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JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS2022 春季号外 第8週 2022年5月25日掲載

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学生野球のメッカと呼ばれる明治神宮野球場で行われる東京六大学野球は、私にとって憧れの原風景であり、あの唯一無二、独特の雰囲気に包まれる場所は、私に青春の心を思い出させ、時に鼓舞し、今でも成長させてくれる、言わば心の故郷であります。天高くこだまする応援団の声、カラダの芯まで感じる太鼓の響き。試合の流れを敏感に感じ取る生粋の野球ファンのどよめき、好プレーに対する盛大で惜しみない拍手。各校学生の応援。運営を支えるOB。同窓の仲間、かつてのライバルたち。六大学の各選手たちはそんな最高の舞台で、先人たちが守り、積み上げてきた歴史と伝統を感じ、自校のプライドをかけて熱戦を繰り広げる。これらすべてのひとつひとつが、これからも東京六大学野球が東京六大学野球であり続けるためには欠かすことが出来ない、守っていくべき要素だと思います。

また、近年、日本野球界ではアメリカのメジャーリーグで二刀流で大活躍する大谷翔平選手や日本プロ野球で史上最年少で完全試合を達成した佐々木朗希選手を輩出するなど、統計学・測定技術の発達に基づく評価・技術の革新、フィジカルの向上等により、個々のプレーヤー単体としてのレベルが急速かつ飛躍的な進化を遂げています。このことは野球というスポーツ全体のレベルアップとして大変歓迎すべきことであり、今後、大谷選手や佐々木選手を超えるような記録的な成績を残す型破りな選手が東京六大学野球からもたくさん出てくることを楽しみにしています。

一方、個人の活躍がクローズアップされる中でも、やはり野球は団体スポーツであり、特にアマチュア野球では、個々の力の結集の結果、チームワークで勝敗が決まるという野球本来の醍醐味も失ってもらいたくないと思います。東京六大学野球は、各校がそれぞれに独自の特色を持っており、各校がそれぞれ「○○大学らしい」戦いをすることが東京六大学野球の魅力でもあり、これからも各校の戦いぶりに注目していきたいと思います。

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TOKYOROCKS2022 春季号外 第7週 2022年5月18日掲載

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コロナ禍における応援団(部)

2020年に突如と襲ってきた新型コロナウイルスで、六大学野球は春のシーズンを5試合総当たり制にして真夏に開催しました。まだ新型コロナウイルスの色々な知見がまだわからず、観客上限3,000人とし、応援団(部)による応援を禁止しての開催でした。秋季リーグ戦からは外野席を一般に解放せずに、応援団以外に誰もいないスタンドでの応援を実施して、2021年の春秋のシーズンも観客数の変更があったり、緊急事態宣言による無観客試合はあったものの同様な形で応援をしていただきました。そして迎えた2022年のリーグ戦ですが、内野席で応援をした経験者が4年生のみとなってしまうので、今後の応援活動にも支障が出てしまうという危機感から何とか内野席での応援が実施できないかと各方面と交渉をしてきましたが、シーズン開始にはまだ今までと同様の形でしか行えませんでした。リーグ戦は六大学野球従来の勝ち点制に戻りましたが、大声を禁止されている応援は簡単ではありませんでした。しかしながらその後も引き続き交渉や安全計画を見直した上で、再び新型コロナウイルスに関しての対応におけるイベント開催の感染防止安全計画書を東京都に提出し、応援団(部)の内野席エリアでの応援について東京都並びにスポーツ庁、内閣官房新型コロナウイルス等感染対策推進室のご理解をいただき、東京都の許可を得ました。第7週に間に合いよかったと思っています。応援団のエリアを内野に持ってきても引き続き一般の観客の皆様には大声の禁止として拍手の応援とはなりますが、2019年までの体制に一歩近づきました。
秋季リーグ戦では普通の状態に戻れることを願ってばかりです。

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TOKYOROCKS2022 春季号外 第6週 2022年5月11日掲載

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春の選抜高校野球大会が無事終わり、六大学野球が始まった。2年ぶりに日本の春の野球ペースが戻った。リーグ戦が中止になったのは、太平洋戦争の3年間(1943年春〜1945年秋)の中断があるのみだ。六大学野球は終戦の年の8月から9カ月後には1回戦制で復活し、3回戦制、2回戦制を経て5シーズン目には勝ち点制が復活した。
2年前の年末年始に新型コロナウィルスが日本を襲い始め、すべての人が初経験の感染症と感じている間に瞬く間に拡がり、スポーツの世界にも影響が及んだ。同じ神宮球場で行われている東都大学野球はじめ多くのスポーツイベントの開催が中止に追い込まれる中で、六大学野球の開催も同様になると諦めた六大学野球ファンも多かったに違いない。
しかし、連盟が2年前の春は無観客ながら1回戦制で8月10日開幕の「夏のリーグ戦」開催に踏み切り、秋からは2回戦制、何と応援団の「定位置」を外野席に据え、六大学野球の伝統を維持してくれた。そして、5シーズン目のこの春には勝ち点制が復活し、六大学野球ファンを安堵させた。やはり六大学野球の醍醐味は勝ち点制に尽きる。
戦後の六大学野球復活と同様のことが令和の時代に起きた。六大学野球連盟、応援団連盟の6校の皆さまの伝統を繋いだ努力には感謝しかない。外野からの6校応援団の熱の篭った応援にエールを送りたい。残るは応援団がいつ「定位置」に戻ってくるか。焦らずゆっくり待とう。

この春、野球発祥の地のアメリカメジャーリーグではナショナルリーグが指名打者(DH)制を採用した。これで、従来型のナ・リーグ、セ・リーグ、東京六大学野球とDH制採用のア・リーグ、パ・リーグ、東都大学野球他の構図が変わる歴史的な春となった。DH制、タイブレーク制、球数制限、金属バット、ビデオ判定など、時代ともに野球も変わっている。この先、セ・リーグがDH制を採用したら、「伝統」を堅持する東京六大学野球と関西学生野球、明治神宮野球大会、高校野球がどう対応するか、興味が募る。神宮球場のスコアボードに投手が「1」ではなく「P」で表示されたら何となく寂しい気がするが。
現役当時、神宮球場のひと時代前のスコアボードには、試合前に先発ピッチャーとキャッチャーは選手名、出身校のアナウンスとともに表示され、先発オーダーの発表で2度目のアナウンスをされる「特権」があった。「明治大学の先発バッテリーをお知らせします。ピッチャー丸山君。上田高校。・・・」のアナウンスを聞くたびに、試合前になんとも言えない心地良さと緊張感が入り混り、マウンドに登ったことを思い出す。ピンチの時、ベンチから躯体を揺らしマウンドに向かってくる島岡御大から真剣な眼差しで発せられた「なんとかせい!」の檄が懐かしい。

東京六大学野球、永遠に。

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TOKYOROCKS2022 春季号外 第5週 2022年5月4日掲載

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私が2012年に法政大学を卒業して10年が経ちました。
大学卒業後は、社会人野球で6年間選手としてプレーをしました。現在は土日等の限定的ではありますが、法政大学野球部のコーチとして選手達と共に汗を流しております。卒業後もこうして、母校である法政大学野球部に携わることができていることに感謝の気持ちでいっぱいです。コーチとして関わらせて頂いている今、指導した法政大学の選手が活躍すること、チームが勝つことが心の底からの喜びであり、更には自分が現役時代活躍した時に感じた喜び以上に嬉しく思う時もあります。
自分がプレーをするだけでなく、違う立場になった今でもこうして心の底から嬉しいと思い、喜びを分かち合える野球というスポーツはとても素晴らしいなと強く感じています。
チームが勝つために何ができるか、選手が活躍するために何ができるか、そしてこれから社会に出ていく選手達が1人の人間として成長するには何ができるかを自分の経験を基に選手達に伝えることが自分の使命であると思い、日々選手達と向き合っています。

東京六大学野球の優勝校には天皇杯が下賜されます。
天皇杯は原則として1競技につき1つで、国内を統括する団体に与えられており、各競技の日本選手権大会で優勝した選手やチームに授与される場合が多いのですが、硬式野球では東京六大学野球連盟に天皇杯が下賜されるのです。それは東京六大学野球が野球界にとって特別な存在であることを意味します。
今の現役の選手達には東京六大学野球の一員であることを誇りに思い、全力でプレーしてもらいたいです。私も東京六大学野球のOBの1人としてこれからも誇りを持って母校に携わっていきたいと思っております。
最後になりますが、引き続き東京六大学野球並びに法政大学野球部への温かいご声援をよろしくお願い致します。

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TOKYOROCKS2022 春季号外 第4週 2022年4月27日掲載

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私の神宮球場との出会いは幼少期にさかのぼります。

早稲田OBでもある父に連れられ、初めて野球というものに触れたのが神宮球場の早慶戦でした。
そこで一つの事件が起きました。スタンド最前列で観戦していた私は、あろうことかフェンスの上部でおもちゃの車を走らせていました。そして案の定、それをグラウンドに落としてしまったのです。
ところが、それに気づいた慶應の選手が試合中にも関わらず、すぐさま拾って丁寧に返してくれました。
そこで私の中の何かが弾けました。「野球選手になろう」「そしていつか、ここ神宮のグラウンドに立とう」

10数年が経過し、大学生となった私は神宮球場に戻ってきました。ただ現役時代は2試合、ベンチに入るまでがやっと。出場してフィールド内に立つことはできませんでした。

そこから今度は30年が経過、思いがけず同期の小宮山氏が監督に就任しました。「応援」という立ち位置で大学野球の世界に戻ってくることとなりました。
全身全霊を傾けて戦う同期に対して何か役に立てることはないかと考えていたところ、審判員資格を保有していたことから思わぬ声がかかりました。
「神宮球場で審判をやってみないか?」

ただ、もうすぐ55歳になろうかという、少年野球の試合でしかジャッジしたことのない私に本当に務まるのか?体力は?動体視力は?スピードについていけるのか?
色々と悩みながらもオープン戦の審判をこなしはじめたところで、あっという間に審判登録されてしまったのです。

そして2021年秋、私は半世紀を経て審判員として神宮のグラウンドに立つこととなりました。

景色は昔も今も変わりません。天皇杯が下賜される野球界のトップリーグ、東京六大学野球連盟のもと、グラウンド上では真剣に白球を、夢を追いかける選手たちがいます。そしてスタンドには、この場所にいつか立ってやろうと夢見る少年少女がいるはずです。
体力はいつまで持つかわかりません。公平かつ正確なジャッジが常にできるかわかりません。それでも気力の続く限り、この神宮球場での真剣なプレーに、そして真剣なまなざしに全力で応えられるよう、大いなる責任感を胸に日々精進していきたいと思います。

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TOKYOROCKS2022 春季号外 第3週 2022年4月20日掲載

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野球がとにかく好きで、甲子園を夢見た高校球児から、その果たせなかった夢を神宮球場に立つことに変え、2006年に立教大学の野球部の門を叩き入部しました。

しかし入部後は野球よりもまず先に、寮生活での基本やルールなどを叩き込まれました。
1年生の頃は、上級生となかなか自分から話しかけることすら叶わないような環境でした。
私の出身高は宮城県の仙台第一で、自由な校風でした。自ら考えてのびのびと野球と向き合ってきた高校時代とは180度違う環境に戸惑い、何をしたくて大学へ来たのかもわからなくなり、このまま辞めてしまうこと考えたことも何度かありました。
それでも諦めずにいられたのは、やはり同期の仲間たちと切磋琢磨していられたことがとても大きかったです。
卒業して10年以上たちますが、今も同期と集まると、1年生の頃の話で盛り上がることが多く、それだけ濃い時間を過ごしてきたのだと思います。
結局私は4年間神宮球場でプレーをすることはできませんでしたが、大学野球に挑戦したことに何一つ後悔はありません。
夢よりも大切な、かけがえのない仲間たちと出会うことが出来たこと、いつも支えてくれた家族の大切さに気がつくことができたこと、東京六大学の立教大学野球部として卒業できたこと。こられ全てが、卒業後の長い人生において、私の誇りになると思っています。

私はこの春から六大学の審判員として神宮球場に立ちます。まさかこんな形で、神宮のグラウンドに立つという夢を実現できるとは思ってもいませんでした。
これからは夢を追う選手達に気持ちよくプレーしてもらえる環境づくりと、東京六大学野球連盟の発展に貢献し、恩返しをしていけたらと思っております。

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TOKYOROCKS2022 春季号外 第2週 2022年4月13日掲載

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私は選手として4年間、監督として7年間神宮球場にお世話になりました。自身の思い出を少し語って、大きなテーマにつなげたいと思います。

昭和58年、高知の田舎から出てきて神宮球場を初めて見たとき、回廊の荘厳さに圧倒された。学ランの襟にBBLのバッジを付けて関係者口から入ったとき、優越感を感じた。そして、階段を降りベンチ裏の暗い通路を通り抜けると、そこは青々とした人工芝が広がっていた。綺麗だった。
意気揚々とした初対面とはうらはらに、不名誉な記録が刻まれてしまった。選手としては東大通算1000敗目の最後の打者に、監督としては94連敗。一方で、チームメイトには恵まれた。選手時代は大越健介投手、監督時代は宮台康平投手、共に大学JAPANに選ばれたスターだった。

監督時代に何度も聞かれた質問がある。「東大生が野球をやる意味はなんですか」

「歴史、名誉、自負の3つがあります。日本野球の発祥が明治4年の開成学校(東大の前身)であるという歴史。天皇杯を賜っているリーグの一員であるという名誉。そして、文武両道の最高峰を実践しているという自負です。これらこそ東大野球部の存在意義です。」

以上は外向けに整理整頓された答である。本当は「野球が好きだから」これ以上でもこれ以下でもないのかもしれない。野球が好きで、そこに神宮があれば、試合に出たい、チームに貢献したい。試合をすれば勝ちたい。そのために努力を惜しまない。そんな東大生たちが躍動するのをこの春も楽しみにしている。

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
野球部OBや関係者からのメッセージをお届けしています。