私の東京六大学野球と神宮球場の思い出と言いますと,小学4年生に遡ります。
5年前に他界した兄春記(慶大野球部OB,昭和45年卒,元東京六大学野球連盟先輩理事)が大学4年生で活躍している姿を応援に行き,「自分も大学生になったらここでプレーしたい」と思って観ておりました。当時は各大学にスター選手がたくさんいて,後に自分が進むことになります法政大学には,山中正竹投手(現法友野球倶楽部会長)がリーグ最多の48勝に突き進んでいた時代でした。
小学生の時には慶應にも憧れましたが,自分が選んだのはオレンジ色の法政大学でした。法政二高から法政大学に進み,甲子園経験者やプロ注目の選手が多数入学して来ました。金光さんや江川さんの花の49年組と言われた先輩が卒業され,各大学の実力が伯仲し,優勝争いは混とんとしていました。
私は元気だけが取柄で,実力は大したことはありませんでしたが,強いチームの一員として4年間,ボールを捕り続けた“壁”であったことを誇りに思います。同期の川端(広島),池田(阪神他),和田(昭和59年卒)各投手たちが神宮球場のマウンドで活躍してくれることに,喜びを感じておりました。混戦リーグが続く中,3年秋と4年秋に優勝出来たこと,そのチームを支える一員であったことは,後に社会人野球に進んでから大きな自信と力になりました。
また,野球部の活躍には,スタンドで常に大きな声で声援を送ってくれる応援団の皆さんの力が,大きかったことは言うまでもありません。4年生の時,高校野球部の同期が応援団長になり,団員の皆さんが統制のとれた応援で学生応援席をリードする,グランドと学生応援席が一体となり,勝っても負けても最後はしっかり相手にエールを送る。この姿は今も神宮球場で受け継がれている東京六大学の素晴らしい歴史と伝統のひとつであると思います。
我が母校の校歌の一節にあります,“良き師良き友集い結べり”のとおり,卒業後,法政だけでなく六大学出身の多くの皆さんと友人,仲間となることが出来たのも,神宮球場の繋がりであり,今でも感謝しております。