『僕の野球人生』vol.14 垣田 聖弥 投手
この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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『僕の野球人生』vol.14 垣田 聖弥 投手(4年/高卒認定試験)



我らが打撃長竹山くん(4年/外野手/修道)からバトンを受けました、垣田聖弥です。残り3カード、リーグ戦で活躍して、4年外野手の代表的な選手としての意地を見せて欲しいですね。
僕の野球人生は、大炎上から始まりました。
忘れもしない2023年5月上旬。少し気温も暖かくなり、肩肘の元気だった僕には登板機会として、シートBTの1イニングが与えられました。高校時代は外野手での出場が多く、登板機会はほとんどありませんでした。しかも受験勉強明けということもあり、久方ぶりの実戦にかなり緊張していたのを覚えています。震える手をなんとか抑えて投げましたが、笑ってしまうほどストライクが入りませんでした。結局、複数の四球で溜めたランナーを長打で返され、4失点。1イニングを持たずに降板しました。僕の直前に、江口(4年/投手/海城)が投げ、ランナーを出しながらも抑えていたのを見て、自分の力量の無さを実感しました。登板後のやらかした僕の青白い顔面を、江口や近藤(4年/投手/筑波大附)にいじられたのを今でも覚えています。全く怒ってはいません。
そこからは、ピッチャーという難しいポジションについて考えさせられる日々が続きました。特に、高校時代にピッチャーのフィールディング練習や牽制練習などろくにしてこず、かつショートスローがとても苦手な僕にとっては、毎日のPフィルや、たまにある投内連携は地獄でした。
1年生のある日、フレッシュ練での投内でファーストへとんでもない悪送球をし、先輩方に厳しく指導されました。
この日を境に、なんとか送球を、ショートスローを良くしようと自分なりに解決方法を探すようになります。これは、僕の大学野球人生における転換点でもあったかもしれません。なぜならば、人生で初めて、野球というスポーツに対して、真剣に向き合った瞬間であったからです。
というのも、それまでの僕は、「なんとなく」で野球をしていました。「なんとなく」球を投げる。「なんとなく」球を打つ。「なんとなく」球を追いかける。要するに、「勝つために」という目的意識を持って本気で野球に取り組んだことがなかったのです。実際、これまで自分がプレーをしてきた環境を振り返ってみると、たとえチームが大敗を喫していても、「今日は何本ヒットを打った」「今日は何個三振を取った」のように、チーム全体の成績よりも個人のパフォーマンスを重視する環境に身を置くことが多かったのです。故に、先の出来事において、「東大野球部がチーム一体となって勝利を目指す集団である」という至極当然なことが頭にすらなかったのです。いま思うと自分でもアホらしく、自己中心の極みなのですが、人生を通じて、僕は初めて「チームの勝利を目指して」という目的意識を持って野球をするということを知らされました。
1年生の間はまともな成績を残すことができませんでした。当時、球速球質だけはそこそこ良かったのが不幸中の幸い、オープン戦の登板機会は与えていただけるものの、毎回と言っていいほど点を取られて帰ってくるという、到底信頼には足らないピッチャーでした。チームの勝利に貢献できるような選手であるという評価は当然下ることはなく、リーグ戦はもちろん、春秋フレッシュすらベンチ入りできませんでした。特に、秋フレッシュでは、早稲田戦で同期が次々と登板し、いまや主戦級の野手陣を次々と抑え、勝利を収めたのを、ただじっとスタンドから茫然と見ているだけでした。神宮の舞台上で光を浴びた同期と、まだその舞台からは程遠い自分とが、自然と心の中で対照的に映し出され、非常に悔しかったです。情けなかったです。
2年生になりました。大学入学と同時にウェイトトレーニングを開始し、入部時には65kgほどしかなかった体重は70kgを超えていました。そんな体づくりが功を奏したのか、球速も、ずっと130km/hを超せなかったのが、8割程度の力感で131-2km/hほど出るようになりました。内心かなり嬉しかったのを覚えています。ブルペンでの調整も順調でした。そして、そんな状況で挑んだスプリングフレッシュリーグin茨城において、ある事件が起きます。右肘が悲鳴をあげたのです。
すぐに病院にかかりました。結果は右上腕二頭筋の部分断裂。人生で初めて野球で怪我をした瞬間でした。意外にも、当時の自分はそこまで落ち込んではいませんでした。まだ時間もあるし、落ち着いて回復を待てば大丈夫だろうなと。予想通り、そこから春フレッシュでの登板を見据え、なんとかリハビリを重ね、投げられる状態まで順調に回復しました。そして、春フレッシュの投手起用を決める大事なシートBTで、僕はまたもややらかしてしまうのです。なんとストライクが入らないのではありませんか。なぜなのか、考える暇すらなく僕はマウンドから降りていました。「またかよ。情けない。1年間何をしてたんだ…」頭の中で繰り返される罵詈雑言。だいぶへこみました。人生で一番くらいに。
「何かを変えなければいけない」と本気で思うようになったのはこの頃でしょうか。「このままだと結果を出せずに終わってしまう」と。まず考えたのは投球フォームの改良です。自分のテイクバックや引き手のグラブの位置、並進時の股関節のヒンジの深さなど、自分のフォームを様々な角度から検証し、プロ野球選手との差を分析しました。そして、自分にしっくりくるフォームを探し求めました。その結果たどり着いたのは、流行りの「ショートアーム」でした。ブルペンで投げて試していくうちに、なるほど、テイクバックのブレが少なく、コントロールが安定し、かつ力感なくある程度強い球が行く感覚を身につけることができたのです。また、自分の永遠の課題であるショートスローは、増田さん(R8卒)考案の投げ感メニューで改善を図りました。実際、この時期はフィールディング練習に入るのは全く苦ではなくなったのを覚えています。この時期は、野球が上手くなっていく実感が日々強くなり、とにかく練習に行くのが楽しくて仕方がありませんでした。そんな練習の甲斐あってか、次第に実戦での投球が安定してきました。なんとか数試合を連続で無失点で抑えることができ、この年の目標としていた秋フレッシュでのベンチ入りを果たすことができました。そして、第一戦の法政戦で、念願の神宮のマウンドにやっとの思いで立つことができたのです。あの時の興奮と達成感は格別でした。結果は1回1失点。しかし、入部したての大炎上とは比べ物にならないくらい良いピッチングでした。「来年こそはリーグ戦で投げてやる。」そう決心した矢先、またもや右肘から悲鳴が聞こえたのです。
今度は靭帯でした。日常生活に影響が出るほどにまで痛みが増幅していました。痛み止めを服み、なんとか冬を乗り越え、春合宿前のシートBTに登板しましたが、結果は散々。またもやリハビリ生活を余儀なくされました。
そこからの野球生活は、まるで記憶がありません。登板と離脱を繰り返し、1−2週間に一度のペースで風邪を引き続ける。思い出そうとしても、頭の中で記憶が早送りされているかのようで、とにかく時の経過が早かったです。それでも、どこか頭の片隅に、リーグ戦で登板してチームの勝利に貢献したいという思いはありました。秋フレッシュでの登板に至るまでの過程は僕にとってのある種の成功体験であり、これを経験した僕にとってはリーグ戦の舞台に立つということは不可能ではないのではないかと考えていました。しかし、そう上手くは行きません。怪我や悪化する体調というしんどい現実を前に、僕は、正直なところ、以前ほどの熱量を持って野球に取り組めてはいませんでした。何度怪我をしても復活する選手がいるのとは真逆で、畢竟、僕は目の前の現実から逃げてしまったのです。リーグ戦登板という大々的な目標を掲げながら、僕は自分の弱さと向き合いきれず、また「なんとなく」の日々に戻ってしまったのです。何度も選手を辞めたいと思いました。いっそ退部して自分の将来のために有意義に時間を使おうかとも思いました。しかし、その度に、期待してくれている人たちを裏切るわけにはいかないし、何よりも「あの」神宮のマウンドに再び立ってやるという思いで、なんとかギリギリ耐えたのです。ですが、結局その目標は達成できずに終わってしまいました。
引退を告げられた日、悔しかったのですが、以前ほど悔しさを感じられなかったのは、なぜでしょうか。
最後に、僕はあらゆる人に感謝を伝えなければなりません。
・家族へ
結果が出ない時でも、いつも必ずポジティブな言葉をかけてくれてありがとう。そして、期待に応えられなくてごめんね。普段は照れくさくて言えないけど、僕がここまで野球を続けられたのは、父と母の2人のおかげです。ほんとうにありがとう。いっぱい迷惑をかけてきた自覚があるので、これからは必ず親孝行します。
・同期へ
結果が出ず、思うようにいかず、何度も投げ出したくなるような時があったけど、球場に行って、あなたたちとくだらない話をしているうちに、不思議と悩みや邪な思いは全部なくなっていました。特に、駒場で同じクラスだった近藤、武田(4年/投手/岡山白陵)、藤原(4年/外野手/県立福島)、同じ試合で投げることが多かった永島(4年/投手/開成)や周平(山口周平/4年/投手/三重)、少人数班で一緒になることが多かった江口、同人種の花村(4年/学生コーチ/開成)とはよく他愛のない話で盛り上がりました。他の同期も、全員僕にはない能力を持っていて、とても尊敬しています。4年間ありがとう。これからも仲良くしてね。
・先輩方へ
これまで未熟な自分に対して熱心にご指導いただき、誠にありがとうございます。特に、よしこうさん(R8卒)、増田さん、琉さん(R8卒)には、あらゆる面で非常にお世話になった自覚があります。改めて感謝申し上げます。
・後輩たちへ
あなたたち一人一人には内なる才能が必ずあります。その才能を存分に活かして、これからの東大野球部を強くしていってください。他の5大学を圧倒する姿を期待しています。
特に、岩佐(3年/学生コーチ/浅野)、早瀨(3年/投手/藤島)、大森(3年/投手/一宮)とはくだらない話で盛り上がった自覚が大いにあります。いつも話し相手になってくれてありがとう。今後の活躍を期待しています。
・東京城南整形外科、三宅スポーツマッサージの方々へ
肘のリハビリや治療のために数多く通院させていただき、また、こんな僕にお付き合いいただき誠にありがとうございます。大変お世話になりました。思うような結果を残すことができず、悔しさと申し訳なさでいっぱいですが、僕の登板を常に支えていただいた方々がいたことを決して忘れません。ここに感謝申し上げます。
東大野球部の4年間、嬉しいこと、悔しいこと、しんどいこと、いろいろなことを経験できました。今後の人生において、躓いたり、転んだりしたら、きっと僕は東大野球部時代に立ち返ることでしょう。
以上が、僕の野球人生でした。
次回は、僕といつもフランス語で会話をする鬼才春山三塁手(4年/内野手/昭和学院秀英)のぼくじんです。彼の文才に乞うご期待!
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次回は10/2(金)、春山雄一郎内野手を予定しております。
主将 

