野球部長であった野口定男先生でした。その言葉を胸に努力し四年生の春季リーグの開幕戦に夢であった三塁手として先発出場する事ができました。ただ残念なのは志が低かったのか出場を果たしたことで満足してしまい、思うような活躍ができず、そのうちにレギュラーから外されるようになった事です。少し腐り迷ったこともありましたが、何とか努力を続けた結果、四年生の秋季リーグ最終戦の東大戦に運よく先発出場させて頂く事ができました。何とその試合で一年後輩の後に巨人軍ドラフト一位になった横山忠夫くんがノーヒットノーラン試合を達成したのです。その試合に参加できたことが私の貴重な経験として思い出に残っています。そして四年の送別会の時、野口先生が私の手を両手で握り、君は社会に出ても必ず成功するから頑張りなさいと声を掛けて下さいました。そんな素晴らしい恩師である野口先生に巡り会えたことを深く感謝しています。その後明治生命に入社し社会人野球を経験し、OB会、後援会活動に携わり最後は野球部長を務めさせて頂きました。野球部長として選手発掘のため神宮球場へ足を運ぶようになり、その時に立教大学の元野球部監督でOB会長であった横川賢次さんに声を掛けられ、OB会の手伝いをしているうちに先輩理事を任されるようになり、先輩理事12年目を迎えております。

私の回顧録の様になりましたが、立教大学の野球部に入部して鍛えられ成長させてもらった事、そして東京六大学野球で貴重な経験と沢山の思い出を作れたことを感謝するとともに、先輩、同僚、そして後輩と素晴らしい仲間ができたことを嬉しく思っています。今年も十月に三十六名が集まり東京六大学野球の同期会を開催します。これからも私の現在の座右の銘である「至誠惻怛」すなわち目上には誠を尽くし、目下には慈しみを持って接する心を持ち、立教大学野球部と東京六大学野球の発展に微力ながら少しでも恩返しができればと考えています。特に2025年には東京六大学野球連盟結成100周年を迎えますので関係者の皆様と共に祝い盛り上げていきたいと思っています。

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TOKYOROCKS2023 秋季号外 第4週 2023年9月27日掲載

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恩返し

野球の魔力に取りつかれた一人として自らを振り返ってみると、そのめぐり合わせに感嘆し、そして感謝をするばかりである。
大学一年の夏、練習中の左手親指骨折を機に、自ら希望してマネージャーになった。練習についていくことだけにアップアップの自分であったから、そのまま選手として続けていても、ものになることはなかったであろうと思う。
マネージャーになった途端にチーム全体のことを考え出した。もちろんそれまでも東大の勝利を心の底から懇願し、強豪の他大学に堂々とわたりあう先輩たちの勇姿に一喜一憂していたわけだが、肝腎の、チーム全体のために自分はどうしたら良いのかということが全く抜け落ちていた。マネージャーという立場はいやがおうにもチームの勝利に向けて、その運営のなかで自分は何をしたらいいのかを考えざるを得ない。実に様々な経験をさせてもらった。その後社会人になってからの自分の組織論のコアにこれらの経験が生き続けている。

そしてまた、同期、先輩、後輩、実に立派な選手がそろっていた。技量のレベルも高かったが、チームのなかでの役割を皆よく自覚していた。三シーズン務めることとなった主務の間、一度も最下位になることなく、たびたび勝利の喜びを分かち合うことができた。感謝しかない。
究極のめぐり合わせで、この春、OB会長を拝命した。恩返しの機会を得たことに感謝しつつ微力を尽くしたい。

現在のチームは、マネージャーも男女各学年にかなりの厚みがあり、学生コーチ、アナリストも充実している。フォア・ザ・チームが自律的に浸透しているといっていいのだろう。
神宮球場という聖地において存分に力を発揮してほしい。そして六大学という素晴らしい仲間、心・技・体に優れた選手同士の切磋琢磨ができるということに、存分に喜びを感じてもらいたい。
そしてもちろん、勝利を手にし、高みを目指してもらいたい。そのことが六大学への最高の恩返しとなるに違いないのだ。

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TOKYOROCKS2023 秋季号外 第3週 2023年9月20日掲載

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”なんとかせい”

今から37年前の1986年秋季リーグ戦の神宮球場、その日私は明治大学野球部の故島岡吉郎監督の伝令役として神宮のマウンド上に駆け上がった。そしてピッチャーや集まった内野手に「御大が”なんとかせい”と、、この窮地を脱してこいとのことです。。。」との言葉を残しベンチに戻った。

この ”なんとかせい” は故島岡吉郎監督がその試合の大事な局面などでよく選手を鼓舞するときに発する言葉であった。当時の明治大学の人間力野球を象徴する言葉でもあったように思う。
いまの時代で考えるとこの“なんとかせい”は、“”この局面をなんとかマネジメントしてこい“”という意味に解釈できる。

大学卒業後社会に出てからは、この言葉を見聞きすることはあまり無かったが、私の現在の仕事である中小企業の経営に携わるようになって物凄く有難い宝物のような言葉となっている。

今日も、自分自身に伝令だ。

"なんとかせい”

明治大学野球部時代のいまだに記憶に新しい刺激的な4年間、ひいては東京六大学野球リーグで野球を続けさせて頂けた全てに心より感謝です。

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TOKYOROCKS2023 秋季号外 第2週 2023年9月13日掲載

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今、感じること

私は、東京六大学野球連盟の公式記録員、法政大学野球部OB(1993年/平成5年3月卒)の鈴木則久です。今年で9年目になります。また、今秋リーグ戦の開幕月である9月で53歳となりました。
法政大学野球部を卒部してから30年が経ちました。今、公式記録員として東京六大学野球に携わることが出来て、とても有り難く幸せなことであると強く感じています。大学まで野球を続けさせてくれた両親、そして入部を受け入れていただいた法政大学野球部に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

公式記録員は、審判員の方々と各校のマネージャーたちと協力し合いながら、リーグ戦を運営しています。公式記録員席の目の前で繰り広げられる選手たちの一投一打からは、自身の選手・指導者時代には感じることの出来なかった新たな学びの連続です。
例えば、試合のスピードアップが社会人野球と大学野球において(令和元年6月9日通達より)特別規則として適用されています。その中で、「投手は(中略)、走者がいない場合には12秒以内に、走者がいる場合は20秒以内に投球しなければならない。(以下、略)」と時間が明記されていますが、攻守交代をスピーディーにすることも大事です。いかに速く攻撃の準備に入るか、いかに速く守備の準備に入るか。それは攻守において好プレーを生み出し、チームを勝利に近づける要因の一つになっていると断言出来ます。
そのいかに速く準備をすることの重要性は、自身の平時の仕事にも通じ、大いに役立っています。

秋のリーグ戦は、毎年のことではありますが、最上級生である4年生たちにとっては大学野球のラストシーズンです。春とは違った4年生たちの集大成を懸けた大学野球ならではの熱いリーグ戦となります。
また、スタンドには多くの高校球児の姿が在ります。その目的は、少しでも野球(技術)が上手くなるために、そして甲子園出場につなげるためです。東京六大学野球から少しでも多くのことを学ぼうとするその眼差しと、ノートとペンを持ったその姿はとても真剣です。
六大学の選手の皆さんには、皆さんがそれぞれに体験してきた高校球児の先輩として高校球児たちのお手本となるプレーと立ち振る舞いをお願いします。その姿を高校球児たちが観て、「東京六大学で野球がしたい」と一人でも多く感じてもらえることが東京六大学野球の発展にもつながっていくからです。

2年先の2025年(令和7年)に東京六大学野球連盟は100周年になります。これまで各六校の諸先輩方が積み重ねてこられた一試合一試合、一つ一つのプレーと記録があります。
そして、これから刻まれていく選手たちの一投一打を的確にジャッジし、その記録をスコアシートに丁寧に見やすく分かりやすく記入していきます。

最後に、東京六大学野球連盟の公式記録員の私を、いつも応援してくれている家族に感謝の気持ちを記します。ありがとう。

令和5年秋季リーグ戦の開幕日に寄せて

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
野球部OBや関係者からのメッセージをお届けしています。