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2020.10.20

『僕の野球人生』第12回 土井芳徳外野手

『僕の野球人生』第12回

土井 芳徳 外野手(4年/國學院久我山)

土井(加工済)

保育園の時に先生が投げてくれたボールをひたすら打ち返したというのが僕の一番古い野球をしたという記憶です。おそらくそれが僕の野球人生の始まりだと思います。

本格的に野球を始めたのは小学1年生の時で、3つ上の兄が所属していた小手指イーグリッツに入団しました。小学生の頃はとにかく野球漬けで、平日は放課後に人を集めて野球、土日もチームの練習に行って野球といった生活でした。負けず嫌いかつ投手が好きだった僕は、熱中症から回復してすぐの試合で「登板中の投手では負けるから投げさせてくれ」と監督に直訴するようなちょっと熱すぎる野球少年でした。

中学では学校の軟式野球部に入ろうと思っていましたが、小学校のチームメイトの誘いもあって、硬式野球のクラブチーム、所沢南シニアに投手志望で入部しました。しかし、当時から体の小さかった僕は体が出来ていないからと投手はあまりさせてもらえず、外野手へ転向させられました。2年秋から始まる公式戦を外野手としてむかえた僕は、はじめはベンチスタートでしたが、代打のチャンスで結果を残し、スタメンに運よくなることが出来ました。それから結果を残し続けてスタメンに定着し、一番打者として最後の大会を迎えましたが、最後の大会では打撃が全く振るわず、今まで結果を出してきた分、チームメイトを始めとする周囲の期待に応えられていないことへの罪悪感を募らせました。多くの試合で結果を残し、体が小さくても自分はやれるという自信を持つとともに最後の大会で結果を残せなかった勝負弱さを感じた中学時代でした。

高校では勉強も野球も頑張りたいということで、文武両道を謳う國學院久我山高校に入学しました。下級生のうちはB戦でスタメンとして出場し、2年の夏にベンチ入りしかけましたが登録変更の時に外されてしまいました。自分の代になった秋は、予選まではセンターとしてスタメン出場しましたが、本選は脚のケガによって代打のみの出場にとどまり、チームも1回戦で敗れました。3年春もスタメンでしたが夏にかけて同じポジションのライバルがとてつもなく成長し、夏の予選は外野の守備固めになりました。強豪と呼ばれるような高校でスタメンを張るという自分にとって大きなチャレンジを成功させられましたが、最終的にはスタメンから外れることになった自分の詰めの甘さを悔いた高校時代でした。

大学は浜田前監督が高校に来られた際に声をかけて頂いたのもあり、幸い勉強がそこそこできたので東大を目指すことにしました。東大以外の大学なら野球をやるつもりは無かったので、僕の野球人生はもう少し短かったかもしれません。正直、東大の野球のレベルは低く見積もっていましたが、当時の4年生を見て、ちょっとした強豪校出身で鳴り物入り気分だった僕の見積もりがいかに甘いものか痛感させられました。とはいえ、一応強豪校出身という珍しさから監督や先輩方には期待してもらえているのではないかというプレッシャーを少し感じていました。何はともあれ、「出身なんか関係ないんだ」「自分が上手くなるしかないんだ」と入部してから練習に必死でついていくと、夏ぐらいからA戦にスタメンで起用されるようになりました。ある自分がスタメンだった試合後、中西前助監督に「今日のスタメンが、監督が想定している秋のスタメンです。」と言われ、僕自身、実力が先輩達に劣ると思っていたので、「出身校が久我山だから、色眼鏡で見られているのではないか」「実力で出してもらえているのか」と先輩たちを差し置いて試合に出るということに対して不安を感じていました。その後の練習試合では振るわずに、結局スタメン落ちした僕は、1年秋のリーグ戦には代打のみの出場になりました。当時はリーグ戦で打席に立つと神宮球場の雰囲気に圧倒されて頭が真っ白になってしまい、実力差も相まってか結果は出ませんでした。同期の岡(外野手/4年)が起用に応える中、僕は慶應戦で押せ押せの場面で見逃し三振をして最後のバッターになり、ただただ自分の無力さを感じていました。実力不足を感じさせられた1年目を終えて、守備は特に自信がないわけではないからと、打撃でリーグ戦で結果を残せるレベルを目指して自分なりに練習を重ねました。

そして迎えた2年春、シーズン序盤は球場の外でポイントカードにスタンプを押しているような存在でしたがいきなりスタメンのチャンスをもらうことができ、何とかヒットを出すことができました。その後も数試合スタメン起用をしてもらえた僕は、良くも悪くもない成績でシーズンを終えました。しかし依然として三振の多さに相手投手との実力の差は感じていました。そして秋は、同期の台頭などもあって代打での出場のみになりました。数字は落ちこむようなものではなかったですが、ここ一番のチャンスに代打で送り出してもらいましたが、三振してしまいました。同期が実力をつけていることへの焦りも感じ始めるとともに、中学・高校時代からの勝負弱さ、詰めの甘さは何も変わっていないと痛感し、自分のせいでチームが試合に勝てなかった責任を感じていました。

3年春は、3試合スタメンで出してもらえました。打撃の感触はそこまで悪くなかったのですが数字は良くなかったです。このシーズンは明治戦に同点の場面で守備固めに出してもらいましたが、期待通りの守備ができずにサヨナラの打球は僕の頭を越えていきました。「また僕のせいで勝てなかった」そう思いました。思えば、1年の秋のシーズンで勝ち点を取ったのも僕がベンチに入っていないカードでした。「僕がベンチにいると勝てないのではないか」そういう気持ちになりました。秋は1試合スタメンで出してもらえただけでした。結果は散々でした。

自分達の代になり、それでも自分が出たら勝てるくらいの実力をつけたいと思いながら練習を続けていると、春合宿で課題にしていた打撃でコツをつかみ、「これはいける」と思っていましたが、肘のケガをして満足にプレーできなくなりました。今までにないくらい感覚が良かっただけにショックは大きかったです。絶対的な選手でない以上は全力でプレーできない状態で試合に出ることは僕の中では考えられず、あくまでスタメンで出たいと僕は思っていたので、選手というものから気持ちはだんだん離れていき、リーグ戦に出るような選手の練習のサポートに回ろうと思うことが多くなりました。今シーズン試合に出ることはないと思います。

ざっと振り返りましたが、特に後半は暗い内容の回顧が多く、読みづらいものだったかと思います。ここまで読んでくださった方々ありがとうございます。これは「僕の野球人生」とはいえ、僕の野球人生のほんの一部にすぎません。公式戦に関することばかり書きましたが、ここに書いたこと以外にも良くも悪くも考えたり、感情が動いたりするような経験が沢山ありました。学生野球を教育の一環として意識している人は少ないと思いますが、僕は野球を通じてそうした経験をする中で、人間的な成長を感じていました。まだまだ未熟者ではありますが、野球がなければ、ここまでの人間的な成長は感じられなかったのではないかと思います。僕の野球人生はここで幕を閉じると思いますが、この十数年の経験は何物にも代えがたいものであり、現在とても満足しています。

ということで、上述のような素晴らしい経験をさせて頂いた方々の中で、この文を読みそうな方々に感謝を述べさせていただきたく存じます。

両親、大学までの長い間野球をやらせてくれてありがとうございました。素晴らしい経験を本当に沢山させてもらえました。2人が僕の両親で良かったです。わがままを沢山聞いてもらったり、手間も沢山かけてもらったりした恩を一生忘れません。これから少しずつ返していきます。

これまで僕に野球を指導してくださった多くの方々、皆様の指導により、いろいろ自分で試行錯誤する際のヒントを得ることができ、最終的に自分自身で納得いくくらいの野球の技量を手に入れることが出来ました。その点に悔いはないです。本当にありがとうございました。

これまでに応援していただいた皆様、皆様の温かいご声援により試合中に勇気をもらうことができました。本当にありがとうございました。

諸先輩方、いつも優しく接してくださりありがとうございました。メンタルの弱い僕は先輩の優しさで何度も救われました。すごく助かりました。友達感覚で接してくださる先輩の方々も僕のバカ話に付き合っていただきありがとうございました。

大学の後輩諸君、これを読んでいる君は凄いです。僕のこんな文章を最後まで読むなんて到底できない所業です。その忍耐力を生かして辛抱強く正しい練習を積み重ねていってください。努力というのは報われるまでするものだと個人的に思っています。頑張ってください。本当に今までお世話になりました。

大学の同期、本当にありがとう。のびのびと野球を最後まで野球をやらせてくれたことに感謝します。一生懸命野球に打ち込む皆さんの姿は、努力の大事さ、一生懸命のカッコよさを教えてくれました。残りの試合、全力で駆け抜けていきましょう。

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次回は10/21(水)、松田マネージャーを予定しております。

お楽しみに!

 

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