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俺たちのラストシーズン──鈴木将好(明大明治)

こんばんは。

明大野球部のアーチスト、フィジークの大会に出られそうな肉体を持つ杉崎成くんからバトンをいただきました。太ももが太すぎて困っています、明治高校出身、内野手の鈴木将好です。

 

 

もうラストシーズンのブログを書かなければいけないということで必死に4年間を振り返ってみると、嬉しかったことや辛かったこと、面白かったことなどがたくさんあり、本当に貴重な4年間だったなと実感しています。そんな4年間での自分や仲間について今回は書いていきます。

 

 

今週末からリーグ戦が始まるということで自分のブログには興味がないとは思いますが、温かい目で見て頂けると幸いです。それでは、ひとつよしなに。

 

 

 

〇4年間の振り返り

あっという間の4年間だったのですが、入部した当初は野球の準備や片付け、寮の仕事が多くて大変でした。特にノックボール係は本当にきつくて、少しでも汚かったり並んでいなかったりすると細かく指摘されていました。そんなノックボール係において、野球教室ノックボール忘れ事件は忘れられません。タクシーでぎりぎり届けられたので事なきを得たのですが、もちろん外禁でした。

 

野球面においては怪我(脱臼)の連続でした。守備で飛び込んだ際に1回目の脱臼(2022年3月)をした後、ノックで3塁に投げて脱臼(2022年6月)、ボール回しで脱臼(2022年8月)と、半年間で3回も肩が抜けました。毎回織原さんにはめてもらいました。本当にありがとうございました。ただ、1回目と2回目の間に奇跡的に肩が抜けない期間があり、新人戦に代打で出場することができたのは良かったです。

 

 

結局、大学2年生の9月に手術を行いました。6か月ものリハビリ期間があり、野球が出来ない日々が続きましたが、その間にオータムリーグの企画をやってみたり、その続きでサマーリーグの企画をやってみたりしました。いい経験になったので、やって良かったです。リハビリが終わってからはB戦にも連れて行ってもらったのですが、全く打てませんでした。肩の調子もあまり良くなく、サード送球の際はサードにカバーしてもらってばかりでした。サードの皆さん本当にありがとうございました。

現在はウエイトトレーニングに精を出していて、その副作用か肩の調子も良くなってきました。肩が痛い人は懸垂をやると良くなると思います。ぜひ試してみてください。

 

 

4年間を振り返ると、「怪我」という言葉が一番強く浮かびます。しかし、そんな怪我があったから経験できたこともあったし、心も強くなったと思います。そして、少し多い同期約40人と寮生活や練習を共にした日々は刺激が多く楽しかったです。一緒にいられるのもあと数か月になったけど、みんなで楽しみましょう。

 

 

 

ということで、次はみんなへの感謝や思い出を述べていきたいと思います。

 

〇show学部

野球部の同期で一番初めに出会ったのは商学部の4人でした。入学式の時、まだ入寮していない自分を4人が温かく迎え入れてくれたことは今でも覚えています。それからは授業やテスト、昼飯を共にすることが多く、楽しかったです。

 

写真:左から宗山塁(4年)、加藤巧也(4年)、直井宏路(4年)、浅利太門(4年)、鈴木

 

 

たもん(浅利太門)は自分を除いて一番勉強ができます。そのおかげであまり教えた記憶がありません。多分頭の回転が速いんだと思います。散々いじられてきた中でそれを感じます。そんないじられてばかりだったけど、そのやりとり一つ一つが楽しかったです。

 

加藤(加藤巧也)は「話にならん」や「馬鹿か」といった加藤語録をよく流行らせています。「やるっしょ」の言葉を合図に毎日人を集めていて、自分も「やるっしょ」と言ってしまいます。堅士朗(4年・山下堅士朗)とのやりとりが面白いので、今後もよろしくお願いします。

 

こーじ(直井宏路)は一番自分を頼ってきました。何か課題があると毎回自分に確認や添削をお願いしてきたね。でもそのおかげで多くの単位が取れているので安心しています。最近は他大学の選手に自分の真似をさせたみたいだけど、恥ずかしいのでやめてください。

 

むね(宗山塁)はとてもストイックだなって感じます。特に食事面では揚げ物禁止、ラーメン禁止をずっと貫いていましたね。そのおかげで商学部での昼飯がずっと某ファミリーレストランになりました。店員さんと顔見知りになったのはいい思い出です。

 

自分の目標は商学部全員を卒業に導くことだと勝手に自負しています。5人全員で卒業できるように秋も頑張ろう。

 

 

〇普段一緒だった同期や後輩

まずは堅士朗(山下堅士朗)。堅士朗とは普段から一緒にいましたね。同じジャイアンツファンということもあって、東京ドームと神宮球場へ巨人戦を観に行ったことはいい思い出です。あとは毎日ゲームをやったことやチャーハンに行ったことも楽しかったです。私生活では何言っているのか分からないこともあったけど、本当に優しくて男前だと思います。これからも暇なときに巨人戦観に行こうね。ありがとう「運だけ野郎」。

 

写真:山下

 

 

大夢(4年・森田大夢)。大夢は最近トレーニングルームでよく会いますね。ピッチャーとは思えない程体が仕上がってきていて驚いています。大夢とは下級生の時から一緒に昼飯を食べたり、上級生になってからは「やるっしょ」したりしましたね。とても倹約家でカップラーメンしか食べない生活を一時期やっていたけど、最近は常にプロテインを飲んで体に気を遣っているところをよく目にするので感嘆しています。これからもトレーニングもその他の事もつまんなくなんないように頑張ろうね。

 

よこ(4年・横山陽樹)。よことは冬場に一緒にロングティーを行ったことが印象的です。そこでの横のパワーには驚かされました。そのパワーと同じぐらい、「運」に驚かされています。正直個人的には堅士朗以上だと思います。そんなパワーと運を存分に活かし、豪快な「一発」を今後も期待してるね。

 

まつ(4年・松島元希)。最近は勉強で忙しそうだけど、休憩時間に荒野行動しましたね。やっぱり時間を空けると下手になっているようで、自分より実力が落ちているのではないかと感じています。まつは本当に優しくて、話していると自然に笑顔になるような安心感があって、楽しかったです。勉強の方が落ち着いたら、また「やるっしょ」しようね。

 

やましょー(4年・山田翔太)。見た目はすごく怖いけど、関わるとすごく優しくて楽しかったです。「やるっしょ」においては、始めの方はボコボコにされました。初心者に対して容赦ないなとは思っていたけど、それがあったから今があります。なので「師匠」と呼ばせてください。お願いします。

 

久野(3年・久野悠斗)。商学部の後輩としても、「弟子」としても仲良くしてくれてありがとう。こないだまでシャンクスだったけど、今は違うのでリーグ戦でガンガン真っ直ぐで「押して」いくの期待しています。残り数ヶ月だけどよろしく!

 

あとは𠮷持(4年・𠮷持稀紘)。𠮷持とは1年生の頃から一緒に自主練習をしましたね。自分と吉持と原(4年・原將一郎)の三人だけで午後練に出たことはいい思い出です。階段打法とか言ってバカにしていたけど、それでオープン戦打ちまくっていたのですごいなと思います。オフには温泉に行ったり、買い物に行ったりしました。とても楽しかったです。誕生日プレゼントを毎年くれているのにあげられていなくてすまん。今年まとめてあげるので、ほしいものを教えてください。4年間ありがとう。

 

写真:左から鈴木、𠮷持

 

 

〇明治高校の先輩や同期、後輩

まずは石田さん(R6卒・石田朗)や中谷さん(R6卒・中谷優斗)、植村さん(R6卒・植村太亮)にはお世話になりました。特に石田さんと中谷さんは高校の時の投手部屋から一緒で、本当にありがとうございました。

石田さんは入寮するときに寮のルールや決まりを丁寧に教えて頂きました。入寮してすぐに原が問題を起こした際、石田さんの部屋に集合して話し合ったことが懐かしいです。

中谷さんは高校の時によくバッテリーを組んでいました。調子が悪い時でもよく声を掛けてくれたので投げやすかったです。大学でもよく遊びに誘ってくれたので楽しかったです。機会があったらご飯でも行きたいです。

 

次に同期の原(原將一郎)と樂(4年・川越樂)。高校と大学合わせて7年間の付き合いになりました。本当にありがとう。

原は高校の時に「大学で野球を続ける」と言っていて、正直不安でした。案の定入寮してから問題をいくつも起こしましたね。だけど、持ち前の明るさと懐に入る性格で乗り切ったのですごいと思います。その性格でいっぱい楽しませてもらいました。7年間ありがとう。

樂は高校の時にピッチャーを一緒にやっていたけど、コントロールがお互い悪かったね。今は学生コーチとしてチームをサポートしていて大変だろうけど、あと少し頑張ろう。あと、樂の実家のリンゴジュースが好きなので、また欲しいです。7年間ありがとう。

 

最後に後輩の宮崎(3年・宮崎雄太)、田中(2年・田中陽貴)、和田(1年・和田壮生)。各学年一人ずつしかいないけど、誰かがリーグ戦に出場して活躍してくれることを願っています。周りのレベルは非常に高いけど、何か武器があれば可能性はあると思います。人一倍練習して頑張れ!

 

 

 

〇最後に家族へ

両親へ。小学1年生から現在まで、約16年間野球を続けることができたのは、両親の支えがあったからこそだと思っています。本当にありがとうございました。

 

お父さんへ。野球の全てはお父さんから教わりました。小学生の時は少年野球チームの監督として指導を行ったり、マンションの前で素振りを見てくれたりしてくれたことが印象に残っています。また、中学や高校で怪我に悩まされた時、マッサージをしてくれたり、怪我によって最適な治療院を探してくれたりして本当にありがとうございました。怪我で気持ちがナーバスになることが多かったのですが、その度に励ましてくれるお父さんの言葉はいつも支えになっていました。連絡をしてくれているのにも関わらず全然返信しないことが多かったけど、とても感謝しています。ありがとうございました。

 

お母さんへ。高校まで毎日ご飯を作ってくれたり、洗濯をしてくれたりしてありがとうございました。働きながら毎日家事を行うことはとても大変だったとは思いますが、特に文句も言わずに行っていたので、とても尊敬しています。また、野球についてあまり詳しくないながらも、たまにバッティングについてアドバイスをくれていました。役に立ったかどうかはさておき、野球について考えてくれていたことはとても嬉しかったです。今はたくさんやりたいことがあると思うので、健康に気を付けながら楽しんでください。ありがとうございました。

 

大学2年生で度重なる右肩の脱臼を負ったとき、何度も励ましてくれて本当にありがとうございました。手術まで受けさせてくれたこともあり、現在もボールを投げることができており、野球をプレーすることができています。野球を好きでいられるのもお父さんやお母さんのおかげです。本当に感謝しても感謝しきれません。この恩はこれから少しずつ返していきます。これからもよろしくお願いします。

 

 

〇最後に

最後になりますが、今まで関わってくださった方々本当にありがとうございました。色々な方々に支えられて今の自分があると思いますし、成長することができました。今後は自分も多くの人を支えられるよう精進していきたいと思います。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

 

 

次は華麗な守備で周囲をざわつかせる染谷駿斗君です!お楽しみに!