『僕の野球人生』第33回 松岡泰希主将
『僕の野球人生』第33回
僕の野球人生は「勝負」です。相手に勝つか負けるかというところに野球の魅力を感じ、その「勝負」にどっぷり浸かってきました。その中でたくさんの方々との出会いもありました。今回は忘れられない試合と、僕の野球観を形成した人々との出会いについて書きたいと思います。拙い文章ですがお付き合いいただけると嬉しいです。
僕が野球を始めたきっかけは『メジャー』でした。本気で勝とうとする茂野吾郎の熱意に魅了されました。あれだけの本気さがあれば勝てる、勝ちたい気持ちはチームに伝染するということが印象強く、今でもそのように信じています。放課後の公園で親友たちと野球をしては、勝った負けたで喧嘩していました。週末には父と2人でキャッチボールや試合をして、負けるといつも拗ねていました。
小学校3年生で地元の野球チーム、市が尾禅当寺少年野球部に入りました。ここで僕は恩師であり、今でも野球を続ける理由になっている伊佐地監督に出会います。たくさんかわいがっていただき、伊佐地監督と同じキャッチャーというポジションをいただきました。これが僕の野球人生の始まりだと思います。伊佐地監督に出会ったからキャッチャーが大好きになりました。この人みたいになりたいと思うから、キャッチャーとして上のレベルで野球をやりたいと思うようになりました。僕の野球の原点です。心から尊敬しています。本当に感謝しかないです。
ここで出会った同期は15人。突出した人間はいませんでしたが、小学校6年生の夏、区大会を勝ち進み県大会に出場、ベスト4をかけた試合にまでコマを進めました。監督のマジックかもしれませんが、当時の僕らは勝つことが最大の喜びだったのではないかなと思います。県大会準々決勝、緊迫した打ち合いのゲームでした。10-10の同点でタイブレークに突入。最後は隼太郎の起死回生のサヨナラレフトオーバー。僕は嬉し涙で整列しても前が見えませんでした。このころから緊迫した試合の勝ち負けのかかったところが好きだったように思います。でもそんなのは関係なく、ただ白球を追いかけるのが好きな野球を楽しむ子供でもありました。
中学受験で東京都市大付属中学校に入り、ボーイズリーグに所属する硬式野球部に入りました。ただただ野球が大好きであった僕は、監督の野田先生との出会いにより野球の厳しさを初めて知ることになります。相手は強豪高校への推薦を手に入れるために人生かけて野球をやっている中学生。中高一貫で高校に自動的に上がれる僕たちはずっと甘いと怒られ続けました。最初はただ野田先生が怖くてビビってばかりいて野球の楽しさを失いました。一方で、人生かけて野球をやる対戦相手の同い年の野球選手に引け目も感じました。引け目は感じ、このままではダメだなとは思いつつも怒られるのがただただ怖く、何もうまくいきませんでした。全く勝てないまま中3のゴールデンウィークの練習試合の連戦を迎えました。そこでどん底の今まで経験したことのないような目も当てられない試合。酷すぎてもう試合内容も覚えていません。試合後、荒川の河川敷の草むらの中で話し合いともならないような、でもやばいと感じているような、そんな同期11人との3時間を過ごしました。なんのために野球をやるのかを考え、本当に野球を続けるのかという大きな決断をしました。やっぱり勝ちたい、人生かけて野球をしてないかもしれないけどでもなんかわかんないけど勝ちたい。それだけだったように思います。
その後の僕らは不思議と見違えるように勝つようになりました。中3の夏、関東大会西東京予選で決勝に進みました。相手は西東京地区でもトップレベルの強豪チームでした。この試合も打ち合いで、7回終了で6-6。これまで勝負どころでとことんダメだったチームがチャンスで点を取りピンチで守り抜く。こんなに楽しい試合はボーイズ時代になかったです。最後はタイブレーク2回の末に勝った時は全てが報われたような気がしました。このころの僕たちは所謂ゾーンに入っていたのかもしれません。関東大会でも勝ち上がった僕らは結果ベスト8。もう一瞬のことのように感じてほぼ試合を覚えていません。ただ、毎試合勝つか負けるかというギリギリの戦いがとても楽しかったです。
同期11人とそのまま高校に上がりました。中学で結果を出した僕らは高校でもやれると思っていましたが、全くやれませんでした。相手は強豪ボーイズから選りすぐられた本気で甲子園を目指す選手たちが集まった高校です。再び甘いと怒られ、勝てない日々が続きました。ただ、怒られ、話し合い、そして中学の経験から、どうしたら勝てるのかはなんとなくわかりました。それは気が狂うくらい本気で野球に向き合うことです。四六時中野球のことを考え、グランドではキャッチボールの1球目から試合での送球かのような緊張感でやり、顔面に当ててでもボールにしがみつく。これがただ一つの正解だとは思いませんが、僕の出した答えはこれでした。多分同期も同じように思った人間が多かったのではないかと思います。同期にもきつい言葉を言いました。この野球のどこが楽しいんだって言われても僕は答えられます。そうやって練習してる時はとても苦しく緊張とストレスで逃げたくもなるけど、こうやって本気で野球に向き合った末にやる本気の試合はご褒美かってくらい楽しいです。
高校3年夏の最後の大会、3回戦。先制するも追いつかれ1-1の投手戦。8回裏に好投を続けるエース桑原が足をつりました。チーム事情でピッチャーもやっていた僕がマウンドに上がりました。ちなみにキャッチャーは桑原。気合だけで腕を振り続けました。猛暑の中8回までキャッチャーをやったふらふらの僕の球が通用するわけもなく、打球は外野へ。そこからはあまり覚えていません。気づいたら延長12回のマウンド上に僕はいました。みんながよく守ってくれたんだと思います。両校の応援もかすかに聞こえる中、1アウトランナー2塁。外角のストレート。打球はレフトへ。打たれてからホームのカバーに行くまでは熱闘甲子園かってくらいスローモーションでした。僕の高校野球が終わりました。しかしこの試合はここまでの野球人生の中で一番楽しい試合でした。笑顔でいることが許されないような厳しい野球部でしたが、この試合だけはみんな自然と笑顔が溢れていました。本気の本気で野球に向き合うと、その本気の勝負というところに心の底から楽しさを感じられるんだなと思いました。
高校野球引退とともに東大への受験生活が始まりました。
「東大で野球をやれ。東大を勝たせてみろ。」
この野田先生からいただいた言葉が僕の東大受験のきっかけです。2個上の先輩方が六大学野球に進んだこともあり上で野球をやりたいとは漠然と思っていましたが、野田先生のこのお言葉で僕は東大以外にはいかないと決めました。一浪して東大に行こうと思っていましたが運よく現役で合格できました。これは野田先生をはじめとした都市大の先生方のおかげです。都市大の先生方に出会えなかったら僕はここで野球をやれていません。ありがとうございました。
そして野田先生。僕に野球の厳しさを、本気で野球に向き合うことを、そして勝負の本質を教えてくださり、東大で野球をやるきっかけを与えてくださり、本当に感謝しかありません。野田先生に出会わなければ今の自分はいません。本当にありがとうございました。
東大野球部への入部動機は勝ちたいという思いと、他の五大学に勝った時の神宮球場ってどんなことになるんだろうという純粋な好奇心でした。本気で他五大学に勝ちたいと思って入部した僕は当時の中西前助監督と出会います。目をかけていただき、練習後にはビデオを見ながら野球の勉強会。オフの日に呼び出されたこともありました。中西さんは東大が勝つにはどうしたらいいかをものすごい熱量で教えてくださいました。この勉強会で学ぶことは初めて聞くようなことばかりで面白かったし、野球を見る目が変わるので純粋に楽しかったです。加えて、東大野球部の優勝を本気で心の底から思っている中西さんに触れたことでより一層勝ちへのこだわりが生まれました。中西さんに出会えたから今こうして頭を使って野球をできていると思います。ありがとうございました。
また、1つ上のキャッチャーの大音さん(R4卒)に出会いました。1年生からスタメンマスクを経験させていただきましたが、常に大音さんとの競争でした。しかしその競争に敗れた僕は1年秋の途中から2年の最終戦までスタメンの座につくことができませんでした。ただ、勝つことのみを目指していたので出られずとも全力で大音さんを支えたつもりです。出れなくていいからなんとか勝ってくれと思っていました。
そうは思いながら、僕の野球人生では初めての挫折でした。これだけ試合に出られないことは今までありませんでした。自分がどれだけ恵まれていたかがわかりました。また、大音さんは次年度のキャプテンになり試合に出ずっぱりになるだろうから、自分の出番はないだろうなと思い焦りました。東大野球部が勝つためなら、大音さんの一個下の僕をベンチに入れておくよりさらに下のキャッチャーの子をベンチに入れて経験を積ませた方がいいだろうな、2番手キャッチャーは万が一のためにも必要だろうけど、それより学生コーチとなってノックを打つ人数を増やしたりしたほうがいいだろうな、など、本当に選手としての存在意義について考えました。また、僕は大音さんが大好きでめちゃくちゃ尊敬していました(過去形ですけど今も心の底から尊敬しています)。特に大音さんのキャッチャーとしての思考力には絶対に勝てないだろうなと思っていました。だからこそ自分より大音さんが出ている方が勝ちに近づくのだから選手としては僕はいらないだろうなとも思いました。しかしチームは勝つために動いているし、自分の目的は勝つことなので、そういった自分の悩みなどは押し殺しました。
そんな中で秋リーグ最終戦の前日の夜、スタメンと言い渡されました。心臓がばくばくしたのを覚えています。
勝てませんでした。4年生を1年間1勝もできずに引退させてしまったことへの申し訳なさを感じました。大音さんが出ていた方が良かっただろうなとも思いました。
その何日後かのオフに球場で大音さんにこう言われました。
「俺サードやるから。キャッチャーは任せた。」
言葉が出ませんでした。その大音さんの大きな決断は僕を奮い立たせるには十分すぎるものでした。大音さんの後釜としての責任を感じました。大音さんだったら勝てたのにとか、大音さんの方が良かったなとか思われてはいけない。また、キャッチャーをやりたいはずの大音さんが納得できないキャッチャーになってはいけないと思いました。それほど僕の中で大音さんという存在は大きかったです。そしてこれが勝ちたいという思いから勝たなければいけないという思いに変わった瞬間だったかもしれません。
この年の試合で僕の脳裏に焼きつく人生で一番忘れられない試合があります。秋の法政1回戦です。最下位脱出のためには負けられない試合でしたが、結果は1-11。本気で最下位脱出を目指していた中での大敗。試合を決定づけられた海﨑(法大/4年)の左中間ツーベースは今でも悪夢で出てきます。そして何より、試合後に大音さんが泣いていたことが僕の心に響きました。大変なことをしてしまったと思いました。目の前で最下位脱出を逃したのです。このままやっていても勝てないし、本当に最下位脱出なんて夢のまた夢のように感じました。もっと野球に本気で向き合わないといけないと強く感じました。
僕は大音さんに出会えて本当に良かったと思っています。大音さんがいたから僕は必死に成長しようとできたし、大音さんというお手本がいたからキャッチャーとしてどうすればいいかがわかりました。尊敬する先輩です。ありがとうございました。
また、3年生でシーズンを通してマスクをかぶって気づいたことがありました。それは応援・支援してくれている多くの方々の存在です。たくさんの方々の期待を背負っていることを感じました。だからこそ東大野球部は結果で恩返ししていく責任があるな、勝たなければいけないなと思いました。自分が打った打たないとか、自分が納得できたとか、そういうことのために応援・支援してくれているのではない。東大野球部として応えなければいけないと思いました。
最高学年になり主将になりました。僕を突き動かしたのは、勝たなければいけないという東大野球部の責任と、気が狂うほどの本気さを見せて東大野球部を変えたいという思いでした。技量もさることながら、もっと覚悟を持って野球に取り組まないと勝ち点なんて取れないと思いました。ただその覚悟さえあればもっと東大野球部は強くなっていくと思うのです。その覚悟と本気さを東大野球部に示そうとおもい、1年間キャプテンをしてきたつもりです。
去年勝ったことからくる、今年勝てなかったらどうしようという不安や恐怖もありました。これでは勝てないという焦りと苛立ちもありました。そして何より、たくさん応援していただいている中で勝てない申し訳なさを一番に感じています。
4年生になって改めて思ったことなのですが、東大野球部はとても恵まれています。どれだけ勝てなくてもたくさんの方の応援をいただいています。今年は特に、コロナも少しは落ち着き、多くの方の応援を身近に感じました。たくさんの応援がとても嬉しかったです。そのような環境で野球をやらせていただいている僕らはいわば公人です。だからこそ、東大野球部として恩返しがしたい、結果で期待に答えたいと思います。勝った時、喜んでくれるお客さんを見て、これこそが東大野球部にできる恩返しなんだなと強く感じました。もちろん僕たちの野球は部活です。そんな責任を感じて野球をやる必要があるのかとも思います。部活として楽しめばいいという意見もわかります。しかし、こんなにもたくさんの方々の応援をいただいている僕たちはそんなレベルにはもうないような気がしてならないのです。それほどに大きな恵まれた世界で野球をやらせてもらっていることが幸せでなりません。
僕が社会人野球を志したのも上に書いたような気持ちからです。野球をやらせていただく会社のために、勝つために死に物狂いで野球に向き合う勝負の世界です。例えばバントを決めて1塁にヘッドスライディングするような野球がそこにはあります。チームが勝つか負けるかが大事であり、周囲の期待に応えるため、感謝を示すために結果をだす。そんな本気の泥臭い野球が僕には合っているような気がします。
明日から最下位脱出をかけた最終カードが始まります。この1年間、そして今まで4年間、東大野球部を応援してくださりありがとうございました。東大野球部に関わってくださった全ての方々のためにも結果で恩返ししたいと思います。個人的には最下位脱出をかけた大一番の勝負にワクワクしています。僕にできることはみんなの先頭に立って泥臭く戦い続けることのみです。東大野球部にご期待ください。
最後に感謝を述べて終わりたいと思います。
応援部の皆さんへ
僕は応援部の応援が大好きです。デモンストレーションとかめちゃくちゃワクワクします。試合前日の夜と試合前は必ずチャンパを聞きます。試合中も皆さんの声援と音楽を聞きまくっています。武者震いするんです。そんな応援の中で野球ができて本当に幸せでした。ラスト1カードもよろしくお願いします。一緒に勝ちたいです。
選手を支えてくれるみんなへ
学生コーチ、マネージャー、アナリストのみんながいなかったら選手は野球をできません。みんながいるからこうして野球ができています。学生コーチのみんながいなかったら練習は成り立ちません。みんなが作ってくれた練習はめちゃくちゃ良かった。マネージャーのみんながいなかったらまずそもそも活動できないし、試合も遠征も合宿も何もできません。東大野球部での活動は最高だったし楽しかった。アナリストのみんながいなかったらデータもろくに扱えません。分析とか自分のデータの扱いとかほんとに助かったし勉強になった。試合に出るものとして結果で恩返しします。勝って一緒に笑おう。
両親へ
何不自由なく野球をやらせてくれてありがとうございました。「来たんだ」とか言いながら、毎試合何処かにいるんじゃないかって探していました。2人が来てくれるのが嬉しかったです。試合後の寸評とか所感とかうるせえなって思うこともあったけど、あれがすぐ送られてこないと、あれどうした、って思っていました。2人に試合を見てもらうのが好きです。本当に野球から退いたら再び感謝を伝えさせてください。
長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。
明日からのチーム2022の集大成をご覧ください。
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秋季リーグ戦をもって引退する4年生特集「僕の野球人生」は今回が最終回となりました。
お読みいただき、誠にありがとうございました。
明日からの対法政大学戦では、チーム一丸となり、全身全霊で戦い抜きます。
必ず最下位脱出を成し遂げますので、最後まで温かいご声援のほどよろしくお願いいたします。