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『僕の野球人生』第29回 水越健太副将

『僕の野球人生』第29回

水越 健太 副将(4年/内野手/明和)

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良い書き出しが思いつかずにとうとう原稿締切日が来てしまいました。

書き上げた本文を読み返すたび、自らの偏った価値観を記すことがチームのためになるだろうかと不安が募ります。

 

ちょうどこの本文を書き終えた2日後、早稲田・明治戦の大敗を受け4年生全体でミーティングをする機会がありました。話の流れから僕は、「試合に出る者は結果にこだわらなきゃだめだ」「試合に出る以上チームを勝たせる責任がある」「神宮でプレーできることを楽しもうなどと言って試合を壊されては困る」などと勢いに任せて口走ってしまいました。はっきり言って偏った考えだと思います。東大野球部が六大学で戦う意義は勝利以外にも数多あるはずです。ただ、やはり勝利以上に大切なものが見つからないというのが本音です。そんな気持ちを素直に記したいと思います。

 

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保育園児の頃からなぜかやたらに野球が好きで、家族がリビングでバラエティ番組を見る中ひとり隣の和室で野球中継を見ていました。そんな僕が本格的に野球を始めたのは小学3年の頃です。小学3年生からしか地域の少年野球チームに入団できなかったため、念願かなってやっと野球ができる生活に毎日ワクワクしていました。少年野球ながら厳しく指導していただける毎日で、同じ目標に向かってみんなで頑張る楽しさ、素晴らしさを学んだ4年間でした。

 

 

中学に進むにあたり小学校のチームメイト2人と一緒に愛知瀬戸ボーイズに入団し、相変わらず野球一色の毎日を送りました。一つ上の代が全国制覇目前で2度敗れ、自分たちの代こそは全国制覇をすると意気込んで日々努力しましたが、結果的には全国の舞台に立つことすら叶いませんでした。しかし、本気で勝利を目指してチームメイトと努力した日々の楽しさ、またその努力が報われなかった悔しさの2つが、今日まで続いた僕の野球人生の大きな道標となりました。

 

 

高校は名古屋市内の公立校で比較的野球が盛んな明和高校に進むことにしました。僕が受験する前年度の野球部の戦いぶりに一目惚れして受験を決めましたが、入部してからの日々は想像以上に苦しいものでした。強豪私学に勝つ、上手くなる、などということ以前に、いかに平穏無事に毎日の部活を終えるか、チームを崩壊させないか、そんなことを考え過ごした毎日でした。思い描いていた高校野球生活とは程遠い毎日で、主将として何も事態を好転できなかった無力さに今でも当時のチームメイトに申し訳なさが募ります。

そんな僕を見かねて、高2冬の進路相談の際に「東大野球部を目指してみたら」と勧めてくれた当時の担任の先生には感謝してもし切れません。野球部でうまくいっていない自分に「このまま野球を終えていいのか?」と、進路希望を無理矢理東大に変えるよう言ってくれたおかげで今の僕があります。

 

そこから浪人を経て晴れて東大野球部に入部することが出来ました。

僕がこの部に入った時点で叶えたい事はただ一つ、最高峰の相手に本気でぶつかり勝利すること、それだけでした。高校で本気でやり切れなかった野球、中学で敵わなかった相手、それらすべてにリベンジを果たすために東大野球部に入りました。

 

 

思い返すと、大学に入ってからは本当にいろいろなことがありました。

入部早々、同期でポジションも同じ大音(内野手/4年)や翔貴(藤井/捕手/4年)が室蘭合宿に呼ばれAチームとして活動する中、キャッチャーで東京居残り組だった僕や山﨑(外野手/4年)、安田(外野手/4年)は中西前助監督に「もうこのままお前ら終わってしまうぞ」と言われる始末。それでもそんなヒリヒリするような競争を求め東大野球部に入ったので、助監督の煽りに触発されてめちゃくちゃ練習したのを覚えています。

 

 

幸いなことに、打撃を買われ2年春からはA戦に呼んでもらえるようになりました。その春のオープン戦で打撃の調子が良く、代打だけでなく守備から出場させてもらえるようになってきたことが僕の野球人生を大きく変えました。

 

返球イップスで全くキャッチャーが出来なくなってしまったのです。

一球投げ返すのに10秒弱かかってしまい守備のリズムも悪くなるばかり、スタメンで使ってもらっても2回で交代、そんな試合が続きました。中高の時期にも何度か同じ症状に陥りましたが、その都度あの手この手で乗り越えてきました。しかし今回ばかりはどう工夫しても悪化するばかり。キャッチャーとしてリーグ戦の舞台に立つ姿を全くイメージすることが出来なくなりました。不思議なことに原因は分かりません。

 

どうすることもできず、春のリーグ戦が終わったタイミングで浜田前監督と相談しサードにコンバートすることを決めました。とはいえそれまでキャッチャー以外ほとんど経験がなく、他のポジションでやっていく自信もない。なにより先に選手の道を諦めざるを得なかった吉田(マネージャー/4年)や守上(マネージャー/4年)をよそに、まともにこれから野球ができる保証もない自分が選手を続けていくことに後ろめたさを感じていたというのが本音です。それでもサードにコンバートして選手を続けたのは、はっきり言って意地というか、エゴというか、それくらい自己中心的な理由からでした。野球が好きで野球を辞めたくない、ただそれだけだったと思います。ただ、コンバートするからにはこの選択がチームにとって正しい選択だったと認めてもらわなければいけない、その一心で慣れない内野守備に励みました。

 

 

内野にコンバートして幸運だったのは本当に頼れる先輩に恵まれたことです。朋大さん(山下/R2卒)、早川さん(R3卒)、石元さん(R3卒)には内野の基礎の基礎から叩き込んでもらいました。そして何より、早川さんが「どうせ下手なんだからできることをやれ」と言ってくれたことで僕の中での目指すべき内野手像が決まりました。膝をつこうがワンバウンド送球になろうが、どれだけ不格好でも取れるアウトを必ず取る、そんな選手になろうと決めました。そして巡り巡って今年のチームではセカンドをやることになりました。イップスの当時を知る先輩方からしたら、現在僕がセカンドをやっているのは本当に意味が分からないと思います。イップスが治ったわけではないので僕自身も本当に意味が分かりません。ただ任された以上、不格好ながらも必死にやっています。

 

 

こうして迎えた大学4年のシーズンは、今これを書く中でやっと初めて振り返ることが出来たというぐらいあっという間に過ぎていきました。コロナ禍で練習環境も限られる中、完全二部練にしたり週休2日を導入してみたり、勝つために必要だと思うことは従来の慣習を覆してでもおこなってきました。その過程で多くの犠牲を払ってきたのも事実だと思います。精神論に頼らず例年以上に技術にこだわり、勝つために根拠のあることだけをしようとしてきたのが今年のチームカラーです。ドライといえばドライだし、結果が出なければ色々な声が上がるリスクもある中、佑ちゃん(高橋/内野手/4年)や隈部(外野手/4年)、周(齋藤/学生コーチ/4年)が先導して徹底的に技術面の底上げにコミットしてチームを引っ張ってくれました。本当に感謝しかないです。

 

 

こうして振り返ってみると、副将としてこの1年間僕に何が出来たのか。この「僕の野球人生」を書く上で1か月ほど考え続けてきましたがはっきり言って答えは見つかっていません。大音のような統率力は無いし慶秀(井上/内野手/4年)のような存在感も無い。思えば僕が副将に選ばれた際も、「バランサー」としてチームを引っ張ってくれと皆に言われましたがそれはつまりどういうことなんだろうかと今でも思います。

 

結局僕に出来ることは、どんな形であれ勝利に貢献することだけでした。

 

佐々木(内野手/4年)や辻(外野手/4年)が膨大な分析の合間を縫って、出番に向けて腐ることなく毎日バットを振り続けている。接戦でしか出番が来ない隈部がその一瞬のために誰よりも早くグラウンドに来ている。佑ちゃんが自分の時間を削って皆の打撃フォームに助言をくれる。洸ちゃん(吉田)が寝る間も惜しんで仕事をしてくれている。みんな本気で勝ちたいと思っているから。

 

僕は、そんなみんなの姿を無駄にしないように、何も突出したものを持たない僕を信頼して送り出してくれるみんなに報いることが出来るように、とにかく前を向いてプレーし続けることしかできません。

 

 

一つ無責任なことを言うと、僕は試合に出ようが出れまいがチームが勝てば何でもいいと思っています。というより、この秋リーグでそんな自分に気づきました。早々と序盤のチャンスで代打を送られ、結果的に勝利した立教第2戦。多少の悔しさはあれ、そんな事は本当にどうでもよくなるほどに勝利が嬉しかったです。選手として褒められたメンタルではないでしょうが、それでもそれが本心です。

 

そしてだからこそ、今再び試合に使ってもらっている立場としてこれだけ不甲斐ない戦いを続けていることが情けなくて仕方ありません。試合に出たくても出られないメンバー、複雑な思いを抱えながらも分析に没頭してくれているメンバー、その全員が報われるには結局勝つしかないです。

年間20試合あってたったの2勝。価値ある2勝であるのは間違いないですが、試合に出してもらっている立場として10回に1回しか勝てていない事実に責任を感じるべきだと思っています。64連敗もしていて身の程知らずに映るかもしれませんが、本気でそう思っています。

 

 

話は変わりますが、つくづくこの野球部にいる人間は野球馬鹿だと思います。僕自身これまでの進路選択には常に野球が関わってきたし、東京に遊びに来た高校の友人を家にほったらかして夜な夜な球場にバッティングしに行くくらいには野球馬鹿です。ただそんな僕が引くくらいに野球のことしか考えていない、野球に人生を捧げている人間がこの部にはたくさんいます。その点だけは他大学にも負けていないです。

だからこそ、「東大の割に善戦してる」とか「勉強集団が健闘してる」というようなことを言われると、悔しくてたまりません。確かに圧倒的な実力差はあれ、プレーしている僕たち自身は1ミリたりとも負ける前提で戦っていません。当然善戦でオッケーとも思っていません。東大だからこそ単なる1勝に大きな意味が生まれることはあれ、東大という名前が負けた時の免罪符になっていては絶対にいけないのです。何より僕たち自身が勝つことから逃げ始めたらこの部は終わりだと思っています。「負けたけど一生懸命やり切れて悔いはありません」などとは死んでも言いたくありません。

 

そしてこうした周りの「よく頑張った」的な同情の声は、僕たちがなかなか勝てないからこそ聞こえてくるのだということも重々分かっています。

 

「勝ってもニュースにならないチームに。」春のリーグ戦後に周が言ってくれた言葉です。本当にその通りだと思います。僕らはあと残り2試合に全力を尽くすことしかできませんが、来年以降のチームは他大と対等に順位争いを繰り広げてくれることを願っています。

 

 

厳しいことを書いてきましたが、この4年間が僕の人生にとって本当に大きな財産となることは間違いありません。チームで一丸となって勝利を目指す中で、数えきれないほどの日々をみんなと共に過ごしてきたことは一生忘れません。これまで関わってくださった監督・コーチ、先輩後輩含むチームメイトの方々本当にありがとうございました。

 

同期のみんなへ

ほんとに役に立たない副将だったけど、何とかみんなのおかげで1年間やり切ることが出来ました。みんなそれぞれ抱える思いはあるだろうけどラストカード一丸となって頑張ろう。

 

個人的に翔貴や大音には本当に助けられました。翔貴には常々「お前は自己肯定感が低すぎる」と言われ、ネガティブなことばかり言う僕の姿勢にたくさん喝を入れてもらいました、ありがとう。あと、みんなあまり書いてないけど大音はほんとに偉大な主将だと思います。はっきり言ってかなり今年のメンバーは個性的で主張が強くて、チームを引っ張るのは大変だったと思います。さらに、試合で結果を残すことが求められる存在でかつ最も他チームからマークされていて、そんな中でチームの運営にも誰よりも気を回して。

大音がいなかったらと思うとぞっとするほどに大きな存在でした、ありがとう。

 

応援部のみんなへ

推し量ることしかできないけど、連敗中はプレーしている僕たち以上に苦しく空しい日々だったと思います。それでもいつどんな時でも絶やさず声援を送り続けてくれる応援部のみんなのおかげでいつも諦めず戦い続けることが出来ています、本当にありがとう。

 

両親へ

野球にしか興味がない僕を、常に応援し背中を押し続けてくれて本当にありがとう。

これまでにしてもらったことが大きすぎてどれだけかかるかはわからないけど、一生かけてゆっくり恩返ししていきたいと思っています。

 

 

「僕の野球人生」にしては終盤ネガティブな内容になってしまったかなと思います、ごめんなさい。しかし、これが今の僕が思う本心です。

ただ、この1年間後輩も含め本当に素晴らしい仲間に恵まれて、僕たちにしかできないあらゆる取り組みに挑戦してきたと思っています。この僕たちの「変革」には自信を持っています。残り2試合、今までの鬱憤を晴らすかのように「変革」の成果を見せつけ勝利したいと思います。最後まで、応援よろしくお願いします。

 

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次回は10/21(木)、吉田主務を予定しております。

お楽しみに!