俺たちのラストシーズン──小田聖花(修猷館)
こんばんは!
ドラマへの愛が尋常じゃない私の相棒・大崎美穂からバトンをもらいましたマネージャーの小田聖花です!
普段からこのブログを書いているからこそ、一回分使って自分のことについて書いていいのか…と思ってしまいますが、せっかくなので私が野球と出会ってからいままでを振り返りたいと思います。
完全な自分語りでかなり長くなりましたが、今回ばかりは大目に見てください!
昨日のブログで美穂も書いていましたが、私も「なんでマネージャーになろうと思ったの?」と何回も聞かれ、聞かれるたびに曖昧な答えをしてきました。
それは一言では表せられない想いがあったからだと思います。
「高校の頃からマネージャーやってたの?」
これもいままで何回も聞かれましたが、私は高校2年生まで野球に一切興味ありませんでした。ヤフオクドーム(いまのペイペイドーム)のすぐ近くに住んでいながら、ホークスの試合を観に行ったことも一度もありませんでした。
高校2年生になる頃、友人に誘われて初めてプロ野球の試合を観に行きました。
そのときに野球観戦の楽しさに衝撃を受けたのをいまでも覚えています。
「ドームに入り通路を通り抜けて視界が開けたときのワクワク感」「球場の一体感とファンの熱狂」「音楽やビジョンの演出から作り出されるエンターテインメント空間」。
ここから一気に野球の沼にハマり、あの非日常感を味わうために、暇さえあればドームに通うようになりました。
そうしてドームに通い詰めているうちに「プレーヤーではなく裏方の立場からチームや試合の運営がしたい」「人を魅了するようなエンターテインメント空間を球場でつくりたい」「野球界を盛り上げたい」「地元福岡のような盛り上がりをほかの地方にも野球を通してもたらしたい」といろんなことを考えるようになりました。(何もできない平凡な高校生がそんなでっかい夢を描いてました!いま思うと少し恥ずかしいです笑)
そして、その第一歩として、大学では野球部のマネージャーとして色々と経験、勉強してみたいと思うようになりました。
その中でも六大を選んだ理由は、率直に一番レベルが高いと思ったからです。
「どうせやるなら一番レベルが高いところで」、何をやるときもそう考えてきたので「六大」でマネージャーをやることに迷いはありませんでした。
「野球部に入るためにこの大学に入った」と言っても過言ではありません。
大学に入ってから部活を決める人が多い中で、私の場合は逆でした。常に「野球」を基準に何事も決めてきました。
野球に出会う前はやりたいこと、学びたいこと、行きたい大学も特になかった自分が、明確にやりたいこと、目指したい場所を見つけることができました。
それくらい野球は自分にとって大きな影響を与えてくれたものでした。
大学に入り、野球部の面接にも合格して入部することができました。
ちなみに、もしここで落ちたら仮面浪人して他の六大の大学でマネージャーをやろうと本気で思っていました。それくらい自分にとって六大でマネージャーをやることに意味がありました。(受かってよかったです笑)
私は入部してから一度も辞めたいと思ったことがありません。
ずっと入りたかった野球部での日々は毎日新しいこととの出会いで、こんな考え方をする人もいるのか!と刺激的な毎日が自分にとってはとても楽しかったです。
「忙しい=充実」と捉える人なので、どんなに忙しい時期も、最高に充実してて楽しい!と感じることが多かったです。
試合のときのカバンにつけているキーホルダーとお守り
ですが、マネージャーだからこそ感じる苦悩もたくさんありました。
大学2年生のとき、コロナで女子マネージャーだけ部活に行くことができなくなりました。それでも何事もなく回り続けるチームを見て、自分の存在意義がわからなくなりました。
自分たちマネージャーは仕事をこなして当たり前です。
仕事をうまくこなせばこなすほど、チームは円滑に回ります。なので、選手が何事もない毎日を送れる中で自分たちの努力に気づく人はいませんし、感謝されることもほとんどありません。それなのに、ミスをしたときには悪目立ちしてしまいます。
「評価されることのない頑張り」が辛いときもありました。
また、明治は女子マネージャーだけ通いで、他のみんなは全寮制だからこそ、「全員」という言葉に女子マネージャーだけ含まれていないことがよくあります。入ったときからそれが当たり前のようになっていましたが「自分たちもチームの一員なのに」と私は疎外感を感じることがたまにあります。
後列右から3番目
悩むことも多かった中でわたしがマネージャーとして大切にしてきたことがあります。
「当事者意識」と「本質」です。
マネージャーはチームの勝利に直接貢献することはできません。
どんなにテキパキと仕事をこなしても、それが試合でヒットに繋がったり、得点が入ったりすることは決してありません。
ですが、それでも私たちは歴としたチームの一員であり、自分たちにできることはたくさんあります。
それが直接勝利に繋がることはなくても、まわりまわって選手みんなが持つ沢山の夢やチームの目標に繋がってると信じています。
「自分は何のためにこの仕事をしているのか」と物事の本質を考えるようになったとき、それに気づくことができました。
だから私はチームの一員としての当事者意識を持ち、このチームが勝つために、自分にできることは何か常に考えて行動してきました。
私がこのチームにいる存在意義はないかもしれません。けど、ここには私にとって代わりのいない仲間がいて、その仲間と一緒に勝ちたいから、ここまで頑張ることができました。
左
そして4年間やり抜くことができたなかで感謝しなければならない人がたくさんいます。
ここでは恥ずかしくて普段伝える機会があまりない人にだけ書かせていただきます。
同期のみんなへ
私はチームの為に大したことはできないけど、
同じ夢を追いかけさせてくれてありがとう
同じ景色を見させてくれてありがとう
もう一回優勝して、最後みんなで笑って終われるように頑張ろう!一緒に!
(マネージャーのみんなへの想いは引退するときまでしまっておきたいと思います!)
お母さん、お父さんへ
明治に行かせてくれてありがとう。
「明治に行きたい」と言ったとき、大反対されたのをよく覚えています。正直、あの頃は反対される理由がわかりませんでした。私立の高校と二年間予備校に通った兄、私立の高校から私立大のしかも医学系の学部を勧める妹に対して、高校までずっと公立で家庭にやさしい道を進んできたはずの自分がいざ明治に行きたいと言うと、大反対されるのはあまりにも理不尽で理解できませんでした。
ですが、兄の大学、妹の高校・大学の学費が残っているなかで、自分を福岡から東京の私立大学に行かせることは相当大変だということを、大学生になって色々勉強していくなかで気づきました。
受験生だったとき、大反対しながらも自分の学費を稼ぐために夕方までパートで働き、自分たちのごはんを作って、そのあとまた夜中も違うパートで働きに行ってくれていたお母さん、本当にありがとう。毎週リーグ戦をテレビの大画面で流して、みんなで応援してくれてるのが本当に嬉しいです。
そしてこの4年間に限らず今までずっと、月に数日しか休まず家族のために働いてくれるお父さん、本当にありがとう。そして長い長い反抗期の中でたくさん嫌な思いをさせてごめんなさい。
どんなに大変なときも、わがままな自分のやりたいようにやらせてくれた二人にはとても感謝しています。
本当にありがとう。
みんながそれぞれの想いを抱えて挑むラストシーズン、最高のかたちで終われますように。
右
次は、同じ学部同じゼミで、あまりの出席率の悪さに、2年目になるのにも関わらずいまだにゼミの先生に顔を覚えられていない小池悠平くんです!(今日は珍しくいま隣で一緒にゼミ受けています笑)
お楽しみに!