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『僕の野球人生』vol.2 中村 薫平 投手

昨日より4年生特集、『僕の野球人生』が始まりました。
この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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僕の野球人生」 vol.2 中村 薫平 投手(4年/堀川)

僕の野球人生表紙2 3

 

毎年『ぼくじん』といえば「読んで秋を感じるもの」でしたが、気がつけば書く側になってしまいました。こうして振り返ってみると本当に恵まれた野球人生でした。

 

野球を始めたのは小学1年生でアニメ「メジャー」がきっかけという、日本中にありふれすぎた野球少年の一人でした。当時から身体だけは大きかったのを持て余し、そこまで上手ではなかったです。そこで、父と甲子園へ阪神戦を見に行った夜、決心をして父と2人の朝練習を始めました。正直早起きが嫌で起きたくない朝もありましたが、何事も続けていれば上達はするもので、6年生の時にはエースで4番を任せてもらえるようになりました。チームも府大会ベスト8まで勝ち上がったりと、勝つ楽しさを皆でたくさん味わうことができま した。

 

中学は一番野球を楽しんでいた時期だったかなと思います。顧問の福田先生は野球未経験ながら、とても親身に面倒を見てくださりました。2 年で退任される最後の試合は今でも覚えています。また、部員も秋は8人しかおらず、レフトにはバスケ部に入ってもらい、先生がファールボールを拾いに行くという、漫画にもないんじゃないかというほどの限界野球部でした。でもだからこその全員野球で、気心の知れた少年野球からのチームメイトと楽しく日々白球を追いかけていました。

 

グラウンドはボコボコでライトは40mくらいしかないし、サッカー部やソフトテニス部と共用でしたが、そんなことは関係ないくらい楽しい記憶ばかりが残っています。「Hey Jude」 や「オワリはじまり」を爆唱しながら帰った放課後がつい昨日のようです。あと、週末の「VS」が楽しみで仕方なかったです。(身内ネタすみません)

 

さて高校野球は部員も多くて本格的だから、試合に出るために頑張らないとと思って入部しました。が、こちらも人手不足で、気づけば守ったこともないレフトで試合に出ていまし た。多分人生で最も緊張した瞬間の一つです。この頃「大学でも野球を続けるか」考えることもありましたが、チームメイトにも恵まれて毎日楽しい部活だったので、正直2年までは高校野球で終わりでいいかなと思っていました。嵯峨野の坂をチャリで越えるのはもう勘弁です。

 

しかし3年の時にコロナ禍にぶつかって満足に部活もできない状態が続き、なんとか夏の大会はできたものの、自分としては不完全燃焼の思いがはっきりと残りました。試合終了後のバスの中で「このままでは終われない。大学でも野球を続けたい」と思ったのを覚えています。自分はそんなにこだわりとかが強いタイプではなく、すぐ「なんでもいいよ」と言ってしまうことが多いですが、この時は珍しく強いやるせなさや悔しさを感じたのを覚えています。

 

そして大学に入学し、野球部に入部しました。最初は色々なものに驚いてばかりの日々でし た。充実した設備、溢れんばかりの野球への熱量、ハイレベルな練習、部員の数。やりたいことはなんでもできる環境で、高校時代課題だったことを一つ一つ潰して上達し ていくのが楽しかったです。しかし周りもこれまでになくハイレベルだったので、何もせずにいると一生Bチームで終 わってしまうと危機感も抱きました。そこでまずは各学年での目標を立て、それを実現するために何が必要か自分なりに考えながら練習しました。当たり前のことかと思われるかも しれませんが、これまで「部員集めが最初の課題」というような環境でばかり野球をやってきた僕にとって、「まずは試合に出るため、アピールするため」という環境はとても新鮮で独特の緊張感がありました。詳細は羞恥心と字数の関係上省きますが、序盤までは目標通り順調だったものの後半は予定が狂いっぱなしでした。

 

なにはともあれ、1年は幸い秋フレッシュで神宮のマウンドに立つことができ、順調なシーズンでした。

 

冬が明けて 2年になると球速も少し伸び、春の最終戦にはサプライズ・経験枠ながらリーグ戦のベンチにも入ることができました。しかし、この辺りから自分の限界のようなものも見え始めました。フォームをどう弄っても、目標通過点だったはずの 135kmに届くことはなく、それどころか球速は落ちていく一方でした。試合で投げてもいい結果が出ないと分かりながら投げているような感覚で、いわゆる「スランプ」のようなものに陥り、不安ばかりでTEAM2022を終えました。

 

ただ冬にかけて少しずつ良い時の感触が戻ってきて、いざリーグ戦へ向けての第一歩とい うところで事件は起こりました。
忘れもしない2023年3月1日。TEAM2023の開幕戦 vs 新海屋で先発を任された僕は順調に初回を抑えたのですが、そこで肘痛が発生。

 

⻑いDL生活の幕開けです。 最初は数週間で復帰する予定でしたが、思ったよりダメージが酷く、あれよあれよと春季リ ーグ開幕をスタンドで迎え、そのまま最終戦を終えました。同期や後輩が次々と神宮デビューしていく中で、自分はひたすらマットの上でリハビリメニューをこなすだけの日々。正直あの時期は練習に行きたくないレベルMAXでした。それでも、めげずに練習を続ける小島さん(R6 卒)たちの姿にも背中を押されながら、なんとかリハビリに通い、PRP注射も打ったりと色々な手を打ちました。しかし、ついに実戦復帰とは程遠い状態で4年生を送り出すことになりました。0次会(年末の懇親会)で、先輩がいなくなるという寂しさと恐怖を感じた記憶が鮮明に残っています。

 

そして、泣いても笑っても最後の一年。 肘も少しずつ良くなって、なんとか滑り込みで合宿に参加できる状態にまで回復しました。そこからは4年生の意地と根性で オープン戦で結果を残し、やっとメンバーとして春季リーグを迎えることができました。

 

そして、開幕戦初登板。

 

あの時のことは一生忘れないと思います。浴びたことのない量の歓声、自分の一球一球に球場全体が一喜一憂するあの感覚、ブルペンからマウンドに向かう間に聞こえるチームメイトの声。正直緊張しかなかったですが、今ではそれも良い記憶です。しかし、それと同時に他大との圧倒的な力量差、目指す場所とのギャップを痛感する日々でした。短いリーグ戦期間内でどうすればより良い結果に近づけられるか考え、できないことは秋までの宿題とし、できる練習をひたすら続けました。おそらく人生で一番野球のことを考えていたと思いま す。 それでもなかなかいい結果を出せずに春を終えてしまい、秋に向けてやるべきことが一気に山積しました。そうした焦りもあったのかもしれません。6月某日の投げ込み中に肘痛が 再発しました。もちろん悔しさもありましたが、逆に限界ギリギリで春は乗り切ってくれた のかと思うと踏ん切りもつきました。

 

これで、僕の野球人生は他のみんなより数ヶ月早めに終了しました。しかし、後悔はありま せん。小中高大と続けてきた中で全てのチームで仲間に恵まれ、それはそれは幸せで楽しい野球人生でした。コロナ禍にぶつかったり怪我したりと、いいこと100%というわけではなかったですが、それらが本当に些細なことだと思えるほどに恵まれた野球人生だったと思います。

 

僕にそんな恵まれた野球人生をくれた人たちには感謝の言葉しかありません。 高校の顧問で三年間お世話になった谷先生や今井先生。フレッシュで1イニングしか投げていない試合の記事を見て連絡をくださったのには驚きました。それほど気にかけてもらえるような生徒であれて光栄です。最後リーグ戦で良い結果を残せなかったのは残念ですが、これまでありがとうございました。

 

次に、リハビリでたくさんお世話になったB&Jクリニックの佐藤先生・洞口先生。なかなか回復せず厄介な患者だったと思いますが、いつも丁寧に診てくださり、おかげでどうにか神宮のマウンドに立つことができました。

 

だいじろう(京都大学野球部/学生コーチ/4年)とはちょくちょく LINE で互いに近況報告しては、自分も背中を押されていました。双⻘戦で対戦することなく終わったのは悲しいけど、スマブラなら受けて立つ!

 

そして 4年の同期のみんな。これまで出会った人たちの中で、ダントツで野球への熱量に溢れた人たちでした。そんなみんなの背中に引っ張られて、自分もなんとか 四年間頑張れたと思います。ラストシーズン、 僕の分まで頑張って必ず勝利をもぎ取ってきてください!!

 

あおし(青島内野手/4年/学芸大附)とは不思議としんどい時期が重なることが多くて、その度にご飯に行きました。相談したり相談されたりでどれだけ力になれたか分からんけど、すごく背中押してもらえた!

 

芳野(4年/外野手/⻄大和学園)はオフ過ごした時間ランキング堂々の第一位です。朝活で訳分からん路地に突っ込んだり、短時間集中カラオケ行ったり、根津でご飯屋さん探して無限に放浪したり、思い出や事件は尽きないけど楽しい思い出をたくさん作れました、ありがとう!!いつでも夜バッピ飛んでいきます。

 

ピッチャーズは結局6人になっちゃったけど、オフ前には屋上で集まったり、旧メンバーも一緒に忘年会やったりと、仲良しな同ポジで最高に嬉しいです。卒業してからもみんなで定期的に集まれたら嬉しいな!!

 

そして最後に家族。父は少年野球の朝練から始まり、全試合見に来てくれてアドバイスをく れる身近な最高のコーチでした。母は大学に入ってからも冷凍ご飯を送ってくれたりと、細かいけどいろんなサポートをしてもらいました。兄は、全然誕プレを返さない不義理な弟にも関わらずリーグ戦の後には LINE をくれるなど、本当にいい兄を持ったと思います。誕プレは来年働いて返します。少しだけお待ちください。

 

なんとも冗⻑な文章でしたが、せっかくだからと色々書いていくとこんなことになってしまいました。 でも、野球をやっていて、大学まで続けていて本当に良かったと思っています。

 

ありがとうございました。

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次回は9/23(月)、双木寛人投手を予定しております。

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