『僕の野球人生』第9回 伊津野諒外野手
『僕の野球人生』第9回
僕が野球を始めたのは小学1年生の時です。友達に誘われて少年野球チーム、赤松フライヤーズに入団したのがきっかけでした。小さいグラウンドでありましたがホームランを打ったり、盗塁しまくったり、とにかく楽しい野球生活を送っていました。
栄光学園中学では軟式野球部に入部しました。サードのレギュラーとして試合に出してもらっていましたが、打撃が特に苦手で、あまり戦力になれなかった記憶があります。情けない話ですが、試合に負けても悔しさをあまり感じませんでした。
栄光学園高校に入っても軟式野球を続けました。しかし高校2年生の春、肩のケガをきっかけに送球イップスになってしまいました。それ以降、短い距離の送球がまともにできなくなりました。例を挙げればきりがありませんが、練習のボール回しでも心臓をバクバクさせながら、冷や汗をかきながらボールを投げていたのを覚えています。軟式野球だったのでワンバウンドで送球することでしのいでいました。
このイップスは良くも悪くも僕の野球人生を思い描いていたものとは違った方向にもっていきました。
それでも3年生の春の大会ではショートで出場し、チームとして10年ぶりに関東大会出場を果たすことが出来たことはとても嬉しかったです。しかし、夏は県大会決勝で敗れてしまいました。もちろん悔しい気持ちはありました。でも「悔しさもこんなもんか。」と涙が溢れることはありませんでした。
それでも浪人中、野球から離れた生活を送っていると、なぜか「野球をやりたい。」という気持ちが日に日に強くなっていきました。
浪人を経て入試を突破し、野球をやり切るにはここしかないと東大野球部への入部を決意しました。当時は「辻居(R2卒)に負けないくらい自分も活躍できるだろう。イップスも改善しているだろうし。」という自信を持っていました。
しかし、それは完全な過信でした。
東大野球部入部後は苦しい時間が続きました。非力でバットも強く振れず、自信のあった守備も硬式野球のスピード感についていけずミスばかり、イップスも再び発動してしまいました。また夏ごろ、部員のほとんどが参加する他大学との合同練習にも呼んでもらえなかった時には、恥ずかしさ、屈辱感を覚えました。この時の気持ちは今でも忘れられません。
そういうことがあり1年生の冬、「こんな気持ちのまま終われない」と、冬のランニングメニューに全力で取り組みました、酸欠になり倒れそうになることもありましたが、その甲斐あってか走力は伸びていきました。運よく監督の目にもとまり、練習試合で代走として出場させてもらえるようになりました。試合に出場し、何度も牽制を受けながら盗塁を決めた時の興奮は今までにないもので、やっと選手としての居場所を見つけた気がしました。その後は走力を伸ばし代走として活躍することが私の野球人生のメインとなりました。思い描いていた選手像とは異なりますが、走力という自分の強みを見つけ、代走という活躍できる場を見つけられたのは、ある意味イップスのお陰だったのかもしれません。代走という役割を僕はとても気に入っています。絶対にアウトになってはいけない、ミスをしてはいけないというプレッシャー、そして相手バッテリーの警戒をかいくぐり、盗塁を決める役割はとてもかっこいいと思います。
そして2年の春、転機が訪れました。右打ちの内野手から左打ちの外野手へと転向することとなったのです。左打ちになったのは足の速さを活かすため、外野手になったのはイップスの克服が難しいと考えたからです。この挑戦に取り組み、努力することでたくさんの学びを得られました。これも今考えればイップスのおかげだったのかもしれません。
3年目は再び苦しい期間が続きました。特にケガの多さに悩まされました。左打者としてのスイングが板についてきて、「これはいける!」と思っていた矢先に捻挫をしてスイングを崩したり、治ったと思ったら肩を脱臼してしまったりといった具合でした。結果的にほとんどリーグ戦でベンチ入りできず終わってしまいました。高校の同級生である辻居、小林(瑶平/R2卒)、後輩の平山(投手/4年)が神宮で活躍する中、自分はベンチ外。「同じ舞台で一緒に戦いたかった。」そんな気持ちから野球に関することで初めて悔し涙を流しました。
そういう気持ちを胸に最高学年となりました。チームの勝利に貢献するため、僕は走塁長というポジションにつきました。この役割はリーダー経験のない自分にとって、とても難しいものでした。ああすればよかった、これをやっておけばよかったと後悔してばかりです。ですがチームメイト、監督に支えられながら自分なりに一生懸命取り組みました。チームの成長に少しでも貢献出来ていたら嬉しいです。
こう振り返るとうまくいかないことが多い野球人生でした。野球をここまで続けていたから失敗を犯し、たくさんの後悔、苦しい思いをしました。ですが、野球をここまで続けてきたからこそ自分の人間的な甘さや潜んでいた反骨心、勝ちたいという気持ち、仲間の大切さに気づくことが出来ました。試練を与えてくれた野球のおかげで成長することが出来ました。
こんな充実した野球人生を送ることができたのは数多くの方々に支えて頂いたからです。野球が与えてくれたご縁に感謝します。特に両親には感謝してもしきれません。たくさん負担をかけましたが、何不自由なく野球を続けさせてくれてありがとう。
さて僕の野球人生ですが、そろそろ終わりを迎えようとしています。しかし、東大野球部員として、このまま負けっぱなしで終わるわけにはいきません。
このチームで勝ちたい、必ず勝てる。そう思っています。
残り2カード勝ち切ります。
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次回は10/16(金)、梅山外野手を予定しております。
お楽しみに!