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俺たちのラストシーズン──山下堅士朗(長崎西)

みなさんどうもこんばんは。

ライフスタイルがマッスルとスマブラとアレで構成されている森田大夢君からバトンを受けとりました。

名門長崎西高校出身、ピッチャーを務めている左投げの山下堅士朗と申します。

 

 

今からブログを書くにあたって、僕は日本語が弱いため、変な日本語が続くかもしれませんが、精一杯書かせて頂くので、温かい目でご覧頂けると幸いです。

 

 

 

いざ、こうして振り返ってみると僕の大学での野球人生はあっという間でした。

 

入部してからまず、周りの選手のレベルの高さに圧倒され、高過ぎる壁に足がすくみました。1年生の頃は、球速は上がらず、変化球は投げれず、コントロールは定まりませんでした。その結果、ちゃんとたくさん打たれました。たくさん四球を出しました。野球下手くそだなと思いました。

 

それでも2年生では、サマーリーグで初めて先発を任されました。そこで奮い立った結果、なんとか抑えることができました。その後も練習試合で良いピッチングができ、非常に嬉しかったです。しかし、喜びも束の間、秋の練習試合では逆転満塁本塁打、1回3本塁打を浴び、更には1回6失点を喫してしまうという、これ以上にない最悪のピッチングを立て続けにしてしまい、自分の実力不足に悲しみが溢れました。それでも秋のフレッシュリーグではなんとか良いピッチングができ、ホッとしました。

 

 

 

こうして僕の大学野球人生もまぁまぁ順調にきていると思った矢先、2年の冬に肩を怪我してしまいました。なかなか治すことができなかったので、手術を行い、リハビリも重ねました。しかし、現在に至っても、完治させることはできませんでした。そうして3、4年では野球が思いっきりできず、野球ができない辛さを痛感しました。正直この2年間は、これまでの人生の中で1番辛い2年間でした。

 

 

それでも毎日なんとか野球部での活動を続けることができたのは、野球部の皆んながいてくれたからだと心の底から思います。そこで、これからは皆んなへの感謝を述べていきたいと思います。

 

 

 

まず、やっぱり1番心の拠り所になったのは同期のピッチャー陣です。

 

 

 

たもん(4年・浅利太門)は、ボール係の時にジャグ事件などで結構迷惑をかけてしまったけどそれでも見放さないで仲良くしてくれました。

スマブラもして、今では相手にならないレベルまでいっちゃってとても悔しいです。4年間ありがとう。

 

えぐち(4年・江口陽太)は、1番なんでも気軽に話せる相手でした。えぐちとの思い出は甲斐(4年・甲斐敬太郎)と3人の同部屋の時です。あの時はコロナ禍で部屋にいることが多かったから、一緒にオリンピックを見たり、スマブラしたり、甲斐と一緒に、松葉杖のえぐちの介護をしたり、本当に楽しかったです。4年間ありがとう。

 

かい(甲斐敬太郎)は、野球部で1番目にできた友達です。最初はかっこよく見えていたのですが、今ではありえないです。あと、高校時代に対決した時は僕がボコボコにしました。

あと、ビリヤードにもたくさん行って、たくさん勝たせてもらいました。4年間ありがとう。

 

りゅうちゃん(4年・菊地竜雅)は、キャラが好きです。いつも無言で「スマブラやろう」と手で合図を出してくるのが結構好きでした。でも下手くそです。

最後のリーグ戦、僕はりゅうちゃんの覚醒を楽しみにしています。秘密兵器で終わらず、どうか最後まで頑張ってください。4年間ありがとう。

 

ちば(4年・千葉汐凱)は、部屋で映画を観たり、桃鉄やシックスボールパズルをやったりしました。結構楽しかったです。でも、鶴飼(4年・鶴飼晃大)と一緒に足首の太さに目をつけて、いじってきました。結果、みんなにいじられるようになってしまいました。おそらく足首いじりは人生で最初で最後だと思います。だからあと最後までの少しの間、程々によろしくお願いします。4年間ありがとう。

 

せいが(4年・藤江星河)がいたから僕は明治にきました。結構尊敬してました。なので、最後のリーグ戦、最高のピッチングをして、かっこいい姿を見せてください。

まさかせいがと同じチームで野球ができると思っていなかったので、夢のようでした。って言うときっと喜ぶと思うので、一応言っておきます。4年間ありがとう。

 

まつ(4年・松島元希)は、ペンギンみたいで、だいぶ優しいです。あと、なんでもできるのが結構うらやましいです。僕の身長があったら絶対メジャーリーガー、もしくはNBAの選手になってただろうなと思います。

でもまつに負けないものが1つだけあります。それは荒野行動です。これだけは圧勝です。4年間ありがとう。

 

ひろむ(4年・森田大夢)は、2年間同部屋だったので、1番一緒に過ごしたと思います。ひろむの面白さに何度も度肝を抜かれました。いつも部屋に帰れば、椅子に座ってコントローラーを持ってテレビと向き合っているひろむがいて「帰ってきたな」と実家のような安心感がありました。そんなひろむとの同部屋もあと少しだと思うと、寂しさがわいてきます。

グラウンドでもいつもキャッチボールをしました。4年間ありがとう。

 

やましょー(4年・山田翔太)は、いかついです。誰かを処していても、びっくりしません。でも、優しさも持ち合わせているいい人だと思っています。

あと、やましょーとはよくボードゲームをやりましたが、だいぶ強いんで、やましょーがいると全然勝てませんでした。4年間ありがとう。

 

ピッチャーの同期はこのように色んな人がいました。ピッチャー会をやったり、イントロをしたり、みんなでわちゃわちゃするのが、いつも楽しかったです。社会人になっても、たまには皆んなで飲みに行きましょう。本当に4年間ありがとう。

 

 

ピッチャーの後輩達も、みんな個性的で面白くて、おかげでいつも練習が楽しかったです。

3学年合同のピッチャー会もみんな同期かのような感じで、楽しませてもらいました。後輩のピッチャー陣は、みんな化け物のような人達ばかりなので、これからのみんなの活躍を楽しみにしています。応援してます。ありがとうございました。

 

 

 

あと、私生活では、巨人ファンなので、巨人戦をよく観に行きました。その時によく連れていたのがまさよしです。

 

写真:鈴木将好(4年)

 

まさよし(鈴木将好)とは巨人戦だけでなく、風呂や食堂、ゲームをする時もよく一緒にいました。あとオフの日も一緒にチャーハンに行っていました。趣味が合うということもあって、まぁまぁ仲良しだなと思います。4年間ありがとう。

 

 

あとは、まるお(4年・丸尾快)とも結構仲良くさせて頂いてました。

 

写真:左から丸尾、山下

 

 

カラオケに行ったり、麻辣房に行ったり、荒野行動をしたりとよく遊んでいました。

あと、まるおにはよくいじめられました。お世話もしました。全部楽しかったです。4年間ありがとう。

 

 

 

政経の人達

 

+池田凜(4年)、水谷公省(4年)

 

 

みんなで授業を受けたり、昼飯を食べるのが楽しかったです。プライベートでも飲みに行ったり、川に行ったりと、なんだかんだ仲良くやってたなと思います。この前、川に行った時に、ようやく全員で集まることができたので良かったです。4年間ありがとう。

 

 

 

遊んでくれたみんな

 

僕はこの4年間で色んなことをして遊んだ気がします。

 

オフ前にはよく後輩や同期とビリヤードに行きました。自分が一番上手いと思っていたんですけど、3年生に新星が出てきたので、退寮までにそいつに勝ちたいと思います。

 

ボードゲームは色んな人とやりました。周りからは「運だけ野郎」と言われました。でも否定できませんでした。引退してもたまには集まってやりたいです。

 

スマブラは本当に色んな人としました。117号室で、8人でやってた時が一番楽しかったです。

 

荒野行動は4年になってからやり出して、同期でよくルームとかやりました。楽しかったです。名前は「芋ペソ」です。

 

遊んでくれた皆んな、ありがとう。

 

 

 

しんのさん(渡部慎之介/R6卒・現SUBARU)

 

 

 

高身長ファミリー(身長が高い人達で形成されるファミリー)を結成してくださり、ありがとうございました。あまり、先輩と絡みはなかったのですが、しんのさんにはたくさんいじって頂いて、ファミリーにも入れてくださり、本当にお世話になりました。またいつか、高身長ファミリーを開くと思いますが、その時はよろしくお願いします。ゴルフのお誘いも待ってます。

 

 

高身長ファミリーの後輩達

 

やはりこのファミリーに属する人たちは図体が立派なこともあり、みんなに野球強者の素質、プロの素質があると思います。是非頑張ってください。応援してます。あと、まだ新規になってから1回しか開いていないので、あと1、いけたら2回開けたらな、と思います。最後までよろしくー。

 

 

 

妖怪ファミリー(甲斐(4年)、大川(3年・大川慈英)、井上(3年・井上仁))

名前の通り、妖怪さんが集まるゆるいファミリーなんですけど、いつも定番のステーキ屋さんで開いています。めちゃくちゃ美味しいです。

そこでじぇい(大川慈英)はいつも白米ではなくパンを頼んでいました。肉とパンが合うらしいです。やっぱり妖怪だなと思いました。

じんちゃん(井上仁)は1人だけ妖怪っぽくないかもしれないけど、同部屋の時に撮った写真がかわいい妖怪のようだったので、妖怪ということにしときます。

しっかり次世代にも引き継いでください。また行きましょー。

 

 

優平君(2年・山内優平)

 

写真:左から山内優、山下

 

 

中学生から大学生までよくぞついてきてくれました。ここまで僕についてきたあなたは紛れもないくせものです。社会人になってもついてきそうで本当に心配です。

優平には言いたいことがいくつかあります。まず、ついていく背中をしっかり見極めるようにしてください。あと、人の背中ばかりを追ってはいけません。自分で行くべき道をしっかりと考えて生きてください。

そして、今はとにかく体を大きくしてください。センスが勿体無いです。リーグ戦で投げる日を楽しみにしています。8年間ありがとう。

 

 

 

織原さんをはじめとするこれまで指導してくださった方々

まず初めに、明治大学野球部の指導者の方々、四年間誠にありがとうございました。

 

次に高校の大久保先生、高校時代、「それじゃ六大で通用しないぞ」とよく言われました。その通りになってしまいました。ありがとうございました。

 

次に中学の片桐先生、一番走らされました。その結果、体力はつき、軸が大きくなりました。ありがとうございました。

 

次に小学校の横田監督、野球の楽しさを教えてくださり、ありがとうございました。

 

 

 

同期のみんな

 

 

 

 

同期のみんなも仲良くしてくれて、ありがとうございました。これまで同期が3人以下のチームしか経験したことなかったので、明治でこんなに多くの色々な人種の同期にめぐり会えて本当に楽しかったです。四年間ありがとう。

 

 

 

最後に家族へ

お父さん、お母さん、14年間、大学まで僕に野球をやらせてくれて、応援してくれてありがとう。野球をやってきたおかげで最高の仲間や指導者、色んな方々と出会うことができました。あと、野球というスポーツの面白さ、素晴らしさも知ることができました。最後まで応援してくれたにも関わらず、怪我を治すことができず、リーグ戦での晴れ姿を見せることができず、本当にごめんなさい。でも、お父さんとお母さんが応援してくれたから、怪我してもここまで頑張ることができ、野球も14年間続けることができました。これからはこれまで支えてきてもらった分、必ず恩返しします。本当にありがとう。

 

そしてパパ(祖父)やママ(祖母)、じいじも小学生の頃からたくさん試合を観に来てくれて、応援してくれて本当にありがとう。いつも力になりました。

 

そしてお姉ちゃんも東京でお世話してくれてありがとう。これからもお世話になります。

 

 

 

こうして振り返ってみて、自分はたくさんの人達に支えられてきたなと思います。怪我で辛い2年間もあったけど、みんなのおかげで幸せな4年間になりました。本当にありがとうございました。

まだ自分は人として未熟なので、これから成熟した大人になれるように、色んなことに勇猛果敢にチャレンジしていきたいと思います。

 

ということで、僕のブログはここまでにさせて頂きたいと思います。

最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。

 

 

次はピッチャー陣ラストです。その最後を締めくくるのは、北海道から来日してきた、泣く子も黙るショータ・ヤマダでーす。お楽しみに〜