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『僕の野球人生』第31回 大音周平主将

『僕の野球人生』第31回

大音 周平 主将(4年/内野手/湘南)

大音①大音②

まず初めに、世界がコロナに見舞われたこの2年間、リーグ戦の開催や部活動の再開に尽力していただいた六大学関係者の皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

以下、私的で拙い文章ですが最後までお付き合いいただけると幸いです。

野球を始めたときの記憶はないです。気づいたらプラスチックのバットで73本、2位のノブくんに20本の差をつけて幼稚園のホームラン王でした。おもちゃ屋で買ったグローブを持って少年野球に通い始めたのは小学校入学直後、2004年のWBCで城島を見てキャッチャーやりたいと思ったことがきっかけで、防具のメカニック感が特に好きでした。体が大きくなってキャッチャーをできるようになったは良いものの肘を痛め、またバッティングもへたくそで楽しめず、スマブラや遊戯王の方が好きでした。

中学の野球部に入ると環境は一変、初めての部活でタバコを吸っている3年に挨拶。他のヤンキーからの介入を防いでいるらしい。顧問は駅周辺で生徒指導をしているため基本不在。他校を制圧したと語る同級生。絵に描いたようなヤンキー校でした。徐々に尖りだした同期に対し自分はグレるほどの怒りも度胸もありません。ある日はサボる同期をグラウンドに引っ張りだし、ある日は先輩ヤンキーからのカチコミを恐れ、ある日はサッカー部の方に打球を飛ばして困らせようとするような部活でしたが、自由人な仲間にプレーとチームワーク両方の楽しさを教えてもらいました。この時初めて野球を楽しいと感じました。野球のことを考えているときは嫌なこと、将来のこと、考えるのが面倒なことを忘れられる。もっと野球したいな。そう思っていました。

同時期に勉強に力を入れ始めました。勉強を保険にすれば野球を自由にできると考えたのです。そうして入った湘南高校は理想的な環境でした。川村先生の指導の下、甲子園を本気で目指しました。文武両道なんて糞くらえで朝から夜まで日常の隙間を埋めてとにかく練習。野球で結果が出ていないからって勉強に逃げるな。野球でできた悔しさは野球でしか晴らせない。僕の野球人生の基礎がこの時築かれました。走って走ってバット振って投げて鍛えて打てなくて泣いて走って鍛えてバット振って勉強して走って鍛えてバット振って勝って勝って負けて。甲子園には届きませんでした。どの学年も選手に恵まれていて、本気で行けると信じていました。このままでは終われない、東大で宮台さん(H30卒)のように甲子園組よりも活躍したいと思いました。

熱意そのまま1浪の末、東大野球部に合格しました。高校同期の笠原(R3卒)の活躍を励みに練習し、2年春からスタメンマスクを任せてもらえるようになりました。しかしそこから自分がマスクを被った試合で34連敗。多くの先輩に涙を流させてしまいました。そして3年秋の最後の試合では何もできず、夜は虚無感のままベッドに沈みました。緊張感が一気に溶け、自分たちの代が始まることも忘れ、ただただ呆然としていました。

 

ここまであっという間でした。

 

オフの日の朝、浅い眠りの最中にスマホが鳴りました。

「大音お前サードやらないか」

神様みたいな声だったことは覚えています。井手監督からの電話でした。夢半分うつつ半分で

「はいやります」

とだけ残してもう1回眠りにつきました。その後これからについて少し考えました。3年の秋ぐらいから、松岡(泰希/捕手/3年)もいるし大音は来年コンバートした方が良い、という話を耳にはしていました。ずっとキャッチャーが好きだったし、工夫して他大の捕手との差を埋めてきたつもりでした。エゴも相当強い方です。しかし僕らの代でここまで好き勝手やらせてもらったのは恐らく自分だけです。みんなの「僕の野球人生」を読んでみると分かると思います。もう自分本位はやめよう。キャッチャーとして目指していた大学日本代表の夢を松岡に託して、サードに転身しました。また主将を任せてもらい、1年間チームのために身をささげよう、全員がそれぞれの立場で活躍することを後押ししようと思い始めました。そして新チームになりました。

 

ここからまた加速するように時が流れました。

 

慣れない守備にあーだこーだ言いながら横井(学生コーチ/4年)のノックを受けて、バッティングでは周(齋藤/学生コーチ/4年)の目指す野球に一歩でも近づけるように身体を作りスイングを見直して、走塁の時は隈部(外野手/4年)を師として崇め、作戦ではリーグ戦の経験とデータを照らし合わせて伝え、キャプテンとしては同期のみんなが優秀で頑張ることは特になくて、間違っていた決断も多分たくさんあったけどとにかく実行して、連敗が途切れなくてもファイティングポーズは絶対に崩さないで、目の前のことに集中して、気づいたら春の最終戦で勝っていて、もっと勝とうと意気込んで、合宿が無い中猛暑と戦うように練習して、すぐにまたリーグ戦が始まって、勝ったと思ったら大敗が続いて、残すところ1カードとなって今になります。考えてみると中高の時と野球をするときは変わっていなくて、結果が出ないことや連敗の重圧といった嫌なことを思考の外に追い出すように打ち込んできました。明治戦後の今日までも同じです。後悔がとんでもなく長く続くのに対して、勝負が決まるのは束の間です。明日明後日、一瞬のプレーに一花咲かせて終わりたいです。

 

野球で得た人生の教訓とか、大層なことは今のところ見当たりません。よく語られる東大の存在意義とか大義名分も、あとで意味づけたようなものにしか思えず僕にはあまり合いませんでした。そんなことよりとにかく毎日の練習が発見の連続で、どんなに連敗が込んでいても布団に入るときには自分が明日どんなプレーをできるか楽しみで、そんな自分のエゴを大切に育ててここまで来てしまいました。もしかすると主将の今も結局自分本位で練習に没頭していたかもしれません。それでも支えてくれて、チームのことを考えてくれて、同期には本当に感謝しています。みんなのおかげで変革を起こし、僕らなりの勝負ができるようになり、連敗中も周囲を気にせず自分たちのためだけに戦うことができました。明日明後日、練習してきたこと全部発揮して勝とう。

後輩へ。コロナ禍で普段の大学生活すらまともに送れないのに野球部へのリスクを考えて行動してくれました。おかげで今のところ感染者を1人も出さずにチームを終えることができそうです。来年はもっと変革を起こして、大活躍して優勝争いに加わるチームを築き上げてください。自分達の可能性を信じて突き進んでください。力を合わせればできます。ドリームキラーには気を付けてね。

先輩方、指導者の方々、勝てなくて本当に申し訳なかったです。それでも皆さんから受け継いできた技術や言葉のおかげで何とかここまでやってこれました。最後の悪あがきを見届けてほしいです。

応援部へ、プレーの合間に聞こえるその声援は間違いなく僕らの心に響いています。試合でもらったエネルギーはその瞬間だけでなく、普段の練習においても心強い味方となっていました。その声援はたぶんこれからの人生でもずっと背中を押してくれるのだと思います。今までありがとうございました。

家族には感謝してもしきれません。両親には野球を不自由なくやらせてもらい、栄養面に気を遣ってもらい、何よりたくさんの愛情を注いでもらい、僕は本当に幸せ者だと思います。兄はここまでの道しるべでした。相談もたくさんしました。ずっと自慢の兄です。グラウンドで元気にプレーする姿を見せることが大音家にとって一番大事だろうと思って、ここまで頑張ってきました。本当にありがとう。

 

引退を控え、この文章も今書き終えようとしているのですが、明日からの法政戦に向けて、ヒリヒリとした緊張感、やってやろうというワクワクで胸がいっぱいです。この感情がたまらなくて、僕たちは野球をやめられないのだとつくづく思います。ただ、今回ばかりは本当に最後のようです。思いのたけを全部ぶつけて最終戦に臨みたいと思います。今までありがとうございました。最後の応援よろしくお願いします!

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秋季リーグ戦をもって引退する4年生特集「僕の野球人生」は今回が最終回となりました。
お読みいただき、誠にありがとうございました。

明日からの対法政大学戦では、チーム一丸となり、全身全霊で戦い抜きます。
必ず最下位脱出を成し遂げますので、最後まで温かいご声援のほどよろしくお願いいたします。