ラストシーズンブログ 2023.10.04
俺たちのラストシーズン──渡部慎之介(桐蔭学園)
こんばんは!
色んな意味でトンデモ集団でお馴染み神宮シニアのキャプテン山本伊織君からバトンをいただきました、とにかく立直が武器の桐蔭学園高校出身の渡部慎之介です。
この明治大学野球部で過ごした4年間は、今までの野球人生の中で1番楽しい時間でした。
初めて野球部の同期に会った日のことは、インパクトがありすぎて今でも覚えてます。
高校の野球部を引退してすぐの頃、明治大学野球部の練習会があり、そこで初めて同期と会いました。
U-18候補に選ばれていた希由翔(上田希由翔)や、広陵の二人組、春日部共栄のバッテリーなど知名度のある面々がいて面食らいました。
高校時代エースでもなく、指定校推薦で大学に行き、野球をやめようと思っていた自分が居てもいい所なのかというのが、最初に出た感想でした。
入学してからは同級生の左ピッチャーに、広陵の森勝哉と石原勇輝がいました。
“入学当初の森勝哉“は、蒔田(4年・蒔田稔)のブログにもあった通り、「プロにならんかったら、お前何しに来たん」と言える程の実力がありました。
石原も2年になる頃には、140km/h後半を超えるストレートを投げ込んでいて、敵う相手じゃないなと思ったのを覚えています。
そんな同期がいる中で、あまり結果が出せず伸び悩んでいた頃にフレッシュリーグで四球が多くボロボロの結果になってしまい、落ち込んでいた時に、先輩だった竹田さん(R4卒/現三菱重工West・竹田祐)に、「落ち込むほど練習してないやろ」と言われ、確かにそうだなと思い、そこから少しずつ工夫をしながら練習をするようになりました。
その練習の中で、石原や他のピッチャーとの違いを出すためにサイドスローという道を選びました。
身長を活かして上から投げるのが武器ではあったのですが、野球をする上でピッチングスタイルにこだわりがなかったので、抵抗なく横に変えてから、対左打者を意識してピッチングをするようになりました。そこから対左打者のワンポイントとして生きる道を見つけました。とても限定的で少ない仕事ですが、リーグ戦でも使っていただけるようになってその年の春のリーグ戦で優勝をすることができたので、微力ながら力になれたのかなと思いとても嬉しかったのを覚えています。
この大学には善波さん(前監督・善波達也)に誘われて入れていただいていたので、少しでもいい報告ができるように頑張っていたのですが1、2年で全く結果が出ずその中でも様々なアドバイスをいただいていたので、3年になって自分の選択でサイドスローにした結果、少しでも恩に報いることができて、安心した一方で更に結果を出していい報告ができるよう頑張ろうと思っていました。
結果的に3年秋と4年春ではあまりいい結果を出すことができなかったので、今季や次のステージでは、もっといい報告ができるように頑張っていきます。
善波さんには明治大学野球部の核の部分である「人間力」の手本をこの4年間で見せていただいたので、それをこれからの人生で自分ができるよう精進していきます。
私生活の面では、同期のピッチャー陣にはとてもお世話になりました。
石原とはピッチングの技術的な事を話し合ったり、恐ろしく生産性のない会話をよくしたりして、気づけば4年間が経っていました。
これからも野球を続ける同士仲良くしよね。
蒔田には、酒の飲み方やその他の援助をしてもらいました。本当に感謝していますが、九州は好かんです。この先も幸せに過ごしてください。またこれからも“社会人野球”で一緒に頑張って行きましょう。
賢一(村田賢一)とは様々な趣味が合いました。特にゴルフは1番一緒に行く機会が多く、とても楽しかったです。次はWRXとパンダトレノで一緒に榛名山や碓氷峠を攻めにいきましょう。
勝哉と岡田(岡田幹太)は割愛します。
朗(石田朗)はダル絡みをしまくったのにも関わらず、ずっと仲良くしてくれました。数少ないまともな会話がちゃんとできる人なので、これからもよろしくお願いします。
他にもシビアな期間はあったものの、なんだかんだ仲良くしてくれた謙伸(菅原謙伸)や、長い時間卓を囲んだ聖太郎(石﨑聖太郎)、小池(小池裕斗)、中谷(中谷優斗)、最近よくラウンドに行く熱田(熱田泰祐)にはお世話になりました。
後輩にも色々お世話になりました。
高身長ファミリーには介護してもらい、全員にダル絡みをしましたが、皆んな愛想笑いをしてくれて感謝しています。
特に久野(2年・久野悠斗)は、2回連続で同部屋になってもらい、色々迷惑はかけたけど自分的にはとても楽しい1年間でした。これからもっと活躍してほしいです。周りと仲良くしてね!
後輩ピッチャー陣には、敵は他の5大学だけじゃないよというのを伝えたいです。
最後ここまで適当に生きてきた自分のサポートをしてくれた両親に感謝を伝えたいです。
小学校で野球を辞めたくなった時、とりあえず続けてみればと母から言われ、なんとなくで続けてきましたが、正直ここまでできるとは思いませんでした。ここまで野球ができたのは、父親の支援と母親のアドバイスのおかげだと思っています。
本当にありがとうございました。
これからも野球を続けます。今までの野球人生に関わってくれた方、これからの人生に関わる全ての人間に感謝の気持ちを忘れず、善波さんのような生き方をできるよう頑張っていきます。
次は野球部ガメつさNo.1、豆タンクのりんたろう(渡邊麟太郎)です!