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俺たちのラストシーズン──岸上さくら(立命館慶祥)

みんなのアイドル、副将の直井宏路君からバトンを受け取りました、主務の岸上さくらです。

 

 

4年前、全く想像しなかった大学生活がここにはありました。楽しいことや嬉しいこと、苦しいことや辛いことなどいろんなことがありましたが、引退目前に、明治を選んでよかったなと心から思っています。

 

私の思いの丈を一生懸命書きました。

できたら、たくさんの方に読んでいただけたら嬉しいです!

 

 

 

幼少期、ピアノやパズルなど室内のあそびを好んだ私は、野球とはほとんど無縁の生活を送っていました。両親がファイターズファンだったことがきっかけで、初めて札幌ドームに野球観戦に行ったのが小学生の時。ルールはさっぱり分からなかったけど、応援歌や稲葉ジャンプに心を躍らせていました。その頃の私は野球をスポーツとしてではななく、エンターテインメントと捉えていた気がします。

 

 

 

中学に上がると、小学校で3年間親しんだ楽器を続けたくて吹奏楽部に入部しました。

吹奏楽部では、担当楽器も、私の性格的にも部の中心になるようなタイプではありませんでした。どちらかと言うと、中心で頑張る人を支える立場にいたと思います。

みんなでひとつの音楽を作ったり、全国大会で金賞を取るために必死になって練習した日々はとても楽しかったです。「戻れるなら何歳の時に戻りたい?」という質問には必ず中3の夏と答えます。それほど吹奏楽部での思い出は私にとって大切なものです。

 

 

高校では、楽器を続けるかも迷いましたが、「厳しいところに身を置きたい」という考えから、学内で1番厳しそうだった野球部の門を叩きました。

 

高校のマネージャーは、みなさんが「マネージャー」と聞いて最初に想像するような、練習中のジャグ作り、ノックの補助、ウォーミングアップの進行などを行います。インドアで外遊びすらろくにしたことがなかった私にとって、外での部活動は体力の面でとても大変だったことをよく覚えています。

どれくらい運動音痴かというと、落ちていたボールに気づかず踏んづけて、ただ転んだだけだと思ったら靭帯を断裂していたほどです笑

 

 

高校最後の北海道大会、ベスト4をかけた試合で対戦したエースがまさかチームメイトになるなんて、思ってもいませんでした。その頃から「縁」という言葉やその意味をすごく大切にし始めたような気がします。

大変なことも多かったけれど、高校3年間のマネージャー生活は、素敵な監督・同期・先輩・後輩に恵まれ、コロナ禍ではありましたが、自分なりに全うしてやり切った感がありました。

 

 

 

大学では何をするか全く決めていなかったので、新入生歓迎会に行ってみました。

ご飯を作ることが好きだったので、部員の食事を作ることが仕事の1つだったヨット部のマネージャーか、一度離れた楽器にまた挑戦しようかなと思っていました。ですが、新しいことにチャレンジしたり、ブランクを感じたりするのが怖くて、「直近の私の経験を評価されるところに身を置きたい」と考えるようになり、選んだのは野球部。

サークルや地域のクラブチームのマネージャーは全く考えていませんでした。やるなら「厳しいところに身を置きたい」という考えから、体育会一択でした。

 

 

体験と面接を経て、ご縁があって入部することができました。

野球部のマネージャー経験があるからとは言え、事務作業や電話対応などは初めてで、1年生の頃は仕事を覚えるのに必死でした。

それでも、必死に頑張っているといいこともありました。私の電話対応を聞いていた同期が「なんかコールセンターの人みたいですごいね」と言ってくれたことがあります。言った本人は忘れていると思うけど、入部して不安でいっぱいの中、そういうさりげない一言が本当に嬉しかったです。

 

 

 

2年生になると、マネージャー全体で「広報活動」に力を入れました。自分が作った画像や文章を、誰かに見たり読んだりしてもらえるのがとても嬉しかったです。評価が目に見えづらいマネージャー業務の中で、日に日にフォロワーさんの数が増えていき、数字で自分たちの仕事の成果を感じられて、喜びを感じていました。その頃、ようやく自分の仕事にも慣れてきて、チームがどうとか、組織がどうとか、少しずつ周りが見えるようになってきました。

 

同年の秋口、当時の主務に「主務をやってみないか」とお話を受けました。

 

最初は何を言われたのかさっぱり分かりませんでした。たしかに、私の学年には専任の男子マネージャーがおらず、私たちの代の主務は誰がやるんだろうね?と、同期の未稀(4年・大崎未稀)と璃子(4年・小池璃子)と話をしたこともありました。4年生に専任の男子マネージャーがいない時は、一つ下の学年の男子マネージャーが主務を務めるのが明治大学のやり方だと思っていました。

まさかの一言にしばらくぼーっとしていたと思います。

 

すぐに未稀と璃子に伝え、今後どうしていくかを何度も話し合いました。

 

まず、主務は何の仕事をするのか、そこからです。事務室にあるいろんな書類を見て、これも主務がやるんだ、あれも主務が出席するんだ、と、これまで私が把握していた何倍もの仕事量、その責任の重さに圧倒されました。

いろいろ考えて、やっぱり私には到底務まらない役職だと思いました。

 

 

時々、「立候補して主務になったんだよね」と言われることがありますが、まったくそうではありません。

過去の自分を振り返り、「私は主務をやりたかったのか」と聞いても、その答えは、、、

情けないですが「はい」とは言い切れません。

 

でも、もし、スタッフに任せていただいた時に、同期の誰かに「主務をやってほしい」と言われた時に、自信と責任を持って「私でよければ責任を持って務めます」と言えるための準備はしておこうと思いました。

 

準備には丸1年かかりました。

 

野球部を知り、組織の基盤を知り、野球部を支える多くの人の努力を知り、時にマネージャーを客観的に見たり、他大はどんな仕事をどう分担しているのかを聞いたり。ようやく3年生になったのに、1年生の頃みたいに、初めてのことを学ぶ1年だったように思います。

 

 

覚悟を決めたのは、3年の秋。

同期からの一本の電話でした。

 

「やっぱり、さくらに主務をやってもらいたい」

 

その頃には、不安や迷いはほとんどありませんでした。一緒に切磋琢磨しながら歩んできた仲間からの言葉が心に刺さり、その時は前向きな気持ちで

「私でよければ」

と返せました。

 

自分なりに「主務」という立場を理解して、覚悟、自覚、責任を持って取り組もう、そう決めました。

 

でも、あれだけ前向きになっていたのに、いざ主務になると、先のことが不安でどうしようもなくなりました。

 

仕事をきちんとやっても褒められることはなく、どれだけ頑張ってもできて当たり前。

ミスをするたびに、怒られ、落ち込み、立ち直るの繰り返し。

でもその中でたくさんのことを学び、成長したと思います。

 

前の主務が評価されたことを私が同じようにやっても否定される時もありました。試合後に、信頼していた人から「さっさと負けろよ」と言われたこともありました。明治に女性主務はいらないと言われたこともありました。

 

本当は苦しくて立ち止まりたい、全てを投げ出したい、そう思いながら自分の本音を隠して頑張らなければいけない日々は正直辛かったです。

 

でも、野球部を選んだことを後悔はしてません。

辛いこと以上に貴重な経験や楽しい思い出がたくさんありました。主務を任せていただいたことにすごく感謝しています。

 

リーグ戦で選手たちが活躍したり、みんなの笑顔を見ると、ここまでの苦労は無駄ではなかったと、プラスに考えられるようにもなりました。

 

 

そう思えたのも、私がここまでやってこれたのも、周りの方々に支えられ、助けられ、その度に「この方たちに恩返しをしないと」と、また気持ちを立て直してもらえたからです。

 

これまで関わってくださった人全員に、私は特別な想いを持っています。その感謝を伝えてこのブログを終わりにしたいと思います。

 

 

まずは、田中監督をはじめとするスタッフの方々。

不甲斐なく頼りないマネージャーでしたが、最後までご指導いただきありがとうございました。田中監督には特に感謝を伝えたいです。私が主務になって、ご来客の方が来るたびに監督は私のことを過分なほど丁寧に紹介してくださりました。周りの方に女性主務を理解していただけたのも、監督のおかげです。ありがとうございました。

 

津賀さん。何から何まで本当にお世話になりました。困った時には、「津賀さんに相談しよう」が合言葉でした。問題が起こるたびに助けていただき、たくさん食事にも連れて行って下さりました。2年生の冬、自分の中で考えていたことを最初に打ち明けたのは津賀さんでした。愛のあるご指導を本当にありがとうございました。

 

 

保護者の皆様

試合前には今日もがんばってね〜!、試合後にはお疲れさま!と、マネージャーの私にまでいつも明るく声をかけていただきとても嬉しかったです。試合のことも、そうでないこともたくさんお話しした時間が楽しくて、気づけばリーグ戦も残り1カードとなり、お会いできる回数が限られていることに寂しさを感じます。法政戦も、チームに尽力してまいりますので、残り少ない時間ですがよろしくお願いいたします!

 

 

ファンの皆様

いつも温かいご声援をありがとうございます。試合前後の挨拶で、紫紺に染まったスタンドを見るたびに毎回涙腺が少し緩んでいました。これだけ多くの方に応援していただいているんだと思うと、自然と力が湧いてきました。皆様の応援は確実に選手の元に届いております。これからも明治大学野球部をよろしくお願いします。

 

 

応援団のみんな

最高の応援をありがとう!私自身が吹奏楽部出身だったこともあり、いつも聴き入るように応援歌に夢中になっていました。ベンチに入ると直接応援団のみんなと顔を合わせられなくなってしまうけど、大迫力の応援を全身で感じながらスコアをつけています。誰かのために頑張れるみんなには尊敬しかありません。今週末も力を貸してください!!

 

 

野球部の同期のみんな

4年間お世話になりました。みんなの活躍をそばで見ることができて幸せでした。愛のないいじりで傷ついたこともあったけれど、毎日当たり前に会っていたみんなと突然会わなくなるのは寂しいです。最高の4年間をありがとう!

 

 

マネージャーの後輩たち

頼りないマネージャーでごめんね。特に最後の1年はみんなの優しさに助けられてばかりでした。事務室でくだらない話をしたり、足りなくなったヨーグルトやお団子を探しに近所のスーパーを巡ったり、みんなとのマネージャー生活でたくさんの楽しい思い出ができました。ありがとう。

里空(3年・本岡里空)と珠海(3年・加藤珠海)、来年からは2人が引っ張っていくことになると思います。大変なことがたくさんあると思うけど、2人がやりたいことをたくさんやって、楽しい1年にしてね。困ったことや辛いことがあったら、私で良ければいつでも連絡してね!話を聞くことくらいしかできないけど、おいしいごはんを食べに行こう!

 

 

他大学のマネージャーのみんな

どんなに疲れていても、連盟室に行けばいつも笑っていたような気がします。自チームで困ったことが起きた時、他大のやり方を真似てみたり、アドバイスをもらったりとたくさん助けてもらいました。「六大っていいな」と思えたのもみんなに出会えたからです。

特に主務の5人。大変な時も、そうじゃない時も、私の心の拠り所はみんなでした。

同じ役職だからこそ分かる苦労や喜びを、他の誰でもなく、この5人と分かち合えたことをすごく嬉しく思います。たくさん相談に乗ってくれてありがとう。

 

来年、東京六大学野球は100周年を迎えます。これまで100年間、たくさんの人が繋いできたバトンを次は後輩のみんなが繋ぐ番です。マネージャーは大変だし、たくさん怒られるし、成果が見えづらい役職です。思い悩むこともあると思いますが、あまり気負いすぎず、思いっきりやってみてください!引退する時には「やってよかった」ってきっと思うはずです。みんななら大丈夫。

陰ながら応援しています。

 

 

まさる(4年・西田大流)

選手兼マネージャーのまさる。マネージャー視点ではなかなか分からないことをあれこれたくさん聞きましたが、いつも優しいまさるは嫌な顔せず全部に真剣に答えてくれました。優しいだけじゃなくて面白いこともたくさんしてくれました。事務室の笑いの中心にはいつもまさるがいたと思います。大変な役目を引き受けてくれて本当にありがとう。あと少し一緒に頑張ろうね。

 

 

未稀(大崎未稀)、璃子(小池璃子)へ

2人には何から感謝を述べたらいいかわからないほど感謝しています。何度もくじけそうになった時、2人がいたからここまでやってくることができました。

「未稀と璃子に出会えたんだからこの選択は間違っていなかった」と、2人の存在は私が頑張れる理由になっていました。

写真:左から大崎、岸上、小池

写真:左から岸上、小池、大崎

 

 

未稀

この4年間、ずっとみきちゃんの笑顔に癒されてました。会計は細かい仕事が多いのに、どんなに小さい仕事もちゃんとやる未稀ちゃんをすごく尊敬しています。頼りなくってごめんね。未稀ちゃんの「いいよ〜」に甘えて、頼りすぎてしまいました。

いつも優しくしてくれてありがとう。そろそろ未稀ちゃんの手料理が食べたいです笑引退後もたくさん遊ぼうね!

 

璃子

璃子は、私が忘れている仕事を「これどうするー?」といつも教えてくれました。メンタルよわよわな私の心のケアをしてくれたのもリコピンです。いつも大抵同じような相談しかしないし、解決策はだいたい1つなのに、毎回「りこ〜」と助けを求めてごめんね笑

私は楽しい雰囲気を作ったりするのが苦手だったから、事務室で璃子がみんなを楽しませてくれてすごく助かったよ。ありがとう。家が少し離れちゃったけど暇があったらうち来てね☺️

 

 

最後にお父さんとお母さんへ

「どうして2人は結婚したの?」と聞くと、だいたい適当な回答が返ってきますが、実はかなり仲がいいことは知っています。実家にいた頃は、私が起きるずっと前からリビングで2人でよく話しているのを、2つとなりの寝室からこっそり聞いていました。そんな仲良しな2人の子どもに生まれてきたことを嬉しく思います。

 

 

お父さん

家に帰ると私と母のマシンガントークを嫌な顔せず聞いてくれるお父さん。私が好きな音楽を好きになってくれたり、吹奏楽や野球など、私の部活動をいつも楽しそうに応援してくれるのがすごく嬉しいです。車内に大音量で流れるサザンの曲を2人で歌いながらドライブに行った時には、2人だけの特別な話もしました。少し不器用なお父さんが、私は大好きです。22年間ありがとう。私もお父さんみたいな立派な社会人になれるように頑張るね。

 

 

お母さん

私の一生分の運はお母さんの元に生まれてきたことで全て使い果たしたと思います。もし本当に使い果たしていたとしても、いいとはっきり言えるくらい私はお母さんのことが大好きです。就活に悩んでいた時、「ひとりくらい養ってあげる~」と言ってくれました。辛いことがあった時には一緒に泣いてくれました。どんな名言やどんな格言を聞いても、お母さんの「大丈夫」に勝てる言葉はありません。お母さんのことは私とお父さんで一生守るからこれからも健康に気を付けてね。今まで支えてくれて本当にありがとう。

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 

39人でつないだバトンも残すはあと一人となりました。

 

最後を飾るのは我らが主将・真の大黒柱の宗山塁です!お楽しみに!