俺たちのラストシーズン──吉持稀紘(筑波大附)
こんばんは!
四年間の大学生活では東京に染まりきらず、未だにコテコテの関西弁を操る「よしゆー」こと吉岡佑真からバトンが回ってきました。
吉岡とは3年春まで同じような野球人生を歩んでいたのに、いつのまにか彼はAチーム入りし、気づいたらリーグ戦に出場。先日の慶應戦でもベンチ入りしていました。自分にも彼のような野球人生も可能性としてあったのかなと考えると悔しい気持ちになりますが、彼の天性の明るさや練習量を尊敬しているし、応援しています。
遅くなりました。
筑波大学附属高校出身、内野手𠮷持稀紘です。
なかなかまとまらないのですが、頑張って書きます。
私の趣味はゴルフなのですが、先日回ったコースで123打叩いてしまいました。私の初ラウンドは121打だったので自己ワーストの記録となってしまいました。心からゴルフをやめたいと思いましたが、自分は細く長く続けることは得意なようなのでゴルフも細く長く続けたいと思います。
私の野球人生は小学校2年生から始まりました。15年続けた野球も、今年でおしまいになります。今振り返ってみてもよく続けてきたなと思います。小学生では富ヶ谷ノーティーボーイズに所属しました。同学年より多少体が大きかったので、活躍をしていた記憶があります。私の野球の基礎は、小学校6年生から中学卒業まで通った野球塾で作られました。高円寺の高架下の狭いスペースで、野球の基礎をみっちり教えてくれるだけではなく、人としての指導もしてくださりました。鈴木コーチには今でも感謝しています。
中学校では軟式野球部に所属しました。弱い学校ながら懸命に、都大会に出場したのはいい思い出です。また、都大会前日に起きた「サクマドロップ事件」は今でも忘れられません。
自分は小中高と附属校に通っていたため、高校も附属高校の野球部に所属しました。高校の野球部で特に結果を残すことも無かったのですが、江藤省三さんにコーチとして来ていただいたのが、私の野球人生の大きな転機となりました。慶應義塾大学で監督を務めた経験のある方から指導していただいたことが、東京六大学でプレーしたいという思いをより現実的なものにしてくれました。江藤さんにコーチとして来ていただかなければ、自分がこの選択肢をとることはできませんでした。ありがとうございました。
自分の四年間を振り返らせてもらいます。
自分は四年間ではなく、五年間だったかもしれません。
浪人したからですね。浪人と言えばまさる(4年・西田大流)。同期に先輩扱いされるなどの悩みもまさるにだけは話すことができました。本当にオーストラリアは行きますか?
写真:西田
この大学野球の四年間は不本意な四年間でした。
「神宮で活躍したい」という志を持って入部したのはいいものの、最初の練習会でボール回しからレベルの差を痛感しました。ボールの質が違いすぎて、自分のグローブが軟式用なのではないかと錯覚しました。
自分は色々あって入寮が六月になってしまいました。そのせいで、後入寮組の皆さまのランメニューを二週間ほど伸ばしてしまいました。この場を借りて謝罪させていただきます。あのランメニューを一カ月以上続けさせてしまい申し訳ございませんでした。
入寮が一人だけ遅かったのもあって、最初の方は先輩はおろか、同学年ともあんま馴染めてない感覚があって結構しんどかったです。先輩は怖くて廊下でもすれ違いたくないし、この間樂(4年・川越樂)にも言われたけど、毎週のように実家に帰っていた気がします。けど、この時期になんとかやっていけていたのは、はらしょー(4年・原將一郎)の存在が大きかったです。はらしょーは今まであった人の中で一番のカスだけど、謎の包容力があってめっちゃ楽しかった。社会人になってもよろしくね。カスだから包容力があるのかな。
写真:左から𠮷持、原、萩元優一郎(4年)
一年生の時は野球もさっぱりで、みんなが野球教室に行っている中、Cチームだけでトヨタの球拾いをやったこともあった。二年生なってもなかなかBにすら上がれなくて、はじめてのB戦が2年生の秋。しかも、初めて出場したB戦でなんでもない胸にきた送球をエラーし、戸塚さんには「打球に動け」と指摘され、試合中に池田凜(4年)とガチ喧嘩するし、さんざんなB戦でした。フレッシュに出場させてもらうも、四球で特にいい思いもしませんでした。けど、新人戦優勝っていう結果になったのは嬉しかったです。
3年春の始めてのB戦でなぜか戸塚さんがスタメンで使ってくださり、そこからずっとB戦ですが、スタメンで出場することができました。この時期が一番野球をしていて楽しかったです。最初の方は、一日に一回は必ずバントのサインがでて、次の日の生き残りをかけて必死に決めていました。結果、打率も4割でホームランも打てて、一番いい思いをさせてもらいました。花岡(4年・花岡秀太)とバスでずっと横の席だったことだけが唯一の後悔です。
3年夏にはサマーリーグの企画もやりました。まさよしと一緒にシングルベッドが一つしかない部屋に、「二人で寝ろ」と言われて、補助ベッドを出したら足の踏み場が無くなるような部屋で3泊したのはいい思い出です。まさよし(4年・鈴木将好)の太すぎる足で顔が潰れそうになりました。嘘です。試合にも出させてもらいました。特大のファールを打つと、文雄さんに「お前のスイングいいな」と言ってもらえ、そこから自分の打撃フォームが特徴的なため、会うたびに「らりってるか?」「ちゃんとやってるか?」と声をかけてくださるようになりました。なにを目標に野球をやればいいか見失いそうな時に、このような言葉をかけていただいて、励みになり、とてもありがたかったです。
いつからか野球を真面目にやることが「面倒くさい」と感じるようになってしまっていたのは事実です。入学当初に立てた志を4年間貫くことができなかった自分の弱さを痛感しました。野球人生の終わりがこんな形でいいのかなと少し思いつつも、現状を変えるだけの熱量がありません。自分が納得する終わり方を探していきたいと思います。
人と比べることがどれだけ無意味なことなのかもこの4年間で知ることができました。なかなか試合にも出れなかった自分は、いつのまにか人の悪いところばかり見るようになっていました。「あいつには勝っている」と考えることは楽なのかもしれませんが、結局逃げているだけなのだと分かりました。昨日の自分に勝てるように努力することは難しいことです。人と比べない、器の大きな男になる道のりは、まだまだ先が長そうです。
現在は就活も終わり、就活生と一緒にまたCチームとして一から奮闘しています。
少しでもチームの勝利に貢献できるように自分の役割を考えていきます。
自分がこの4年間、楽しく過ごせたのは同期のおかげです。
佐藤凜(4年)
凜はなんでも楽しそうにやります。かわいい見た目で全然癒し系じゃないところもあります。凜とはいろんなところに行ったし、同部屋としていろんな思い出を作ってきました。ラウワンすき家の黄金ルートを引退するまでにもう一回やりたいです。野球人生最後の一年が凜との同部屋で本当に良かったと思います。ありがとう。あと、凜のおかげでいい思いをさせてもらいました。江口(4年・江口陽太)も。
写真:佐藤
花岡(花岡秀太)
花岡との夜のコンビニは就活期間の大事な時間でした。コンビニまでの道で俺たちの薄っぺらい人生について話し合ったのは大事な思い出です。目立つためにはなんでもやる花岡の姿勢はきもがられることもあったけど、そこに花岡の優しさがあって、できるだけ人を傷つけない花岡の笑いが好きでした。社会人になっても今まで通りの薄っぺらい関係性を続けていけたらいいなと思っています。
花岡かっこいいぞ。
写真:花岡
鈴木(鈴木将好)
まさよしとは練習パートナーとして、お互いを高めあえたと思います。まさよしが脱臼しすぎるからいつのまにか練習パートナーじゃなくなったけど、手術した今、より戻しますか?
練習パートナーといえば松島(4年・松島元希)で、5月ぐらいからウエイトを一緒にやっているけど、最近裏切られました。やっぱり松島と一緒にやらないと刺激が少ないですね。
加藤(4年・加藤巧也)
加藤との同部屋は毎日が面白かった。スマブラやっている時間もそうだけど、加藤だとあんま気を使わなくてよくて居心地が一番良かった。顔怖すぎて、はじめの練習会ではずっと敬語で話していた気がする。薄情に見えて、学年一友達思いな加藤と仲良くなれてよかった。なんだかんだ野球に対して真面目な加藤は、社会人でも長く続けると思うので、渋い活躍を取材させてください。応援しています。あと、加藤は忘れているかもしれないけど、洗濯物で一個鮮明に覚えていることがあります。
写真:左から松島、加藤
山内(4年・山内陽太郎)
顔も心もイケメンなだけんの欠点を4年間探していたけど、見つかりませんでした。だけんと話していると全てがしょうもない気持ちなって、気持ちが楽になります。俺の就活が始まったあたりから、だけんとあんま遊べてない気がするのでちゃんと遊んでください。
弁護士会の皆様のおかげで無事に卒業できそうです。ありがとうございました。
無駄に長く続けた先にこんな最高な四年間があったということが知れて、凄い良かった。
思い返すと色々なことがあったこの四年間が「一瞬だった」と感じるほど中身のあるものになったのは間違いなくみんなのおかげです。
学年会とても楽しかったです。また開いてください。
新しいステージで頑張る人や、自分と同じように違う場所で頑張る皆に胸を張ってまた会えるように。刺激的な毎日をありがとう。
写真:左から山内陽、花岡、𠮷持、原、江口
にゃい
にゃい君は自分が3年夏の大会で負けた一週間後に家族になりました。自慢ではないですが、同学年の誰よりも先に夏が終わった自信があります。家に帰ったらにゃいがいて、癒してくれる、大事な存在です。
父
親父とは小中高と毎日の日課でトスバッティングをやってもらって、ほぼ毎日仕事終わりでもトスを上げてもらいました。あれがあるからなんとかここまで野球を続けてこられたと思います。高校の時は練習試合にも毎回きてくれていて、ビデオをとってくれていました。貴重な土日を潰してしまいました。一年浪人もしたし、金銭的にも迷惑をかけたし、今までありがとうございました。来年からは社会人として立派に独り立ちできるように精進していきます。
母
自分は反抗期がなかったと思うのですがどうだったでしょうか。自分がどんな時も実家に帰れば、とりあえず母さんが話を聞いてくれるというのはとてもありがたかったです。いつも子供優先で過ごしてきた母さんには、自分たちが社会人になるこれからは、自分優先で過ごしてほしいなと思います。大学で野球をしているところはあまり見せられなかったけど、今までありがとうございました。
真綾(双子の妹)
自分が大学生になった時ぐらいから、急に優しくなって自分が実家に帰る度に、プリンを買ってきてくれるようになりました。とても嬉しかったです。俺が野球をずっとやっていたせいで、試合にも連れまわされたり、稀紘の方が優先されているって思うこともあったと思う。すみませんでした。これからは社会人の先輩として色々教えてください。
最後に、田中監督、戸塚さん、文雄さん、織原さんをはじめとする指導者の方々、家族、仲間、先輩後輩、自分の22年間に関わってくれた全ての方々に、感謝の言葉を添えて締めさせていただきます。
ありがとうございました。
次は明治が誇る元甲子園のスター!生駒が産んだ特濃イケメン池田凜です。
共にほうきを握った彼の将来に幸あれ!