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『僕の野球人生』第30回 吉田洸主務

『僕の野球人生』第30回

吉田 洸 主務(4年/栄光学園)

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「信じる者は救われる。」

誰もが聞いたことのあるフレーズだと思います。入部時は自分の可能性を信じ、今では仲間を信じ、自分の野球人生において幾度とお世話になった言葉です。

 

両親の影響で幼い頃から野球に触れており、気づいたら野球少年になっていました。小中高と野球を続け、大学でも野球を続けようと思っていました。硬式野球部には高校の先輩である辻居さん(R2卒)、伊津野さん(R3卒)、そして同期である平山(R3卒)がすでに所属しており、熱心にお誘いしていただきました。ものすごく魅力的に感じた反面、「あの3人でも中々主力を張れないのか…」と少し怖気付きましたが、それでも自分の限界に挑戦し、活躍できることを信じ、硬式野球部の門を叩きました。

 

入部してすぐ春のリーグ戦が始まりました。自分の想像の遥か上をいく他大学のレベルの高さ、他大学に勝とうとする先輩方の熱量に圧倒されました。相当努力しないとベンチ入りさえできないかもと焦りを感じ、とにかく時間を見つけては東大球場へ行き練習をしていました。理系特有の必修授業が多く、さらに片道1時間半以上かかる通学に時間を奪われており、両親に懇願して球場近くでの一人暮らしを認めてもらうよう説得を試みました。それほど練習時間を確保したかったです。

 

無事、7月末から球場の近くで一人暮らしを始めることができ、より野球に打ち込めると意気込んでいた矢先、同期でのマネージャー決めの話し合いが始まりました。運営のため、新体制が始まるまでに最低1人の男子マネージャーを選出する必要があります。通年のように多数決で1人選んで転身するか辞めるか選択を迫るのではなく、投票で選ばれた5人で話し合って決めるという方針になりました。いつになく淀んだ空気で行われた投票の結果、虚しくも自分の名前がそこにありました。

 

下手くそであることは自覚しており、ある程度覚悟していました。それでも「まだまだもっと上手くなれて選手として貢献できる。」という感情が強かったです。それ以降、マネージャー転身がちらつきながらの練習なんてとても身に入りませんでした。また、投票で選ばれてない選手たちが他人事のように伸び伸びと練習しているように見え、密かに腹を立てていました。選手としての貢献期待度が少ない者が選ばれてしまうのはある意味当然ですが、他人事のようになってしまうような仲間たちのマネージャーなんて考えたくもありません。とにかく直向きに上手くなることだけに集中して練習できれば楽だっただろうなと思いますが、不器用な自分にはそれがどうしても出来ませんでした。

 

選ばれた以上は、マネージャーに転身する考えを放棄するわけにはいきません。小中高ともに運よくスタメンで出場することができ、試合に出ることでの野球の楽しさばかり知っていたため、知らないなりにマネージャーについて考えてみるも転身する思いはあまり芽生えず。理想はこの部で選手を続けること、それがダメなら転部が良さそう、ただマネージャーのことを知らずに辞めるのは筋違いだし、選ばれた5人全員が退部すると決断したら迷惑かけてしまう…。8月末から始まったこの葛藤は人生で一番の地獄だったと思います。

 

時が過ぎ、秋季リーグ戦も終わりに差し掛かりました。他の選ばれた4人も同じ思いだったのか、5人で話し合いをろくにせず、刻々と迫るタイムリミット。相変わらず練習に集中することができず、思うように成長もできず、葛藤しながらの2ヶ月近く悩み抜いた時には、すでに選手として活躍するビジョンは粉々に崩れていました。選手としてはもう厳しい、在籍するとしてもスタッフ転身か転部するかだが、転部したほうが良さそう。そう思っていた時、当時主務だった中川駿さん(H31卒)の計らいもあり、再び同期全員で話し合いをすることになりました。

 

その話し合いはかなり激しい内容でした。自分本位の内容だけでなく、どうしたらチームに貢献できるか、どのような人がマネージャーになった方が良いのか、その意見は甘いのではないのか、自己視点と他己視点で乖離があるのではないか、…。忖度なしで意見がぶつかりあう中、他の選手がマネージャー決めに対し、他人事であると勝手に決めつけていたことに気付かされました。普段から考えていたかどうかはともかく、各々が熱い思いを持っており、真剣にチームのこと、マネージャーのことを考えている、そのことが誰でもわかるものでした。

 

再度考え直しました。「試合に出ることでの野球の楽しさばかり知っていた」と前に書きましたが、いざ振り返ると、試合に出場できなくてもチームや仲間が活躍すると自分のことのように嬉しんでいる自分もいました。そして何より、野球に人一倍情熱的で個性溢れる同期をどうしても捨てがたく、この仲間とともに勝ちたいと思っている自分を、転部するのを躊躇っていた要因を、やっと気づくことが出来ました。

 

自分に対してマネージャーになってほしいと言ってくれる仲間もいました。最初は押し付けているだけだろうと思っていましたが、最終的にはその言葉も転身するきっかけにもなりました。「自分にとって何が最善か、転部するのもあるかもしれないが、どうしてもこの仲間で戦いたいし勝ちたい。勝つためには何が最善か、今までの野球への取り組み、仲間の考えや思い、その他諸々を加味すると、選手よりもマネージャーに転身するのが最善。まだ葛藤は少しあるけど、後に転身してよかったと言っているのを信じよう。」

 

悩み抜きましたが、結論に至ってからはすごく清々しい気持ちになりました。ただ、「もし選手として続けられていたら自分はどうだったのか。」という唯一の懸念を除いて。怪我でこうなった訳ではなかったので、頭をよぎることが多かったです。そんな中、浜田前監督が、「転身する吉田にフレッシュトーナメントで1打席出させてやる。たとえホームラン打っても凡退したらそこで終わりだ。」と提案してくださいました。

 

フレッシュトーナメントは2年生以下の大会とはいえ、リーグ戦出場に関わる重要な大会、そんな試合に転身するという理由だけで出るのは申し訳ないと思った反面、一生味わえない神宮の雰囲気を知りたい、打席に立ってみたいという思いもありました。一度断りかけましたが、最終的には提案を受けさせていただくことにしました。

 

幸いに反対されることはなく、短い期間でしたがひたすらバットを振り続けました。同期や先輩方が自分のサポートを熱心にしてくれました。また、打つことだけに集中できたのも久しぶりであり、疲れていても練習することに楽しささえ感じられました。ずっとこの思いでやっていれば良かったと思うくらいです。

 

迎えた当日、本来であれば指名打者で起用される予定の加見さん(R3卒)の打席をお借りする形で出場しました。神宮独特の雰囲気、相手投手の存在、ピリついた緊張感。ストライクと思った球は全力で振る、ただその一心でスイングすると、打球はライトの前に落ちました。

 

ヒットを打てたことはもちろん嬉しかったですが、それ以上に、同期でも出場を果たせなかった部員がいて、特権だけで出場した自分を悪く思っても仕方のない中、ベンチやスタンドにいた部員全員が喜んでくれ、その歓喜が塁上にいる自分に届いたことの方が断然嬉しかったです。全員で放つことができたヒットです。

 

2打席目は凡打を放ち、選手としての野球人生は終わりました。OBなどからは選手の未練があるのではないかと聞かれることもありますが、不思議とそう思ったことはありません。むしろ逆で、下手な自分がヒットを打てたのは奇跡的、ただこの奇跡を起こせたのも周りが自分のことを信じてサポートしてくれたおかげとしか思っていません。

 

「相手を信じて正しいサポートすれば不可能と思われていたことが可能になる。今度は自分が周りを信じてサポートする番だ。選手としての経験を活かし、できることならどんなことでもやり遂げ、そして自分を信じてくれるマネージャーになる。」

 

3年間のマネージャー生活における原点は上の思い、ただそれだけです。どんなに厳しい内容の仕事でも、どんなに肉体的・精神的にしんどくても、匙を投げずに仕事をやり遂げられたのは、自分が仲間を信じ、仲間に信じてもらえているという実感が持てていたからだと思います。

 

フレッシュ出場の翌日から本格的にマネージャー生活が始まりましたが、守上(マネージャー/4年)とともに、当時の先輩方にはとても暖かく迎えていただきました。特に玉村さん(R3卒)には、手取り足取り優しく仕事について教えていただきました。同期選手と関わる時間が大幅に減ったことによる寂しさもありましたが、先輩方のおかげですんなり新生活にも馴染めた気がします。

 

それと同時に、マネージャーが担っている仕事内容が分かってくるようになりました。キリがないほどの多岐にわたる仕事の種類や量、それを上級生が分担を決めて各々がこなす、選手時代では気づくことさえなかった凄さにただ驚愕していました。転身したのはいいものの、短期間でこのレベルまで上達しなければいけないのかと不安になりました。それでもやるしかありません。先輩方になるべく負担をかけることが無いよう、必死についていきました。

 

上級生の立場になると、大きな責任が伴ってくる仕事を任され始め、さらにやりがいを感じることが多くなりました。春には新型コロナウイルスが蔓延し、何もかもイレギュラーになっていきましたが、身を粉にして動き回る玉村さんと祐香さん(松田/R3卒)の2人がとてもカッコよく見えていました。どんな状況でも最善を尽くして運営する、マネージャーの手本を示していただいているように今でも思います。

 

いよいよ最上級生となり、主務を務めることになりました。マネージャーとしても、今までリーグ戦未勝利に終わり、何かを「変革」しないといけない。そこから、より選手目線を意識するようにしました。選手とは関わりが薄い分、方向性を見失いがちです。選手とのコミュニケーションを取ることに関してはどんなに忙しくても欠かさず行うことで、方向性のズレを無くそうとしました。どんなに苦労しても選手を支えられなければ意味がありません。仕事のベクトルに関してはかなり拘ったと思います。

 

様々なアクシデントが起き、再び東大球場自体が使用できないこともありました。それでもなんとか選手が練習できるよう、他のマネージャーにも協力してもらい、様々な方に頼み込み、最善を尽くしました。休みが取れない日が続くこともありました。しかしそんなことはどうでもよく、とにかく勝つことに繋がるのであれば喜んで仕事を行いました。

 

そして、春の最終戦。ついにリーグ戦で勝利することができました。中井(内野手/3年)の送球が慶秀(井上/内野手/4年)のミットに入ったのを見た瞬間。やっと今までの苦労が報われたと思いました。マネージャーに転身したことは間違っていなかった、仲間を信じて良かった。今までにない高揚感を味わうことができ、とても幸せ者でした。マネージャーとして拘ってきた方向性が合っているのか、常に不安に思う日々でしたが、少なくとも間違ってはなかったかなと初めて安堵した瞬間でもありました。

 

 

 

「マネージャーの存在意義」。これは3年間ずっとテーマであり続けました。マネージャーは、選手としての活動より運営などの活動でチームに携わりたいと考える人がなればよく、選手兼主務を務める部も一定数あるし、選手で役割分担してしまえばマネージャーを選出する必要がないのではないか。転身するかどうか悩んでいた際、脳の片隅にあったものです。

 

今ではそれは違うなと思っています。確かにマネージャーを選出せずとも部活動としては成立するかもしれません。ですが、「勝つこと」を意識すると、マネージャーの存在が必須です。お金の管理、道具の手配や修理などの練習環境の整備、支援してくださる方への対応、他の団体との繋がりを保つなど、野球のプレーと直接関係がないことをまとめてやる人がいた方がチームはより強くなります。また、上手い人は選手のままで下手くそな人が転身すればいいのではとの考えもよく出てきます。しかし、それも違うと思います。マネージャーは外部の方とのコミュニケーション能力が必須であり、それには気配りや礼儀、何よりチームのことを思いやることが求められます。下手くそな選手がマネージャーに適任な部員とは限りません。仮にマネージャーが既にいたとしても、さらに何人か選手からマネージャーに転身した方が良いこともあると思います。試合に勝つために野球のプレーとは直接関係のない仕事をこなし、チームに貢献する。選手の方が偉くもなく、マネージャーは雑用係でもなく、対等な立場で、あくまでも勝つために存在しています。それがマネージャーの存在意義だと思います。

 

 

 

小学校から大学まで、今まで色々な角度から野球を味わい尽くすことができました。

 

後輩マネージャーへ

方向性が違ったり、少しでも間違っていたりすると厳しく指摘し、時には頑固者になるクセが強い主務だった自分についてきてくれて感謝してもしきれません。今後は平祐(田中/マネージャー/3年)中心にうまく連携とって頑張ってください!

同期へ

選手としてもマネージャーとしても一緒に関われて最高でした。この仲間でなければ多分マネージャーになっていないと思います。期待するほど貢献できた自信は全くありませんが、みんなのおかげでやり切ることができました。本当にありがとう!ラストカード、有終の美を飾りましょう。

両親へ

自分に野球を教えてくれてありがとう。どんな時でも支えてくれたおかげで、野球を通じてかけがえのない体験を幾度となくすることができました。仲間を最後まで信じる選択をしたことが正しかったことを今では断言できます。神宮でのベンチもあと1試合。最後まで見届けてもらえると嬉しいです。

その他、自分と関わりのあった方々全員のおかげで今の自分がいます。本当にありがとうございました。引退後に感謝の気持ちを述べさせてください。

 

 

 

最近は苦しい戦いが続いています。試合が始まるとできる手助けは限られてしまいますが、試合に負けると選手と同じくらい悔しいし、大量失点で負けた時は何も手助けすることができず申し訳なく思います。明治大学との試合で2試合とも大敗した際、戦っていた選手の雰囲気は相当沈んでいたと思います。

 

それでも、我々は前を向きます。リーグ戦で勝つには前を向くしか方法はありません。ミーティングを重ねて指針を確認し、今では各々の役割を全うできるよう最善を尽くしています。特に同期は、最終戦に向けて並々ならぬ情熱を注いでいます。マネージャー陣も全力でサポートしていきます。

 

自分のやれる仕事も残りわずか。大きな仕事も最終戦のメンバー表を作り、ベンチでスコアを書くことぐらいです。リーグ戦で勝つために、どれほど考え抜き、どれほど犠牲にし、どれほど苦しい思いをしたのか、陰ながら支えていた自分には痛いほどわかります。その成果を十分に発揮する姿を、最後の最後までベンチで見守り続けます。

 

 

残り2試合、各々が最善を尽くし、勝利して、笑顔で終わる。きっとできるはずです。

最後までみんなを信じ、走り抜けます。

 

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次回は10/22(金)、大音主将を予定しております。

お楽しみに!