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『僕の野球人生』第7回 奥田勇捕手

『僕の野球人生』第7回

奥田 勇 捕手(4年/鶴岡南)

 

奥田①

奥田②

 

「努力をせずに夢が叶った人と

 

努力をしても叶わなかった人

 

たとえ僕が叶わない人だったとしても

 

この足を止めやしないだろう」

 

僕がとても好きな歌の歌詞の一部です

僕の野球人生は、とてつもなく遠い夢に向かう中で、多くの挫折を味わい、叶わない夢かもしれないと思いながらも、奇跡を信じ、決して足を止めなかった。そんな野球人生だったように思います。

 

 

小学3年生から野球を始めた僕は、小中高と野球を続け、高校2年生の秋からはチームのキャプテンを務めるようになりました。部員数も多くない進学校のチームでしたが、自分は本気で甲子園を目指していました。

 

そんな僕の野球人生の転機となった試合が、3年夏の甲子園予選3回戦、羽黒高校戦です。優勝候補の相手に対して、7回まで6-4でリードしておきながら、逆転され、6-7で敗戦しました。あと一歩のところで金星を逃すとともに、僕の高校野球は一転して幕を閉じました。現実を受け入れられず、ただただ呆然とし、はじめは涙も出ませんでした。失意の中で思ったことは、このまま野球人生を終わりたくないということでした。そして本当に悔しい気持ちと、もっと上手くなれるという思いから、大学でも野球を続けたいと決意しました。それまでにも担任の先生や顧問の先生から「東大を目指せ」と言われていましたが、自分には絶対に不可能なことだと思い、本気で目指すつもりはありませんでした。しかし、この敗戦をきっかけに、東大で日本一の文武両道をすることを目指し始めました。

 

もちろん、地方の県立高校生だった僕にとって、東大に合格することは容易なことではありませんでした。それ自体がとてつもなく遠い夢でした。模試では永遠にE判定。点数も上がらず本当に苦しい思いをしました。しかしそれでも諦めずに走り続けました。東大で野球をするという強い意志を持って勉強を続け、その年は入試に落ちはしたものの、あと1.3点で合格というところまで近づきました。目標に向かって一生懸命努力した経験は自信になりましたし、あと一歩なら、もう1年頑張ればいけると思い、浪人して東大を目指そうと思いました。

 

しかし、そううまくはいきませんでした。一浪時の受験では、あと1.4点で合格を逃しました。野球をするスタートラインにも立たせてもらえないのか…この上ない挫折を経験しました。甲子園予選で負けた時と同様に、あと一歩で勝利はすり抜けていき、事態をなかなか受け入れられず、ただただ呆然としてしまいました。後期試験で他の大学に合格していたので、その大学に進むか、もう1年浪人するかということについては、とても悩みました。一度は大学への入学も決断しました。しかし、頭をよぎったのは、甲子園予選での敗戦と、東大で野球をしたいという思いでした。このまま、野球でも、勉強でも、甘さが出て最後までやりきれずに終わるのは絶対に一生後悔する。そう思い、苦しい道であることを覚悟の上、2浪することを決断しました。

 

2浪の時は神宮球場に東大の試合を何度も見に行きました。勝ち点を取った試合では涙が出そうでした。本当に勇気をもらいました。死ぬ気で勉強を頑張りました。自分は東大に受からない人間なのかもしれない。それでも、絶対に悔いを残さないよう、苦しかったけれどもひたすら努力しました。入試本番も会心の出来ではありませんでしたが、やり切ったという気持ちでいっぱいでした。これで落ちていても悔いはない。やり切った。東大野球部ではない人生でも自分はやっていける。そのように思えるくらい自分と向き合い、走り切った1年でした。

 

そして見事に合格し、夢にまで見た東大野球部への入部を果たした僕でしたが、またしても挫折が待っていました。入部早々に肩を怪我して、ボールを投げられない日々が続きました。病院を転々としてもなかなか治らず、結局、1年生の冬頃まで全くと言っていいほど投げることができませんでした。1年生のうちはOP戦に1試合も出場することができず、同期たちが続々とデビューしていくのを見て、何もできない自分が本当に悔しかったです。夜に室内練習場で1人、ネットに向かってボールを投げ、やはり痛みが出るたびに、ぶつけようのない悔しさで、涙が出てくることもありました。1年の秋に、「2年春になっても肩が治らなかったら、選手をやめようと思う」と同期のみんなの前で話したことがあります。今ではよく同期の間でも笑い話としていじられていることですが、当時の自分は本気でそう思っていました。2年春まで死ぬ気で頑張ってみよう。もしかしたらこの肩はもう治らないのかもしれないけど、苦しい2浪も乗り越えられたように、悔いを残さないくらい頑張ってみよう。そう思ってリハビリや、痛みの出ないメニューを必死に頑張っていました。

 

その後も肘の手術など、苦しい思いを何度もしました。それでも諦めずに走り続け、なんとか投げられるようになり、3年秋にはリーグ戦のベンチ入りも果たしました。リーグ戦の打席に立つこともできました。リーグ戦で勝った試合も、ベンチに入り、グラウンドの中で喜びを味わうことができました。打席での光景、勝った瞬間の喜びは、何にも例えようのないほど素晴らしいものでした。

 

転機となった甲子園予選の敗退以降、僕の野球人生を振り返ってみると、苦労と挫折ばかりでした。ですが、その苦労と挫折が、今の自分を作っています。そしてその苦労と挫折が、ほんの一瞬だったかもしれないけれども、最高の舞台で輝きを放つ瞬間を作り出してくれました。その一瞬のために走り続けた時間はこれからの人生にとっても絶対にかけがえのない経験になると思うし、その一瞬というのは、本当に最高の時間でした。本当に幸せな野球人生でした。

 

 

冒頭で示した歌詞は、こう続きます。

 

「いつか誰もが驚くような奇跡がこの身に起きたとしても

 

きっと僕だけは驚きはしないだろう

 

起こるべき奇跡が起きただけさ」

 

 

東大に合格できたことも、怪我を乗り越えリーグ戦で打席に立てたことも、リーグ戦で勝利したことも、苦しかった時の僕からしたら考えられないような奇跡です。しかし、その奇跡は、どんなに苦しくても足を止めなかったからこそ起こった、起こるべき奇跡だったのだろうと思います。

 

生まれてから、たくさん迷惑をかけてしまったけれども、それでも僕の人生を支え続けてくれた両親。苦しい時も励まし合いながら共に戦ってきたチームメイトたち。こんな僕を我慢強く起用し続けてくれた学生コーチの方々や監督助監督。様々な面でサポートしてくださった先輩やOBの方々。今まで本当にありがとうございました。こんなに素晴らしい野球人生を送れたのは、皆様の存在があったからこそだと思っています。

 

まだまだ起こしたい奇跡はたくさんあります。最後の最後まで僕はこの足を止めません。

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次回は9/25(土)、藤井捕手を予定しております。

お楽しみに!