モバイルアプリ&プレミアムパス 2024年度も発売準備中!
BIG6 BLOG LEAGUE

東京大学
野球部ブログ

主将 藤田 峻也
  • TOP
  • 『僕の野球人生』第16回 佐藤有為内野手

『僕の野球人生』第16回 佐藤有為内野手

『僕の野球人生』第16回

佐藤 有為 内野手 (4年/京華)

R2.11.10vsR (749)

IMG_0097IMG_3778

小学校から現在に至るまでのことを詳細に書こうと思ったのですが、長くなりすぎるので、

高校までの印象に残った出来事を2つ上げて、大学人生を振り返ろうと思います。

 

『いくつもあるライト』

高校3年生の夏大の決勝戦を高校の野球部の友達と観戦に行きました。

非常に暑かったのを覚えています。

観衆は満員で、外野席にしか座ることができませんでした。

そのため、私たちはライトスタンドの前方に陣取りました。

 

試合が始まって間もないときに電話がかかってきました。遅刻してきた一誠君でした。彼は、面白い人でいわゆる天然でした。

 

「いま信濃町着いたんだけど、どこらへんいる?」

「ライトの前だよ」

「OK」

と電話を終えました。

 

しかし、いつになっても彼は来ません。神宮球場は信濃町から徒歩で10分ほどです。

 

試合は5回の表に入っていました。

また電話がかかってきます。

「あのさ、ライトってめちゃくちゃあるんだけど、どのライトの前?」

 

一瞬、えっ?となりました。すぐにその言葉の意味がわかりました。

彼は神宮球場にある照明を1つ1つ回っていたのです。

「ちがうよ、ライトスタンドの前。お前のポジション」

「あ、」

と言って彼は来ました。

 

彼は現在、フォロワー数が日本で6位のTikTokerです。

 

『高校3年生、全員が干される』

僕が高校3年生の時です。夏大の直前。3年生全員で干されました。朝練の時間にトランプをしてたことがバレたのか、朝練に3年全員が遅刻したことがバレたのか、授業で騒いだことが監督の耳に入ったのか、理由は忘れました。

同時期、朝練に全員が遅刻をし監督から「ベッドの中の自分可愛い?」という名言に笑いを堪えながら怒られた記憶があるので、それが理由だと思います。

 

もともと、私たちの代はふざけたことが好きでやんちゃな代でした。

18歳の飲酒が合法だったらジャグの中身はレモンサワーとお茶割だったでしょう。(お利口でだったのでそんなことはしてませんけど)

そんな代でした。なので、度々干されてました。

自分は3回干されました。

キャプテンの新畑くんは冬に2ヶ月間練習から外され、ずっとランニングを命じられてました。でも、走ったフリをして公園の滑り台でMATCHを飲んで帰るという生活をし2キロ太って復帰しました。

そんな代でした。

 

高校3年生のゴールデンウィーク。練習メニューに「3年生 自由」とかかれてました。

これは練習から外されたということです。

 

バットを持って全員で学校の屋上に行き、監督が来たとき用にマシンをONにしボールを散らかせておきました。

トランプで大富豪をしたり、匍匐前進で自販機にコーラを買いに行ったり、下の階の京華女子のバレー部を眺めていたり。買ったコーラを並べてボーリングをしたり、監督のモノマネ大会をしてました。

屋上で騒いでた声がグラウンドにいる監督に聴こえてたらしいです。

 

楽しかった思い出があります。

 

次の日、ダブルヘッダーで試合でした。

当然ですが、1試合目は3年生全員が試合に出れませんでした。

2試合目は3年生が出場しました。監督は俺はこの試合に関わらないと言って自由に試合をしました。

 

当時の私の野球部は監督の力が強く、徹底的に監督にプレーから生活面に至るまで管理された野球をしてました。キャッチャーの秋田くんは監督と「交換日記(笑)」をしてました。

試合では、ヘマをすれば外され、ミーティングでやり玉に挙げられ、ガン萎えして帰るという感じでした。

なので、試合は本当に楽しくなかったです。

その上負け続きでした。

 

ですが、この2試合目は前日の楽しい雰囲気を受け継いだ上で自由に野球ができるということでとても楽しかった思い出があります。

 

普段は皆、暗い顔をして野球をしていたのですが、笑顔で野球をしてました。普段打てない人がヒットを打ち、ボール連発をするピッチャーが三振を連発し、勝利を収めました。

 

負け続きだったチームが勝ったのです。

野球は楽しむものだと思い知りました。

 

『大学野球』

大学野球の初期の記憶はあまりないです。

1年生時はダイエットに勤しみ、2年生はコロナで全く練習できなかったからです。

ダイエットに関しては、痩せたら気が抜けリバウンドしていたので、入部初期とあまり変わってないです。

 

2年の後半から第2一誠寮(通称 小松庵)に入りました。

しかし、地元大井町が大好きな自分は、大井町でバイトをしていたので、その後友人たちと飲みに行き実家で寝て帰ることが多々ありました。

 

小松庵生活はプライバシーのかけらもない生活をしていました。4.5.6階で8人が生活しており、私は小髙峯(4年/投手)と5階のロフト部分(6階)で雑魚寝をしてました。足音が異常にうるさい住人や冷蔵庫を占領する住民がいたのですが、生活はなんやかんやで楽しかったです。4階のキッチンで鍋パをしてました。(焼酎を飲みすぎて後半覚えてない、途中参加の清永(4年/内野手)に国語の授業をしてたらしい)また、秘密結社「丼」を結成して島袋(4年/学生コーチ)、小髙峯とで、井上(4年/外野手)のものに書かれている「井」に「丼」と書くだけの活動をして過ごしていました。(詳細を書きたいのですがふさわしくなさそうなので省略)

最終学年になり、自分は2階の個室に移動しました。今でも、島袋や小髙峯とであのときのことを語り合ったりしてます。

 

野球に関してですが、うまく行かないことが多かったです。野球が嫌いになりました。

夜は眠れなくて朝は起きれない私は、朝の全体練習は眠い目を擦りながら練習し、お昼寝をし夜中に私と同じ生活習慣の伊藤翔(4年/外野手)と練習をしてました。

そんなこんなで4年生の春先。

全く打てませんでした。練習では打てるのに試合では打てない。そんな感じでした。

野球から逃げたかったです。

逃げたい気持ちから毎晩飲み歩いてました。全体練習をして、大都会大井町に帰り、終電で帰るをしてました。

大都会大井町の居酒屋をほとんど制覇しました。太りました。

夜は眠れなくて朝は起きれないに拍車がかかりました。

そんなこんなで春のリーグ戦は出場できずに終わりました。

野球が嫌いから大嫌いになりました。

夏のOP戦で久しぶりにヒットを打ちます。

その後の合宿でもシート打撃でそこそこ打ちました。双青戦でもヒットを打ち調子が上向いていたらしいです。秋の開幕戦でベンチ入りをしたときは野球が大嫌いから嫌いになりました。

で、今に至ってます。

引退時には野球が好きになってるといいです。

 

ちなみに執筆してる今日、夜の自主練習の可能時間が短くなり、死活問題が発生しています。

 

最後に

お世話になった関係者の皆様へ

 

明日は「Spy×Family」2期の第1話です。アーニャ

 

——————————————-

次回は10/3(月)、中井内野手を予定しております。

お楽しみに!

前の記事
2022.09.29 4年マネージャー特集
次の記事
2022.10.01 Monthly Letter 10月