フリーパス付きプレミアムパス 2024年度版 販売中!
BIG6 BLOG LEAGUE

東京大学
野球部ブログ

主将 藤田 峻也
  • TOP
  • 『僕の野球人生』vol.9 網岡 凜 内野手

『僕の野球人生』vol.9 網岡 凜 内野手

先日より4年生特集、『僕の野球人生』が始まりました。
この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

——————————————–

「僕の野球人生」 vol.9 網岡 凜 内野手(4年/六甲学院)

網岡表紙② ③

私の野球人生は、高校野球が好きな父親と公園へ行ってキャッチボールをするのが始まりだったと思います。野球そのものに興味はなかったのですが、ボールがグラブに収まる感覚がたまらなくて、休みの日は時間も忘れて父に数え切れないほどノックを打ってもらっていました。ただ時間が拘束されるのは嫌でクラブチームにはいることはありませんでした。

中学で野球部に入部しました。捕って投げることしかしてこなかった私にとって競技の野球をすることはこれが初めてでしたが、父とのノックのおかげで守備に関してはまわりにもついていくことができました。野球をするのが楽しくて、野球を通じて同級生とも仲良くなり、最後の大会は1回戦でコールド負けしたものの後悔もなく中学野球生活を終えました。

高校の部活は厳しいという噂で、ただ野球がしたかった私は辛い練習なら入りたくないと思っていたものの、周りがそのまま高校野球に進むということで私もそれに合わせて入部することにしました。評判通り厳しくて、何度も辞めたいと思いつつも、辞める勇気すら出ずなんとか監督に怒られないように必死でした。高校には軟式野球部しかなかったのですが、部活は月水土の週3日で17時には完全下校という、今思えば部活といえるのか怪しいほどの練習頻度でした。甘すぎだと怒られてしまうかもしれませんが、それでも入部当時の私にとってはハードだと感じる生活でした。部活としての野球をする覚悟が当初はあまりなかったのかもしれません。

軟式野球はボールが潰れてあまり飛ばないためヒットがあまり出ず、またゴロのバウンドも高く難易度が高いことから、とにかく守備を固めて守り勝つ野球をテーマにしていました。守備力を評価してもらい、高校に入学してすぐからサードで試合に出していただき様々な経験をさせてもらいました。勝つという経験はあまりできませんでしたが、自分としては仲のいいチームメイト達と野球ができ満足のいく高校野球だったと思います。高校3年になってすぐコロナが流行し学校は閉鎖、部活も停止になりました。甲子園は中止になりましが、軟式野球部の私には関係のない話で、独自大会があるだけで十分だと思っていたし、実際最後の大会が終わった後は野球への未練はなく開放感に溢れていました。東大を選んだのもディズニーに通える東京に住みたかったからで、野球を続けるという思いは全くありませんでした。

大学合格が決まってから何故か急に野球への思いが湧いてきました。このままだらだらと大学生活を過ごして良いのか、一度硬式野球の世界に飛び込んでみないかという思いが頭から離れませんでした。心のどこかで野球に対する未練があったのかもしれません。しかし私にとって硬式野球部はハードルが高く、ホームページに書いている週6日活動という文字を見てはじめは冗談か誤植だろうと思いました。同じクラスに橋元(4年/外野手/修猷館)がいたため逐一野球部がどんな様子かを聞いていたものの本当についていけるか心配で最後の入部の決心がつかず、最終的に春のフレッシュトーナメントが終わった6月に入部を決めました。

入部して最初に思ったのは部員の身体の大きさでした。私の体重はちょうど50キロで、なんなら一般東大生よりも軽くこのままでは勝負にならないと思いました。野球の技術に関しても、バッティングが自分とはレベルが違う人が先輩にも同級生にもゴロゴロいました。自分は硬式ボールに慣れるのに精一杯で、バッティングでは延々とバットの芯を外し多くのバットを葬っていきました。入って二週間後の面談では「守備はいいけど身体が細すぎて六大学では話にならない」と学生コーチに言われ、大久保助監督(当時)には「打撃は中学生みたいだ」と言われたほどにバッティングが下手で、試合にも出られず、また途中入部で話せる人も武(4年/外野手/戸山)や橋元くらいしか居ないという状況で、身の丈に合わないこの部活に入ったことをひどく後悔したことを覚えています。自分の実力では主戦力になれないと悟ったこの頃から、私の目標は守備固めとしてのリーグ戦のメンバー入りとなっていました。

なんとか守備をアピールし、春のフレッシュではベンチ入りすることができました。出場する機会はなかったものの神宮の雰囲気を感じることができ、野球へのモチベーションが高まったところでしたが、6月のキャッチボール中に指を骨折しました。周りに置いて行かれるという焦りから予定より早く復帰しましたが、同じ箇所を怪我して更に怪我が長引くこととなってしまいました。後輩達も台頭し、結局秋のフレッシュには一試合もメンバー入りできませんでした。彼等が慶應にコールド勝ちし明治に対しても意地を見せた一方で自分は何をやってるんだろうという思いでいっぱいでした。いつの間にか大きく開いていた周囲との差を実感し、このまま自分の限界も知らず後悔して野球人生を終えるのかという焦りを強く感じる出来事でした。

それまでは苦手なバッティングから常に目を背けてきましたが、守備をアピールしても結局は打てる人が試合に出るということを遅くもようやく理解した私は、バッティングに真剣に向き合うようになりました。また守備でもほとんど守ったことがなかったショート、セカンドにも挑戦し、なんとか出場機会を得ようとしました。3年になると家も球場に近くなり、夕方いろんなポジションでノックを受けたり、夜の人気のない時間にティーやマシンを打ちにいくなど、今思えば一番野球にのめり込んだ時期でした。結果としてAチームとBチームを行き来するものの、少しずつうまくなる実感があって充実した日々だったように思います。

4年になってからの時間は一瞬で過ぎました。春にはBチームから突然のリーグ戦メンバー入りが知らされ、思わぬ形で1年からの目標は達成されました。出場することはなかったものの、華やかな六大学の舞台を生身で経験できたことはきっと忘れることはないと思います。夏には双青戦、七大戦にも行かせてもらい、なんとかこのままくらいついていこうという気持になっていました。ただうまくいっていたのはそこまでで、それ以降は精神的に辛いことのほうが多かったです。守備しか取り柄のない自分は絶対にミスしてはいけないという思いが重荷としてのしかかり更にミスしてしまうという負のループに陥りました。投げ方もわからなくなり、これが結局自分の実力なんだと限界を悟り後輩に道を譲った方がいいと考えることもありました。今でもしばしば思うことはあります。ただその度に励ましてくれたりよりそって悩みを聞いてくれる同期がいたから僕はここまでやってこれました。彼等がいなければ私はここまで続けることはできなかったと思いますし、本当に感謝しています。なんとか最後まであがいてみます。

今振り返れば東大野球部に入った当時の自分を心から褒めてあげたいと思っています。四年間を通して順風満帆とはいえず、自分の限界を何度も感じることもありました。でもこのままでは終われないという反骨精神や周りの支えのおかげでなんとかここまでくることができました。過去は美化されるもので、神宮まで自転車を漕いでスタンドで応援したことや、同じ境遇の仲間と愚痴をいいながらバッティングしたこと、またそのほかにも日常の些細なことが今となってはいい思い出です。辛いことから逃げようとしてきた自分が下した当時の大きな決断は、一度きりの大学生活に大きな彩りを与えてくれました。

また内気で話しかけられ待ちの僕に話しかけて仲良くしてくれた同期のみんなや、こんな僕に目をかけてくださった先輩方、同級生のように絡んできた面白い後輩達、今まで関わってきて下さった指導者の皆様、ノックを打ってくれたりバッピをしてくれた学生コーチ、マネージャーの方々など、様々な人たちにお世話になりました。本当にありがとうございました。向原さん(R6卒)サングラスありがとうございました。

最後に、直接は言えなそうなので両親にこの場を借りてお礼を述べたいと思います。

父へ

自分に野球を教えてくれてありがとうございました。休みの日には疲れているはずなのにひたすらノックを打ってくれたりキャッチャーをしてくれたおかげで野球が楽しいと思えたし、大学まで打ち込めるものに出会うことができました。中学からほとんどの試合を見に来てくれたし、大学でもこっそりと試合を見に来てくれて、目の前でなんとか結果をだして今までの恩返しをしたいと思っていました。自分よりも人のために行動する精神を心から尊敬しているし、自分もそうなれるように頑張ります。

母へ

常に気にかけてくれて、まただらしない自分に喝をいれてくれてありがとうございました。やりたいことは常に後押ししてきてくれたし、中高では野球場まで送り迎えしてくれたり何不自由なく野球に取り組むことができました。今まで多くの心配をかけたし、これからもかけてしまうかもしれません。でもなんとか成長した姿を見せて恩返ししていけるよう頑張るのでこれからもお願いします。

あまり書くことはないと思っていましたが、書き始めると意外と長くなってしまいました。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。大学野球人生の終わりまであと一ヶ月、短そうで長いこの期間、チームのために自分は何ができるかを考え最後まで頑張ってみます。

 

——————————————-

次回は9/30(月)、内田開智内野手を予定しております。