《僕の野球人生》 Vol.28 梅林 浩大 主将
4年生特集、《僕の野球人生》では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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《僕の野球人生》 Vol.28 梅林 浩大 主将 (4年/内野手/静岡)
2022年11月、野球人生で初めて主将となった時、東大野球部の主将に最も必要な資質とは「部員全員が同じ方向に向くよう促す力」だと、ものすごく漠然と考えていました。
そこから主将として1年弱を過ごし少し明確になり、「部員全員に東大野球部の勝利を心の底から渇望させ、勝利は目前に迫っていると信じ込ませる力」が必要だと感じるようになりました。私がこのように感じられるようになったのはこれまでの野球人生における様々な出会いによるものです。私という人間を作った16年と1年の野球人生を以下に書き記します。
野球との出会いは突然でした。小学校1年生の正月、特番でやっていたアニメ「メジャー」を見て、吾郎くんに誘われ野球を始めた寿くんのように、気づけば隣の小学校で活動している浜松エンジェルスの練習に参加しました。
仲間に恵まれ、チーム48年ぶりの優勝などを経験することができましたが、何よりも記憶に残っているのは20数年ぶりの県大会出場をかけた蒲との試合でサヨナラエラーをしたことです。その時の川合監督やコーチの皆様、そしてチームメイトの優しさは忘れることはありません。
中学生の僕は夢と浪漫に溢れた少年でした。
中学では少年野球団のメンバーと共に軟式野球部に入部しました。エンジェルスの仲間が大好きだったので、迷いはありませんでした。
それなりに野球は頑張っていましたが、転機が訪れたのは2年の時です。当時NMB48の山本彩さんの大ファンになり、中学生らしく彼女とお近づきになりたいと思い、そのためにプロ野球選手になろうと考えました。頭もいい方だったので、甲子園出て東大に入ればめちゃくちゃすごいし、さや姉の場所まで近づけるんじゃないかと青写真を描き文武両道を誇る静岡高校を志望するようになりました(東大に受かってから文武両道ですごいとさぞ高尚な人間かのようにお褒めいただく時もありましたが、動機はこんなものです笑。ちなみに東大に受かってもアイドルとお近づきになるなんて夢のまた夢でした)。
中学生の頃は出会う方々が悉く優しくも情熱的で、夢を応援してくださる方々ばかりだったので野球も勉学もメキメキと実力が伸び、目標だった静岡高校に進学を果たしました。中学時代特にお世話になった康之先生、中村さん、片桐さん。ありがとうございました。
高校野球は、第2の(野球)人生の幕開けでした。それまでの全ての常識が覆ったと言っても過言ではないかもしれません。先輩方はもちろん同期まで信じられないほど能力が高く、一瞬にして自分が井の中の蛙だったと悟りました。そして伝統校らしい厳しい規律にカルチャーショックを受けました。
しかし、住む世界が違うとさえ感じた3年生の先輩方でも甲子園には行けませんでした。夏の大会で地元の浜松商業に敗れた試合が終わった時、相手スタンドから聞こえた地鳴りのような歓声が忘れられません。静高が負けるということの意味を知りました。そしてもう二度と負けたくないと思いました。
自分はというと練習で必要以上に怯えてしまい、毎日を無難に、怒られることなく終わらせていくことが目標になっていました。もう野球は無理だから、勉強で結果を出そうなんて思っていたこともありました。そんな折、栗林先生から「野球も勉強も逃げるな、一流を目指せ」と言われました。名将には全部見透かされるんだなと思うと同時に、いつの間にか大きな目標を失っていた僕にこの言葉は刺さりました。
そしてその後、人情味あふれる先輩方、そして個性豊かな同期のおかげで2回も甲子園に行くことができました。甲子園は素晴らしい場所でした。頭上を飛び交う大応援のもと、大好きなチームメイトたちとグラウンドを駆け回りました。打席には立てませんでしたが3塁コーチャーとして聖地に立ち、駒大苫小牧戦では何度も腕を回しました。
夏は怪我人が大量発生し、あっけなく終わりました。最後のバッターとなった僕がセカンドゴロに倒れ、高校野球生活は静岡県ベスト16で幕を閉じました。もう二度と見たくないと思っていた光景をまた見ることになりました。しかし正直野球には満足しました。3年間やり切った自分を褒め称え、次は勉強を頑張ろうと思い、引退したその夜から受験勉強を始めました。
先ほども述べた通り、野球には満足しており大学で野球をやるつもりはありませんでした。そんな僕にまた野球をやらせたのは、高校同期たちでした。彼らが六大学野球の門を叩くと知った時、みんなと同じ舞台に立ちたいと思い東大野球部を目指すことを決意しました。
もしかしたら、高校野球での嫌いだった自分を変えたかったのかもしれません。ミスを恐れてばかりでその場しのぎの毎日を送り、自分が出れなくても仲間が頑張ってくれるはず、とどこか他人任せだった自分が嫌で嫌で仕方がなかった。憧れだった彼らと同じ世界に飛び込み、自分の力で何かを成し遂げた、と胸を張って言いたかったのかもしれません。
そんなこんなで勉強を続けましたが現役合格は叶わず、1年の浪人を経てなんとか東大に入学することができました。
晴れて東大に入学し、コロナの影響で入部は遅れたものの1年生のうちにAチームに参加させていただいたり、フレッシュに出させていただいたりと色々な経験を積ませていただきました。
2年生になり、リーグ戦デビューは突然やってきました。開幕戦の早稲田戦、終盤、同点、2死満塁で代打に出されました。必死に食らいつきましたが空振り3振に終わりました。今思い返しても悔しい1打席でした。この1年の印象はこの打席に尽きます。
また、野球人生で主将経験がないにも関わらず、2年生になった時から自分が主将にならなきゃいけないという使命感が芽生え始めました。今振り返っても不思議です。
3年生になり出場する機会が多くなりました。最初は4番という大役を背負わせていただき光栄だと思う反面、それに見合う実績を残した自信もなく不安を抱えていました。そうした不安を消すため毎日もがきながら冬を越し、春季リーグ戦を迎えました。おそらく打席への向かい方は大学生活で一番よかった時期でした。しかし、ここでも結果が出なかったためまた自信を失いました。
春季リーグ戦が終わり遠軽合宿を経て秋季リーグ戦が終わってしまいました。去年の最終戦、僕は悔しくて仕方がありませんでした。先輩たちは本当にすごい方達ばかりなのに、色々ありうまくいかず、自分も勝利に導く活躍はできず、高校からお世話になっていた奥田さん(R5卒)に恩返しできず、今年こそは本気で最下位脱出できると思っていたのに達成できなくて、試合後の打ち上げの場で今までで人生一まずい酒を飲みました。引退して浮かれたいのに相談に乗ってくださった小野さん(R5卒)、ありがとうございました。
4年生が引退し、学年ミーティングを経て主将になりました。この時に幾つかの抽象的なテーマを決めました。
・「勝てるチーム」より「勝つべきチーム」を目指す
・代を経て強くなっていくような、そんな文化を残す
明治や慶應を参考にし、また東大野球部の運営体制(毎年最高学年がチーム方針を決めるなど)によってどうしても生まれてしまうデメリットをなくすためこのようなテーマを決めました。
こうしたテーマを自分の中で掲げた主将としての1年間はあっという間でした。リーダーに求められるものが何かわからず、栗林先生に相談したり企業経営やチームづくりの本を読み漁ったりした冬、初めての合宿で意気込むも少し孤独感を感じた鹿児島合宿、チームを引っ張れず流れを持って来れず、主将としての力不足に悔し泣いた春、4年同期の頼もしさを痛感した遠軽合宿、最下位脱出を今度こそ本気で目指す秋。
あっという間の1年を経て、東大野球部に必要なものが少しだけわかりました。後輩に少しでも何か残して引退できるように、いくつか書き記します。
・ターゲットを明確にし、取り組みと一致させる
・目の前に勝利があると信じ、勝利を渇望するチームづくり
前者については最近気づきました。我々は最下位脱出を目標としながら、優勝を目指すかのように穴のないチーム育成をし、5大学から勝とうとしていました。1年前の僕はこの矛盾の意味するところを知りませんでした。最下位脱出するためには、5大学のどこかより上に行く必要があります。ただ、我々はそのどこかを決めていませんでした。最下位脱出するようなチームという曖昧模糊とした目標に向かっていくのは簡単ではなく、その曖昧さがゆえに練習で甘えてしまう場面もあったと思います。ターゲットを定めることで、下回ってはいけない基準ができ、練習に厳しさが生まれると思います。後輩のみんなは、優勝を目指そうがAクラスを目指そうが、その目標を達成するにはここを越えなきゃいけないよね、というターゲットを設定した方がいいと思います。
後者については冒頭に述べた通りです。そのためこれはチーム全体というより主将に求められるものだと思っています。本気で勝ちたいと思えば、練習量も増えるし、練習の質も上がります。勝負への厳しさも増します。勝利に飢えるためには、勝利が目前に迫っている、俺たちは勝てるんだと思い込む必要があると思います。そのように部員を導くのが主将の役割だと思っています。言葉で引っ張るもよし、プレーで引っ張りこいつがいれば、と思わせるのもよし、方法はなんでもいいと思います。現時点では勝利が遠くに見えがちな東大野球部の主将には特にこの資質が最も必要だと思います。
偉そうに書きましたが、1年務めただけなのでわからないことだらけだし、わかったからといってできたわけではありません。ただ僕の野球人生を通して得たこうした学びが後輩の成長に生きれば幸いです。
話は変わりますが、野球人生最終盤にきて、僕の野球人生が幸せなのかどうかよくわからなくなっていました。昔から仲間に恵まれ、他の人にはなかなか得られない経験を何度もしてきたし、そうした経験が素晴らしいものであることは間違いないです。しかし、挑戦した先で負け続け、悔しい思いばかりしてきました。今振り返っても、野球人生で強く記憶しているのは自分のエラーで負けた試合や、打てなくて勝てなかった試合など負の記憶ばかりです。
しかし10/8、勝利を収めた試合で守備固めとしてグラウンドに立った時、そうしたネガティブな思いは消えました。ネガティブを吹き飛ばしてくれたのは応援団の大声援でした。守備固めで緊張する場面なのに、自分のことをこんなに応援してくれる人がいるのか、と感動し思わず涙をこぼしてしまいそうでした。自分以上に自分に期待し、応援してくださる方々がいること、そして応援されるような野球人生を歩めたことはこのうえなく幸せなことだと、今ではそう感じています。
最後にお世話になった方々に感謝を述べて終わります。
まず誰よりも感謝している4年生同期のみんな
4年間ありがとう。プレーで引っ張ってくれたみんなにはもちろん感謝していますが、試合になかなか出られなかった4年生に一番感謝しています。主将になったとき、口にはしませんでしたが「試合に出ていない4年生が一番尊敬され、感謝されるチーム」になりたいと考えていました。そのようなチームが「勝つべきチーム」だと考えたからです。みんなの直向きに努力する姿や、心から野球を愛する姿、チームのためにサポートや分析に買って出て、力強く応援してくれる姿によって本当にみんなが一番尊敬されるチームになれました。みんなのおかげで部員全員が勝利に向かうことができました。本当にありがとう。
また、マネ、学コのみんな。石井(4年/マネージャー/灘)のぼくじんに「マネージャーの仕事は選手に見えない」的なことが書いてありましたが、確かにそうです。僕もマネージャーの仕事のほとんどが詳しくはわかりません。それだけ僕たち選手はマネ陣に甘えさせてもらっていると思います。東大の他部活の様子などを聞くといかに自分たちが恵まれているか痛感します。勝利につながる円滑な運営をありがとう。学コ陣には本当に迷惑をかけました。僕に期待し、心配してくれていたのに結果で返せずごめんなさい。皆が血豆を潰しながら打ったノックや、寝る間も惜しんで得た分析は必ずチームの勝利につながっています。チームを引っ張ってくれてありがとう。
そして、副将として俺を支えてくれた松岡(4年/投手/駒場東邦)、長谷りょー(4年/外野手/灘)。松岡は副将としても投手としても大車輪の活躍をしてくれて本当に頼りにしてました。ありがとう。長谷りょーも副将としてチームを支えることを常に考え続けてくれてありがとう。Bチームに長谷りょーがいてくれたことで意見も汲み取りやすくなったし、このチームに与えた好影響はかなり大きいです。苦しみながらもやり切ってくれて、本当にありがとう。最高の応援を頼みます。
後輩へ
1年間ありがとう。皆からは野球への姿勢、向き合い方を学びました。春のリーグ戦直前で大敗を喫した東京農業大学戦後、目に涙を浮かべながら悔しがる後輩たちの姿が忘れられません。自分はOP戦でここまで悔しがることができただろうか、と衝撃を受けました。この試合はこの1年間で1、2を争う印象深い試合です。練習でもみんなの厳しさによって緊張感のある練習ができていました。そんな皆だったら、もっと上を目指せると思います。僕たちは最後に最下位脱出を決めてみんなに繋ぎます。後少しだけ、力を貸してください。
先輩方へ
皆さんの勝利に貢献できず本当にすみませんでした。ただ、先輩方のおかげで今の東大野球部があります。また、何度もご飯に連れていってくださったり、根津バで話を聞いてくださったりした先輩方、ありがとうございました。部員の前では無意識に気を張っていた自分も、先輩方と話すことでただの後輩に戻ることができ気持ちが楽になりました。
応援部並びに応援してくださった皆さん
4年間ずっと一緒に戦ってくださりありがとうございました。今季はふとベンチから応援席を見ることがあります。ベンチから見えるのは、勝利を信じ相手スタンドを睨みつけるリーダー同期の浅香や鈴木や、力強く踊り応援席を鼓舞しているチアリーダーの皆さん、姿はベンチからは見えませんが大迫力の応援で我々のボルテージをあげてくださる吹奏楽団の皆さんです。みんなの姿を見ると本当に勇気が湧いてきます。こんなに簡単に試合中に気持ちを上げられる方法があることに4年秋まで気づかず後悔しています。最後に高らかとただひとつを歌って神宮を去りましょう。
ファンの皆様にもたくさんの期待の声をかけていただきました。これだけの方々に期待され、応援されるのがどんなに幸せなことか、どれだけ力をもらえるか、最近になってようやく気づきました。皆様の期待が、応援が我々を突き動かしています。ありがとうございました。
井手監督、大久保助監督
4年間お世話になりました。井手野球の集大成として、最下位脱出という形で井出監督に恩返しし、共に引退できたらと思います。
大久保助監督も今年1年、指導者が1人という状況で大変な中ご指導いただきありがとうございました。私に期待してくださり、そしてご心配してくださりありがとうございました。最後の1カードもよろしくお願いいたします。
豊田さん、高木さん
豊田さんの考えてくださるリーグ戦中のメニューは部員の心を活気づけ、次のカードに向かう元気をもたらしてくださるものばかりでした。お世話になりました。高木さんは今年からのサポートをお願いし、当初はうまく高木さんと連携をとることができず申し訳ありませんでした。高木さんの目指す「蒼衣軍団」は東大が強くなるために必要不可欠なものです。ぜひ今後ともよろしくお願いします。
東京六大学のライバルたち
ここまで自分たちと戦ってきてくれてありがとうございました。他大学のハイレベルな選手と交流でき、刺激をもらえたのは本当にいい経験でした。今後の活躍をお祈りしてます!
また、京大や横浜国大、鹿屋体育大学など国公立大学の皆さんの活躍にもいつも刺激を受けていました。ありがとうございます。
栗林先生、大石先生、直井先生、中村さん、田尻さん、そして静高野球部135期のみんな
今、僕が東京六大学野球という華やかな舞台で主将という重要な立場に立てているのは、間違いなく静高で過ごした3年間のおかげです。夢を広げ、後押ししてくださった先生方、ありがとうございました。
そして135期の皆。本当に個性豊かな同期たちに囲まれて幸せでした。特に村松(明大/R5卒)、木下(法大/R5卒)、黒岩(立大/R5卒)には浪人期にも、この大学4年間も勇気をもらい続けました。六大学に連れてきてくれて本当にありがとう。大変なことも多いと思うけど、ずっと応援しています。頑張れ!
大和(慶大/3年)、來音(慶大/4年)、臼井(内野手/静岡)、そして代は被っていないけど高須くん(明大/2年)、池田くん(法大/2年)、渋谷くん(早大/2年)、宮本くん(立大/2年)
來音は4年間共に走ってくれてありがとう。慶早戦見に行くので最後頑張ってくれ!
六大に残る後輩たち(あと大和)、六大学にきてくれてありがとう。この六大学野球という素晴らしい舞台でまた静高の名を轟かせてください!
家族へ
皆さんにお礼を書いていたらこんな後ろになってしまいました。ごめんなさい。
温かい家庭で育ててくれてありがとう。僕の野球人生が彩ったのは本当に魅力に溢れる多くの方々に出会えたおかげですが、出会いのきっかけをくれたのはいつもお父さん、お母さんでした。本当に幸せな野球人生でした。ありがとう!
最終カードでは野球と出会えた幸せを噛み締めながら精一杯頑張ります。たくさん見てください!
行く先々で様々な思いを抱きながらここまできました。たくさんの人に時に期待していただき、時にご心配をおかけしてきました。打った喜びも勝った喜びも果てしなく、打てなかった悔しさも負けた悔しさも果てしない神宮球場での野球も残りわずかです。
東大野球部は六大学で優勝するポテンシャルが十分にあると、僕はそう確信しています。いつか優勝する後輩たちに繋ぐため、1年かけて目指してきた「勝つべきチーム」を結果で示すため、奪出を果たします。
最後まで応援のほど、よろしくお願いいたします。
最後になりますが、弊部OB会の皆様やファンの皆様、合宿先で温かく出迎えていただいた皆様、東京六大学連盟の皆様など、他にも東大野球部の活動に暖かいご支援をいただいた皆様に部を代表して感謝を申し上げます。ぜひ、今後とも東大野球部をよろしくお願いいたします。
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秋季リーグ戦をもって引退する4年生特集《僕の野球人生》は今回が最終回となりました。お読みいただき、誠にありがとうございました。
明日からの対立教大学戦では、チーム一丸となり、全身全霊で戦い抜きます。
必ず最下位脱出を成し遂げますので、最後まで温かいご声援のほどよろしくお願いいたします。