TOKYOROCKS 東京六大学野球

東京大学野球部ブログ | 東京六大学野球公式ブログリーグ TOKYOROCKS

2020.10.13

『僕の野球人生』第7回 川出拓実内野手

『僕の野球人生』第7回

川出 拓実 内野手(4年/刈谷)

川出(加工済)

小学生の頃からつけている日記を読み返すと、どのページにも大体野球のことが書いてあります。練習のこと、試合のこと、その日見たプロ野球中継のこと。良くも悪くも、野球はそれほど生活の中心でした。

初めてボールを握ったのは6歳ごろだったでしょうか。イチロー選手を知り、シアトルマリナーズのおもちゃのグローブを買ってもらいました。

小学校3年生の6月に地元の少年野球チーム、藤江ジャイアンツに入団しました。WBCの第1回大会で日本が優勝したことがきっかけだったと思います。同学年が9人しかおらず、いつも下の学年から助っ人を呼んでいました。人数が少ない分結束力があり、ポジティヴなチームだったように思います。名古屋の強豪チームにサヨナラで勝ったこと、町内で優勝し、学校の朝礼で揃いのTシャツを着て表彰してもらったこと。幼いながら、真剣勝負に勝つことの喜びを覚えた日々でした。

東浦中学校では学校の野球部に入りました。夏休みに毎日一日練習をしたことや、みんなで遠回りしながらのんびりと自転車で帰宅したことが懐かしく、良い思い出です。
ありがたいことに、1年生の早い段階からメンバーに入れてもらいましたが、そこで抱いたのは自信ではなく不安でした。すぐに他人と比較しては、自分で良いのかと余計なことを考え込むのが、自分の弱さでした。最上級生になってからは全試合4番で使っていただきましたが、個人としてもチームとしても、大した成績を残すことはできませんでした。

刈谷高校に進学すると、硬式野球の世界に足を踏み入れました。ここで、中学までいかに小さな世界で野球をしていたかを痛感することになります。同学年には実力者が揃い、メンバー入りもできない時期が続きました。すると焦りが募り、ミスをしてはいけない、打たなければいけないと自分で自分を追い込むような精神状態になっていきます。厳しい状況を変えようと、外野手へのコンバートを自ら申し出たものの、自分でチャンスを潰してばかりでした。野球が生活の中心であるが故、野球がうまくいかないと普段の生活から塞ぎ込むことも多くなりました。

そんな折、2年春の東京遠征の際に神宮で六大学のリーグ戦を観戦したことが、僕の野球人生の終点を変えました。当時、東大野球部には高校の先輩である飯田裕太さん(H28卒)がいらっしゃいました。神宮の華やかな雰囲気のなか、先輩の名前と高校名が高々とアナウンスされるのを聞き、心から憧れ、羨ましく思いました。この時、それまで眼中にもなかった大学野球、それも六大学野球という大舞台に最終目標が移りました。

高校最後の夏、ベンチに入れていただいたものの、出場機会はありませんでした。チームが県ベスト8をサヨナラ勝利で決めた瞬間も、歓喜の輪の隅でバットを引いていました。
もしもレギュラーとして高校野球を全うしていたなら、そこである程度満足して野球を辞めていたのかもしれません。

浪人期、東大野球部への憧れは募るばかりでした。入部できなければ、一生後悔し続けるのだろうと考えていました。予備校の自習室ではこっそりリーグ戦の中継を見て、それでも飽き足らず春と秋に一度ずつ神宮まで観戦に行きました。(学生料金で入場しようと、チケット売り場で名古屋の予備校の学生証を見せたために、不思議そうな目で見られたものです。) 春は宮台さん(H30卒)の完封勝利、秋は予備校の先輩にあたる大志さん(山下大志/R2卒)の先発登板を目のあたりにし、勝手にご縁を感じていました。

幸せなことにご縁は実り、東大野球部への入部を果たすことができました。入部当初から沢山チャンスをいただき、少年野球の時以来の投手を含め、捕手以外のすべてのポジションを経験しました。(新人戦で神宮のマウンドに立ったことは今でも語り種ですが、高校の野球部同期には笑われます。) 2年春の新人戦、法政戦での神宮初打席初安打と、慶應戦でのタイムリー、そして勝利の充足感は格別でした。しかし、リーグ戦前のオープン戦は散々な結果ばかりで、結局メンバー入りできないシーズンが3年間続きました。入寮生で唯一リーグ戦に出ていなかった自分が恥ずかしくて仕方がなく、学生コーチへの転身を考えたことも一度や二度ではありませんでした。
なんとかチームの一員でいられる理由を作ろうと、得意だった打撃投手だけは自分の使命としてきました。リーグ戦に出る選手を微力ながら支えているという実感だけが、自分もチームにいて良いのだと思わせてくれました。

技術が足りないだけでなく、自分が精神的に弱いことは明らかでした。そんな中、メンタルトレーナーのもとに通うようになりました。プレー中にいかに無心になるか、余計なことを考えずにいられるかが、今でも自分の課題です。一時的に改善したり、また戻ったり。心を整えることは、自分にとって何より難しいことでした。

4年生になり、8月のリーグ戦からはようやく試合に出していただけるようになりました。しかし、ここにきてもミスを犯し、チームに迷惑をかけてしまいました。
8月11日の法政戦。ついにスタメンで起用していただき、万感の思いでグラウンドに立ちました。試合開始時にネクストバッターズサークルから見た光景。サイレンの音。最高でした。ところがそのウラ、守備でいきなり2エラー。実は2年秋の新人戦でも同じような失態を演じており、乗り越えたと思っていた当時の光景がフラッシュバックして頭が真っ白になりました。チームに対する申し訳なさでいっぱいになるとともに、2年前から何も成長できていなかった自分に絶望しました。

高校時代と同じく、大学の4年間も塞ぎ込んでばかりでした。
今になって客観的に振り返ってみれば、普段から塞ぎ込んでしまうから野球もうまくいかないのでした。毎日をポジティヴに生きるべきでした。

結果がすべての真剣勝負の世界で良い成績を残していない以上、これまで述べてきたような精神的な弱さや実力不足は言い訳にしかなりません。高校、大学とほとんど何も結果を残すことができなかった。取り返しのつかないことをした。この事実には、これからの人生においても向き合っていかなければなりません。

それでも、最後くらいは自分に、そして自分の野球人生に、自信を持ってやり切ろうという気持ちです。初めて神宮のスタンドで六大学野球を観てから6年。今自分は、あの時憧れた神宮の右バッターボックスに、飯田さんにいただいたバットを構えて立っています。なんと有り難く、幸せで、素晴らしい経験でしょうか。
引退までは、ここまできた自分を褒め称え、奮い立たせます。自分を認めることで、自分に自信を持てる。メンタルトレーニングで学んだことです。

14年にもわたる僕の野球人生、多くの方に支えていただき成り立ってきました。中でも、ずっと変わらず支えてくれた家族には感謝しています。塞ぎ込み、ろくにコミュニケーションもとらない僕をサポートしてくれた両親。僕が試合に出ようが出まいが、愛知まで、東京まではるばる応援に来てくれた祖父母。
そんな家族に、また折に触れて気にかけてくれる地元の友人に、最後に良いところを見せたいです。

そして、何より勝ちたいです。3年前に勝ち点を獲得した時、打撃投手しかしていませんでしたが、それでも晴れやかな気持ちでした。あの気持ちをまた、今度は選手として体感したいです。
神宮でやり残したことなど山ほどありますが、チームとして勝つことができれば、そんなエゴは吹っ飛ぶと思います。

あと1ヶ月も経たず、引退を迎えます。その時にすっきりと笑っていられるように、今、一瞬ごとを大切に生きていきます。

——————————————

次回は10/14(水)、早川内野手を予定しております。

お楽しみに!

東京六大学野球ブログリーグ一覧