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『僕の野球人生』第26回 横井佳学生コーチ

『僕の野球人生』第26回

横井 佳 学生コーチ(4年/神奈川県聖光学院)

横井①

横井②

 

たった22歳の分際で生意気ですが、僕は人生諦めが肝要だと思って過ごしてきました。勉強や人間関係、受験、就活など人生のすべてが挫折と妥協の連続、そういうものだと思っていた分、よく言えば「物わかりが良い」、悪く言えば「諦めが早い」そういった人間だったように思います。

 

もちろん、その考えを野球にも当てはめてきました。4年間東大野球部で過ごしてきてその考えは変わらない部分もありますが、人生について新しい視座を持つことにもなりました。

 

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正直、野球で苦労したことなんて一度もなかった。

小学2年生から野球をはじめ、中高と常にチームの中心、上級生の試合に出ることは当たり前だった。

でも、大学で野球をやることなんて一ミリも考えていなかった。強豪大学でプレーできるわけでもなければ、これまで以上の情熱を持って野球をできる場所があるなんて考えてもみなかった。

 

そんな時に高校の練習に山本克志さん(H29卒)が訪れ、東大野球部と出会った。

軟式出身の自分でもまだ野球を続けられるかもしれない場所がすぐ近くに、しかも六大学というとんでもなく大きい舞台があるんだという事実に心がおどった。

 

そこからは高校の同級生の誰にもいうことはなかったが、東大野球部に入る、その一心で勉強を頑張った。

 

運よく現役で合格し、東大野球部の門を叩いた。

 

 

思ったよりレベル高いな…

 

 

なめるな!と言われてもおかしくないが、これが紛れもなく僕の東大野球部に対する第一印象である。

当然、自分よりうまい同期なんていくらでもいて、夏のB戦をスタンドから眺める日々が続いた。それでもこの頃の自分には覚悟が足りなかった。必死さが足りなかった。何も成長せずにただただ過ぎていく怠惰な日常。この頃にもっと考えてやればよかったなんて後悔はしてもしきれない。

 

少しずつではあるが成長自体はしていた。1年生秋頃から、垣野さんというコーチの方が指導にいらっしゃるようになった。垣野さんは僕の打撃フォームを評価してくださった。評価の高い選手が数多いる中でのほんの1人に過ぎないが、初めて自分にスポットライトが当たった気がした。

自分が思ったようなバッティングができ始めて、これから逆転劇が始まるかもしれないとワクワクしていた。

 

ボールを投げる時に腕に痛みが出て、震え出したのもこの頃からだった。

いくつも病院に通ったが、納得できるような診断が下されることはなく福岡合宿の直前になった。どうやら僕は合宿メンバーの当落線上にいたらしいがボールが投げられないので外されることになった。

 

胸郭出口症候群、当時の僕にはとんでもない難病かのように聞こえた。今でこそいろいろな

知識がついて、うまく付き合えば選手を続けられていた、そう思っている。

 

 

「お前はバッティングだけやっていろ」

 

 

怪我のある選手に対しての精一杯の発破の掛け方だったかも知れないが、僕のモチベーションをへし折るには十分すぎる言葉だった。

チームにおいて実力もない、目立たない何者でもない奴がバッティングだけ誰も見ていないところでやっていても何にもならない、そう卑屈になってしまった。

 

もう辞めようか、そんなことも思ったが辞めるわけにいかなかった。みんなの「僕の野球人生」にもあるように、このチームには選手をやめてマネージャーとして支えてくれる吉田(マネージャー/4年)と守上(マネージャー/4年)がいる。

 

ただ、さっきも言った通り死に物狂いで治そうとか、なんとか付き合いながら自分の生きる道を探そうとすることはいくらでもできたはずだ。

学生コーチになるという選択は選手としてありたかった自分になれないことがわかってしまって、続けるのが辛くなったから、周りからこいつ下手だなって4年間思われるのが嫌だったから、そんなマイナスのことから逃げたかっただけかもしれない。

 

案の定といえば案の定だが、なってみたはいいものの実際何をしたらいいかなんてわからなかった。選手が練習の合間に食べるおにぎりを握ったり、少しだけノックを打ったりが関の山だった。

大事な仕事ではあると自分には言い聞かせていたが、雑用ばかりやっている自分が惨めだった。

チームもリーグ戦での連敗を脱出できずにいる。選手の時と変わらず自分は何もできていない、本当に何をやっているんだろうと情けなくなった。

 

転機が訪れたのは2年生の夏の福岡遠征で起こった、その遠征に行った同期や後輩なら全員覚えているだろう「本気の20人でええぞ」と助監督に叱られたあの事件。

みんなはもうネタにしてるし、僕自身もネタにしている(笑)

けど当時は真っ先に入らなくなるのは自分みたいな奴だ、そう思った。

何でもかんでもできるわけじゃないけど、自分が今できること、得意なこと、好きなことを一生懸命やるしかないと思った。

 

一番好きだったのはノックを打つことだった。

とにかく沢山、打ってくれと言われたら断らずに打った。自分の中では誰よりも沢山打った、そう自負している。

選手がナイスプレーをした後、お世辞でも「ノックのおかげです」と言ってくれたことがこの上なく嬉しかった。

 

試合では三塁コーチャーを任せてもらえた。得点できるかどうかを左右する大事な仕事で、任せてもらえること自体が本当に嬉しかった。

 

周(齋藤/学生コーチ/4年)みたいにすごい分析力があるわけでもなければ、アーキ(周佐/学生コーチ/4年)みたいにみんなのメンタルのサポートもできない。坂井ちゃん(学生コーチ/4年)みたいに走塁練や盗塁練で現役のピッチャー顔負けの投球でサポートできるわけでもない。伊沢(学生コーチ/4年)みたいに痒いところに手がとどいて、誰も気づかないけど絶対に必要なことを率先してできるわけでもない。

けど、自分なりのサポートの仕方、関わり方を見つけることができた。

 

最上級生になってからの1年間、藤井(捕手/4年)と佑太郎(高橋/内野手/4年)と過ごした小松庵に別れを告げ寮生活が始まったこと、東大球場が使えなくて大変だったこと、初めてリーグ戦のベンチに入ったこと、勝てなくてめちゃくちゃしんどかったこと、入部して初めて勝ったこと…

 

思い返せば、この文章では書き切れないほどの感情が蘇ってくる。

 

でも、まだ感傷に浸っている場合ではない。

 

僕たちにはまだ試合が残されている。

 

この2カードは本当に悔しい負け方をした。

 

このまま終わることはできない。

 

精一杯、自分とはどういう人間なのか、東大野球部とはどう言った集団なのかを表現したい。

 

 

そして、絶対に勝ちたい。

 

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さて、冒頭に人生は挫折と妥協の連続などと宣っていましたが、この4年間で僕が学んだことは、「挫折は当然あるし、妥協してしまうこともある。けれども本気で取り組みたいと思ったことには自分を信じて一回立ち向かってみよう。」ということです。

挫折を乗り越えようともがく過程やその越えた先に得られるものの価値は一生ものです。

 

僕だけでなく一緒にやってきた同期のみんなも同じ過程を経てきたと思っています。苦しい時に寄り添うことはできなかったかもしれないけど、みんなが苦しんで、乗り越えて強くなっているのを4年間見てきました。

 

今年のチームを根底から支えているのはみんなのそういった強さであると僕は考えています。みんなが自分自身のことを信じて、みんな同士が信じ合っているこの信頼関係ができており、それこそがチームを突き動かす原動力になっていると思います。ベンチに入る、入らないに関係なくみんながそれぞれが今できることに本気で取り組んでいる、「本気の20人」ならぬ「本気の120人」です。

 

綺麗事ばっかり並べているかもしれませんが、全て本心です。こんなことを恥ずかしげもなく自信を持って言えてしまうくらい、東大野球部は僕を人間的に大きく成長させてくれた環境でした。

 

最後に、少年野球、中学・高校、東大野球部でご指導いただいた方々、全てのチームメイトのみんな。今日の野球人としての僕があるのは皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

 

東大野球部の同期のみんな。僕はみんなとだからこのチームの勝利のために頑張ろうと思って、ここまで続けてこられました。4年間みんなとやれて本当に幸せでした。ありがとう。これからもよろしく!

 

そしてお父さんお母さん、あとお姉ちゃん。どんな時も僕の味方でいてくれて、僕のどんな選択に対しても理解して、応援してくれてありがとう。

 

 

僕の野球人生のゴールはもうすぐそこです。ゴールテープを切った時笑っていられるよう残された時間を大切に過ごしていきます。

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次回は10/18(月)、伊沢学生コーチを予定しております。

お楽しみに!