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『僕の野球人生』第16回 隈部敢外野手

『僕の野球人生』第16回

隈部 敢 外野手(4年/浅野)

 

隈部①

 

隈部②

 

「こんなはずじゃなかった。」

きっと大学1年の僕は、野球なのにバットもグローブも持たずに、足キャラとしてプレーしている今の僕を見て、恥ずかしく思うでしょう。

「チビでもやっていけるということを証明してみせます。」これは僕が新人紹介動画で言った言葉です。この時の僕は来たる苦しみの数々を知らず、期待に胸を膨らませていました。でも僕には足しかなかった。挫折を繰り返しどうにか見つけた居場所が代走というポジションでした。

 

少年野球

僕が野球を始めたのは幼稚園の年中の冬です。3つ歳の離れた兄とともに地元の藤が丘ファイヤーズに入りました。愛情溢れるお父さんコーチに囲まれ、とても楽しく過ごしました。

 

中学野球

浅野中学校に入学しました。熱血顧問の齋藤先生と出会い、中学受験失敗の悔しさをぶつけるかのように野球に打ち込みました。打撃を買っていただき、中1の夏からレギュラーとして試合に出させていただきました。

 

高校野球

1年の夏の大会で憧れだった2学年上の先輩と一緒に野球が出来たことは今でも最高の思い出です。2年生からはレギュラーとして試合に出場し、3年生の夏の大会直前にはボールを顔面に受け、前歯を失う怪我をしました。大会には強行出場したものの、個人としても思うような結果は出ず、チームも1回も勝てずに敗退しました。野球に悔いが残ったこと、(夏の大会で無安打だったこともあり)「沢山の観客の前でヒットを打ってみたい」という思いから、引退翌日からすぐに、東大野球部を目指し本格的に勉強し始めました。そして運良く現役で合格することができました。

 

大学野球

大1

当初の目標はレギュラーでした。高校時代あれほど活躍されていた浅野の先輩の溪さん(H31卒)が苦しんでいる姿を目の当たりにして、大学野球は大変なところなのだなと感じました。そして僕も入部してすぐ大きな壁にぶつかりました。それほど苦手だとは思っていなかった打撃が全く通用しない。打力は同期の中でも下の方でした。周りからは足キャラと言われていましたが、それがとても嫌でした。僕はもっと打てるようになるはずだと信じていました。

 

夏からB戦に代走守備要員として連れて行ってもらいながら、苦手な打撃の練習と筋トレに励みました。筋トレに力を入れたのは、パフォーマンスをよくするには筋トレが必要だと周囲に言われたからです。どうにかして試合に出るためにアドバイスは出来るだけ取り入れていました。しかしその姿勢が大きな間違いでした。

 

秋ごろに浜田前監督から身長の低さを生かして小さく構えるように言われました。理由は長打が期待できないから。今考えれば1年生のうちに自分の可能性を狭めるような取り組みをする必要はなかったと思います。当時の僕も間違った道に進んでいると思いましたが、試合に出るために監督に言われた通り、胸と膝がくっつくほど小さく構えるようにしました。結局その取り組みは全くうまくいかず、気づいた時には同期との差は広がっていました。

 

また筋トレを頑張った結果、無駄なところに力が入った走り方になり、僕の場合はパフォーマンスが落ちました。ただ、合ってないかもと思いながらもしばらく筋トレを続けていました。すると秋のフレッシュリーグ直前に右ハムを肉離れしました。今考えるとかなり変な走り方をしていたのだと思います。

 

これらの経験から、僕は周りに流されて努力をすることはやめて、自分に合ったやり方を見つける必要があると思いました。そこで頼ったのが、イマレというトレーニング施設でした。元読売巨人軍の鈴木尚広さんの本で紹介されているのを見て、ビビっと来ました。通うのに片道1時間以上かかりましたが、そこで教わる体軸トレーニングは唯一無二のものだと感じたので苦ではありませんでした。筋トレに割いていた時間の大半は体軸トレに置き換わりました。

 

大2

大学2年は僕にとって暗黒の時代でした。バットの振りすぎで腰を痛め、コルセットを付けたままフレッシュリーグに出ましたが、結果は出ず。1番ライトで始まったフレッシュは終わってみれば無安打で、最後の方はスタメンを外れ代走守備をしていました。この頃から試合に出ること自体が怖くなりました。さらに1年生の宮﨑(外野手/3年)と中井(内野手/3年)が早くから活躍したことで、足の速いだけの外野手だった僕は浜田前監督から「あいつらが入ってきた今、お前が出られる場所はもうない」と言われました。

 

もう一生試合に出られないかもとすごく焦りました。そして練習で無理をして足首を捻挫、手首を骨折し手術しました。そのせいでほとんど試合に出られませんでした。

 

また当時のベンチ入りの条件は「リーグ戦で使える強みが2つ以上あること」でした。しかも外野手にとって打撃は必須。この条件は厳しすぎました。通常より100g重い1kgのバットを使用したりノーステップにしたり試行錯誤はしましたが、打撃はよくならない。そして頑張ってもすぐ怪我をして、長いリハビリ生活。その間に同期や後輩はどんどんバットで結果を出していく。その日々はあまりに辛く、2年夏にベンチ入りを目指すのを諦めてしまいました。一芸を極めたところで打撃が苦手だとベンチ入りできないとわかっていながらも、自信のあった走塁技術を黙々と磨く日々を過ごすようになりました。走塁に逃げることで、壊れそうになる自分をどうにか守っていました。

 

大3

そんな僕に転機が訪れます。井手監督の就任です。監督は春合宿のメンバーに選ばれなかった僕達Bメンバーに対して「俺は君たちの強みをどうにかして試合で生かしたい、そういう目で練習を見ている。」と仰いました。その言葉は何気ない会話の中で出たものでしたが、僕がベンチ入りを再び目指そうと思うには十分すぎました。

 

Aメンバーには何が足りないか真剣に考えた結果、盗塁を伸ばすことにしました。コロナによる部活停止期間も毎日近くの公園で、イマレで教わった盗塁のスタートの形を練習しました。また試合に出ることが怖くなっていた僕は、メンタルトレーニングの本を読み込み、勝負に臨む心の持ちようを学びました。

 

そしてついに、開催の延期されていた春リーグ戦直前に、初めてA戦に呼ばれました。僕は代走で出て盗塁を決めました。このままリーグ戦ベンチ入りできるのではないかとより一層練習に身が入りました。しかしその試合後間もなく、右ハムの肉離れをしました。原因は張り切りすぎて全然休んでいなかったことだと思います。せっかく手に入れたチャンスを自ら手放した、死ぬほど悔しくてしばらく眠れぬ夜を過ごしました。さらに悪いことは重なるもので、血行障害になり一時的にボールが全く投げられなくなりました。人生で初めて野球を辞めたくなりました。

 

そんな中、新チームになり走塁長を任せてもらいました。僕らの代は大量点を取るために走塁に力を入れようということになりました。みんなが僕なんかの言うことに耳を傾けてくれるか不安でしたが、頑張らねばと自分を奮い立たせました。

 

3年間リーグ戦と関係のない蚊帳の外にいた僕は、チームの走塁に対する意識の低さを問題視していました。だから挟殺の際のランナーの意識といった細かいところから丁寧に練習し、チームの走塁IQを上げようと必死に取り組みました。大音(内野手/4年)、慶秀(井上/内野手/4年)、水越(内野手/4年)、松岡(泰希/捕手/3年)といった中心選手が練習を引っ張ってくれたおかげでどうにか走塁練を成り立たせることが出来ました。

 

また相手投手のクセ分析のやり方を見直し、根拠を持って走れるように工夫しました。そのせいで分析班の後輩達にたくさん負担をかけることになりました。ここまで彼らの頑張りに見合うような試合結果になっておらず、もっと効果的に分析を生かさなければと反省しています。

 

大4

4年生になると、A戦に連れて行ってもらえるようになりました。目の前で投打の熱いバトルが行われているので、正直Bにいた頃よりも、レギュラーへの憧れ・悔しさは強くなりました。ただ僕には足しかない。だからせめて代走では1番になりたい。六大学1の代走の切り札になると強く心に誓いました。

 

出番は一瞬、なんなら出場しないことも多い。それでもできる準備は全部やる。毎日盗塁の動作改善に励み、試合前は誰よりも早くにグラウンド入りする。外部での練習試合の日には早起きして家で2時間身体を整えてから、移動のバスに乗り込む。メンタルを安定させるためルーティンを確立する。全ては僕には代走しかないという気持ちからでした。

 

春のOP戦では、「走らなければ井手監督に使っていただいている意味がない。」という思いで、ほぼすべての試合でスタートを切り、7つ企画してその全てで盗塁成功、社会人対抗でも盗塁を決めました。OP戦・リーグ戦を通じて、個人としてもチームとしても走塁で最高の結果が出ました。最終戦で勝った時は3年間の苦しみ、走塁練をいいものにしようと試行錯誤した日々がすべて報われたような気がして、涙が溢れました。

 

しかしこの勝利が夏以降、僕を苦しめてきました。「走塁で勝つ」というスタイルに囚われ、チームの走塁をもっと良いものにしなくてはと、もがき、空回りを続け、走塁練でチームメイトに迷惑をかける日々。嬉しいことに、「盗塁したい」と練習に励むチームメイトが増えたものの、うまく動作のアドバイスをできず悶々とする日々。個人としても変に意識してしまって、いい走塁が出来ない日々。自分で自分を追い込んでしまっていました。

 

そんな中、ダメ元で助けを求めたのが、元読売巨人軍の鈴木尚広さんでした。鈴木さんのご厚意でご指導に来ていただけることになり、目から鱗の走塁論に心が躍りました。鈴木さんや、鈴木さんのご紹介でお越しいただいた甲野陽紀さんの計6回の熱心なご指導のおかげで、チームの走塁は確実に変わっていきました。

 

そして秋リーグを迎えました。松岡や慶秀の盗塁、さりげない送球間の進塁、それに加えてサードコーチャー横井(学生コーチ/4年)の正確な判断力もあり、チームの走塁は今まで以上に好調です。

 

ただ僕は先日の慶應戦で絶対にやってはいけないミスをしました。足で得点機を作らなければならないという焦りが生んだ冷静さに欠けた走塁。夏以降の空回りを象徴するような、そんな走塁でした。みんなに申し訳なくて、しばらく涙が止まりませんでした。

 

そこから立教戦までの1週間はとにかく自分にできることを冷静にこなす、そこだけに集中しました。試合中も塁上でやること・やってはいけないことを声に出して確認し、冷静さを保つようにしました。そうしたら、自分で言うのもおかしいですが、やっとまともな走塁が出来ました。結局、夏以降の僕は冷静さが欠けていたんだと思います。立教戦は、足でどうにかするのではなく、長打を打ちまくって普通に勝ちました。本来、走塁が勝敗に与える力は小さいです。

 

周りを見れば、打撃長高橋(内野手/4年)の考えたアプローチをみんなで徹底することで、攻撃が一枚岩となっている。投手は走者のケアも怠らず一丸となって粘りの投球を続けている。みんなの次の塁を狙う意識はすさまじい。日本一の分析班がすごいデータを見つけてきて、勝ちたいという気持ちとそれにふさわしい練習方法の橋渡しをしている。学生コーチのあーき(周佐/学生コーチ/4年)や坂井(学生コーチ/4年)が自分の体を犠牲にしてまで、打撃練・走塁練でたくさんボールを投げてくれる。それぞれが自分のできることを本当に一生懸命頑張っている。それが今年のチームの強みです。

プロに行く投手も、ホームランアーチストもいない。それでも何とか勝てるのはその強みがあるからです。

 

 

「こんなはずじゃなかった。」

大学野球は挫折だらけでした。でも、とめどなく続くように思えた連敗を止めることができて、秋も勝てて、個人としても本当に微力ながらチームの力になれた。僕は今、大学1年の頃には想像もしていなかったような、素晴らしい経験をしています。

 

こんな最高のチームで野球をできるのもあとわずか。僕にできることはほとんどないけれど、僕は今一度冷静に僕にできることに全集中しようと思います。

まだまだ足りない、もっと勝とう。

 

終わりに

野球人生を締めくくるにあたって言いたいことがあります。

 

まず、今苦しんでいる後輩たちへ。リーグ戦という光が見えず、暗闇の中ただただ上を目指して努力するのはすごくしんどいことです。それは僕もわかっているつもりです。上を見るのがどうしても苦しくなったら、頑張ることを一旦辞めてもいいと思います。走攻守の中で一番心躍るものに絞って、自分のやり方で足元の土を黙々と掘ってみてください。下に掘ったはずの穴からなぜか光が差す、なんてことがあるかもしれません。東大野球部は弱く、全員野球で戦います。僕なんかが言っていいことではないですが、1人の選手がリーグ戦である程度戦えるかもしれない武器を1つ作ることは、その選手のベンチ入りにとっても、チームの勝利にとっても必要です。井手監督はそういう選手を絶対に見ていてくれます。

 

同期へ。4年間で本当にたくさんのご迷惑をおかけしたと思います。ごめんなさい。安心して思ったことを言える、自分の弱さを見せられる、そんな仲間に出会えたことがとても幸せです。また、みんなの野球に対して真摯に向き合う姿勢にすごく刺激を貰っていました。ありがとう。東大野球部に入ってよかった、そしてそこで出会えたのがみんなでよかった、実は心ではそう思っています。ホントです…引退後も仲良くしてください!

 

そして母へ。高校までは毎日どろどろの練習着を洗ってくれて、毎日弁当も作ってくれて、大学に入ってからもほぼ毎試合カメラを片手に試合を見に来てくれてありがとう。あまりに結果が出ず、見に来ないでと言ってしまった時期もありました。ごめんなさい。

 

最後に父へ。一人暮らしを許してくれてありがとう。おかげで野球に集中できる4年間でした。僕がフレッシュで結果が出なかった時に「たとえ神宮で結果が出なくても、神宮に立ってくれているだけで十分親孝行」と言ってくれましたね。その言葉がもっと頑張らねばという原動力になりました。僕が為末大さんの「諦める力」という本を読んでいるだけで僕が思い悩んでいるのではと心配し、家に帰ればちょっとした打撃のアドバイスをしてくるような、ちょっとうざい父親でしたが、優しさは感じていました。ありがとう。

 

思ったより超長文になってしまいました。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!

 

残りのカードも頑張ります!応援よろしくお願いします‼

 

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次回は10/6(水)、櫻木外野手を予定しております。

お楽しみに!