ラストシーズンブログ 2023.10.11
俺たちのラストシーズン──熱田泰祐(明大中野八王子)
皆さん、こんばんは!!
好きになったらとことん真っ直ぐ、ちょっぴり嘘をつくケチャップ顔の久島くん(久島光太郎)からバトンを貰いました、明治の天然パーマ代表、明大中野八王子高校出身、学生コーチの熱田泰祐です。
同期の中では久島を先頭に一時縮毛ブームが到来し、自分も一度かけてしまいましたが、似合わないという多数の意見に負け、現在はかけていません。おかげで西川(4年・西川黎)、山本(4年・山本伊織)、水谷(3年・水谷公省)には「焼きそば」といじられていますが、就活で笑いが取れたので許します笑
数えきれない思い出を振り返っていたら、少し長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです!
まず自分はこの4年間で色々と事件を起こしてしまいました。
2年春には120kgのスクワット中にギックリ腰
2年秋には山﨑(4年・山﨑大智)の下から投げたトスで前歯を折り
3年夏にはバナナ味のウイダーで練習がストップ
と織原さんをはじめ多方面にご迷惑をお掛けしました。この場を借りて謝罪します。皆様申し訳ありませんでした。
そんなこんなで迎えたラストシーズン。学年唯一の学生コーチとして全力で駆け抜けたこの1年間は苦悩の連続でした。でもその先には最高の結果が待っていました。
選手を辞め学生コーチになると決断した3年秋。その後の1年間を左右する分岐点になりました。実は入部してから学生コーチだけは絶対にやりたくないと考えていました。これまで先輩3代の学生コーチを見てきて、明らかに仕事量も多く文句も言われ、自分には耐えられないと感じたからです。しかし3年間選手としてチームに貢献したことはほぼゼロ。自分のポジションには宗山(3年・宗山塁)を筆頭に異次元レベルのプレーヤーが多数いる。自分自身の存在価値を見失い、一体何をするために名門明治大学に入部したのか自問自答しました。結果、裏方に回りリーグ戦優勝、日本一に導くことが自分の出来るチームへの貢献だと思い、学生コーチの打診を受け入れました。
自分が学生コーチになった数日後にチーム村松は二連覇を成し遂げ、そのままの勢いで神宮大会制覇、日本一になりました。この半月の間Aチームに帯同し多くのものを学んだと同時に、自分も石保さん(R5卒・石保壮介)や石川さん(R5卒・石川雄大)、島村さん(R5卒・島村遼太)、原さん(R5卒・原尚矢)のように強い明治を作ることができるのかと不安に駆られました。絶対1人では無理。無理やりでもいいから4年生の学生コーチを出した方がいい。石保さん他3人からそう言われました。当然4年生が自分だけなんて心配で仕方なかったです。しかし選手を続けるのか学生コーチになるのか、それはその人自身が決めること。他人の人生を強制的に変えることは出来ません。それぞれ譲れない信念や夢があります。だからこそ今までの先輩方とは違う「自分なりのチーフ学生コーチ」になれば良いと思えました。1人だけで迷惑をかけたことあったけど、1人だからこそ希由翔(4年・上田希由翔)、祐我(4年・堀内祐我)、賢一(4年・村田賢一)、謙伸(4年・菅原謙伸)と話せたこともありました。幹部のみんなには本当に感謝しています。
そして学生コーチになるからにはテーマを持って取り組みました。自分が設定したのは【努力や姿勢が評価されるチーム】でした。いくらグラウンドに残ってノックを受け、夜遅くまでバットを振ってもチャンスを貰えない。そんなチームでは選手のモチベーションは下がっていくだけだと感じていました。監督、戸塚助監督には姿勢を評価してくれとお願いをし、学生コーチ5人で長い時間をかけて検討し、オープン戦含め入れ替えを激しくしました。リーグ戦期間も多くの選手をスタッフに推薦しました。入る選手がいれば外れる選手がいる。厳しくて残酷な世界であり、入れ替えの度にきつい思いをした選手もいるはずです。申し訳なかったです。しかしこの経験が神宮球場、またその先で良い結果になると信じています。
学生コーチとしての1年間は正直大変でしたが、それを優に超えるやりがいと幸せを感じました。50番のユニホームを着て神宮球場に立ち、チームの1点に貢献し、優勝することが出来た。なにより嬉しかったのはメンバーから外れてしまった選手がスタンドで大声出して応援してくれて、最前列にいる同期たちが名前呼んでくれたり、ナイスストップなどを言ってくれることでした。あの場に立つと全てが報われた気がしました。
部員のみんなには面倒なことをたくさんお願いしてきましたが、全うしてくれました。このチームの学生コーチを務めて良かったです。優勝出来て幸せでした。あと2カード全員で戦い四連覇して、日本一になりましょう!
この4年間を全力でやり切れたのは間違いなく多くの方の支えがあってのことです。
まずは田中監督をはじめとするスタッフの方々。特に最後の1年間は大変お世話になりました。自分の意見を受け入れ、やりやすい環境を整備してくださりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。ここで学んだすべてを社会人になっても活かしていきます。特に織原さんとはチームについてたくさん話しました。遅い時間まで選手のケア、トレーニングメニュー作り、尊敬しかありません。同郷としてまた飲みに連れていってください!
またOB会の方々や堀地さんをはじめとする食堂の方々、神宮で応援して下さるファンの方々、そして六大学で最も熱い応援団の方々。皆様の支えがなければ優勝して良い思いをすることは出来ませんでした。ありがとうございました。
希由翔
細かい練習メニューからチームの内部まで全てを相談しました。チームのために心を鬼にして想いを伝え、漏らしたい弱音は吐かず堪える。自分は希由翔に頼ってばかりでした。希由翔と一緒に悩み、考え、苦しみまくったこの1年間忘れません。希由翔がキャプテンで良かった。ありがとう。胴上げはまだ1回しか出来てないから、あと2回できるようノックでもバッティングピッチャーでもします!
学生コーチ
4年生が自分しかいない中、面倒なお願いばかり。特に就職活動が忙しい期間はほぼ任せてしまいました。みんながいなければ自分の就職活動もチームも上手くいかなかったと思います。本当に感謝しています。ありがとう。学生コーチという役職はどんなに勝ち星を積み上げても注目はされませんが、明治のユニホームを着てチームの1点に関与する、非常に難しく重要な役職だと思います。学生コーチ次第でチームは強くも弱くもなる。大切なのは「真面目さ」と「不真面目さ」です。耕(3年・福嶋耕)、樂(3年・川越樂)、原(3年・原將一郎)、遠藤(2年・遠藤雄介)それぞれの違った良さを活かし、手を取り合ってチームを作っていってください。期待しています。
裕規(4年・森裕規)、天音(4年・萬谷天音)をはじめとするマネージャーみんな
裏方に回ってはじめてマネージャーの凄さを知りました。何カ月も先のスケジュールを組み、打ち合わせをする。まさしくマネージャーがいなければ野球部は活動できない。自分が見たのもほんの一部かもしれませんが、大尊敬します。今の明治が強いのは間違いなく裏方がしっかりしているからです。本当にありがとう。
朗(4年・石田朗)
新チームから裏方に回った同志。就職活動が忙しい時期は2人で慰め合いもしました。朗に相談してなかったらもっと病んでました。救われました。ありがとう。神宮でスコアを付け、寮に帰ってきてミーティングに参加し、全体練習が終わったら着替えてランニングを始める。自分はどんなに頑張っても朗は超えられないと思いました。天才です。
高校から一緒の麟太郎(4年・渡邊麟太郎)
入部して当初は同じ立ち位置が多く、ライバル視していました。麟太郎が先にAチームに上がった時は悔しかったです。新チームになる時、麟太郎は選手で勝負したいと言い、就職活動が忙しい時期でも夜にバットを振り続けていた。自分が選手を続けていたら絶対に出来ていませんでした。だからこそ立教戦でベンチに入り、打席に立った時は自分のことのように嬉しかったです。7年間ありがとう。また山奥に胸張って挨拶行きましょう。笑
経営ファミリー
履修を直前で裏切り、大智の他己紹介ばかりする中谷(4年・中谷優斗)と「あつた~おしえて~」と自分で課題をやろうとせず、挙句の果てには自分に罪を擦り付けようとする大智、そして気づいたら一緒に登校しなくなり、学科はおろかもはや学部が違う叔父になった陸さん(4年・山口陸)との学校生活。みんなで単位を取れて安心しています。ありがとう。空きコマの使い方をもっと工夫すれば良かったという後悔がありますが、まあいいでしょう。笑
また旅行行きましょう!
先輩にもお世話になりました。
恩師舜さん(R5卒・岡田舜)
舜さんには何から何まで教えていただきました。普段は真面目な一面がほぼゼロですが、学生コーチになるか部屋で迷っていた時、「俺には出来ないけどあっちゃんには出来る。全力で応援するよ」と言ってくれたのを覚えています。引退した今でも頑張れと連絡をくれる優しい舜さんが大好きです。ありがとうございました。また飲み誘ってください!
野球が上手な長南さん(R5卒/現東海REX・長南佳洋)
春のリーグ戦で慶應義塾大学に負けた時、「ラストイヤーなのに全然楽しそうじゃない。もっとバカになって楽しくやればいいんじゃないか。」と電話をくれました。三連覇の重圧を感じていた自分たち4年にとって、救いの一言だったと思います。ありがとうございました。何でプロ野球選手になれないのか不思議ですが、これからも頑張ってください。もし名古屋配属になったら、またお世話してください!
他にもたくさんの先輩にお世話になりました。本当にありがとうございました!!
同部屋になった後輩達
さとりん(3年・佐藤凜)はニコニコしながら今欲しい服やスニーカーを見せてくる可愛い後輩です。ここ1年くらいでプライベートの方も成長しました。先輩としてとても嬉しいです。笑
悔しいことが多いと思うけど、いつか報われるはずだからめげずに全力でやりきってほしいです。また地元帰った時に飲み行こう!
八幡(2年・八幡優介)は2歳差を感じさせないくらい生意気です。舜さんと冨田さん(R5卒/現マツゲン箕島球友会・冨田泰生)に渡された八幡の教育係を無事全うしました。就職活動の時期には自分のネガティブオーラで嫌な思いをしたと思います。勉強に集中している時には何も言わずに部屋を出て行ったりと気を遣わせてしまいました。申し訳なかったです。周りに怖気づかず食らいついていく長所を発揮して頑張れ!
寛くん(3年・二又寛)とは1階の端に左遷された時に同部屋になりました。オフの日に帰ってきて報告し合うのが結構好きでした。笑
学生コーチになるか悩んでいる時には「まだ選手で勝負できるからやらないでくれ。悔しい。」と言ってくれました。直前まで一緒に頑張ってきたからこそその言葉が嬉しくて、悔しくて部屋で泣いたのを覚えています。それでも最後は応援してくれました。学生コーチやって報われました。ありがとう。
めいはちファミリー
みんなには良いところも悪いところも見せてしまったかなと思います。それでも最後は学生コーチとしてチームのためにやり切れたのはみんなのおかげです。ありがとう。付属校出身の自分達にとってこの部は異次元のレベルです。その中でどう食らいつくか。それはどんな形でもいいと思っています。4年間で何も出来なかったと不完全燃焼にならないよう全力で駆け抜けてほしいです。またファミ飯開催しようと思うので楽しく飲みましょう!
他にも千葉(3年・千葉汐凱)とボケてツッコんで餃子焼いて、時には真面目に履修を組んだり、瀨(2年・瀨千皓)のご飯行きたいアピールに負けて焼肉にいったり、数えきれない楽しい思い出がありますが割愛します。みんなありがとう!
同期のみんな
いとこもいない一人っ子、高校まで通いで育ってきた自分にとってみんなの存在は家族のようです。入寮当初、不安しかなかった4年間がこんなに楽しく濃い時間になったのは間違いなくみんなのおかげです。また頼りないチーフ学生コーチのお願い事を聞いてくれました。感謝しかありません。この代で優勝出来たことは最高の思い出です。
プライベートを振り返るとみんなとは色々なところへ出かけました。
たまご(菅原、久島、山本(山本伊織)、渡部(渡部慎之介))で臨んだ開幕戦
野波(野波祐太郎)と江の島ドライブ&坂ダッシュ
山本と二子玉川の河川敷
地下ドル(西川、久島、山本)と車クイズ
久島と杉山さん(R5卒・杉山祐樹)の年齢詐称をアシスト
山本、熱田のアシストを盛大に外す
森勝哉夫妻とその他(植村、熊野(熊野輝也)、山﨑)で一喧嘩
山本とマリオでハロウィン
野波と川の字で就寝
ピンク無しの久島&山本パクセロイと菅野似の菅原
熱田、熊野、野波の惨敗&山﨑の一人勝ち
などたくさん戦い抜きました。大概は渋谷を庭としラクダの様に駆け回る山本くんと一緒でした。
他にも
局長とその子供達
立川脱毛と初叙々苑
公園カップラーメン
川でBBQ
ポケモンカード探しの旅
温泉同好会
友・日利で食事会
初心者ゴルフ
などそれ以外にもここには書ききれないたくさんの思い出があります。本当に本当に楽しかったです。みんなありがとう!!
両親へ
母さんは俺がベンチに入ってない試合でも神宮球場に来てくれました。毎回制服を着て会うのが情けなかったです。だからこそ学生コーチをやるか相談した時の「もう一度ユニホーム姿を見たい」という言葉で学生コーチとして頑張ろうと思えました。この4年間プレーしているところはほとんど見せられなかったけど、ユニホーム姿を見せることが出来て良かったです。ありがとう。
父さんは小学校、中学校、高校とコーチ、バスの送迎、審判、父母会長など大変なことを全て自分のためにやってくれました。大学ではゆっくりスタンドに座って活躍しているところを見せたかったです。でも叶いませんでした。学生コーチの相談をした時「やりたいと思った方をやりなさい。その代わりどちらにしても最後の1年間、腹を括って全力でやり切れ。」と言ってくれました。この言葉がなければこんなに頑張れなかったし、良い思いをすることは出来なかったと思います。ありがとう。
両親の支えがなければここまで野球を続けることは出来なかったです。16年間の野球人生、最後の1年間は最も濃くて、充実していて、幸せな時間を過ごせました。22年間本当にありがとう!これからもよろしくお願いします!
最後に
自分の野球人生はここで幕を閉じます。本当に周りの方達に恵まれました。野球人生の礎である清瀬ジャガーズ、野球を辞めたいと思った東村山シニア、気迫で技をも制しきれなかった明八野球部、そして異次元の明大野球部。16年間の野球人生で関わってくれたすべての人に感謝します。本当にありがとうございました!
本当に長くなってしまいました。申し訳ありません!次からは副将に入ります。トップバッターは熱闘甲子園のレジェンド、全米を沸かしたフェアプレー弾でお馴染み、菅原謙伸くんです!お楽しみに!