《僕の野球人生》 Vol.2 大越 遥平 投手
4年生特集、《僕の野球人生》では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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《僕の野球人生》 Vol.2 大越 遥平 投手 (4年/新潟)
こんにちは、4年投手の大越遥平です。
季節の移り変わりは早いもので、野球に取り組める時間も残りわずかとなってしまいました。
私は、3年の春に準硬式野球部からこの部に転部してきました。そのため、硬式で4年間やってきた人たちよりは中身の薄い野球生活であったかもしれません。ただ、わずか2年弱の間でしたが、密度の濃い時間を過ごさせていただいたことに、とても感謝しています。
最初から硬式でやっていればよかったと思う反面、おそらくついていけてなかっただろうと思ってもいます。私は高校時代、ずっと内野手でした。といっても、守備が上手いわけでも打撃がいいわけでもなく、真面目に練習することだけが取り柄の選手でした。幸い、尊敬できる仲間に恵まれ、沢山の刺激や学びを得ることができました。しかし、同期が試合に出て活躍する中、それに及ぶことのできない歯痒さをずっと感じ続け、引退してからも野球に対する未練を捨てきれませんでした。
大学でもう一度野球がやりたいとは思っていました。ただ、自分のスローなスイングと走塁では高いレベルでは無理だろうし、楽しくないだろうと思っていました。どうしようかと考えていたところ、浪人明けの河川敷での草野球で思わぬ好投を披露した私は、大学で投手をやることを決意しました。
もちろん硬式でやりたいという思いもあり、練習も見学に行きましたが、やはりレベルの高いことは明らかで、この中で投手を一からやろうというのは舐めているなと思い、悩んだ末準硬式野球部に入部しました。
準硬式も一生懸命野球に取り組んでいましたが、入部した頃に抱いたモヤモヤはなかなか消えませんでした。自分のレベルが上がれば何か見え方も変わるだろうと思っていましたが、肘を痛めてしまい、練習中はずっとランニングやリハビリをする時間が続きました。良い治療法が見つからず、やめた方がいいのかと思いましたが、ここまでリハビリを頑張ったのにやめてしまうのは勿体無いし悔しかったので、投げられるまで続けようと思いました。
2年の冬が明け、リハビリの成果が出て、前よりも投げる時に腕が上がりやすくなりました。さらに、PRP治療によって痛みがとれる目処が立ってきて、少しずつ希望が見えてきました。と同時に、自分の心の奥の情熱のようなものを満たすためには、もっと野球に対して貪欲に取り組める環境が必要だと思いました。自分のレベルが通用するとか、肘が本当に良くなるとか、全く確証はありませんでしたが、行くしかない、後悔したくないと思いました。引越し先の下町の新鮮な空気にも背中を押された私は、硬式野球部へ転部することを決意しました。
転部してからは何もかも新鮮でした。手本になるような選手が沢山いて、そのような環境に身を置けることがとても楽しかったです。何より、肘が全く気にならなくなって、これからいくらでも練習できる、スタートラインに立てたということが大きな喜びでした。
しかし、投手としての経験が圧倒的に不足していた私は、すぐにボロが出始めました。特に今年は、去年より格段のレベルアップが必要なのにも関わらず、去年何とかなっていたものも何とかならなくなり、取り組んできたことが成果として出ないままこの時期を迎えてしまいました。結果を出さなきゃいけない年に、教訓ばかりを得ることになってしまい、悔しいという一言に尽きます。
やはり、神宮のマウンドを任されるような投手になるためには、もっともっと時間が必要でした。こうしてみたい、こういう取り組みをしたら変わるんじゃないか、ということはいくつか見えてきましたが、もう時間がないですし、体の方もあまり調子が良くありません。
しかし、何がともあれ、途中入部である自分にもチャンスを与えていただき、野球をすることを許してくれたこの部には感謝しかありません。
最後になりましたが、自分のわがままを認めていただいた準硬式野球部の方々、肘の悪い時期にリハビリや治療を面倒見ていただいたAR-Ex整形外科の方々、下手くそな僕に一から野球を教えていただいた後藤監督、本当にありがとうございました。なかなか良い報告はできませんでしたが、皆様のおかげで、私は良い野球人生を歩むことができました。
残りわずかな時間ですが、最後まで頑張ります。リーグ戦、勝ちましょう。
大越
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次回は明日9/21(木)、小島舜平投手を予定しております。
ぜひご覧ください。