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『僕の野球人生』第30回 西山慧副将

『僕の野球人生』第30回

西山 慧 副将 (4年/投手/土浦一)

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「勝つことよりも大切なことがあると思う。それは、仲間や支えてくれる人に対する感謝の気持ちや思いやりを忘れないこと。」

「勝った時に試合に出た選手や、勝利に貢献した選手だけでなくチーム全員が喜べるチーム。4年間東大野球部での活動を終えて引退するとき、全ての部員が心の底からこの組織に入ってよかったと思える組織を作りたい。」

昨年の11月ごろ、1つ上の先輩が引退し、新チームの幹部やチーム方針を決める同期とのミーティングで主将や副将の候補に挙がった自分が何度か言ったことです。

 

小学2年生の秋、父の転勤で引っ越すまで住んでいた集合住宅で友達と遊びで野球をやっていました。その面白さに魅力を感じたため、引っ越してすぐ地元の少年野球チームに入りました。元々肩が強かったこともありポジションは小学生の頃からピッチャーでした。4年生の時には、上級生の試合で先発登板し、5年生からはピッチャーや外野で試合に出続け楽しかった思い出ばかりです。また、5年生の時に監督など指導者が変わりました。その監督や指導者との出会いが生き方や野球との向き合い方の土台を作りました。挨拶や礼儀、道具を大切にすることや親や周囲の人への感謝など人として大切な事。野球の技術、試合に向けどのような準備をするべきか。生きる上で、野球を続ける上で重要な事の多くを学びました。

 

中学は地元の鹿島中に入学しました。迷いなく野球部に入りました。当時の顧問の先生には、野球に一生懸命取り組むだけではなく、勉強や私生活も真面目に取り組み、周りから応援される人になりなさいとよく言われました。メガホンで叩かれたり、正座させられたりと自分が出会った指導者の中で一番厳しかったですが、怒るときも愛がありとてもいい経験でした。また、キャプテンをしたり、中体連の茨城県東地区の選抜チームに選ばれたり、県の強化指定選手に選ばれ県内の野球がうまい選手と合宿をするなどの経験もできました。最後は県選抜の選考会までは呼ばれましたが落選しました。合宿や選考会で自分よりも球が速い選手、野球がうまい選手を見て、自分が野球でトップレベルになることの限界を感じたのもこの時だったような気がします。

 

中学で限界を感じたので高校で野球を続けるか迷いましたが、親が続けてほしいと言っていたこと。また、選抜等で一緒に野球をした選手が当たり前のように野球を続けると言っていたことから続けることにしました。このとき、野球と勉強2つ合わせて上を目指そうと思い土浦一高に進みました。当時住んでいた場所から高校に通い部活をするには通学時間がかかりすぎるため家族で引っ越すことになる選択でした。通勤時間がとても長くなるなどの影響もある中で許してくれた家族にはとても感謝しています。

これまでは、それなりに練習すれば、それなりの結果が出ていた野球ですが、高1の時には3回7失点や8失点は当たり前というような結果しか出ませんでした。どんなに練習しても上手くいきませんでした。野球における初めての挫折だった気がします。それでも自分で続けると決めた野球だったので諦める、辞めるという考えは全くなく、結果が出ないのは努力が足りないからだと思いひたすら練習しました。また、結果が出ない自分に出場機会を与え続けてくれ、指導してくれた先生方、親身にアドバイスしてくれ今でも気にかけてくれる先輩方には感謝しかありません。そんな人たちに囲まれていた当時の自分は、本当に恵まれていたと思います。今思い返すと特に工夫したこともなくただ練習しただけでしたが、高2の夏大では背番号1をつけることができました。最後は県大会3回戦で自分がホームランを打たれて負けました。先輩に対する申し訳なさを痛烈に感じたのを覚えています。

高3では、秋や春は思うような結果が出ず苦しみました。でも、最後の夏大はもう一度背番号1をつけて試合に出場することができました。しかし、結果は初戦敗退。高校生活の大半を野球に費やしてきて、これだけ努力してこの結果なのかという個人的な悔しさはもちろんありました。それでも試合に負けた時一番頭にあったのは、試合に出場できなかった同期、最後の夏ベンチに入る機会さえなかった女子マネージャーに勝つことで出場機会やベンチに入る機会を作ることができなかったこと。また、送迎や洗濯、弁当作りなど様々な面で支えてくれた家族などに結果で恩返しできなかったことに対する申し訳なさでした。

 

特に家族に対する気持ちは一番大きかったです。それまで小学生では、マクドナルド杯、中学生では、新人戦や、総体といった大きな大会では、地区大会で2、3回勝ち、県大会に出場するという結果で恩返しすることができたと考えていました。しかし、高校野球でなにも結果を残せなかったことでこのままでは野球を終われないと思い、大学でも野球を続けることにしました。そのなかで、どの大学で野球を続けるのが一番の恩返しになるか考えました。そして、勉強もトップレベルであり、野球でもなかなか勝てない中戦っている東京大学で勝つことに貢献できるように頑張ること、その姿を見せることだと思い東大を目指しました。その結果、一浪して何とか合格できました。

 

東大野球部に入って、1年生では、フレッシュで投げて、2年生からリーグ戦初登板や初先発を経験しました。そして、3年生の春季リーグ戦で勝って連敗を止めた試合に2回無失点というとても小さいものですが、プレーで直接勝利に貢献出来て、嬉しかったのを覚えています。3年秋も4年秋もチームは勝利しました。下級生の頃からリーグ戦に出られたこと、勝利に貢献できたことやその結果や姿を応援してくれる人に見せられた喜びはありました。でも、出場した多くの試合で打たれて、失点して、自分のせいで負けて、学年が上がってもいい成績が残せませんでした。だから、チームや先輩、監督助監督、家族や応援してくれる人に対する申し訳なさはそれ以上にありました。

 

野球自体の出来事は上に書いたようなことが、簡潔にではありますが全てのようなものです。でも、自分には東大野球部に入ってから何か違和感のようなものがありました。有望そうな選手だけに指導し、そうではない選手には、とても奮起を促しているようには思えない形でひどい言葉をかける人達。Bチームの選手の待遇に関する不満。コロナによる外出制限のルールを下級生が守る中、そのルールを決めた上級生が当たり前のように破る状況。試合に出ていない選手に対して、学生コーチやマネージャーになれと言ったり、ゴミだと言う選手。大差になるとやる気のないプレーをする選手。

これらを4年間で目にしてきました。そして、これらの人たちは、勝たなきゃいけないとか、勝つことが全てとか、勝てば報われるとかよく言っていました。もちろん全ての人達がそうであったわけでもなく、話を聞いてくれて改善してくれた先輩方もいました。ただのわがままだと思うような不満もありました。

でも、勝つことが全てだと、勝つことに価値があると思いすぎていて、勝てればそれだけでいいのかと疑問に思います。全ての人がしている努力や、抱える苦悩、乗り越えた困難を推し量らず、結果だけを見て心無い言葉を浴びせることは許されません。だから、結果を残している人、リーグ戦メンバーが正義だと考えている部員に対して違和感がありました。そして、人として大切にすべきことが欠けていると思うことが何度もありました。

 

もともと自分は、多くの時間を費やして努力しているものに対して、目標を達成したい、良い結果を残したい、勝ちたいということは全ての人が思っていると考えています。それは、費やした時間や注いだ熱量を考えれば当然だと思います。それでも簡単には上手くいかないから人生は面白いし、みんな悩むし、苦しいし、簡単には諦められないのだと思います。また、よく聞く東大野球部が六大学野球にいる意味とか理由とか、勝つことがその意味だとか言うのも馬鹿馬鹿しく感じます。これだけ野球に真剣に取り組めば、勝つことなんてみんな当然目指しているし、負ければ悔しいです。また、六大学野球、東大野球部という素晴らしい環境があり、応援してくれる人がいます。その環境で支えてくれる人、応援してくれる人に感謝して好きな野球を全力でやることそれだけで十分だと思います。誰かから強制されたわけでも、お金をもらってプレーするわけでもなく、自分で選んで野球をやる我々には、それ以外の後付けの意味とか理由とか責任とかは全く必要ないと思います。

だからこそ、勝ちたいとしきりに言うこと、勝つことが全てだとか一番大切だとか言うことが馬鹿らしいのです。勝ちを目指すことなんて当たり前の前提で、その上でどう取り組むかが重要だと思います。

 

同期と話す中で、試合に出ている特定の選手に頑張ってほしいという思いはあっても、純粋な気持ちでチームを応援したことはないと聞きました。勝ってもうれしくなかったという言葉を聞いたことなどもありました。そこで自分は、小学校から高校までの指導者の言葉や経験、大学で目にした状況から、冒頭に書いたことこそ自分が副将として目指すべきものだと信じて1年間活動してきました。全員が喜べるチームは理想論であって現実的ではないという意見もあると思います。でも、論理的には説明できませんが、自分はそれを目指して実現させることが勝利を近づけると思います。ましてやそれを目指すことが勝利を遠ざけるものではない以上目指さない理由が見つかりませんでした。

 

今1年間の最後を迎えています。同期と話したり、同期が書いた僕の野球人生を読んでいると、引退間近でも複雑な感情を抱えている部員がいることがわかります。また、勝つには、目標を達成するには、時には指導者や仲間からの厳しい言葉が必要な事もあります。でもそれは、普段から他者の立場に立って物事を考え、その言動に他者への優しさや、愛や思いやりがあって初めて成り立つものだと思います。それを自分の感情に任せた、思いやりのないただ人を不快にさせるだけの発言とはき違えてはいけません。でも、それを正当化し、周囲から指摘されても本質を理解せず、上級生になって、責任のある立場になって、引退まで残り僅かでも繰り返す部員がいます。だから、目指すべきものにたどり着いたのかも、そもそも目指すべきものが正しかったのかも自信はありません。

 

勝つこと自体にももちろん価値はあると思います。でも、一部の選手だけが喜べる勝利には、それほど価値も意味もないと個人的には思います。また、全員が喜べる勝利の方が大きな価値や意味があることは間違いありません。そして、その価値をもっと大きくするものや、それ自体よりも価値があることは、勝つことや目標を達成する為に取り組む過程で経験することや学ぶこと。理想と現実とのギャップから生まれる感情や苦悩や葛藤そのものや、それを乗り越えること。目標に向かう姿を応援して、支えてくれて、その姿に熱狂してくれる人がいること。結果から生まれる喜びや悲しみ、悔しさなど様々な感情を自分のことのように感じてくれる人がいること。それらが起こることだと思います。

それは、今ここで野球人生を振り返る中で、どこでどれだけ勝ったとかではなく、その過程で考えたこと、受け取った指導者の言葉、他者に対する感情のほうが今の自分に影響を与えていることから間違いないことだと信じたいです。

 

たいした結果は残していませんが、下級生の頃から試合に出させてもらっている自分は、試合に出られなくても努力し続ける先輩の姿や上級生まで出場機会がなくてもひたむきに努力する同期の姿を見ました。その姿は、試合に出るのであれば彼らと同じかそれ以上努力しないといけない。想いを背負ってその姿に恥じないプレーをしないといけないと思わせてくれました。それぞれ葛藤や悩みを抱えながらも分析や練習補助などに取り組んで支えてくれた下級生。プレーで直接勝敗に関われなくてもチームを支えてくれるマネージャー、学生コーチ、アナリスト。すべての人の一生懸命努力する姿が、抱えているであろう様々な想いが、苦しい場面で自分を支えてくれて、頑張る原動力になりました。きっと他の部員もそれぞれ互いに高め合い支え合っていると思います。だからこそ試合に出ても出なくても、活躍してもしなくても部員全員が目には見えなくてもチームに、そして勝利に貢献していると思います。

また、試合に出ている選手は、それを自覚する必要があると思います。直接プレーで関われない部員の想いを背負ってプレーし、彼ら彼女らへの思いやりを持たなければなりません。部員全員が試合に出て納得できる、心の底から応援できると思えるような人であるべきです(自分ができていたのか、そう思われていたのか自信はありませんが)。そして、理想と違う形であった人は、そのことに対する悔しさを忘れてはいけないと思いますが、勝った時、全員が納得し、喜べるチームであるべきだと思います。部員一人ひとりが、かけがえのない存在だと思います。

 

また、一番近くで支えてくれる家族はもちろん、応援部やファンの方、サポートして支えてくれる人達の声援や気持ちは、失敗したときには申し訳なさからその姿が頭に浮かんできて、このままでは終われないと思わせてくれます。また、皆さんの為にも勝ちたい、良い結果を残したい、喜びを共有したいと思わせてくれます。なくてはならない存在です。

応援部の皆さん。誰かを応援することに全力を尽くすこと。それは、自分の為に何かに全力で取り組むことよりも難しく、遥かに尊いことだと思います。そんな皆さんに出会えたこと、応援していただけたことは、人生の財産です。ありがとうございました。

また、部員一人ひとりに、応援してくれる家族や友人などがいます。家に帰ったとき、久しぶりに会ったとき、部員が充実した表情で、野球部での話をすること。これは、応援してくれる方々へ勝つことや活躍する姿を見せることと同等の恩返しになると思っています。だから、部員全員にとってこれまでの東大野球部が入ってよかったと思える組織であったことを願いますし、これからもそうであって欲しいです。

 

長くなってしまったので家族をはじめお世話になった方々には引退後に個別にお礼を伝えさせていただきます。

拙い文章でしたがここまで読んでくださりありがとうございました。

これまで生きてきて、野球をしてきて、学んだことは多くあります。人は、1人では生きていけません。他者と高め合い、支え合う必要があります。人が、自分の為だけに何かを成し遂げることに時間を費やすだけでは、それは努力にはならないと思います。そこに他の誰かの為にもそれを成し遂げたいという想いがあって初めて、費やした時間や熱量、労力は、努力になるのではないかと思います。また、真面目に取り組むこと、努力をすることが必ずしも目指す結果に結びつくとは限らないことを認めた上で、それでも真面目に粘り強く取り組み、自分にも周囲の人にも誠実であり続けられるか、そこに人の真価が問われている気がします。これからも自分にも他者にも誠実で誇れるような生き方をしていきたいと思います。

 

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次回は10/19(水)、宮﨑湧副将を予定しております。

お楽しみに!