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『僕の野球人生』第18回 和気正純学生コーチ

『僕の野球人生』第18回

和気 正純 学生コーチ(4年/筑波大附)

済

「10年後の自分へ」

先日、このように書かれた手紙が家に届きました。小学6年の時に未来の自分に対するメッセージを手紙にして出していたからです。濃い鉛筆ではっきりと書かれた字を読んでいると、あたかも目の前にいる10年前の自分から話しかけられているような気分になりました。

「君は野球が大好きだったね。野球チームでは大きな声をずっと出していたね。どんなに打てないときでも、あきらめず努力をしていたね。君は好きなことをずっと続けられる性格だったから、放課後はずっと野球をしていたね。今でも大好きな野球をずっと続けていますか。」

僕が野球に出会ったのは小学3年の時でした。昔から友達が少なく、休みの日は学校で一人木登りをして遊んでいました。そんなある日、木の上から校庭を眺めていると地元の野球チームの監督から「アイスをあげるから一緒に野球をやらないか」と声をかけられました。その当時は野球にはそれほど興味はなかったものの、アイス欲しさから気付けばチームに入団していました。しかし、やっていくうちに次第に野球の魅力にハマっていき、毎日のように野球をやるほど好きになりました。平日の放課後は自分でトスしたボールを思いっきり打って学校の窓に当てるという遊びを永遠に繰り返し、家に帰ると18時から試合終了まで巨人戦をひたすら観るという野球三昧な日々でした。

中学では学校の野球部に入りました。進学校ということもあり、大会ではすぐに負けてしまうようなチームで、練習もゆるくやっていました。そんなチームで僕はキャプテンをやることになりました。主将でありながら問題を起こして2度もチームを活動停止に追い込むというクレイジーさはありつつも、とてもいい経験になりました。最後の夏の大会では、1回戦でサヨナラホームラン、最後は強豪校から決勝ホームランを打ち、何十年ぶりの都大会進出に貢献できました。自分は神に選ばれた存在なのだという良くない過信を持ったまま高校に進みました。

高校では2年の時から4番を打たせてもらいました。高校も毎年1回戦負けの弱小校でしたが、何とか勝とうと必死に練習する中で少しずつチームが強くなるのは楽しかったです。打者としては、練習やオープン戦では思い切りのいいスイングでかなり打っていましたが、公式戦になった途端に緊張して当てにいくバッティングになり、全く打てないという典型的な本番に弱いタイプでした。最後の夏の大会も1回戦で負けてしまい、不完全燃焼で終わりました。

小さい頃からプロ野球に強い憧れがあり、自分の能力の低さを分かりつつも、もっと上のレベルで野球がしたいと悩んでいた高校2年の時、高校のOBで東大のOBでもある方から東大野球部に入ったらどうかと誘われました。その当時、六大学野球については全く知りませんでしたが、いざ神宮球場に行って試合を見ると、そのレベルの高さに衝撃を受け、自分もこのグラウンドに立って挑戦したいとすぐに決心しました。

1年間の浪人生活を終え、無事に東大野球部に入ることができました。入部するとすぐに春のフレッシュリーグに出場し、代打として神宮で二塁打を打つことができました。まだ右も左もわからない時期で、記憶もあまり定かではありませんが、神宮で打つヒットは格別だったのは覚えています。その後もA戦にDHとしてスタメン出場したり、オープン戦でホームランを打ったりと、1年目はそこそこ順調だった気がします。このままいけば2年の春にはベンチ入りして神宮で活躍できるだろうという甘い考えで冬を過ごしました。しかし、2年になると状況は一変し、人生最大の「暗黒の2年間」に突入します。

2年目に入ると、1つ下の学年に「チームD」と呼ばれる謎のデブ集団が入部してきました。中途半端Dな自分と比べ、体格も打撃技術も優れている彼らはすぐに試合に出るようになりました。今まで4番を確約されレギュラー争いなどしたことがなかったので、生存競争の焦りからか、2年春のフレッシュリーグでは全く結果を残せませんでした。その後は試合にも使われず、練習にもあまり参加できない日々が続きました。朝起きて球場に向かい、一日中ただスタンドで試合を見て家に帰った時は「自分は何のために野球をやっているんだろう」と泣きそうになり、ひたすら家のものを床に投げつけていました。そんななかでもB戦で4番として起用してくれた前助監督、才能があるとほめてくれた打撃コーチやOBの方の存在はとてもありがたかったです。途中で野球をやめることも考えましたが、自分はまだまだこんなもんじゃない、やめるなら自分の可能性を使い切ってからやめようと思い、ラストイヤーに全力でのぞむことにしました。

少ないチャンスながら、秋のオープン戦、福岡合宿では結果を残すことができ、4年目にしてやっとAメンバーに戻ってくることができました。自分の打撃を評価し、使ってくれた監督と助監督には感謝してもしきれません。その後の試合で結果が出せず、今はチームのサポートに回っています。15年やってきた野球をやめるのはとても苦しい決断で、何度も悩みましたが、自分自身の意思で決めた道なので、後悔はしないと思います。

この秋もチームは連敗が続き、勝てずにいます。結果が出ずに苦しんでいたり、ミーティングで涙する同期を見ると、「自分がまだ選手で、めちゃくちゃ打てれば、こんなことにはならないのに」と思い、選手として戦うことから逃げた自分が嫌になります。一方で、入部当初は単なるライバルで、とにかく打つなとばかり思っていた同期ですが、今では何とか打ってほしいと心から応援し、毎日トスをあげている自分がいます。できることは少ないですが、このチームで勝つために全力でサポートしたいと思います。

ここまで見てきたように、自分の野球人生を小説にするとしたら、大学での最終章はとんでもない駄作になってしまったかもしれません。入部するとき、自分は神宮の舞台で活躍するものだと思っていたので、一度もリーグ戦の舞台に立つことなく惨めに大学野球を終えていくとは夢にも思いませんでした。自分がとても情けないです。そして何より、今までサポートしてくれた人、何かと気にかけてくれた高校同期、試合を見に行くのを楽しみにしていると言ってくれた小学校の恩師、そして東大野球部に誘ってくれた恩人であるOBの方に合わせる顔がありません。自分はおそらく一生この十字架を背負って生きていくんだろうと思います。

10年前、元気にグラウンドを走り回っていた野球好きな少年は、手紙の奥から今の自分を見て何を思っているんだろうか。10年前の自分に今も野球が好きかと聞かれたら、胸を張って好きと言える自信はありません。野球をやることで散々苦しい思いをしたから。ただ、自分は神宮で勝利をあげたあのチームの一員だったんだとは胸を張って言えるように、最終カード絶対に勝ちたいと思います。

そして最後に、毎週のようにバッティングセンターに連れていってくれたお父さん、仕事があるのに毎朝弁当を作ってくれたお母さん、2人のおかげで最高の野球人生を歩むことができました。今まで本当にありがとう。

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次回は10/27(火)、宇佐美副将を予定しております。

お楽しみに!

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