俺たちのラストシーズン──菊地竜雅(常総学院)
くしゃみの音量がマナーモード、打者から投手に転向後、草むしりが特技となってしまった甲斐敬太郎くんからバトンを受け取りました。ピッチングよりもバッティングが好きな“投手”の菊地竜雅です。
先輩達のラストシーズンブログを見ている間についに自分の番がとうとうきてしまいました。改めて大学野球生活はあっという間で濃い4年間でした。
まず、田中監督はじめ、戸塚助監督、福王コーチ、辛抱強く指導してくださり、ありがとうございました。
特に戸塚助監督は本当にお世話になりました。
蒔田さん(蒔田稔/R6年・現JFE東日本)と一緒に受けたノック(通称:とっつぁんノック)、ペッパー、取り10を毎日していただきありがとうございました。
ペッパーをしている最中に「オリックスの宇田川みたいに這い上がってみろ」という言葉に奮起してここまで来れました。
最後は勝って、田中監督と共に戸塚助監督も神宮球場で胴上げできるように投げ抜きます!
さて、4年間を振り返っていて、自分は何が思い浮かんだでしょうか?
正解は「怪我との戦い」でした。
コロナ禍真っ只中、入寮が2回も伸びたところから始まりました。
入学前から肩を怪我したまま入寮しても中々治らず。
少しずつ治ってきて、調子乗って投げたら再発。
2年のサマーリーグに参戦したものの1試合で再発し離脱。
2年秋のフレッシュトーナメントに間に合わせようとしたが調整が1週間間に合わず。
2年のオータムリーグで2年半ぶりに違和感なく投球。
3年春のキャンプに初めて帯同。
そこそこ結果を残し始めたところでコントロール壊滅。
3年夏のキャンプのブルペンでストライクが入らず挫折。
それでも少しずつコントロールが安定してきたところに二部練習のやらかし。
2ヶ月間自分と向き合う時間。
4年春のキャンプの肩の違和感。
1ヶ月で肩の違和感がなくなり調子が上がってきた頃にギックリ腰。
2年生の頃に関しては、福王さんに「菊地が投げてるから明日雪でも降るのか?」と言われるぐらい、自分がブルペンで投げたのは少なかったです。
それ以降は徐々にオープン戦で投げるようになってきましたが、試合で投げ終わるたびに「肩痛くないの?」と、毎回心配されるほど自分といえば怪我というイメージが定着していました。
調子いい日でももちろん心配されました。
心配してくれた人ありがとうございました。
こんなに多くの怪我をしてきましたが、そのリハビリ、治療をしてくださった接骨院、整骨院等の先生たちには感謝しかないです。ありがとうございました。
実働時間はとても短く、自分のパフォーマンスが出せずに焦っている自分に声をかけてくれた、竜聖さん(原田竜聖/R5卒・現小松マテーレ)、櫃さん(大櫃準也/R6卒)の言葉には本当に救われました。あの言葉があって怪我が多い中でもここまでやって来れたと思います。2人が現役の時に神宮球場で投げれなかったことだけが唯一の後悔です。最後の最後の4年秋のリーグ戦ではこれまでリーグ戦に出れなかった分、暴れていきたいと思います。ベンチ入ったら絶対来てください!
怪我をしまくったせいで、フレッシュトーナメント、リーグ戦、全国大会で神宮球場に立ったことない4年生はついに自分だけになってしまいました。今秋、大トリを務めさせていただきたいと思います。
明治大に入ってさまざまな思い出ができました。覚えてる人、忘れた人もいると思いますがこれをみて少しでもこんなことがあったなって思い出してくれたら幸いです。
第一回投手軽自動車キツキツおふろの王様会
外禁室内BT
真夜中江ノ島観光
〇〇しました事件
コロナ帰省ハニートラップ事件
ハニートラップないからガチで帰れ
星河(4年・藤江星河)と謎のシビア期間&へんくつ仲直りハグ
PP30本やり直し
大雨御殿場アウトレット
3日で5試合観戦
全体グル動画誤爆送信事件
初動負荷事件
社会貢献活動
部屋待機無期限社会貢献活動神回避
ゴルフコンペ
合法府中キャンプ&府中BBQ
人生初川BBQ
「うっせえな、マジ」室内アップ移行
まだまだあると思いますがたくさんの思い出のせいで忘れてると思います。まだあったら直接教えてください。
ここからは少し感謝の言葉を述べたいと思います。
まずは同期ピッチャーへ
僕のことをたくさんいじるの太門(4年・浅利太門)。
すぐ怪我する二大トップのえぐ(4年・江口陽太)。
何個も意味わからないあだ名をつけるけーたろー(4年・甲斐敬太郎)。
握手から結局打開できなった千葉(4年・千葉汐凱)。
登板日必ず雨が降る為、雨男になったせーが(4年・藤江星河)。
左腕からとんでもない豪速球をくり出すまつ(4年・松島元希)。
筋肉マッチョでスマブラ強すぎる大夢(4年・森田大夢)。
天然すぎるけんしろう(4年・山下堅士朗)。
目つき悪くて同期に見えなかったと言われてしまったやましょー(4年・山田翔太)。
個性豊かな9人のおかげで楽しく過ごせました。
ありがとう。
次は特にお世話になった3人へ
まずは陽太郎(4年・山内陽太郎)へ
入寮したての最初のオフの日の夜、全く話したことなく気まずい中、一緒にすき家に行ったところからはじまりました。最初、人数の関係で陽太郎だけ1人部屋だった時、たまに陽太郎の部屋に布団持っていって寝てたので、その時から徐々に仲良くなっていきました。人からもらった誕生日プレゼントを2日で壊すほどおっちょこちょいの陽太郎くんは、投手の自分とは練習メニューがかなり違うため、練習自体で関わることはあまりなくても、それ以外で一緒にいた時間は長かったです。とある理由で最近は月曜日遊ぶ頻度が少なくなっても練習オフの火曜日は一緒にまぼろしいったり、初動負荷に向かう時も一緒に昼食食べたり、寮の外ではかなり一緒にいました。
もう少し月曜日遊んでくれよ!!!笑
春のリーグ戦は2人ともベンチ外っていう日がちらほらあったので、秋のリーグ戦では2人とも全試合にベンチに入って活躍できるように頑張ろう!
また遊ぼうね。
太慈(4年・飯森太慈)へ
何かと相談があれば大体、太慈に相談してたよね?笑
リーグ戦前のオープン戦では毎回不調で「今季やばい」と言いつつ、リーグ戦に入ると打率3割超え&ベストナイン獲得しちゃうのは、もはやテンプレでした。「グルテンフリーはじめた!」と言いながら大好物のパスタを食べてしまうのはご愛嬌ってことで。卒業しても相談すると思うのでめんどくさがらずに相手してください。
時にはズバッと物申してね。
ストレートを逆方向ばっかりヒット打たれるとメンタル来るので、打たせる気はありませんが、打つならせめて逆方向以外のヒットにしてください。これからもよろしくね!
琉唯(4年・中山琉唯)へ
ここだけは少し長々書かせてください。
常総学院時代の3年間含めて、7年間お世話になりました。
ジャイアンツカップ予選の準決勝で自分がホームランを打たれた小山ボーイズのキャッチャーが常総学院選んだと聞いた時は本当にびっくりしました。とんでもないキャッチャーが来ると。高一の東北遠征から初めて組んだバッテリーが、まさか大学まで組めるとは思ってもなかったです。7年間で一番バッテリーを組んだと思います。
ここ一番での打席の強さで何度もチームを救った男は、春のリーグ戦でもここ一番の強さをまた見せてくれました。秋のリーグ戦でもその強さを再度見せてくれると思います。常総学院時代に進路に迷っていた際、琉唯とバッテリーを組むと自分の能力を最大限引き出すリードをしてくれる。琉唯と明治大でレベルアップしたいという自分の気持ちに嘘はつけませんでした。これが明治大に進路を決めた一番の決め手でした。
7年間も組んでいれば投げたい球種をわかってくれるのであまり首を振らずに投げれます。(気のせいかな?)その代わり忖度なしにズバズバ言ってくれるので嬉しい反面、カッチンと来る場面も少々ありました。笑自分に足りないところを指摘してくれるので少しずつですが成長することができたと思います。高三の独自大会敗戦後に神宮球場でバッテリーを組む!という自分自身の目標はまだ達成できていませんが、必ず最後のリーグ戦で組んで勝利に貢献したいと思います。
ちなみに琉唯との対戦成績は非常に打たれまくっているので、どこで対戦できるかわかりませんが、上のステージで対戦できたときは一本も打たせる気はありません!またどこかでバッテリー組めることを信じてます。
琉唯に今更、面と向かって言うのは恥ずかしいので、ちゃんと見てくれるということを信じて、文章で伝えさせていただきます。
本当にありがとう。
最後に家族へ
大学4年間どうにか完走することができそうです。怪我でなかなか神宮球場で投げれない中、まだ神宮球場でプレーする姿を見れないのか、というストレスもあったと思います。それでも家に帰ってきた時、笑顔で迎えてくれ、予定が合う時は、茨城から府中まで観戦に来てくれてありがとう。
ばあちゃんにはオープン戦で投げているところを見せることができましたが、じいちゃんだけ唯一、まだ明治大に入って投げてる姿を見せることができていないので、必ず秋のリーグ戦では家族全員の前で神宮球場で投げる姿を見せたいと思います。(この文章を家族の誰かじいちゃんとばあちゃんに見せてあげてください。)
小学校1年生から始めてきた野球がもう16年経とうとしています。
小学校では市外の少し遠いチームに毎日送り迎え、中学校では食欲旺盛な自分にたらふくご飯を食べさせてくれ、高校では寮に入っているにも関わらず、毎週土曜日に数時間だけ家に帰ってリフレッシュさせてくれ、大学では高い学費、寮費を払ってくれて迷惑ばかりかけてきました。野球をやらせてもらってる側であっても、野球を習わせる大変さは歳を重ねていくごとに感じてきました。感謝してもしきれません。
1日でも長く野球ができるように、1日でも早く目標であるプロ野球の世界に入れるようにこれからも毎日頑張ります。
これまでありがとう。これからもよろしくね。
まだまだお世話になった人を一人一人書いていきたいですが、キリがなくなってしまうのでこれ以降はちゃんと自分の言葉で面と向かって感謝をさせていただくので割愛させてください。
チーム宗山の最後のシーズンが2週間後の9月21日東大戦から始まります。春のリーグ戦で雪辱を果たすべく、3季ぶりのリーグ優勝、2年ぶりの神宮大会優勝という期待に添えられるように精進していきます!
ここまで長々と読んでいただきありがとうございました!
次回予告!!!
誰もが菊地の後になるとは微塵も思っていなかったであろう、菊地から千葉への黄金リレーでバトンを託して自分の役目を終わろうと思います。
乞うご期待。