ラストシーズンブログ 2024.10.25
俺たちのラストシーズン──西田大流(横浜氷取沢)
みなさんこんばんは。
誰よりもチーム思いで普段は強面だけど、いじられたら満面の笑みをするツンデレ代表の福嶋耕君からバトンを受け取りました、ダブルピッチングの西田です。
昨日はドラフト会議がありました。むね(4年・宗山塁)とたもん(4年・浅利太門)、ドラフト指名おめでとう!これからも、一野球ファンとして応援してます。
毎年この時期に4年生のラストシーズンブログを見ていましたが、いつの間にか自分が書く番になっていて、時の速さに驚いています。少し長くなりますが、4年間を綴ってみたのでぜひ最後まで読んでいただけますと幸いです。
まずは、田中監督、戸塚助監督、福王さん、文雄さん、西嶋さん、織原さんをはじめとするスタッフ、明治大学野球部関係者の皆様、4年間ありがとうございました。野球の技術だけでなく、人として成長することができた4年間でした。ありがとうございました。
私は1年間の浪人を経て明治大学に入部しました。勉強で手一杯になり、身体を動かさなかったため、最初から自分の力が通用するとは思っていませんでしたが、あまりにも壁が高く、アップについていくのすら精一杯でした。全力でプレーをしてもスポ薦で入ってきた選手の足元にも及ばず、入部して早々心が砕かれかけました。
練習がきつすぎて体がついていけず、授業中は沢山寝てしまい、単位を沢山落とすこともありましたが、卒業が見えてきました。
同期には高校時代から名前を知っていた人たちがたくさんいて、何とかその人たちから技術を吸収しようと必死にくらいつきました。そして、初めて憧れのユニフォームの袖に腕を通し、ヒットを打てたサマーリーグ、そこから体作りにも力を入れ、2年秋のフレッシュトーナメントでは念願の神宮球場でヒットを打つことができました。その時の動画は今でも見返すくらいうれしかったです。
しかし、フレッシュトーナメント後監督から、マネージャーへ転身のお話をもらいました。人間性が評価された反面、戦力外通告を受けたも同然のため、何とも言えない気持ちでした。高校時代の監督や両親、あきらさん(R6卒・石田朗)にいろいろ相談し、3年夏から選手兼マネージャーを始めました。マネージャー業務を始めた当初、右も左も分からなかったため、まずはシュレッダーが友達でした。
敬語がうまく使えず、電話対応するのも一苦労でした。さらに、チームの看板として様々な業務をこなす姿を身近で見て、今まで見えていなかったマネージャーの凄さを実感しました。今も目の前で黙々とチームのために仕事をしているマネージャーみんなには頭が上がりません。特に同期のマネージャー3人には仕事面から授業、時には相談事など、とても支えてもらいました。
そして4年生が引退し、沼津キャンプを経て、いざ自分たちの代のリーグ戦を迎えようとした3月末、室内練習場でノックをしていた際、イレギュラーした球が右目に当たりました。気づいたときには右目が全く見えなくなっていました。入院を経て、症状が安定し、寮の外に出れるようになりましたが、そこからが1番大変でした。片目だと距離感がわからず、駅では前の人に近づきすぎて痴漢に間違われることもありました。凹凸がわからないので何かに躓くことや体をぶつけることは日常茶飯事になり、光に敏感になってしまったため、外に出る時はサングラスが必需品になり、夜に寮内を歩くときは壁に手を当てないと歩けない生活になりました。多くの人に心配していただき、その度に強がって「もう慣れました」と言っていましたが、そう言わないと不安で押しつぶされそうでした。
監督から自宅療養を提案していただいたり、両親からも家に帰ってきた方がいいんじゃないかと言われました。しかし、食堂で一緒に夕食をとっているときや朝練や午前錬でノックを受けているとき、事務室でいろんな話をしているときだけは怪我のことは忘れて楽しむことができたので、退寮せず残ることに決めました。チームを支えるために始めた選手兼マネージャーがいつのまにかみんなに支えられてここまで来ることができたと実感した半年でした。
まずは政治経済学部
大学生活の中で1番一緒に過ごした人たちです。一緒に授業を受け、一緒にご飯を食べて、一緒に成績発表でドキドキして、休みには川に行ったりバーベキューしたりと、とても楽しい思い出ばっかりです。1年生の時1番単位を取れていなかったのは悔しいけど、みんなで無事に卒業しましょう。
4年間いろんなライブに一緒に行ってくれてありがとう。トイレに入っている間に毎回スリッパいたずらしてくるツル(4年・鶴飼晃大)。入部したての頃、先輩かと思ってずっと挨拶していたのに同期って教えてくれなくて、「おう」って返答してきた星河(4年・藤江星河)、頭の回転が速く、様々な角度から沢山いじってきたたもん(4年・浅利太門)。新大久保の話をしてる時、なんで誘ってくれなかったのかなって思いながら毎回聞いてます。卒業してもライブ行こうね。
飯森(4年・飯森太慈)
誰よりも心配性なたいじ。履修の時になると、もういいだろうってくらい聞いてきて蛙化だけど、とても人情深い人です。 マネージャーのことで相談しようとしたけど裏方の相談事で負担をかけちゃいけないって思ったとき、1人の友達として相談に乗るよって言ってくれた時はうれしかった。小さいけどその大きい背中を頼りにしてます。
千葉(4年・千葉汐凱)
いっつも笑わしてくれた千葉ちゃん。人の悪口を言ってるところを聞いたことないし、信じらんないくらい優しくていいやつだけど、おれがそっぽ向いてるときに後ろで変顔してるの気づいてるよ。またビール大学いこうね。
江口(4年・江口陽太)
江口はほんとにいいやつでやさしすぎるよ。
菊地(4年・菊地竜雅)
今週ポセイドン来る?とKMTすごくね?が口癖の男。いつのまにか、顔合わせたら何かしら会話をする仲になってたね。りゅうがのお母さん見てますか?あのエラーの後沢山ノック受けて少しは成長できたかもしれないです。ぜひ、いつか見に来てください!
𠮷持(4年・𠮷持稀紘)
唯一の一浪仲間。デリカシーのなさには毎回驚くけど、美容意識だけは尊敬できるかな。何気1番気楽に話せるかもしれないね。卒業旅行、行けたら行くね。写真はないです。
山下(4年・山下堅士朗)
オフの日沢山夜飯食べに行ってたのに忘れてたね。悲しいです。ゲームは強くて何言ってるかわからない宇宙人だけど、けんしろうと一緒にいる時間が楽しかった。ありがとう。
他にも、ノックの時にヘッドって沢山いじってくる加藤(4年・加藤巧也)、4年間の会話の9割がいじりの宗(宗山塁)、許しがたい陽太郎(4年・山内陽太郎)、フッ軽王吉岡(4年・吉岡佑真)、オータムの時はほんとにごめんなさいのやましょう(4年・山田翔太)、実は二人きりの時はやさしくて野球に対して熱い男神田(4年・神田航生)、どちらかというとサイズこっち側な中山(4年・中山琉唯)、明治大学のピーターペティグリュー高田(4年・高田直人)、屁しかこかないりく(3年・本岡里空)、先輩との距離感が苦手なでっかい赤ちゃん小島(2年・小島大地)、先輩をおさるさん呼びする内藤(2年・内藤大翔)、誰かに会いに事務室に来るけど、いないとわかったら残念そうな顔して帰るさかき(2年・榊原七斗)などなど、個性強い人たちしかいないけど、充実した4年間を過ごすことができました。
朗さん(石田朗)の言葉はいつも的を射ていて、困ったときはいつも相談に乗っていただきました。間違ったことをしたときはきちんと叱ってくださり、とても尊敬しています。ひろきさん(R6卒・森裕規)とあまねさん(R6卒・萬谷天音)は兼任を始めた当初、コミュニケーションを取れていなかったときやケガをしたときに気にかけてくださり、うれしかったです。いつか焼肉のリベンジをさせてください!
マネージャー3人
4年間お疲れさまでした。約1年半一緒にマネージャーできてよかったです。選手兼マネージャーを始めるまでは特別に仲良かったわけじゃなく、女3と男1でやっていけるかなって思ってました。途中から始めた+練習で事務室に居れない時間があるにも関わらず、マネージャーの一員として迎え入れてくれて、やさしく仕事を教えてくれてありがとう。朝早くから夜遅くまでチームのために動いて、肉体的にも精神的にも大変なことばかりだったと思うけど、自分が大変なときに選手やチームのことを考えて動くことは、簡単にできることではないし、ほんとに尊敬してます。文字数が長くなりそうなのであとは口頭で伝えます。
このように4年間を振り返ってみると、決して良い思い出だけではありませんでした。人数が多くてなかなかオープン戦に行けず、残って試合アシストや社会人チームの外野守備をしたり、選手とマネージャーを都合のいいように切り替えていると言われたり、失明したりと。しかし、寝坊が怖くて近くの部屋同士で協力して起こしあった日や外禁サッカー、フラれた人を慰める会、など苦い思い出をかき消すくらいの良い思い出、良い人に出会えたことがこの4年間の宝物です。
最後に家族へ
約15年間、不自由なく野球をやらせてくれてありがとう。初戦負けした高校から東京六大学に挑戦すると言ったとき、リビングで凄く反対している声は聞こえたけど、最終的には寮に見送ってくれて、4年間サポートしてくれてありがとう。これからは少しでも親孝行できたらなって思います。
お兄ちゃんは、弟たちに頼れる背中を見してください。
隼介はいい加減ホームシックしないように。
豪は星河(藤江星河)の真似ばかりしないように。
次回は、毒舌みんなのアイドルみきちゃんです。