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俺たちのラストシーズン──小池璃子(桐生)

名古屋のご令嬢・大崎未稀ちゃんからバトンを受け取りました、群馬県の田舎っぺから今もなお群馬のオーラに取り憑かれている小池璃子です。

 

 

私は文章を作るのがとても苦手なので、拙い自分語りではありますが暇つぶしとして最後まで見てくださるとありがたいです。

 

写真:左から小池、大崎未稀(4年)、岸上さくら(4年)

 

野球に出会い、私の人生は野球漬けの毎日へと変わりました。長くなりますが、私の野球人生を振り返りたいと思います。

 

 

まずは野球との出会いについて。

 

私の父が大の野球ファンで、一緒によくラジオ中継を聴いていたこともあり、そこから野球に興味を持つようになりました。

 

中学3年生の夏に初めて神宮球場に野球観戦に行きました。7回までヤクルトが0-10で負けていたのに、8回で10点差を追いつき、最後は延長10回、代打の大松選手がサヨナラホームランで記録に残る大逆転勝利。

この試合をきっかけに、私はあっという間に野球というスポーツに惹かれ、のめり込んでいきました。

 

 

 

高校の入試説明会では「野球部のマネージャーになりたい」一心でグラウンドに突撃し、思いを伝えました。桐生高校は県内で甲子園最多出場の古豪・準男子校、もちろんマネージャーはおらず、入学してもいない奴が認めてもらえるはずがありませんでした。

案の定追い返されますが、そこから野球部への入部を目指して受験勉強を頑張りました。合格してからも沢山思いを伝え、入学してやっと“仮入部”。その後もなんとか認めてもらいたくて、毎日約4ヶ月間草むしりでも掃除でもできることは何でもやった日々がとても懐かしく感じます。

本入部が決まってからは色々なことを経験し、野球に深く関わる毎日がこのままずっと続けばいいのにと思いました。

あの時諦めずに門を叩いて叩いて叩きまくってよかったです。あの時強く芯を持てたから今の自分があると実感しています。

 

 

 

ここで少し、祖母について書きたいと思います。

学校は家から4キロ先に、最寄駅は6キロ先にあるような場所に住んでいる私は、車がないと移動ができず、親は共働きのため、祖母がよく習い事や部活、学校の送り迎えをしてくれていました。中学生までは祖母と2人で過ごすことが1番多かったと思います。

一人っ子でわがままな私は、祖母が作った料理を食べなかったり、祖母が車で演歌を流してたら私の携帯で違う曲を大音量で流したり、反抗ばかりしていました。私のわがままでたくさん困らせたしたくさん喧嘩もしました。

 

そんな自己中心的な生活を、高校生になっても続けていました。今思えば本当に最悪な孫だったなと思います。

 

 

最後の夏大が近づいてきたとき、祖母は膵臓ガンという診断を受けました。祖母は入院し、なかなか会えなくなりました。

 

進路や部活など自分のことで手一杯だった私は祖母が体調を崩していたことすら気づきませんでした。

苦しくて辛いはずなのに、部活の合間で会いに行った時には「りこちゃ〜ん」って起き上がって沢山お話をしてくれました。

病院に行ったことないのになぜか看護師さんみんな私の存在を知っていて、「おばあちゃんから自慢のお孫さんだって毎日聞いてますよ」って行くたび言われました。

お見舞いに行くたびに弱っていく祖母に何も声をかけてやれませんでした。

 

 

祖母は亡くなる直前、私に「進路は決まったか」と聞きました。野球を続けたい私を見透かすように、祖母は「りこちゃんが好きなことを好きなだけやりなさい」と言ってくれました。

私は何もしていないのに祖母は沢山の愛情をくれ、元気をもらいました。この祖母の一言で、私は東京六大学野球の世界へ飛び込む決断をしました。

 

大学合格を祖母に直接報告することはできなかったけど、私は明治大学を選び、野球部に入部できたこと、本当に嬉しいですし、後悔は一つもありません。

今私立の大学に行けているのも祖母が私のために貯金をしてくれていたからだと、祖母が亡くなった後に父から聞きました。もしもう一度会えるなら祖母に、一生分のごめんねとありがとうを伝えたいです。

 

 

 

湿っぽくなってしまいましたが、次は明治大学野球部に入ってからの話をしたいと思います。

 

 

私たちの代は専任の男子マネージャーがいません。明治は女子マネージャーだけ自宅からの通いで、他のみんなは全寮制だからこそ疎外感を感じることは少なくありませんでした。

 

そんな中私たちマネージャーは仕事をこなして当たり前、ミスをしたら当然のように怒られ、評価されることがない中で毎日頑張らなければいけない。下級生の頃はそんな自分に価値を見出せず、とても辛かったです。

 

 

 

それでも今こうして4年間駆け抜けることができたのは、沢山の方々の支えがあったからです。

田中監督をはじめとする明治大学野球部スタッフ陣の皆様、OB会の皆様、マネージャーの先輩方。高校時代大変お世話になった高島監督、茂木先生、浅野コーチ、そして河原井さん。帰省するたび気にかけてくださる地元の方々。神宮球場に応援に来てくれる友達。

この場を借りて心より感謝申し上げます。

 

特に、津賀先輩理事にはマネージャーについて0から勉強させていただきました。時には厳しく、時には優しく、私たちにご指導いただきありがとうございました。津賀さんの期待を超える「三人官女」で終止符を打てるよう最後まで役割を全うしますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

2年秋のフレッシュでは初めてベンチに入り、とても貴重な経験をさせていただきました。みんなで最後は優勝することができてとても嬉しかったです。

 

 

 

 

3年生になって私は広報の仕事を受け持ちました。広報とは、主に取材対応です。明治には先日ドラフト会議で1位指名を受けた宗山(4年・宗山塁)という大物がいるため、有難いことに電話、メール、ショートメッセージと日々取材申請が飛んできます。

マネージャーでありながら情けないのですが、取材以外の仕事もある中で連絡・調整に追われ、パンクしそうになった日もストレスでお腹がキリキリする日も正直ありました。

それでも、先日のドラフト会議で宗山&浅利(4年・浅利太門)がそれぞれ指名を受け、全てが報われたような気がしました。本当に本当に嬉しかったです。2人ともおめでとう!

 

 

 

3年時は、六大学オールスターゲームが地元の群馬県で行われることとなりました。縁があり、地元枠として帯同させていただくことができ、4年ぶりに桐生球場(現小倉クラッチ・スタジアム)を訪れました。

地元のみなさんが球場に駆けつけてくださったおかげで球場最多来場客数を記録したことが一番嬉しかったです。ヒーローインタビューにもお邪魔させていただいて…笑

貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

 

 

 

 

また、マネージャー活動で楽しみにしていた、憧れの神宮球場でアナウンスできたことを誇りに思います。高校の頃は自分の声が嫌いでアナウンスも苦手でしたが、大学では、聞き取りやすく心から伝わるアナウンスを心がけるうちに楽しいと思えるようになりました。

私は早稲田大学戦で最後のアナウンスを終えました。「セチエチケット(咳エチケット)」「キチュエンジョ(喫煙所)」「ワセダジチュギョウ(早稲田実業)」と私が失態を犯すごとに同期のグループ名が変わったのも大切な思い出として残っています。

 

 

 

その他にも沢山の出会いがありました。

 

入部前の面接試験で初めて話したのは麟太郎さん(R6卒・渡邊麟太郎)でした。ヤクルトファンをきっかけに沢山話すようになり、神宮球場にもやましょう(4年・山田翔太)と一緒に何度も観戦に行かせていただきました。内野応援も楽しかったですが、また一緒に外野で叫びながら応援したいです!

やましょうも卒業したら遠くなっちゃうけど、ヤクルトファンでいてよ!

 

写真:左から小池、山田、渡邊

 

定期的にご飯に連れて行ってくださる一真さん(R5卒・鈴木一真)、石保さん(R5卒・石保壮介)。2個差なのにも関わらず引退しても私たちを気にかけて連絡をくださったり、沢山ご飯に連れて行ってくださいました。またご飯行きたいです!

お忙しい中サプライズ登場してくださる聖花さん(R5卒・小田聖花)、美穂さん(R5卒・大崎美穂)にもまたお会いしたいです!

 

写真:左から石保、大崎、鈴木、小池、岸上

 

他大学のマネージャーのみんな。リーグ戦を運営するマネージャーは自チームの試合がなくても神宮球場に行き、頑張って働いています。

今季はあまり連盟に入ることはなかったけれど、「月曜ってことは…あいつが来る!」って楽しみにしてくれたり、連盟室入ってすぐ「帰れ帰れ〜」っていじめられたり、みんなと話せてとても楽しかったです。六大マネ会、最後まで明治だけ唯一全員出席で愛強めでした。

閉会式ってことは…あいつが来ます!お楽しみに(^^)

 

 

 

 

明治の後輩ちゃんへ。

里空(3年・本岡里空)は何回も何回も後輩で一番ご飯に行ったしお世話したと思います。4年しかお友達いないのでみんな仲良くしてあげてね。珠海(3年・加藤珠海)には沢山迷惑をかけたし代替わりが近づくにつれプレッシャーも感じてると思います。一人で抱え込まずみんなを頼ってね。2人には友達みたいに接しちゃってました。今までついてきてくれてありがとう。大変だけど、来年も頑張れ!

 

写真:左下本岡、左から加藤、岸上、小池、大崎、西田

 

2年生の3人には何かと頼ってしまっていたと思います。なんだかんだ私しか頼れない康介(2年・島抜康介)、しっかり者なのに最近はよく甘えてくるかわいい一面もある凪乃香(2年・平野凪乃香)、ニコニコ何でもすぐ対応してくれて時には靴下を間違える天然な菜々花(2年・酒井菜々花)。最後まで沢山頼るのでよろしくう!

写真:左から小池、島抜

 

写真:左から平野、小池

 

写真:酒井

 

不貞腐れ顔が日常のありぺい(1年・有川駿佑)、実は意外と喋るもりや(1年・守谷治樹)、ずっと見守ってたくなるあみ(1年・宇賀神有海)、遠くから頑張って通ってくれてるかひろ(1年・小石川佳湖)。1年生には時に嫌なことを言ってしまったと思います、ごめんね。4人のいいバランスで助け合いながら、来年は里空(本岡里空)の言う事を聞いてあげてください!笑

 

マネージャーのみんな、事務室でうるさくしてごめんなさい。名前を入力するとみんな一番最初に変換が出るほどまでには全員と深く関わりました。今いるマネージャー全員、チームにとって必要な存在です。部が今もいつも通り回っているのはみんなが頑張っているからです。今の自分が4年になって必ず活きるのでこれからも頑張って!嫌かもしれないけど神宮に応援に行きます!

 

 

 

同期のみんなへ。

残念ながら、私はひとりずつに書けるほど一人一人と深い思い出はありません。

心配性すぎて単位を取りすぎているたいじ(4年・飯森太慈)、おしゃれ番長らしいせいが(4年・藤江星河)、亀が大好きなまるまる(4年・丸尾快)、政経会の出席率が悪すぎる公省くん(4年・水谷公省)、政経キャンプで1番はしゃいでいたえぐち(4年・江口陽太)、会話は成り立たないけどどこか嫌いになれないけんしろう(4年・山下堅士朗)、練習後の大音量のミスチルと元気な挨拶が特徴の萩元(4年・萩元優一郎)、実は同期愛トップ競える説の大流(4年・西田大流)。さくら(岸上さくら)と政経会に混ぜてくれてありがとう。バーベキュー楽しかったです!

 

 

 

 

その他にも、事務室に来るたびに破れたユニフォームを持ってくるこうじ(4年・直井宏路)、履歴書の書き方が分からないかとたく(4年・加藤巧也)が事務室での出来事で最近印象に残っています笑

優劣をつけているわけではないですが、やっぱりリーグ戦での同期の活躍が誰よりもとっても嬉しかったです。この人たちの喜ぶ顔を見るために今私は頑張ってるんだって思うと力が湧いてきて頑張れました。ありがとう。

 

 

 

同期のマネージャー。

責任感強いさくら(岸上さくら)、集中モードの未稀ちゃん(大崎未稀)、場を和ます大流(西田大流)。この3人と最終学年を駆け抜けました。

この4人には見えない団結力があると私は勝手に思ってます。めっちゃバランス良いです。

大流(西田大流)は選手兼任という決断をして何も分からないマネージャーの世界に4年目にして飛び込んでくれました。私たちが3年間積み上げて今動くのと、1年目で最上級生という難しい立場にギャップがあり、悩むことも多かったと思います。疲れているだろうに練習終わりはすぐ事務室に来たり、沢山ご飯に誘ってくれたり。大流がいたから経験できたことも沢山ありました。大変な任務を引き受けて、私たちについてきてくれて本当にありがとう。

あと引退までの短い期間、一緒に事務室を盛り上げようね!

 

写真:前列西田、後列左から大崎、岸上、小池

 

写真:左から小池、大崎、岸上、西田

 

写真:西田

 

 

こんなにも素敵な先輩と後輩と仲間に恵まれましたが、野球部を辞めたいと思ったことは…実は何度もあります笑

 

でも、未稀(大崎未稀)とさくら(岸上さくら)がいたから頑張ろうって毎回思えました。

女子3人は上手くいかないと言われることは多いですが、私たち3人は正真正銘の仲良しです。こんなこと言うと嘘っぽく聞こえますが笑

 

入部した当初はきちんと人見知りを発揮して、最初のご飯はほぼ一言も喋った覚えがありません。未稀ちゃんちでただ卓を3人で1日囲んだその日から、寮でも会ってオフでも遊んで、しょうもない話から真剣な話まで本当に本当に沢山の話をしました。

誰かの家でたむろするのは日常茶飯事です。友達が少ない私に構っていろ〜んなところにも連れてってもらいました。

 

この大学4年間は3人の思い出でほとんど埋め尽くされています。2人に出会えてよかったし、本当に大好きです。自慢の同期です。上手く伝えられないけど、こんな私と仲良くなってくれてありがとう。

 

写真:左から岸上、大崎、小池

 

写真:左から岸上、小池、大崎

 

写真:左から岸上、小池、大崎

 

写真:左から岸上、大崎、小池

 

未稀ちゃんとは部活帰りに1番ご飯に行きました。未稀ちゃんがご飯食べてる写真、カメラロールにいっぱいあります。可愛いです。全部みんなに見せたいです。

そして、最上級生になっての未稀との仕事の連携プレーは著しく上達しました。相棒と言っても過言じゃありません。あと少しさくらを支えて、3人で笑って引退しようね。

何かあった時、辛くてどうにもならない時は気づけばいつも隣に未稀ちゃんがいた気がします。未稀ちゃんの一言でいつも救われていました。沢山気も遣わせてしまいました。ごめんね、いつも助けてくれてありがとう。

 

写真:大崎

 

 

さくらとの奇跡は家が歩いて3分くらいにあるところから始まりました。さくらが引っ越す前まではいつも一緒にいました。

さくらにしか話せない話も沢山ありました。仕事に対しての感覚が似ていて、沢山頼ってしまったと思います。

色々な話し合いをしたけど、私はさくらが主務じゃなければこのチームは回っていなかったと思います。さくらが苦しみながら自分のことを犠牲にしながら、各方面に気を配ってみんなを引っ張っていく姿を隣で見ることしかできませんでした。頼りなくてごめんね。さくらには1番感謝しているし、尊敬しています。ありがとう。

引退したら美味しいものたくさん食べに行こうね!

 

写真:岸上

 

 

そして、ラストシーズンブログを書こうと思った時に一番最初に思い浮かんだのはやっぱり家族の存在で、両親には本当に感謝してもしきれません。

 

お母さんへ。

お母さんはいつも色んなことを犠牲にして私のために全力で尽くしてくれます。平日は毎日働いているのに朝早くお弁当を作ってくれたり、仕事から帰ってきたらすぐ私とお父さんのために夕飯を作ってくれたり。高校生の時は選手じゃないのに父母会にも一人で出てくれて応援にも来てくれて。私が野球漬けの毎日を送るせいで嫌なこともたくさんあったと思います。それでもお母さんはりこの好きなことをやれっていつも自由にさせてくれました。心から感謝してます。本当にありがとうね。

今でも最低週に1回は友達みたいに電話しているし、感謝を伝えるのは恥ずかしいけど、いつもありがとう。これからもよろしくね。

 

 

お父さんへ。

高校で野球部に入部したこと、群馬を出て明治大学に入学したこと、大学でも野球部に入部したこと、これからも野球漬けの人生を送ること、お父さんはたぶんそんなによく思ってないと思います。普通の女子高生、女子大生ではなく、手のかかる娘でごめんなさい。

でも、今季の早稲田戦で、父が仕事を休んで初めて私のアナウンスを聞きに神宮に来てくれました。実は本当に本当に嬉しかったです。

お父さんは頑張って資格に挑戦して57歳で自分の会社を建てました。お父さんの仕事に対する姿勢は本当にかっこいいし、私にとって憧れの父です。休みがなくてもいいくらい仕事に熱中する父を見て、部活三昧な私は父に似たんだなとよく思います笑

月に数日しか休まず家族のために働いてくれてありがとう。自慢の娘と思ってもらえるように、これからも全力で自分らしい人生を生きます。これからも見守っててね。

 

 

写真:実家での飼い猫リリくん

 

 

 

もう引退も間近となってまいりましたが、明治大学野球部の4年間で成長した自分をさらに超えるため、社会人になっても自分の可能性を信じて前へ前へチャレンジしていきたいと思います。

 

そして最後に、

日頃より弊部を応援してくださるみなさまへ。

日頃より明治大学野球部に温かいご声援をお送りいただきありがとうございます。チーム宗山のリーグ戦は、ラストカードとなってしまいました。

11月3日(日)に行われる法政大学2回戦は大崎未稀のラストアナウンス、私のブログ(補佐)の4年コンビで頑張るので、法政戦も是非熱い応援をお願いいたします。

最後はみんなで笑って最高な形で終わりたいです!

 

 

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

 

明日からは副将、主務、主将と本当に最後のラストシーズン5連発です。

幹部一発目、明日は今春タイムリーと勝ち越しホームランで電撃デビューを果たした代打の神様・中山琉唯です!お楽しみに⭐️