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俺たちのラストシーズン──萩元優一郎(日大豊山)

こんばんは。お疲れ様です。

先日、皆様の熱い御声援・御支援により、何とか東京大学から勝ち点を奪取することが出来ました。この場で御礼申し上げます。残り4カードもどうぞよろしくお願い致します。

それでは本題に移らせて頂きます。

経営学部の温品選手(温品直翔)からバトンを受け取りました。政治経済学部政治学科所属、萩元優一郎と申します。4年間の大学野球生活を締めくくる素晴らしい機会を頂く事が出来ました。本当にありがとうございます。心から感謝しております。拙い文章にはなりますが、どうぞ最後までお付き合いください。

就職活動中に、自分は何年野球を続けたのかを考える機会がありました。実際に数えてみたところ、今年で16年目になるみたいです。人生の半分以上野球と向き合ってきました。長きに渡って野球をすることが出来たのは、紛れもなく周囲の方々の支えがあったからだと、改めて感じました。そのため、この場をお借りして、自分の野球人生を振り返りつつ、これまでの「感謝」の全てを、着飾ることなく正直に書き記します。

まずはスタッフはじめ、野球部の活動に携わって頂いた皆様、4年間大変お世話になりました。

 

田中監督

田中監督には、本当に感謝しかありません。3年の春からAチームの試合に帯同、今年の春にはリーグ戦に出場させて頂きました。特別何かが突出しているわけでもなく、決して目立つような選手ではない僕にチャンスを与えてくださいました。お陰様で大学以前には出来なかった素晴らしい経験をすることが出来ました。ありがとうございました。欲を言えばもっと監督と話してみたかったです。

最近では後輩を中心に「萩元は腐った。萩元は変わってしまった。」と言われるようになりました。しかしまだ諦めてません。まだまだアピールします。是非最後まで見て頂けると嬉しいです。

戸塚さん

首脳陣の中で一番お世話になりました。中でも、思い出深いのは1年生の時の、二人三脚のノックです。その当時、僕はCチームで、試合に連れて行って貰えるような選手ではありませんでした。そんな僕だけの為に、最後まで残りノックを打ってくださいました。戸塚さんでさえも、月曜は早く帰りたかったはずだったでしょう。それでも嫌な顔せず練習に付き合ってくださいました。時には「関口(中学時の監督、明治のOB)ならそれぐらい捕ってたぞ。」と発破をかけられました。入部当初は自信のなかった守備にも少しずつ自信を持てるようになりました。オープン戦では辛抱強く使って頂きました。「今日のヒットは引き込めて打てていて良かったな。」「守備に粘り強さが出てきたな。」などのお言葉、一生忘れません。ありがとうございました。引退後、是非お酒を酌み交わしたいです。是非よろしくお願いします。

写真:戸塚助監督

福王さん

福王さんには、僕が活躍するチャンスをくださいました。2年春、僕をフレッシュで使ってくださいました。もし福王さんにチャンスを頂けていなければ、今の自分は間違いなくなかったです。それからは、毎日バッティングのアドバイスを頂くようになり、福王さんに褒められたいという思いでアドバイスを参考にバットを振りました。そして気付いたら宗山(4年・宗山塁)の福王さんノックにも参加させて貰えるようになりました。未だに僕があのノックに入れたことが不思議で仕方ないです。福王さんのノックに比べればサラリーマン生活なんてへっちゃらです。(と思いたいです。)本当に福王さんには、これまでの野球人生にはなかった唯一無二の経験をさせて頂きました。本当にありがとうございました。来年から福王さんにYakult1000を届けることを、先日約束しました。この約束は一生守って生きていこうと思います。

写真:左から萩元、福王コーチ

文雄さん

最初は「凄く陽気な方だな〜」という印象でした。しかし練習になれば、当時下級生であった僕にも丁寧に指導して頂きました。初めてリーグ戦のベンチに入った日、ベンチ裏で「初めてだよな。おめでとう。頑張れ。」という言葉と共に、固い握手をして頂きました。あの時の文雄さんの温かい御言葉が心の底から嬉しかったです。ありがとうございました。

西嶋さん

野手であったため、あまりお話しする機会が多くはありませんでしたが、野球に取り組む姿を見て、野球を続ける進路などを提案してくださいました。結果的に野球を続けない選択をしましたが、西嶋さんからの評価を頂けたことが自信になりました。ありがとうございました。

広澤さん

打撃論についてお話させて頂きました。特にキャンプなどではじっくり話す機会があり、充実した時間でした。最初はなかなか名前を覚えてくれないなあと思っていましたが、4年生になりやっと覚えて貰うことが出来、ホッとしています。最終的には就職活動の面倒まで見て頂き、感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。

織原さん

4年間反抗してばかりで本当にすみませんでした。しかし、織原さんのドSトレーニング&ランメニューを乗り越えてきたことで、心身共に強い男になれた気がします。ありがとうございました。これから、後輩達が日本一になるために、お力添えお願いします。

高嶋さん

大変お世話になりました。毎週のように高嶋さんにメンテナンスをして貰ったお陰で、怪我なく4年間野球に打ち込むことが出来ました。そしてケアだけでなく、進路の相談などにも乗ってくださいました。就職活動で連敗を繰り返す中でも、高嶋さんに親身になってお話を聞いて頂いたことは、僕の心の支えになりました。ありがとうございました。これからはサラリーマンとして沢山相談することがあるかもしれません。その時は是非よろしくお願いします。

 

次に、4年間の学生生活を含め、これまでお世話になった方々へメッセージを送ります。やや個人的な内容になってしまいます。ご容赦ください。

まず、堀地さん、三浦さん、加賀見さん、山村さん、藤田さんなど、食堂の方々

毎日の食事の準備、本当にありがとうございました。皆様のお陰で健康に4年間を過ごすことが出来ました。入学時は細い身体でしたが、今となってはしっかりとした身体に成長しました。

また、堀地さんと加賀見さんには、沢山相談に乗って貰いました。野球や進路の話、時には恋愛相談など、沢山お話を聞いて頂きました。皆さんは僕にとって第二の母です。残り1ヶ月半、よろしくお願いします。

府中市、小金井市の飲食店の皆様

いつも美味しい御食事をご提供頂き、ありがとうございました。全てのお店が我々選手の憩いの場でした。全てのお店に沢山の思い出が詰まってます。引退前に必ずもう一度お伺いしようと思います。今後とも明大野球部をよろしくお願いします。

中島先生へ

ゼミナールで大変お世話になっています。僕自身、基本的に野球部の活動を中心に動いているため、ゼミを休んでしまうことがありました。先生も「またこいつ休んだのか」と思ったことでしょう。ですがいつも嫌味の一つもなく、「頑張ってきなさい」という言葉で送り出してくださいました。リーグ戦に出場した時は、先生が喜んでくれたことが何より嬉しかったです。(そして実は画面越しで応援してくれてたみたいです。)こんなに温かい先生のゼミに入室出来、本当に幸せです。ゼミも残り数ヶ月となってきました。先生からの厳しいご指摘を受けないような、文句なしの卒業論文を作り上げます。乞うご期待下さい。また飲みに連れていってください。

関口さんへ(明大OB)

何を隠そう、関口さんの下で中学校3年間野球をしたことがきっかけで、明治の野球部に入りたいと思うようになりました。関口さんみたいに明治の主力になることを夢見て、入部しましたがそんなに甘くはありませんでした。しかし、関口さんから野球を教わったことで、大学まで野球を続けることができました。本当にありがとうございました。よく個人的に連絡が来ますが、私とではなく戸塚さんと積極的にやり取りをして欲しいところです。

高校の担任だった大野先生へ。

間違いなく先生がいたから、今があると思っています。高校3年生時、みんな付属の大学に上がる中、私は一般受験で明治を目指したいと思っていました。周囲からは反対の嵐でした。しかし、大野先生が、「お前ならできるから挑戦してみろ」と背中を押してくれたことで、憧れの六大学の舞台に辿り着くことが出来ました。あの時の大野先生の一言で、大学生活で素晴らしい経験が出来ました。本当に受験に挑んでよかったです。本当にありがとうございました。今度学校に遊びに行きますね。

友達たちへ

本当はひとりひとりにメッセージを送りたかったところですが、割愛させて頂きます。お許しください。休みの日にたまに飲んだり、長期オフには遊びに行ったりと、充実した休日を過ごせました。本当にありがとう。たまに会った時に皆の近況報告を聞くと、「俺も頑張ろう」と思い、一生懸命野球に打ち込めるようになりました。フレッシュでスタメン出場をするとすぐさま神宮に駆けつけてくれたり、リーグ戦でメンバー入りしたらメッセージをくれました。心優しい友達に囲まれて、改めて幸せ者だなと感じました。これからも互いに高め合えるような友達でいたいなと思っています。これからもよろしく。このブログも終わりが近づいてきました。残りの部分で、僕にとって大切な人にメッセージを送りたいと思います。

まずは、同期の皆へ。

沢山迷惑かけました。こんな僕を受け入れてくれて、本当にありがとう。気分が乗らない時は明らかに口数が減り、悪い空気を醸し出していたと思います。特に山内(4年・山内陽太郎)、宏路(4年・直井宏路)、公省(4年・水谷公省)はよく感じてたと思います。本当にごめんなさい。これに関しては必ず直そうと思ってます。

そんな僕に対して「悪いことは悪い」「間違ってることは間違ってる」と厳しく接してくれた皆に感謝しかありません。少しは真っ直ぐな人間になれたかな。

そして個人的な話にはなりますが、今年の春頃から思い通りのプレーが出来ず、そして気持ちも乗らず、今も悶々としています。最近では、野球が辛いです。しんどいです。上手くいかない野球のために毎日朝早く起床し、練習に向かう日々が苦しいです。自主練習は謎の義務感に駆られ、差し当たりトレーニングルーム・室内練習場に向かう日々となっています。正直、心の底から、早く野球から離れたいです。

そのような中で、引退を間近に気付いたことがあります。それは、素晴らしい「仲間」がいたからこそ、どんなに嫌でも逃げることなく、ここまで続けてこれたということです。朝、憂鬱な気持ちで練習に向かいますが、練習を終えて帰る時は決まって「笑顔」になっています。そして気付いたらしょうもない話に花を咲かせ、飯森(4年・飯森太慈)と丸尾(4年・丸尾快)とゲラゲラ笑いながら寮に帰ってお昼ご飯を食べてます。夜になれば楽しく自主練をし、食堂と風呂場で馬鹿騒ぎをしています。結局寝る時は良い1日だったなと思えるのです。気付いたら同期の存在そのものが、野球を頑張る原動力になっていました。皆、本当にありがとう。お陰様で充実した日常を過ごすことが出来ました。

改めて、酸いも甘いも普通の大学生では絶対に出来ない素晴らしい経験が出来ました。本当にありがとう。感謝しかありません。引退したら暇を持て余すことになりそうです。唐突に電話してしまうかもしれません。その時は広い心で受け入れてほしいです。お願いしますね。

写真:左から飯森太慈(4年)、萩元

p.s.

加藤(4年・加藤巧也)がもう一度学年会開催したいみたいです。勿論、僕もやりたいです。優勝して皆でまた集まりましょう。飲みましょう。騒ぎましょう。絶対テッペン取ろう。

そのために沢山投げます。メンバーどんどん打ってください。

写真:宗山塁、丸尾快

後輩たちへ。

本当にありがとう。楽しかったです。

時には厳しく接してしまったことをお許しください。反省してます。

残念ながら、チーム宗山で四冠は達成出来ませんでした。この挑戦は、後輩たちに託します。絶対に4つ取ってください。皆なら絶対出来る。

写真:上から植田颯斗(3年)、宮崎雄太(3年)

写真:吉田匠吾(3年)

引退が迫ってきましたので、後輩たちのリクエストには出来る限りお応えしようと思っています。「あれ欲しいです」「これ譲ってください」「あそこの店連れて行ってください」「飲みに連れていってください」などなど。皆さんのご期待に添えるように頑張ります。223号室でお待ちしています。

写真:左から松本哲郎(2年)、田中陽貴(2年)、友納周哉(2年)、内藤大翔(2年)

最後に両親へ。

16年間ありがとう。野球との出会い、野球を通じて出会えた仲間、野球を通じたかけがえの無い経験。全ては両親のお陰です。本当にありがとう。

父さん

父さんには野球のためにあらゆる場面で支えて貰いました。練習に付き合ってくれたこと、送迎、道具を買ってくれたこと。出したらキリがないくらいです。本当にありがとう。

中でも、父さんに最も感謝したいことがあります。それは「努力すること」の大切さを教えてくれたことです。

小学生の頃から「継続は力なり」「努力に勝る才能はなし」とよく聞かされたものです。「毎日積み重ねることが大切なんだぞ」と言って、最初は半強制のようでしたが、毎朝練習に付き合ってくれました。毎日の手ゴロやティーバッティングがいつしか実を結ぶようになり、「努力って大切なんだな」と心底感じるようになりました。

昔は、ランニングも素振りもやらされていたような怠け者でしたが、気付いたら自ら練習やトレーニングに行く「習慣」が身につきました。この習慣は野球は勿論、学業や趣味のゴルフでさえもそのようになりました。

何より野球を通じてコツコツ積み重ねることの大切さを知れたことが、僕にとって大きな財産です。父さん、本当にありがとう。

社会人になっても、努力し続ける大人でいたいです。

そして、母さん。

長い間、僕の野球を支えてくれてありがとう。

中学は送迎が大変な硬式クラブチーム、高校はグランドまで片道1時間40分の高校、そして寮生活の大学野球部と、普通の親だったら絶対にやらせたくないような環境に身を置いてきました。僕の我儘に全て協力してくれたことに、「ありがとう」しかありません。

特に高校生活、受験の時は、母さんに沢山の苦労、不安にさせたと思います。

毎朝6時半、夏休みは毎日始発の電車に乗っていたので、いつも朝早く起きてご飯を作ってくれていました。そして野球部を引退したと思ったら、次は受験をしたいとお願いしたため、母さんも本当に困ったと思います。これほど、自由に学生生活を送ることが出来たのは、偏に母さんの協力があったからです。本当にありがとう。これから少しずつですが、返していこうと思います。本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。

そして、野球というスポーツが、僕にたくさんの出会いを授けてくれました。本当に野球に出会い、選んで良かったです。今後、何かしらの形で、野球に恩返ししていこうと思っています。

僕からの言葉は以上とさせて頂きます。お付き合いありがとうございました。残りは、トークがお上手な二又君にお任せしようと思います。寛、あとはよろしくね。間違いなく感動のブログになると思います。必読です。乞うご期待ください。