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JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS2023 春季号外 第8週 2023年5月24日掲載

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神宮を離れて神宮を想う

「ベンチの座り心地はどうですか?」と部長に就任した直後に聞かれたが、それは野球部長の重責についての質問だったのかもしれない。第20代野球部長として12年と2ヶ月、慶應のベンチを温めてきた。厳密に言うと、試合が始まってからベンチで座っていたことはないので、温めてはいない。「なぜ座らないのですか?」と聞かれると、恥ずかしいので「選手が大きくて試合の進行が見えないから」と答えてきた。本当は選手が頑張っているのに自分が座っていたら士気に関わると、勝手に思っていたからである。大人しく座っていてくれればいいのにと、選手にとっては迷惑な話だったかもしれない。

「ベンチからだと試合がよく見えていいですね」と言われることも何度かあった。いや、見えすぎてしまうのである。打ち込まれてマウンドから降ろされたピッチャーや、サヨナラ負けした後のうなだれた選手たちの顔は忘れられない。「明日があるぞ」と言っていた自分の顔こそ蒼白であったかもしれない。頑張っている選手よりも、我が身を切られるように辛いこと、それが神宮での負けである。野球、特に学生野球は勝ち負けがすべてではないとも言われるが、ゲームの最後、グラウンドには確かに勝者と敗者がいる。

「母校の応援は聞こえていますか?」と応援指導部の方に聞かれたことがある。もちろん母校の応援にはいつも力づけられてきた。神宮での野球の素晴らしさはその応援であり、グラウンドとスタンドがプレーと応援で一体になるのが六大学野球である。コロナ禍での神宮は、その真の力を発揮していなかった。一方で相手校が得点した時の応援の凄さは耳ではなく、体を直撃する。球場が揺れ、重低音が体を貫く。一時期、早慶戦の際に、大きなラッパ(おそらくはスーザフォンという楽器?)をスタンドに入れる台数は規制すべきだとかなり真面目に思っていた(これは負けが込んでいた時のぼやきではある)。しかしその重低音がなくなると、なんとも寂しいのである。もちろん早稲田の重低音を楽しみにしてはいけないのだけれど。

早慶戦の季節がまた来る。冷静に観戦するなんて、私は一体いつになったらできるのだろうか?

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TOKYOROCKS2023 春季号外 第7週 2023年5月17日掲載

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2019年までのリーグ戦に戻りました!

2020年秋季より応援団(部)による応援は応援団(部)活動エリアとして観客の皆様の立ち入りを禁止していましたが、今シーズンより従来の東京六大学野球のスタイルに戻り観客の皆様と応援団(部)が一緒に応援する応援席を復活することとしました。
新型コロナウイルス感染症について、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律第44条の2条3項の規定に基づき、厚生労働大臣から、令和5年5月7日をもって同法の新型コロナウイルス等感染症と認められなくなる旨が公表されこれに伴い令和5年5月8日に同法の5類感染症に位置付けられることになりました。このため「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」が廃止されました(令和5年4月27日政府対策本部決定)。これに伴いイベントの開催制限、施設の使用制限、業種別ガイドライン等の取組も廃止され、よって当連盟による「新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン」を廃止いたしました。

春季リーグ戦第6週より完全に2019年までのリーグ戦運営に戻りました。

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TOKYOROCKS2023 春季号外 第6週 2023年5月10日掲載

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令和4年12月31日。52歳で卒業。

私が子供の頃から続けてきた、野球を卒業することになった日です。
小学校から野球を始めて以来、中学、高校そして憧れて入学した東京六大学の明治大学。
野球が好きで私の人生の半部以上を占めるこの野球に没頭できたことに感謝しています。

平成元年、私が明治大学の野球部に入部した年の4月11日、明治大学野球部に人生をかけられた島岡吉郎監督がご逝去されました。実際にお会いすることは出来ませんでしたが、当時1年生の私たちにとって、その年の東京六大学春季リーグ戦に懸ける先輩方(特に4年生)の姿は今でも脳裏に焼き付いております。結果は春季リーグ戦3位で終わりましたが、先輩方の魂を込めたプレーを体現化出来た平成4年春季リーグ戦(自身が4年次)で別府監督、国分助監督、川口コーチの下、11シーズンぶりの優勝を成し遂げることが出来ました。その時の先輩方が喜ばれている姿に凄く嬉しくなったことを思い出します。私自身は、4年次にレギュラーとして出場することは出来ませんでしたが、今振り返ると、その時の経験が、その後の私の野球人生に大きな意味を持っているような気がします。
社会人野球でJR九州野球部に採用して頂いて以来、選手9年、コーチ13年、監督7年、29年間もアマチュア最高峰の社会人野球に携わることが出来たのも、明治大学野球部に入学させて頂いて、勉強させて頂いたおかげであると思っています。
今後、更なる高みを目指している明治大学野球部の一卒業生として今後もしっかりと感謝の気持ちを持って歩んで行きたいと思います。
東京六大学野球連盟が大学野球の先頭を走りながら、見る人たちに感動と勇気を与えられるよう野球を目指してほしいと思います。

明治大学野球部のOBで良かった。今、正直にそう思っています。感謝!

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TOKYOROCKS2023 春季号外 第5週 2023年5月3日掲載

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「連盟100周年に向けての応援」

東京六大学野球連盟は2025年にいよいよ創立100周年を迎える。10数年前から各大学が創部100周年を迎えていたが、その総集約ともいうべき節目が訪れようとしている。周年行事は、その来し方を共に懐かしむと同時に、その道程を支えてこられた方々に謝意を表する祝賀の機会であろう。ただ、ここ10数年に遭遇した東日本大震災とコロナ禍の経験は、野球界も社会現実の中にこそあることを改めて思い知らされることになった。少子化の影響で野球人口の減少が進行しつつある背景も念頭におけば、野球の価値がいかにして社会から認められるのか、それゆえに野球をどのように社会に発信していくか、新たなステージを目指していろいろな知恵や工夫が求められているように思われる。その点で、WBCでの優勝は、さまざまな示唆を与えてくれた。100周年を契機にして、東京六大学野球連盟には新たなステージに応えていくリーダーとしての役割が期待されている。

連盟もこの10数年、社会に開かれた野球に向けて、いろいろな活動を展開している。フォーマルには、オールスターゲームや少年少女野球教室の開催、新人研修会の実施、マザーズデイの設定、野球ゼミナールの開講などである。インフォーマルには、毎試合前後のスタンドに向かっての挨拶もその一環だろう。東大から始まりそれに明治が続き、それ以降各大学に伝播していった。リーグ戦最初の試合前と最後の試合後、応援団にだけの挨拶だった時代に比べれば、応援してもらえるファンを大切にする姿勢がはっきり表れるようになった。観戦を楽しんでもらうための神宮球場の電光掲示板や各校広報誌の工夫さらにはインターネットでの中継も面白くなっている。

応援される側から応援する側に立場が変わって、改めて応援できることの幸せを感じるようになった。その応援には、チーム内にあってはライバル意識とチームワークとの相対する課題に日々取り組んでいる部員たちへのリスペクトがある。秋のシーズン、4年生が優勝がなくなった試合後ロッカールームで流す涙へのリスペクトもある。母校を応援しつつも対抗戦として切磋琢磨できるよきライバル校へのリスペクトも、当然のことながら含まれる。フェアプレイの精神を大切にし、野球をとことん楽しみ、文武両道をつらぬき、そしてそこから人間力を鍛錬しようとしているライバル校。各校へのリスペクトは、試合前後のエールの交換が象徴するように、応援団(部)の礼をもって代表してもらっている。その応援団と一体になれる応援席が今シーズンから復活したのは、実に嬉しいことである。

母校の応援のはずが、不思議なことに自分が逆に励まされていることがある。若い選手たちの真剣なプレー、ドラマチックな試合展開は、魅力的な緊張感を与えてくれる。熱戦は応援を熱くし、母校への愛着を深める。歓喜に包まれる優勝は生涯の思い出にもなる。勝っても負けても応援できるチームがあり、応援したい選手がいることは、人生にこの上ない幸せな趣味を恵んでもらった。本当にありがたいことだ。

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TOKYOROCKS2023 春季号外 第4週 2023年4月26日掲載

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昭和38年から41年迄、東京六大学リーグの野球部員として神宮球場で野球をやらせていただきました。その間でいちばん記憶に残っているのは、昭和40年12月にマニラで行なわれたアジア野球選手権大会に選手の一員として参加したことです。石井藤吉郎監督の下で優勝した早稲田の選手をメインとして、他の5大学から1~2名補充というチーム構成でした。安田球場で練習をして、他の大学リーグ選抜軍と大会出場権を争い、マニラで韓国、台湾、フィリピンとアジア選手権を争って優勝しました。

日頃神宮で凄いと思っていた選手達が、試合の絶対に勝ちたい場面でもがき苦しむのを見て、あぁ自分達東大と同じなんだなと感じました。そんなことで生まれた心の余裕とも関連して翌春のリーグ戦5位に繋がって行ったような気がします。それまでは神宮で他大学の選手との交流はほとんどなかった私ですが、このチームで早稲田のエースで甲子園の優勝投手八木沢君、チームのキャプテン大塚さん、慶応の江藤さん広野さん、明治の高田君、法政の田渕君等をチームメイトとして戦ったことは本当に楽しい思い出となりました。中でも早稲田の西田君とは後に中日ドラゴンズでも一緒になり、いろいろ仲良く遊びました。

大学を卒業した後も、東京六大学野球部員としての4年間は私の人生の大事な1ページとして残っています。

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TOKYOROCKS2023 春季号外 第3週 2023年4月19日掲載

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球春到来です。我が東京六大学野球春季リーグも、明治大学-東京大学戦から熱戦が始まりました。多くの名勝負が繰り広げられることを楽しみにしています。

私は今、宮城県石巻市にある工場に勤務すると共に、社会人チーム「日本製紙石巻」の野球部長を努めています。当チームは4月中旬のJABA日立大会から日本選手権への道を進みつつ、5~6月の都市対抗野球大会地区予選に照準を合わせます。工場所在のチームにとって、本社所在地にある「東京ドーム」への出場はいわば至上命題ともいえます。

振り返ると、静岡の片田舎の公立高校出身の私は、神宮球場に立つ大いなる夢を抱き入部しました。途中、マネージャーに転身、目標を「チームを勝ちに導く」ことに変え、学ランにアタッシュケースという奇異なスタイル(当時は流行ってたんです)で毎日奔走しました。それを認められたのか、地元の会社(当時、大昭和製紙)に誘われマネージャーとして入部(入社)しました。しかしながら2年後に休部、長らく野球から離れていましたが、その後、大昭和製紙は日本製紙と合併、石巻にあった野球部を更に強化し都市対抗を目指すことになり、今に至ります。

思えば、私の原点は変わらず神宮球場にあるようです。日本野球連盟HPによれば、都市対抗はプロ野球発足前の1927年(昭和2年)、当時人気を集めていた中等学校(現在の高校)、東京六大学の選手を卒業後ももう一度見たいというファンの要請に応えるため、都市を基盤とした実業団の大会として第1回が開催されました。そしてその会場は神宮球場だったそうです。

母校を卒業して30年、社業の関係で北海道、東北、山口の勤務がほとんどで、昨年、石巻の現職に就き、久しぶりに神宮球場を訪れました。学生時代に目指した神宮球場、そして今、神宮球場を原点にもつ都市対抗を目指しています。巡り合わせの妙を感じるとともに、神宮球場の大いなる存在に改めて想いを馳せています。

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TOKYOROCKS2023 春季号外 第2週 2023年4月12日掲載

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WBC2023で日本が『世界一』に輝きました。普段野球に興味の無い方達までも皆さんが盛り上がり社会現象になったことは記憶に新しいと思います。

東京六大学野球でプレーする選手の皆さんの中には明確な目標が出来た方もいらっしゃるのではないでしょうか。感動的な試合内容はもとより選手たち・スタッッフの振る舞いだけでなくファンの方のマナーの良さも敵味方関係なく国を越えてリスペクトしあえ、社会での垣根や隔たりを越えてみんなの心が一つになったのではないでしょうか。
スポーツ・野球の力を改めて感じる機会となりました。

私は、この東京六大学野球に関わる全ての現役部員を第一に考えていきたいと考えています。スポーツマンシップに則り、神宮で思いっきりプレーして頂きたいです。

私自身は、今年度より法政大学法友野球倶楽部に携わることとなり、六大学の諸先輩方や関係者にお会いする機会が増えました。なお一層東京六大学野球の伝統を再認識しております。

来る2025年に『東京六大学野球史は100年』を迎えます。
皆さんは歴史に新たな一ページを刻むことになります。
是非この伝統ある歴史の一員としての誇りを持って日々の生活を送っていただきたいと思います。

失敗は存在しない!前進あるのみ!

心からエールを送ります。

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
野球部OBや関係者からのメッセージをお届けしています。