《僕の野球人生》 Vol.11 阿部 泰典 内野手
4年生特集、《僕の野球人生》では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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《僕の野球人生》 Vol.11 阿部 泰典 内野手 (4年/栄東)
県大会初戦の前日に顧問の松田先生に言われた言葉
「勝つ覚悟と負ける覚悟を持って試合に臨もう。試合終了時には、涙を流さず笑顔で迎えよう。」
この言葉の真意が分からないまま大学野球まで続け、6年後の21才、引退直前になり「僕の野球人生」の執筆にあたり、自分自身の野球人生を振り返るなかでようやくわかりました。本当に深い言葉をかけていただきました。
野球を始めたきっかけはありふれたもので、少年野球に参加していた姉への憧れでした。当時小学2年生だった僕は、姉と父が所属していたレッドタイガースという地元の野球チームに加入し、週末に小学校のグランドで、朝早くから日が暮れるまで泣きそうになるくらい練習していたのを覚えています。小中高大と野球を続けてきましたが、一番小学生の時期が辛かったと思います。このときに教えていただいた、野球に対する考え方は今でも染み込んでいます。
小学6年生から次第に野球よりも中学受験を優先しつつ、何とか私立の栄東中学に入学しました。いわゆる進学校だったので、練習時間は大体16時から18時までの2時間程度の限れられた時間でした。チーム事情もあり1つ上の先輩たちの代でショートとして出場していましたが、市大会の1回戦で惜敗しました。代替わりのタイミングで、当時の顧問から主将に抜擢されました。今でも、当時のチームをまとめることができたとは思えず、中学の同期には本当に支えられました。今東大野球部チーム2023の部員100人前後をまとめる主将の梅林(4年/内野手/静岡)、副将の松岡(4年/投手/駒場東邦)・亮太(4年/外野手/灘)には頭が上がりません。いつもありがとう。
僕たちの代のチームは、実力のある選手がある程度揃っていたのもあり、さいたま市大会を準優勝し、県大会へと進みました。当時の顧問の松田先生に、県大会出場が始まったタイミングで、文頭の言葉をかけていただきました。当時の僕は、「勝つ覚悟と負ける覚悟?」と疑問に思いつつ可能な限りの実力を出すことを胸に埼玉県大会に臨み、結果は県大会ベスト8。学校創立以降、最高の結果を残し部活を引退しました。
栄東高校に内部進学し、高校野球が始まりました。この高校野球で守備面が大きく飛躍したと思います。入部当初から、鈴木先生から目をかけていただき、日大山形で学んだ知識を存分に指導してくださいました。そして、「9番ショート」、いかにも守備キャラというポジションで1年生の春から試合に出させていただきました。しかし、栄東高校では、部活は2年秋までという進学校のような暗黙の了解があり、校内で勉強も上位にいた僕は親と相談し、部活は2年生の秋大までと心に決め、2年秋大会では3打数2安打と活躍し、自分の中では悔いなく、高3の夏大を迎えずに引退しました。しかし高校同期の春大会・夏大会の応援に行く回数が増えるほど、2年の秋に感じていた満足感はいつの間にか不完全燃焼な気持ちに変わっていきました。そんな、行き場ない気持ちを抱きながら、学校方針と家から通うことのできる東大を目指しながら、1年間以上の受験勉強に取り組んでいました。
運よく現役で東京大学に入学しましたが、僕自身は、梅林や健(4年/投手/仙台一)、別府(4年/外野手/東筑)のように、硬式野球部に入るために東大を目指したわけではなかったので、当初、硬式野球部に入ろうという明確な意思はありませんでした。そんな僕が、硬式野球部の入部を考えた契機となったのは、入学当時同じクラスだった宮地でした。
「一緒に六大学野球を目指して、野球部に入ろう。」という彼の言葉を聞き、両親と相談し六大学野球への若干の期待と不安を胸に硬式野球部への入部を決意しました。入部を決意したものの、新型コロナウイルスの影響で新入生の入部が遅れ、7月の後半からようやくチームに合流することができました。しかし、当時は二部練習などなく、Aメンバーのサポートがメインで、まともに練習することができませんでした。さらに、上級生のレベルの高さに驚愕し、同期がOP戦に出場していく中、焦りと不安を感じながら練習していました。
転機があったのは、2月の外部練習の頃で、冬の自主練習期間で取り組んできた打撃改善が身を結びつつ、フレッシュトーナメント前の紅白戦、OP戦で結果を出すことができ、フレッシュトーナメントでのスタメンを勝ち取ることができました。チームは2敗したものの、神宮での初ヒット・好守備によりAチームへ初めて呼ばれることになりました。高いレベルでの守備練習や打撃練習、さらにはデータを活用した練習で、毎日が充実していたのを覚えています。
順調に進んでいた3年生の春の実践時期に、打撃が分からなくなり結果が残せず、Bチームに落ちました。さらに、OP戦での自らのエラーによる大量失点などが重なり、自分の中で切り替えができない日々でした。
普段の練習にも行きたくなくなり、一誠寮から離れることも考えました。
基本的にリーグ戦での活躍が期待される選手が入寮するので、必然的に寮生はAメンバーに入ることが多くなり、午前中の寮は人がほとんどいなくなります。
閑散とした寮の2階。Aチームと解離していく生活リズム。リーグ戦期間中の度外視感。
午前中よりも、午後、夜10時まで練習することが多くなり、自分の中でも気持ちの整理ができず、寮の部屋に引きこもる、そんな日々が続きました。
そのような状況下で、当時Aチームにいた清永さん(R5卒)に声をかけていただき、個別に話す機会もあり精神的に前を向くことができました。本当にありがとうございました。
空き週の紅白戦でたまたま結果を残しAチームに上がることができましたが、リーグ戦の出番はおろか、リーグ戦ベンチ入りなどありませんでした。
清永さんらが引退し、新体制が始動し僕たちの代になったとき、下級生との会話を増やしエラーで負けたと言わせないような内野陣を作りたいと思い、内野手長に立候補し、紆余曲折あり内野手長を務めることになりました。野球について考える時間も増えました。リーグ戦経験のない僕に内野手長が務まるのか試行錯誤の日々でしたが、梅林や秀島(4年/学生コーチ)を中心に4年内野陣が時に厳しく時に優しく支えてくれました。
失点を3点以内に抑える野球をテーマに、基礎的な部分の確認と習慣化、春の実践期間では投内連携や外野シートなど、連携の確認を十分にして臨んだ春季リーグ戦。
結果としては、エラー数は14。他大学と比較すると多いですが、去年の春より半分以下に減りました。僅差の試合も続き、「非常に惜しい展開」も何回もありました。自分自身もリーグ戦で守備固めとして出場する機会をいただきましたが、結局勝ち点どころか勝利すらいまだ達成できていません。
夏の遠軽合宿を経て一段階成長し、迎えた秋リーグ戦。明治戦・早稲田戦では、セカンドのスタメンで出場させていただきました。
記憶に新しい、早稲田戦2回戦、8回の裏2点差、2out2、3塁。
ここで打てばヒーローになれる、そんな場面で打席が回ってきました。
球場と一体化した応援、1塁ベンチやスタンドで必死に声を出してくれた仲間を感じつつ打席に入りました。
結果は三振。その後、9回表で2点取られ、2-6で敗戦。
悔しくてたまらなかった。「自分が打っていれば勝てた」と今でも思います。何より、2年生から投げ続け、チームのピンチを救ってきた健を、負け投手にさせたことが悔しかった。眠れない夜が続き、自分の部屋でふと涙を流すこともありました。2週間経ちましたが、今でもあの光景が脳裏をよぎります。
そんな早稲田戦を終えて、僕の野球人生を振り返るなか、文頭の松田先生の言葉をふと思い出しました。「勝つ覚悟と負ける覚悟を持って試合に臨む。」
仮にチームが負けて、このまま後悔しないか。
試合終了の挨拶のとき、死力を尽くしたと言えるほどの準備をしているか。
勝つために十分な準備をしているか。
神宮の舞台に立つことができない人が納得できるほどの準備をしているか。
神宮に立つことを断念し自らの時間を犠牲にしてまで、自分の練習に付き合ってくれる人たちに恩返しができるほどの準備ができているか。
練習中を含めた日々の生活で思案しながら、残り1ヶ月もない野球人生を過ごしています。気づくことが遅すぎたかもしれません。
早稲田の2回戦でようやく打てた初ヒット。両親以上に、嫌な顔をせずに一緒に自主練習をしてくれた杜衛(4年/学生コーチ/広島大福山)に見せたかった初ヒット。自分の時間を犠牲にしてまで、個人的にノックを打ち、球を投げ、打撃やバントの練習、さらにはトレーニングにまで付き合ってくれる、そんなずっとそばで支えてくれた杜衛に1番の恩返しがしたいと思っています。
リーグ戦のベンチ入りの人数はわずか25人しかいません。その25人のなかに入る可能性がまだ残されている僕は、お世話になった人たちやしたくても出場すらできない人へ恩返しができるよう最大限の準備をするだけです。
振り返れば、東大野球部に入り、本当にたくさんの支えのおかけで野球ができているということを実感し、その支えで人間的に大きく成長できたと思います。東大野球部が勝つために身体面でサポートしてくださる高木さん・熊谷さん、OP戦やリーグ戦で選手が円滑に動けるようサポートしてくれるマネージャー、自らの時間を削ってまで選手の練習に付き合ってくれる学生コーチたち、チームの勝利を信じて分析をしてくれる部員、2年連続で合宿を誘致していただいた遠軽町の皆様、これまで僕に野球を教えていただいた、大屋監督をはじめとするレッドタイガースの関係者、栄東中高の松田先生、石川先生、鈴木先生、そして井手監督をはじめとする首脳陣、そして僕をここまで支えてくれた家族。
残るは、慶應、法政、立教の3カード。
最下位奪出という形で『最高の恩返し』をしたいです。
口下手な僕は、直接言葉にして人に伝えることが苦手なので、この場をお借りして感謝の言葉を紡いで終わりたいと思います。
内野手たちへ
新チーム始動時に、梅林がみんなの前で語った「今後の東大野球部に何が残せるか。」
自分なりにチームのことを考えて内野手長として行動してきたつもりですが、次の代に継承されていく明確なものを残せたとは思っていません。むしろ、みんなに迷惑をかけたことの方が多いと思います。それでも、冬の基礎練や普段の練習での僕たち4年の方針についてきてくれてありがとう。みんなが上手くなってくれることが一番嬉しいし、やりがいをすごく感じます。残りの3カード、内野陣が活躍して勝ち点を取り『最下位奪出』しましょう。
応援部の皆様へ
どんな試合展開・天候状況でも、応援してくださりありがとうございます。
打席に入るときも守備についているときも、応援部の皆様の声と演奏がはっきりと届き、一緒に闘っていると実感します。残り3カード、最下位奪出のために全力を尽くすので応援よろしくお願いします。
一緒に戦ってきた同期へ
1年生の8月から4年生のこの日まで、同期のみんなのおかげで充実した日々を送ることができました。朝から晩まで一緒に練習したり、オフの日に深夜までボードゲームやSwitchで遊んだり、部室やロビーでくだらない話で盛り上がったりと、こんな楽しい生活が残り数週間しかないと考えると寂しい気持ちが溢れてきます。自らの選手の道を諦めて学生コーチになりチームを支えてくれた同期、僕のわがままに付き合ってくれる同期、チームをまとめてくれる同期、身体やトレーニング、打撃や守備に関する知識を嫌な顔一つもせずに教えてくれる同期。そんな同期と一緒に、僕は勝ち点を取りたいです。後先考えずに、明日の慶應戦勝ちましょう。
両親・姉妹へ
出番があるか分からない僕のために、毎試合のように神宮に足を運び応援してくれてありがとうございます。入部してから1年ちょっと、入寮してからなかなか実家に顔を出さない2年間でしたが、充実した大学野球生活でした。1年生春に、不安でいっぱいだった僕の背中を押してくれてありがとうございました。野球というスポーツに導いてくれてありがとうございました。
たくさんのわがままを言いました。たくさんの迷惑をかけました。それでも毎日のように応援してくれました。秋季リーグ・明治戦が終わった後送ってくれた「野球を楽しみなさい」というメッセージ。これで初心に戻ることができました。
「練習に泣き試合に笑う」 小学生のときよく叫んだこの言葉を胸に、残りの3カード戦います。楽しそうに野球をする姿を観にきてください。
最終カードが終わり次第、家族には改めて感謝の言葉を直接述べたいと思います。
ここに紹介できないほどの多くの方々にお世話になりました。改めて、感謝の言葉を述べさせていただきます。ありがとうございました。
最後になりましたが、僕なりに懸命に言葉を紡いだ文章をここまで読んでくださりありがとうございました。
明日は慶應戦です。みんなで勝ち点取りましょう!
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次回は明々後日10/2(月)、藤川翔太内野手を予定しております。
ぜひご覧ください。