神宮を離れて神宮を想う
「ベンチの座り心地はどうですか?」と部長に就任した直後に聞かれたが、それは野球部長の重責についての質問だったのかもしれない。第20代野球部長として12年と2ヶ月、慶應のベンチを温めてきた。厳密に言うと、試合が始まってからベンチで座っていたことはないので、温めてはいない。「なぜ座らないのですか?」と聞かれると、恥ずかしいので「選手が大きくて試合の進行が見えないから」と答えてきた。本当は選手が頑張っているのに自分が座っていたら士気に関わると、勝手に思っていたからである。大人しく座っていてくれればいいのにと、選手にとっては迷惑な話だったかもしれない。
「ベンチからだと試合がよく見えていいですね」と言われることも何度かあった。いや、見えすぎてしまうのである。打ち込まれてマウンドから降ろされたピッチャーや、サヨナラ負けした後のうなだれた選手たちの顔は忘れられない。「明日があるぞ」と言っていた自分の顔こそ蒼白であったかもしれない。頑張っている選手よりも、我が身を切られるように辛いこと、それが神宮での負けである。野球、特に学生野球は勝ち負けがすべてではないとも言われるが、ゲームの最後、グラウンドには確かに勝者と敗者がいる。
「母校の応援は聞こえていますか?」と応援指導部の方に聞かれたことがある。もちろん母校の応援にはいつも力づけられてきた。神宮での野球の素晴らしさはその応援であり、グラウンドとスタンドがプレーと応援で一体になるのが六大学野球である。コロナ禍での神宮は、その真の力を発揮していなかった。一方で相手校が得点した時の応援の凄さは耳ではなく、体を直撃する。球場が揺れ、重低音が体を貫く。一時期、早慶戦の際に、大きなラッパ(おそらくはスーザフォンという楽器?)をスタンドに入れる台数は規制すべきだとかなり真面目に思っていた(これは負けが込んでいた時のぼやきではある)。しかしその重低音がなくなると、なんとも寂しいのである。もちろん早稲田の重低音を楽しみにしてはいけないのだけれど。
早慶戦の季節がまた来る。冷静に観戦するなんて、私は一体いつになったらできるのだろうか?