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俺たちのラストシーズン──上田希由翔(愛産大三河)

こんばんは!

立場上守秘義務なのかなかなかプライベートを明かさない主務からバトンを受けました。
愛産大三河高校出身の主将の上田希由翔です。
自分の大学野球人生はとても充実したものでした。
そして、自分なりに振り返ってみました。
まずはじめに首脳陣の方、OBの方々4年間沢山のご指導をしていただきありがとうございました。
山本部長
試合前や試合後などに声をかけていただきありがとうございました。声をかけていただいたことで次の試合も絶対勝たなければならないという気持ちになりました。3年間ありがとうございました。
田中監督
監督にはとても感謝しています。一年生の春からベンチに入れてくださり、また試合にも使っていただきありがとうございます。明治の打点記録を更新できたのも監督に一年生から使っていただいたお陰です。新チームになり主将が決まっていない状態でスタートしましたが、一ヶ月経った後に「背番号を変える気はあるか」と聞かれ、そこで自分がやらなければいけないという気持ちになりました。それから、チームのことを沢山相談しました。メンバーについてや、寮のことなど沢山話しました。無理も言ったりしましたが、全て話を聞いてくださりました。ありがとうございました。また食事に連れて行ってください。
戸塚助監督
戸塚さんにも沢山指導していただきました。全力疾走やカバーリングは何度も注意されました。野球に集中するためにも野球の基礎のところを細かく指導していただきました。最初は「上田」と呼ばれていましたが、途中から「きゅうと」と呼び方が変わったのが一番嬉しく思っていました。ありがとうございました。
福王さん
福王さんには頭が上がりません。とても感謝しています。一年生の冬自分のバッティングを肯定していただいたのが福王さんでした。バットの握り方や軌道など指導していただきました。また、二年生の時から始めた練習後のノックを打っていただきありがとうございました。最初は全く取れず、ついていくことに必死でしたが、徐々に対応していくことができたと思います。まだまだですが、、
「ノックお願いします。」と言いに行っても一度も断られたことがなく毎回打ってくださりありがとうございました。沢山活躍して恩返ししたいと思います。
文雄さん
野球だけでなく寮のことなど細かいところまで見てくださって指導していただきました。文雄さんに注意されないように幹部でチェックしていたこともありました。寮生活が野球につながるということはこの4年間で学びました。これから先どのような立場になっても大切なことだと思いました。ありがとうございました。
西嶋さん
ピッチャーからの視点で自分にバッティングを指導していただきました。「バット良いな」、「このバットだったら絶対打てるよ」と毎回言ってきてくださり自分も自信にもなりました。迷わず試合でも振り切ることができたと思います。バッティングピッチャーも沢山してくださりありがとうございました。
善波前監督
自分が明治で4年間野球ができたのは善波さんのおかげです。本当にありがとうございます。高校三年生の春にわざわざ高校まで来てくださり、話をしました。「4年後プロに行かせてあげれる保証はできない。だけど明治は上田に来てほしいと思っている。」と言ってくださり、悩みましたが、明治大学に決めました。入学してからもハッパをかけてくださり、まだまだだなと思い練習し続けました。ありがとうございました。
大学生活では最高の仲間に出会いました。
一年生の時、入寮してから3日経った朝のラジオ体操の時いった(4年・大音壱汰)と「あー早く上級生になりてーな」と話していたのを覚えています。そのぐらい日々の寮生活に緊張感があり、ひと時も気を抜けない日々が続いていました。その後自分たちは思いも描かなかったものと向き合わなければいけませんでした。それは新型コロナウイルスです。新型コロナウイルスの影響により部員の半分近くが帰省する出来事がありました。それによってれい(西川黎)と斉藤さん(斉藤勇人)とゆうが(堀内祐我)と自分の4人が残ることになりました。この時期は仕事を4人でこなしたりしていたのでとても思い出深いです。毎日一つの部屋に4人が固まることがあったり、ボールをみんなで磨いたり、食当やタオ当をみんなでやったりたくさん働きました。その期間で4人の絆は深まったと自分は思ってます。4人で回らなかったときは村松さん(R5卒/現中日ドラゴンズ・村松開人)、きっしゃん(R5卒/現Honda鈴鹿・西山虎太郎)、やまりくさん(R5卒/ENEOS・山田陸人)、岡本さん(R5卒/現JFE東日本・岡本伊織)、日置さん(R5卒/現明治安田生命・日置航)などたくさんの人に手伝っていただきました。また、寮生活が初めてだった自分にとって不安の中たくさん支えていただきました。
そんな中迎えた春のリーグ戦ではベンチ入りをすることができました。正直この時期実家に帰ってなくてよかったと思いました。リーグ戦では、立教戦で初めて代打として神宮に立ちました。そこでは散々な結果でゆうがと2人続けて代打となりましたが2人続けて三振しました。緊張で足が震えたのを覚えています。その後の東大戦でも2人続けて代打で立たせてもらい、2人続けて凡退しました。とても悔しかったです。
そんな中自分に声をかけてくださったのは同部屋になった風馬さん(R3卒・清水風馬)です。風馬さんは秋、4番ファーストでベストナインをとった本当はすごい人です。いつもは自分たちを笑かしてくれて、時には励ましてくれて自分を支えてくれました。練習して部屋に戻ったら部屋を18℃にしなきゃ怒られ、スマブラをして風馬さんが勝てるまで相手をしてあげて夜は自分が寝そうな時にがーどまんを爆音で見ているのが日課でした。でも、そんな風磨さんが自分は大好きです。たくさん支えていただきありがとうございました。
2年生のときは苦悩の1年間でした。なかなかリーグ戦で結果が出ず、とても悩みました。そんな中、声をかけて支えてくれたのが、同部屋だった岡本さんとけいたさん(R5卒/現三菱自動車岡崎・中村奎太)です。岡本さん自身も色々不満を持っていたと思うけど、声をかけてくださり支えてくれました。また、バットも貸してくれて、そのバットでリーグ戦最終戦同点タイムリーを打てたのはとても嬉しかったですし、感謝しています。ありがとうございます。けいたさんはプロテインやサプリメントの野球以外の生活面でたくさん教えていただきました。たくさんご飯に連れてってくれたり、授業に一緒に行ったり、一緒に寝たり幸せな時間でした。引退してからも気にかけて連絡してくれます。ありがとうございました。また、バッティングを1番教えてくれたのはよしくん(R5卒/現東海REX・長南佳洋)です。よしくんにはバッティングのことをしつこく聞きに行きました。バッティングを言語化しろとよく言われ、必死に考えました。秋は思うような結果にならなくてもホームランを打てたり、チャンスで一本出せたりしました。ありがとうございました。
3年生のときは初めてのベストナインを受賞しました。また、リーグ優勝と人生で初めての日本一も経験しました。大学日本代表にも選出していただきました。大学日本代表の期間はたくさんの出会いと学びの場でした。その中でも、萩尾さん(現読売ジャイアンツ・萩尾匡也選手)は野球だけでなく人間としてとても尊敬している存在です。陰ながら応援してます。ありがとうございました。
3年の春のリーグ戦で初めて4番を外れました。1番セカンドだったり、5番ファーストなど色んなことを経験させてもらいました。
リーグ戦中必ず見えるところに「愛」という文字を書いていました。これは翔太郎さん(R5卒/現鷺宮製作所・渡部翔太郎)の好きな言葉で千葉(3年・千葉汐凱)と3人で共通語として書いていました。プライベートで仲がいいことはもちろんですが、野球でもストイックで3人で高めあったりしていました。翔太郎さんは1年間同部屋でした。共通の趣味で盛り上がったり、たくさんご飯に連れてってくれたり、しょうもない話もたくさんしました。翔太郎さんもなかなか結果が出ず、悔しかったと思うけどリーグ戦から帰ってくる自分に毎回「ナイスゲーム」と声をかけてくださいました。今もリーグ戦を見にきてくださり、たくさんアドバイスなどもくれてありがとうございます。ほんとに楽しかったです。

写真:左から千葉、渡部翔、上田

また、ほぼ毎晩蓑尾さん(R5卒/現Honda熊本・蓑尾海斗)とよしくんとゆーへいさん(R5卒/現日鉄ステンレス・小池悠平)とけいたさんと机を囲み野球について語り合う会が開かれてました。2年生まであまり接点のなかった蓑尾さんとゆーへいさんとも仲良くなれて嬉しかったです。蓑尾さんは野球になればちょびっと怖かったけどプライベートでは優しくしてくれてご飯も何回も連れてってくれました。ありがとうございました。ゆーへいさんとはバッティングの相談もしたり、一、二塁間組んだ時もあったので、たくさんお話ししました。ありがとうございました。

写真:左から上田、蓑尾

3年生の時は同期にも助けられました。オフの日はあまり遊びに行ったりしないのですが、祐我とひさじー(久島光太郎)とだいすけ(植村太亮)とゆーたろう(野波祐太郎)と海に行きました。9月に行ったため海の家などもやってなく極寒でした。しかし、帰りには素敵な出会いもありました。他にも、ひさじーとざき(石﨑聖太郎)と飲みに行ったり、斉藤さんとびっつ(大櫃準也)とくま(熊野輝也)とびしょびしょになりに行ったり、しんの(渡部慎之介)と人生初のコース料理のお店行ったり、びっつとりんたろう(渡邊麟太郎)と斉藤さんとバーベキューしたりしました。書ききれないぐらい沢山あります。みんなにも支えられました。ありがとう。
そしてなんと言ってもこのラストシーズンは自分の中で今まで1番きつかったし、チームのために考えたシーズンでした。新チーム始まってから1ヶ月幹部は熱田(熱田泰祐)しか決まらず、誰がキャプテンをやるのかという日々が続いていました。そんな中でも、チームを引っ張らなきゃいけないと思い、ゆうがとけんいち(村田賢一)と熱田で話し合いなどもしていました。その時にできたグループが「多分、幹部」です。今でも幹部のグループラインの名前はこれです。そんな不安な状況の中スタートしました。キャプテンが決まってからもなかなかチームをまとめることができず、オープン戦を何試合かした後にゆうたろうと斉藤さんに注意を受けました。「キャプテンがもっと堂々としなければいけない」そこからみんなの前で立って話したり、みんなに見られてるという意識を持ち行動しました。自分は喋るのも得意じゃないし、嫌われたくなくて注意もできないから本当に務まるのかと思っていました。そんな中、支えてくださったのが公家さん(R3卒/現大阪ガス・公家響)、丸さん(R4卒/現東京ヤクルトスワローズ・丸山和郁)、村松さんの言葉です。公家さんや丸さんにはキャプテンになった経緯や思いを伝えお言葉をもらいました。社会人とプロ野球で活躍する2人は自分の中でとても尊敬していて下級生の頃からとても大きな存在に見えていました。ありがとうございました。村松さんは1年間近くで見させてもらいました。村松さんは空気を変えるのがうまくて、ここはしっかりやらないといけないというときにみんなに緊張感をもたす特殊能力があります。そのオンとオフの切り替えがすごいと思っていました。沢山相談に乗ってくださりありがとうございました。
同部屋として一緒に生活したかん(3年・二又寛)とむね(3年・宗山塁)、自己中な俺の面倒見てくれてありがとう。かんとはくだらない話も沢山したし、チームのことも相談したりもしました。また、神宮のトラックマンもやってくれてたのでバッティングのことも聞いたりしました。沢山絡んでくれてありがとうね。
むねは本当にありがとう。バトンを渡す意味でも最後はむねと同部屋になりたいという気持ちが強かったです。むねから俺がどう映っていたかわからないけど一つでも多く良いことを繋いでいけたらなと思って1年間やっていました。むねは気分屋なので話してくれる時は沢山話してくれるけど、話さないってなったら何を話しかけてもそうですねしか返ってきません笑
でも、チームのこともそうだし、お互いの目標を壁に貼ったり、ご飯も沢山行きました。2年間JAPANのときも一緒にいてくれました。本当にありがとう。
自分はうわべではなく心の底から自分の結果よりもチームの結果を優先していました。なので、同期や後輩がヒットを打ったり活躍したりする姿を見ると本当に嬉しく思っていました。そんな中どんどん結果を残していく後輩たちをみて自分も奮い立たされていました。ありがとう。
春リーグ優勝を成し遂げた時は嬉しいという気持ちより、ホッとした気持ちが大きかったです。解放された気持ちでした。一つバトンをつなげることができた。そんな気持ちでした。本当に同期や後輩には感謝しています。大好きです。
この俺たちのラストシーズンが始まって自分は全員に一言書きたいと思ったのでノートに書いていました。全員見てくれているかわからないけど自分が思っている気持ちを率直に書いたし、何様だよと思うかもしれないけど一つのアドバイスと思って受け取って欲しいと思います。
最後に家族
小学生か中学生の時までパパ、ママと呼んでいて高校生から「ねぇねぇ」や「あのさ」などお父さん、お母さん呼びに変えるタイミングをミスりました。おやじ呼びには憧れてるけど言えそうにないのでやめときます。
パパへ
野球をやらしてくれてありがとう。
小学生の時はクラブチームの監督ということもあり、とても怖い存在でした。結果が出なくて怒られたり、態度が悪くて怒られたり、手は出された記憶はないけどあったのかな笑
小学生の頃の大きな決断は左利きから右に変えたことかな。自分は野球を始めるまで左利きでした。だけど、パパに右の方が生きる道が多いよとまだプロ野球を目指すとも言ったことないのにそんなことまで考えて打つこと以外全て右に変えました。今思えば、よかったなと思ってます。
中学生のボーイズでもコーチをやってくれていたので、野球の指導も沢山してくれました。中学2年生のときに人生初の骨折と手術を経験して野球から1年近く離れることがありました。そんなときでも優しく接してくれて、ゆっくりでいいからと励ましてくれたおかげで焦らず治せて復帰できたと思います。
高校になったらあまり野球のことなど言ってくることはなくなりました。高校2年生のとき甲子園に連れて行くことができて本当に良かったと思いました。上田家初の甲子園なのかな、詳しく話したことはないけどそうだと思います。練習試合も毎試合見にきてくれました。
大学野球は初めて親元を離れての生活で不安もあったけどちょくちょく連絡もくれて安心できていました。リーグ戦も一年生の頃から毎試合見にきてくれました。それは当たり前のことではないと思うのでとても感謝しています。試合後毎回「次も頑張れ」と声をかけてくれてありがとう。まだ優勝諦めずにやるし、4年間の集大成見せます。
一つ約束したことがあります。それは今年のパパの誕生日に誕プレは半年後に渡すと伝えたことです。良い報告ができるように祈ってて欲しい。
今までありがとう。これからもよろしくね。
ママへ
なんと言えば良いかわからないけど本当に感謝しています。野球を始めた時から自分の打席の動画をずっと撮ってくれてそれを送ってくれてありがとう。感謝することがありすぎて何を書けば良いかわからないけどいつも支えてくれてありがとう。
小、中、高と弁当を作ってくれてありがとう。文句言ったこともあったと思うけどなんだかんだ1番美味しかったです。今は帰省した時しかご飯食べる機会ないけどその少ない家で食べるご飯が最高に楽しみです。唐揚げとカレー沢山作ってね。
小学生の頃から毎試合見にきてくれて小学校から大学まで一緒に野球やった人で自分の親を知らない人はいないんじゃないかな笑
蒔田(4年・蒔田稔)にせすじとやすじと間違えられたり、中山(3年・中山琉唯)と挨拶してたり、熱田や祐我やゆうたろうやむねなどと絡んでたり気づいたら部員と話しています。そんぐらい色んな人にお喋りするし、絡みに行ってて時には嫌だと思ったこともあったけどお陰で良い出会いもありました。今後は様子見ながらお願いします。
どんなときでも味方でいてくれる存在で試合で結果が出なかった時も励ましてくれて応援してくれます。優勝目指して頑張るね。応援よろしくね。ありがとう。
琉久(弟)へ
小学校だけ同じチームで中学から別のチームになってしまったので一緒に野球やりたいなとずっと思ってました。高校も東邦行くし、大学も日体行くし全然一緒のところに来てくれません。そのため、野球している姿をあまり見たことがありません。興味がないわけでは多分ないと思います。でも、リーグ戦は何回も見にきてくれるし、LINEでもバッティング教えてとかいらない道具ないのとか聞いてきます。中学まで喧嘩しかしてこなかったけどお互い高校で丸くなったのかな。これからも仲良くしていこうね。最近熱田が琉久はちゃらくなったと言ってました。何か良いことでもあったのかな報告全然ないけど笑
弟として色々期待もされて難しいこともあると思うけど思いっきり野球やって欲しいし、リーグ戦も出て試合見に行きたいと思っています。
強いて言うならこれから先のどこかで同じチームとして野球をやりたいとも思っています。だからまだまだお互い頑張ろう!
じいじとばあばへ
自分は小学校はちょっと特殊でじいじとばあばの家から通っていました。なので、6年間平日は基本じいじとばあばの家にいました。自分が大きくなれたのもばあばの料理のおかげだと思います。じいじは自分が野球を始めるきっかけをくれました。一緒にキャッチボールしたり、バッティングしたり沢山練習に付き合ってくれました。神宮にこれない分家のテレビで試合をずっと見ててくれます。今はなかなか会うことができないけど、帰省した時は必ず会いに行きます。ありがとうね。
おっちゃんもいつもありがとう笑
長々となってしまいましたが、自分の気持ちを書かせていただきました。最後まで読んでいただいていたら幸いです。自分の趣味の読書は高校生のたった1年間ぐらいだけの話なのであまり広げてほしくないのと聞かれても内容薄いことしか返ってこないのでやめて欲しいです笑
俺たちのラストシーズンブログも最後となってしまいました。ざきから始まったこのブログももうラストです。
この最高の仲間とリーグ戦を良い形で終われるように頑張りますのでこれからも応援よろしくお願いします。