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俺たちのラストシーズン──二又寛(船橋東)

こんばんは。

 

部内一扱いが難しい、首脳陣と話している時が一番楽しそうな萩元からヤクルトが回ってきました。

いつまでたっても出身校を市立船橋と間違えられる、船橋東高校出身の二又寛です。

萩元(4年・萩元優一郎)は本当に気分屋です。昼間に「寛ちゃん!寛ちゃん!」と話しかけてきたと思ったら、夜の私の挨拶は無視されます。彼にないモノは私が持っており、私にないモノを彼は持っています。そんな彼がうらやましい時もあれば、腹立たしい時もありました。彼はいい意味で刺激的な人間です。いつかカラオケに行こうと誘われ続けていますが、サシは勘弁してください。

 

頑張って書きますので、お付き合いください。

 

 

大学に入るまで、強いチームに身を置いたことがなかったため、明治大学野球部のレベルの高さや練習施設はまさに夢のようであると同時に、厳しくもありました。学年が上がるにつれて、言葉にできないような悔しさやつらさ、もちろん楽しさも、何度も経験しました。その一つ一つから逃げずに考え、悩み、乗り越えてきた私は今、自分でも驚くほどにまともな人間に育つことができました。他の大学に行っていればもっと輝かしい野球人生だったのではないかと、思うことは多々ありましたが、実力で敵わない同期に初めて出会えた明治大学野球部は自分にとって一番学ぶべきものがある場所だったなと心底感じています。この先の人生で必ず私を守る武器となるような、経験や学びを得ることができたこの野球部に入ることができて、本当に良かったです。

 

 

そしてこの野球部に入ってよかったと思う理由がもう一つあります。それは仲間です。

入寮当初は、監獄のようだった寮生活も今では楽園です。それは紛れもなく、優しい先輩、可愛い後輩、家族のような同期がいたからです。

 

 

【先輩】

びっつ(R6卒・大櫃準也)

時にやさしく、常に厳しく私を様々な方向に導いてくれました。時には携帯を没収して、私を叱咤してくれました。激励はなかったと記憶しています。びっつは真剣な話から、しょうもない話までなんでもいけるので大好きです。一生ついていくことになってしまったので、一生よろしくお願いします。

 

ひさじ(R6卒・久島光太郎)

ひさじとは「愛」という言葉について深めていました。彼は優しいです。たくさんお世話していただき、ありがとうございました。ひさじとはこの先も話題が絶えないはずなので、一生よろしくお願いします。

 

熱田君(R6卒・熱田泰祐)

熱田君は、一緒に住んでいた友達です。初めは寮の端っこから一緒にチームを支えていましたが、いつの間にか熱田君は勝手にチームの真ん中で頑張っていました。ほしい言葉をくれる男です。楽しませていただきました。ありがとうございました。

 

きゅうとさん(上田希由翔/R6卒・千葉ロッテマリーンズ)

野球への姿勢・意識・考え方、学ぶことが沢山ありました。最近はすごくかっこいいです。大きいのに優しい感じが好きです。ずっと応援しています。ありがとうございました。

 

他にも、たくさんの優しくてかっこいい先輩方に恵まれました。ありがとうございました。

 

 

 

【後輩】

しょうご(3年・吉田匠吾)!

「選んだ道を正解にしていく」という言葉を体現していこう!幸せになろう。

 

やわっさん(3年・八幡優介)

是非、やり切ってほしいです。腐ること、手を抜くことは簡単です。私はやわっさんに良くも悪くも、いい背中を見せることができたと思います。八幡のこれからの一年は、葛藤の日々だと思います。悩んだり、腐ってみたり、やる気を出してみたり、いろいろやっていく中で、譲れないものは何かを考えてみてください。秘めた闘志を表現するのが難しい立場ではあるけど、自分の想いに蓋をせず、やり切ってみてください。そして悪いリーダーシップではなく、いいリーダーシップをとって活躍している八幡さんを期待しています。一緒に意味の分からないテンションでボケ合い突っ込み合ってくれてありがとう。楽しかった!

 

たなーか(2年・田中陽貴)

トラックマンを任せた。大櫃と私のやり方に固執せず、たなーからしく頑張ってください。

 

後輩君たちには、とても楽しませてもらいました。進藤(1年・進藤正太郎)をはじめ、本当にかわいい子たちばかりでした。いろんな後輩君たちとそれぞれの絡み方で、楽しい時間を過ごせました。特に、Bに居た子たち。実力は十分なのにくすぶっていたり、どんな立場でも黙々と練習したり、B戦に行きたくて必死になったり、野球に対する向き合い方に迷っていたり。

半田(1年・半田真太郎)、河田(1年・河田凌太郎)、和田(1年・和田壮生)、伊藤(1年・伊藤丈朗)、進藤(進藤正太郎)、檜村(2年・檜村圭吾)、小島(2年・小島大地)、田中(田中陽貴)、内藤(2年・内藤大翔)が、これからもたくさんノックを受けて、一人でも多く神宮の舞台で活躍するのを楽しみにしています。

 

写真:左から原將一郎(4年)、二又、八幡

 

 

 

【同期】

私の野球を最後まで気にかけてくれた琉唯(4年・中山琉唯)、いろんなところに連れて行ってくれた太門(4年・浅利太門)、野球への姿勢がかっこいいこうじ(4年・直井宏路)、部屋が近い藤江(4年・藤江星河)、本当はいいやつ公省(4年・水谷公省)、かっこいい成(4年・杉崎成)、ボケつまらん宗山(4年・宗山塁)、これからも応援し続けますので、私を試合に招待することを忘れないでいただきたい。私はあんなに難しい野球でこれからご飯を食べていく彼らを尊敬しています。野球に対して真剣に取り組み、明治の野球を神宮で体現している彼らは本当にかっこいいです。野球でご飯を食べていく人たちと一緒に野球をできたこと、そんな人たちと競い合えたことは私の野球人生にとって素晴らしい経験だったなと改めて感じます。そんな彼らに、少しでも野球において認められ、ほめていただいた瞬間は私にとって何よりもうれしい瞬間でした。苦笑いをして「そんなことないよ」といった記憶しかありませんが、「今季はあるな」とか「守備だけならね」という言葉は、悔しくもありうれしい、不思議な言葉でした。

 

こうせい(4年・神田航生)

彼は心優しい同居人です。寝る前にはいつも下からかわいらしい声が聞こえてきました。賢くて病弱で、野球が大好きで、生きていくのが上手な彼は、私の質問や悩み、愚痴にいつもほしい言葉をくれました。価値観というか、物事への視座というか、生き方みたいなものが似ているので、彼にしか話せないことをたくさん話しました。就職活動ではともに切磋琢磨しました。私は全く気を使っていませんでしたが、私は好不調の波が激しいので、気を使わせてしまっていた気がします。もう一度言いますが、彼は生きていくのが上手ですので、これからも付き合わせていただきます。ありがとう。

 

ゆうが(4年・千葉汐凱)

多くの時間を彼と過ごしました。意味の分からない笑いを生み出し続けました。ずっと面白いのかと思ったら、朝は全く面白くないのも面白いです。彼のいない寮生活を想像すると恐ろしいです。彼のおもしろ動画が、私の携帯にはたくさんあります。たくさん笑わせていただきました。ピッチャーの彼には、打撃をよく教わりました。普段から一緒にいることが多かったですが、野球となると彼は遠い存在でした。センスで溢れる彼は、勝負所で常にマウンドに立っていました。彼の活躍は、うれしくもあり、悔しく、さみしくもありました。夜九時を過ぎると動けない珍しい大学生ですが、もっと上の舞台で活躍できると信じていますので、是非覚醒してほしいです。俺は、フットワークが軽いので、まあこれからもよろしく。

 

よしゆー(4年・吉岡佑真)

最初の同部屋で、入寮当初Wi-Fiを持っていなかった私は、彼をWi-Fiだとしか思っていませんでしたが、今ではWi-Fiとは違い、切っても切れない関係となりました。彼はとても人生を楽しそうに生きていて、うらやましく思っています。彼とはよくコンビニまで歩きながら、しょうもない疑問について考え、くだらない回答を生みだすような会話をしていました。コンビニでは特に何も買わないようなときもあります。それだけ道中での彼との時間はしょうもなくて楽しかったです。

 

はらら(原將一郎)

彼とはまじめな話はできませんでした。いつもふざけたような顔と身なりをしているので、こちらもふざけるしかありませんでした。彼の人を引き付ける力だけは素直に認めています。まんまと引き付けられ、すきを見てはちょっかいをかけていました。彼には今後もちょっかいをかけ続けないといけないと思っています。そして彼がこの先問題なく生きていけるのかどうかを見守る必要性も感じています。ありがとう。

 

がっつ

これからも人生について深めていこう。ガッツは最高です。

 

私はこれからも同期全員を大切にしていきますので、よろしくお願いします。ありがとう。

 

 

 

【支えてくださった方々】

大好きな野球を大学まで続けさせてくれた両親をはじめ、これまで私を支え、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。

特に両親には、頭が上がりません。本当にかっこいい、偉大なお二方です。寮生活や就職活動、日々の葛藤を通じて、私はとてつもなく恵まれた両親のもとで育ってきたのだなと感じました。幼いころから、体にいいものを食べさせていただいたおかげで、私は怪我にも病気にも苦しまずにここまで野球をやってくることができました。偉大な点を挙げてはキリがないので、やめておきますが、両親から学んだことはたくさんあり、わたしの生きる教科書です。帰省すると、踏み込んだことは聞かずに温かく迎えて下さり、その都度、「やってやろう」と思っていました。両親への感謝の想いが募るのと同時に、結果で恩返しがしたい気持ちが日に日に強まっていき、ラストシーズンである現在は恩返しがしたい一心で野球に取り組んでいます。期待に添える結果を残すことができず、申し訳ない気持ちでいっぱいですので、一生をかけて恩返しをします。本当にありがとうございました。

 

なんだかんだで、心優しく面倒見のいい姉と可愛い妹にもお世話になりました。

 

 

舘野先生(高校の監督)

船橋東での野球が楽しかったから、もっと本気でやりたいと思いここまで野球を続けることができました。いい報告ができないことが非常に悔しいですが、高校時代の私からは想像もできないくらい野球に真剣に向き合いました。これからも舘野先生のご活躍を楽しみにしています。ありがとうございます。

 

油谷先生(高校の時の先生)

油谷先生の守備の教えがなければ私は大学で人権のない生活を強いられていたと思いますが、幸いにも守備は通用しているため、何とか競争することができています。高校を卒業してからも気にかけて下さり、ありがとうございます。なんとかいい形で終われるよう頑張ります。

 

織さん

織さんは頑張っています。織さんとは、深い話をたくさんしました。織さんとの話は、深くないとだめだと思っています。これからも織さんの疲れ切った肩をもませていただきますので、切磋琢磨といきましょう。引退後は来店しますので、ケアをよろしくお願いします。ありがとうございました。

 

 

しゅうご(生粋の地元の友達)

高校の時、地面からタケノコが生えている空き地でふざけ半分にピッチングをしたり、ノックをしたおかげで七色の変化球と類まれなグラブさばきを手に入れることができました。愛車でいろんなところに連れて行ってくれました。これからもよろしく。

 

丸山(高校の同期)

彼にもたくさん練習に付き合ってもらいました。私が出会った最初で最後の人の良いへぼキャッチャーです。ありがとう。

 

 

地元に帰ると「いつ出るの?」「応援してる」「見に行くからね」と声をかけてくれた熱い友人たち、本当にありがとう。

 

 

 

最後に、多少の悔いは残りますが、私は長かった野球人生に区切りをつけます。白井ホワイトピジョン・柏ボーイズ・船橋東での経験に、明治での経験が合わさり、私はこれ以上ない幸せな野球生活を送ることができました。「明治の戦力として神宮に出る」と意気込んで入部し、たくさんの悔しい、飲み込めない経験をしながら、一度もその目標をぶらすことなく駆け抜けたことこそ、私の野球人生における唯一誇れる点だと感じます。この4年間を糧に、社会人でも羽ばたいていきますので、関係者の皆様、今後も何卒よろしくお願いいたします。

 

 

私からはこの辺にしておきます。拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

次は、常にだれかとしゃべっていて口を開いているのに、写真を撮る時だけ、絶対口を閉じる吉岡佑真です。お楽しみに!